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最終話 お日様の当たる部屋

 まだまだ寒い日が続いていたけれど、時折吹く風が少しだけ柔らかく感じられるようになった三月の始め。

 私は久しぶりに大河内不動産を訪れた。


 店はもう営業していないが、小さな平屋の建物も、古びた看板もそのまんま。

 ガラス戸から中を覗くと、二ヶ月前とたいして変わらない店内が見える。

 コピー機やパソコン、大事な書類などは撤去してあったけど、事務机や本棚に並んだ難しそうな本などは、そのままの状態で残っていた。

 私はそっと、締め切っているガラス戸に触れる。鍵はかかってなく、その扉はあっけないほど簡単に開いた。

「もう、社長ったら、無用心なんだから……」

 ついそうつぶやきながら、店内に入ると、ものすごく懐かしい想いに包まれた。

 たった二ヶ月離れていただけなのにな……。

 いつも座っていた席に腰掛け、ぼんやりと椅子の背にもたれる。

 どこか古臭い、匂いも空気も、何も変わっていないのに……カウンターの前で暇そうに新聞を読んでいる社長も、頬杖をついてパソコンを眺めている鷲尾くんも、もういないんだ。


「あら、今日、真ちゃんいないの?」

 からりとガラス戸が開いて、顔を出したのは、大家の佐藤さんだ。

「佐藤さん」

「久しぶりね」

 佐藤さんが私を見て、微笑みかけてくれる。

「今ちょっとそこを、通りかかったもんだから。真ちゃんどうしてるかと思ってね」

「私も、たまたま通りかかって」

「なんだかね、この店なくなっちゃって、寂しくなっちゃったわよねぇ」

 佐藤さんが店の中を見回しながら、ため息交じりに言う。

「私もね、三年前に旦那亡くして一人でしょ? この歳になると、もう先は長くないだろうし……何かの拍子にね、ぽっかりと心の中、穴あいちゃったりするのよね」

 私は黙って佐藤さんの声を聞く。

「真ちゃんも同年代でしょ? 店辞めて、気が抜けちゃってるんじゃないかと思って」

 そう言って苦笑いする佐藤さんに、私は言う。

「そんなこと、言わないでください。佐藤さんも社長もまだまだお若いんですから。今まで一生懸命働いてきた分、少しだけ休んで、あとは自分のために、まだまだ楽しんで欲しいです」

 佐藤さんが「そうねぇ」なんて言いながら、私に笑いかける。

「あとはあなたたち、若い人たちにお任せしてね」

「はい」

 うなずいた私に、佐藤さんは思い出したように聞く。

「そう言えば、おたくにいた若いお兄さん。あの子、元気?」

 ああ、鷲尾くんのこと。

「元気、だと思いますけど、私も全然会ってなくて」

 鷲尾くんとは、去年の暮れから会っていない。

 結局、和田さんのいる会社で働くことになったと、社長からは聞いているけど。

「あの子と真ちゃんもねぇ、最初のころはしょっちゅうやり合ってたけど」

「え、鷲尾くんと社長がですか?」

「そうよぉ、だってあの子、繭ちゃんと付き合ってたでしょう? 大事な大事な一人娘に手を出されたって、そりゃあもう真ちゃんのお怒りは、大変だったわよ」

「そうだったんですか」

 佐藤さんは知っていたんだ。鷲尾くんと繭子さんが、付き合っていた頃のこと。

 佐藤さんは、大好きなおしゃべりが止まらなくなってきたみたいで、カウンターの席に座り込んで、話し続ける。

「あの彼氏ね、今ではネクタイしめて、まともに働いてるけど、最初に会った頃はひどかったわよ。仕事はしてないし、だらしない格好してるし。繭ちゃんたら、どうしてあんな男に引っかかっちゃったのかしらって、私でさえ心配したわよ」

「そ、そんなにひどかったんですか?」

「ひどい、ひどい。まぁ、顔だけは男前だったけど」

 そう言って佐藤さんがおかしそうに笑う。

「でもまぁ、あれからいろいろあったじゃない? 私たちには想像つかないようなつらい想いも、二人はしたと思う。だけどそれによって、あの子もほら、少しは中身もいい男になってきたっていうか」

 佐藤さんが私を見て、いたずらっぽく肩をすくめる。

「まぁ、それも全部、真ちゃんのおかげなんだろうけどね」

 私は佐藤さんの前でこくんとうなずく。

 そうだね。そして、社長のおかげでここまで成長できたってこと、鷲尾くんもちゃんとわかってるはず。

 佐藤さんはその後も、真ちゃんと奥さんの馴れ初めとか、しゃべりたいだけしゃべった後、また寄ってみるわ、と言って帰って行った。

 私は佐藤さんが出て行った店先をぼんやりと眺める。

 柔らかな日差しに包まれて、プランターの中のパンジーは、まだ色鮮やかに咲いていた。


「むっちゃん、来るなら来るって言ってくれたらよかったのに」

 店に現れた社長は、白いネクタイをつけて、バタバタと忙しそうだった。

「いえ、私はちょっと通りかかっただけですから。それより社長、お出かけですか?」

「ああ、親戚の娘さんの結婚式に呼ばれてね。これからすぐに出かけなきゃなんないんだ」

「そうなんですか」

「うん。小さい頃からよく知っている子でね。『おじさん、ぜひ来て』って頼まれちゃって」

 そう言って嬉しそうに目を細めた社長は、もしかしたらその娘さんに、繭子さんの姿を重ね合わせているのかもしれない。

「行ってあげてください。私ももう、帰りますから」

「いや、そうなんだけどね。ちょっとここで待ち合わせしてて」

 社長はそわそわと腕時計を見た後、私に向かって言った。

「まぁ、ちょうどいいか。むっちゃんに頼んじゃおう」

「何をですか?」

「もう少ししたら業者さんが来るから、書類受け取っておいてくれないかな?」

「いいですよ」

「頼むね、むっちゃん」

 社長がそう言って、私に笑いかける。

「こんな所でよかったら、また遊びに来て」

「はい」

「この次はゆっくり、むっちゃんにいれてもらったお茶、飲みたいから」

「はい。また来ます!」

 社長が軽く手をあげて、忙しそうに店を出て行く。

 私はそんな社長の姿を、いつもの席から見送った。


「はぁ? なんでここに睦美さんがいるんですか?」

 数分後、私の前に現れたのは、あの鷲尾くんだった。

 業者さんって、まさか鷲尾くんのこと?

「私は社長に頼まれて……書類受け取ってって」

「ああ、これね。うちの社長から」

 鷲尾くんが、持っていた封筒を私に差し出す。淡い緑色の封筒には、『グリーンハウス』の会社名が印字されてあった。

「鷲尾くん……本当にグリーンハウスの人に、なっちゃったんだ」

 思わすつぶやいてしまった私の前で、鷲尾くんが笑う。

「和田さんっていう口うるさい先輩に、こき使われてますよ」

「口うるさいじゃなくて、尊敬する先輩でしょ?」

「まぁ、多少は」

 おかしそうに笑っている鷲尾くんが、実は和田さんのこと、お兄さんみたいに慕っているって知ってる。

「忙しいの?」

「繁忙期ですからね。全然休みないです」

「大変だね」

「大変だけど……やりがいはあるかなぁ」

 そう言って、どことなく遠い目をした鷲尾くんは、なんだかちょっと私の知らない人みたいに見える。

「俺たぶん、この仕事、好きなんだと思います」

 鷲尾くんが私に視線を移す。

「お客さんが、自分の案内した部屋気に入ってくれて、すごく嬉しそうな顔してくれたりすると、あーやっててよかったなぁなんて」

「うん」

「だからこれからも俺は、お客さんの気持ちになって、そのお客さんが心から喜んでくれる部屋を探してあげるっていう、大河内不動産のやり方を、ずっと変えないと思いますよ」

「それ聞いたら、うちの社長、泣いて喜ぶんじゃないかな?」

 鷲尾くんが笑って、それから私の顔を見る。

「睦美さんは?」

「え?」

「どこかで働いてんの?」

 私は黙って首を振る。

「なんかね、私まだ、自分が何をやりたいのか、よくわからなくて」

 面接を受けてみようかと思った会社は、いくつかある。あるんだけど……どうしても最初の一歩が踏み出せないんだ。

「大丈夫ですよ」

 そんな私に鷲尾くんが言う。

「俺なんてここに行き着くまで、どんだけ世間をさまよったか……」

「知ってる」

 小さく笑って鷲尾くんを見る。

「さっき大家の佐藤さんに聞いた。最初に会った頃の鷲尾くんって、それはもうひどかったって」

「は? ひどかったって何ですか? どこがひどかったんですか? 失礼だよなぁ、佐藤さんも」

 相変わらずの口調で、そんなことを言ってる鷲尾くんに私は言う。

「でも今は、だいぶマシになったんじゃない?」

 そっと手を伸ばして、鷲尾くんの胸元に触れる。曲がっていたネクタイをクイッと整え、その顔を見上げる。

「うん。ちゃんとグリーンハウスの営業さんに見えるよ」

「当たり前でしょ? 俺だってやる時はやるんです」

 今度は鷲尾くんが手を伸ばし、その手が私の髪をふわふわとなでる。

 ああ、なんだかすごく気持ちいいな……。

 今だったら私、素直に甘えられそうな気がする。

「ねぇ、鷲尾くん?」

「はい?」

 手を止めた鷲尾くんに私は言う。

「また、会えるかな?」

 私の前で鷲尾くんがふっと笑う。

「また会って、今みたいに……その……」

 頭ふわふわしてくれないかな?

「まったく、しょうがない人だなぁ」

 鷲尾くんの笑い声と同時に、私の頭がぐしゃぐしゃとかき回される。

「ちょっ……ちょっと鷲尾くん!」

 はははっと笑って手を離すと、鷲尾くんが私に言った。

「いいですよ。俺も睦美さんに会いたいから」

 髪を押さえながら、鷲尾くんを見る。

「今度また、僕のうちに遊びに来てください。大河内社長が僕のために紹介してくれた、お日様の良く当たる、すごく居心地のいい部屋なんです」

「う、うん」

「手土産は赤坂屋のおはぎでいいですよ」

 もう、調子いいんだから。

「じゃあ、また。睦美さん」

 鷲尾くんが私に笑いかけ、片手を上げて軽く振る。

「うん、鷲尾くん……またね」

 そう言いながら手を振り返したら、とっても自然に笑顔になれた。


 誰もいなくなった店から外へ出る。

 お店はやっていなくても、社長が毎日水やりに来ているんだろう。

 プランターの中ではまだ、たくさんのお花が風に揺れている。

 私もそろそろ動き出さないとな……。

 いっぱいお休みもらっちゃったもの。社長も鷲尾くんも頑張っているんだもの。

 とりあえず、新しい勤め先、探さなくちゃ。


 うーんっと両手を伸ばし、空を見上げる。

 私の上に広がっているのは、今日も青く晴れた空だった。

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