1-13
主要登場人物
柏木ミサト:足が不自由な奇妙な発音だった異世界人。元、英雄であり世界の敵。
ミーナ:ミサトを拾ったネコミミ少女。人間と獣人のハーフゆえ村中からハブられてる薄幸少女。村を襲われた時にミサトと離れ離れに。
コウリ:ミサトを村から逃すために突然現れたイケメン。獣姿の場合は白虎の体とカモシカっぽい脚を持つ不思議生物。
空を翔けるコウリの背の上で、上空の風に吹かれながらミーナはずっと眼を瞑っていた。
高さはおよそ四、五十メートル程度。ミサトにとっては、自身もその気になれば飛べるため大した事の無い高さではあるが、地面にずっと足をつけて生活していたミーナにとっては未知の世界だ。生まれてから過ごした生家は平屋であり、高いところといえば精々木に登った時くらいしか経験していない。それでも高々数メートルだ。
コウリが飛び立った直後は見たこともなかった景色に少しだけ胸を高鳴らせはしたものの、一度下を見てしまい、それ以来ずっと眼を閉じて前に座るミサトの大きいとは言えない背中にしがみついている。
だがミーナが眼を閉じている理由は高さだけが理由ではない。
ミーナの胸の内を今支配しているのは恐怖だ。その種類は様々で、高さに対する恐怖ももちろんだが、それ以上にこの後に見ることになるであろう景色が怖かった。
村を襲った悲劇。惨状。自分の家が燃え落ちていく様をミーナは目撃した。きっと祖母と、ミサトと過ごした家はもう無い。それは、良くは無いけれどもう諦めた。だが村の皆はどうなのだろうか。
ミーナも理解はしている。きっと、村も自分たちと同じように襲われたのだと。相手が人間であるなら、亜人たちを逃しはしない。ゴートたち村の男衆が人間よりもずっと強いことは知っているが、だが所詮パドバ村は小さな村だ。まともに戦える人がどれだけ居るか、と問われればミーナの頭に過るのは残念な回答だけだ。
(たぶん……)
村はもうダメだろう。まだ目の当たりにしたことは無いが、人間の亜人に対する容赦の無さは有名だ。おそらく、家々は焼き尽くされて使えそうな物は奪いつくされているに違いない。
だが住民は。
村の皆はもしかしたら無事かもしれない。全員が全員無事では無いだろうし、戦った者は期待できないかもしれない。しかし他の人は逃げ果せている人もいるかもしれない。そうであるとミーナは信じたかった。
けれども、村に着けばそれが裏切られるかもしれない。誰も村には居なくて、出迎えてくれる人なんて一人もいないかもしれない。願望は、容易く裏切られる。それを自らの眼で確認しなければならない。そのことがミーナは心底怖かった。
(ハルト……)
鼠姿の家族の事を思い浮かべ、ミーナは願った。無事であってほしいと。また人懐っこく話し掛けてきて欲しいと強く願う。それは今では無くていい。いつか、いつか何処かで再会できればそれでいい。ミサトの背中を強く抱きしめながら胸の内でミーナは望んだ。
「着いたよ、ミーナ」
頭上から掛けられた声に、ミーナはハッとして顔を上げた。
ミサトがまずコウリの背から降り、続いてミーナが地に足をつける。二人を下したコウリは、そのまま静かに影の中に身を沈ませていく。
二人だけが残される。ミーナは顔を伏せたまま。ミサトはそれに気づいていたが、何も言わない。
やがて、意を決してミーナは顔を上げ、そして言葉を失った。
パドバ村の村外れ。緑々とした木々に囲まれた村の中心から外れた場所には家があった。小さな、一部屋と台所しか無い木で出来た家だ。思い出がいっぱい詰まった、ミーナの大切な家だ。眼を閉じればすぐにミーナの脳裏にその姿を思い浮かべる事ができる。
だが、今目の前にあったのは記憶の中のそれとは似ても似つかない。
家全体が真っ黒に焦げて焼け落ち、比較的太い物を使った柱以外は全て崩れてしまっていた。ミサトやハルトと一緒に食事をしたテーブルも、一緒に横になったベッドも、何度も食事を作った台所も、何もかもが黒く変化して元の面影は何処にも見い出す事が出来なかった。
ミーナは何も言葉に出来なかった。覚悟していた事とはいえ、目の前の自分の家の姿は胸を抉る衝撃を与え、両足から力が抜けて崩れ落ちそうになるのを必死に堪えるので精一杯だった。
「……入ろう」
ミサトがミーナを促し、背をそっと押すことで何とかミーナは足を前に踏み出す。崩れた壁板が入り口を塞ぎ、それを跨いで家の中へ踏み込んでいく。震える足で少しずつ進んでいき、中に入りきった所で見た景色は外から見たそれと何ら変わりない。ただ、間近で見たかつての思い出たちの姿は外よりもより強い衝撃となってミーナの心を打ちのめした。
――本当に、無くなっちゃったのかな……?
喪失感。空虚。胸に穴が空いた様な、そんな感覚が絶えず押し寄せてくる。
「ミーナ」
呆然としていたミーナの名をミサトが呼ぶ。ぎこちない動きで首だけを動かせば、家の一番奥でミサトが手招きをしていた。
意思を持たないマリオネットの様な動きでミーナは招かれた方へ歩いて行った。
言葉を発さないミーナ。彼女に対してミサトは焼け焦げ黒くなり積み重なった壁の瓦礫を素手でどかし始めた。ススで手が真っ黒になるのにも構わず、白いブラウスが汚れていくのも気にせず折り重なった壁を片付けていく。
不意にその手が止まる。屈んでいた体を起こし、ミーナの方を見ると床面を無言で指さした。ミーナは濁った瞳でその指さした方を見た。そして瞳に光が戻った。
床に転がるのはたった一つ。それは最後に残ったただ一つの思い出。かつての村長が渡し、彼女の祖母から譲り受けた魔族の素材で作られた一つの弓。煤けて、埃に塗れて汚れてしまっているが、それは火に焼かれたにも関わらずしっかりとそこに残っていた。
膝を突き、震える手をミーナは伸ばす。祖母から所有権を受け渡されて以来、毎日の様に使っていたそれは確かにミーナの物だと主張するように手に取ったミーナの手に馴染んだ。
視界がゆっくりと滲んでいく。目尻に浮かんだ涙をミーナは拭い、そして弓を抱きしめる。じっと抱きしめ、零れる涙が頬を濡らすのもそのままに一人静かにミーナは泣いた。
その後姿をミサトは同じく静かに見守るだけだった。
そのままどれだけ時間が流れたか。一頻り涙を流したミーナは手の甲で目元を拭って立ち上がり、顔を上げてミサトに向かって笑ってみせた。
「うん、もう大丈夫。待ってくれてありがと」
「そっか」
笑顔を浮かべたミーナにミサトは少し安堵の息を漏らす。
今のミーナは多少憔悴した様子があるが、弓を大切に胸に抱いて、襲撃がある前と変わらない笑みを浮かべようとして、幾分ぎこちなさが残りながらも確かに笑ってみせた。
ミーナが落ち着いてミサトとしては嬉しい。泣き顔よりも笑顔を見ていたい。
けれども。
ミサトは告げねばならない。
「なら……次の場所に行こうか」
「次?」
自分の家以外に他に目的地があるのか。怪訝な顔をして尋ねるミーナだったが、ミサトは何とも言い難い、僅かに眉尻を下げた困ったような表情をして、けれども場所を告げずに崩れた玄関を出て行った。
「ねえ、どこに行くの?」
後ろから追いかけてきたミーナがもう一度尋ねるが、ミサトは応えない。
かつては新緑の木々でアーチが掛かっていた、だが今はその木々も燃え尽きてしまったかつての並木道を歩いていく。ミーナの家から見ると以前は木の葉に隠されて奥を見通すことは出来なかったが、今となっては隠すものが無くなったため憎らしい程に良く見えた。
ミサトの後ろを早足で歩きながら近づいてくる景色が迫ってくる。その度にミーナの鼓動が早くなる。せっかく落ち着いた心がまた早鐘を打つ。
そして辿り着いた。
ミサトは足を止め、ミーナに見せつけるかのようにミーナの前から横へ退き、元は村の広場だった場所の様子がまざまざと視界に入ってくる。
そこはただの原っぱだ。村の中心であり、そこを取り囲む様に家々が並んでいた。村長のゴートの家もその並びにあり、商人リッターが訪れた時も、大規模な狩りに成功した時も、魔族を仕留めた時も広場には村中から人々が集まっていた。狭い村の中にこんなに人が居たのか、と初めて見た時は驚いたものだった。事ある毎に夜通し宴会が開かれ、楽しそうに囃し声が夜空に高々と響いていたのをミーナは良く覚えている。混血だったミーナはその場に参加する事は許されなくて、ここと自分の家を隔てる森の木々の影に隠れて遠巻きに見ることしか出来ずに羨望を多分に含んだ眼差しを向けていたが、その時の様子は鮮明に思い浮かべる事ができる。
しかし、もはやここは広場とは呼べない。家々は朽ち果て、戦禍の痕を悠然と物語る有り様。ミーナ自身の家と同じようにどの家も焼け落ち、原型を留めているものは何処にも無い。
そして未だに咽返るような強烈な匂い。足元の土には真っ黒に変色してしまった血が染み込み、矢が突き刺さり、剣が折れ刺さり、欠けた鎧の欠片が散らばっている。その様は戦闘の激しさをまざまざと物語る。
戦で倒れた人々。多くの兵士が倒れて地面に伏している。腕を失い前のめりに剣を握って放さないままの者、仰向けで倒れて喉に剣が突き刺さったまま空に向かって手を伸ばしている者、恐怖と絶望に襲われ嘆きの方向を天に向けたであろう表情で朽ちている者。彼らは皆戦の痕そのままに弔われず、捨て置かれて腐臭を醸し、その肉体に虫が集っていた。
ミーナの足が震える。生まれてこの方、戦いが溢れるこの世界において目の前で戦闘が行われる様を幸運にも見ることは無かった。そして今、その痕を間近で見て恐慌にも似た状態に陥っていた。
おぞましい。戦いとはこんなにも恐ろしいものか。人の死に様とは、こんなにも醜いものだっただろうか。
自分に良くしてくれていた前の村長と祖母の死に行く様をミーナはかつて看取ったことがある。あの時はとてもとても悲しくて、大好きだった人ともう話すことも、温かい体温を感じる事もできなくて、胸を奥底から抉り取っていく様な喪失感に襲われていた。幾晩も幾晩も涙で枕を濡らし、食事もまともに喉を通らず嘔吐を繰り返す程に憔悴してしまった。
けれども、今視界に飛び込んでくる景色は何だろうか。これが人の最期にふさわしい姿だろうか。誰にも弔われず、自然と朽ちていくのを待つだけ。これまでの人生を看取ってもらうこともできずに、死というものがとても軽くて感覚が麻痺する。
ある村人は、酔った際にミーナに対して言った。戦う事は、亜人の尊厳を維持する為のものだ。亜人が亜人であるために必要な事である、と。
だが、今のこの場はどうか。亜人も人間も誰かれ構わず朽ち、ただ地面に還っていく。世界の一部に取り込まれていく。誰も見てくれない。誰も触れてくれない。誇りも尊厳も、そんなものがこの場の何処にあると言うのか。
死んだ後に何が残るというのか。苦しんだ先に何が彼らの中に残るのか。残った者の手の中に何が残ったというのか。
呼吸をすることを忘れたミーナは、息苦しさに大きく息を吐き出す。その際によろめき、地面に突き刺さっていた折れた剣につまずいて転んだ。
地面に手を突くミーナ。そしてそのすぐ横には顔があった。その顔にミーナは見覚えがあった。
彼女の名はヨルダ。犬の獣人で、歳はミーナより少し上。とても面倒見が良くて、老若男女問わず村人から愛されていたのをミーナも知っている。少し垂れた耳が愛らしく、けれど村の男連中にも決して引かずに強い女性だった。彼女の周りにはいつも人が集まっていてミーナはあまり話す機会が無かったけれど、混血である自分をあまり差別せず、周りに人が居ない時は向こうから話し掛けてきてくれたりした優しい人だ。初めて会話した時はとても嬉しくて、夜寝るまでずっと彼女の事を思い浮かべていた。また、あの夜、宴会に時にコッソリとミーナに食材を分けてくれた一人でもあった。
そんな彼女が、彼女の頭だけが硬い地面に転がっている。首から下は存在しておらず、何かに囓られたみたいに顔の右半分が無くなっていた。
「あ……ああ……」
他の兵士たちが腐り落ちているにも関わらず彼女の残った顔は綺麗だった。埃と血で汚れているものの、他の人たちの、誰かも分からない有り様に比べれば遥かに綺麗だ。けれど、だからどうだと言うのだ。こんなになってしまった優しい彼女を運が良かったとでも言うのか。
真っ白になっていく思考の中で、ミーナは半ば無意識に彼女の小さな亡骸に手を伸ばす。生前の体格はミーナよりもずっと大きかったが、今は両手で抱えられるくらいにまで小さくなってしまった。その重さを感じてしまった途端、ミーナの内にとてつもない感情が溢れだしてきた。
「あふっ、えっ、えぐっ、ひっく……」
涙が止まらない。
どうしようもなく胸が痛み、喪失感は滝の様に押し寄せてくる。体が震えて力が入らない。この現実が信じられなくて、けれども今の手の中の重みは確かで。嗚咽と共に呼吸は不規則で苦しい。なのに止めようが無い。
悲しくて悲しくて悲しくて。
苦しくて苦しくて苦しくて。
命が失われた。自分が大好きだった人たちの命が奪われた。もう二度と会話も出来ず触れ合う事もできない。いつか、いつか村の人たちに認められて、愛していると伝えて、自らも愛されていると伝えられるその時は永遠に失われてしまった。ミーナの孤独を埋める手段は失われてしまった。
しゃくりあげるミーナの双眸からは止め処なく涙が流れ落ちて汚れてしまったヨルダの顔を少しだけ洗い流す。嗚咽が呼吸を止め、だがミーナはそれをもう苦しいと思えなかった。
ヨルダは空虚な眼差しをミーナに向けてくる。意思の無いはずのそれは、しかしまだ生きているミーナを責め立てる。生きている、ただそれだけなのにミーナを非難してくる。
皆から愛されていたヨルダが死んで、皆から嫌われていた自分がこうして生き伸びた。これは何の間違いだろうか。何故自分がまだ生きているのか、愛らしいヨルダの亡骸を抱えて泣くことが出来てしまっているのか。ミーナは、分からない。悲しみで満たされていた心が、「何故」という疑問で満たされた理性で覆い隠されていく。
その時、ふとした考えがミーナの頭を過る。ヨルダの顔に手を当てて眼を閉ざし、そっと静かに地面に戻すと不意に立ち上がって駆け始めた。
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
嗚咽で乱れた呼吸が整わない内に走り始めたためにすぐに息が切れる。だがミーナはそれにも関わらず全力で森の木々の間を走り抜けていく。
途中張り出した木の根に足を取られて転びそうになる。しかし、何とかバランスを取り直して堪えると、鈍った足取りに活を入れて必死に足を動かして進んでいく。
走った時間は一分程度。とある家の前で立ち止まったミーナは、荒れる息そのままに見上げた。
額から汗が滴り落ちる。流した涙の痕を伝って汗が流れ、地面に落ちて乾いた地面に小さな染みを作った。
そしてミーナは崩れ落ちた。腰から崩れ、倒れそうになったミーナの腕をミサトがかろうじて支えるが、ミーナは呆けた様にただ目の前の景色を捉えるだけだった。
この家はハルトの家だ。この村の中で唯一、ミーナが立ち入る事ができた他人の家だ。大体はハルトがミーナの家を訪れていた為少ないが、それでも思い出の刻まれた場所だ。
しかしここもまた他の家と同じように原型を留めていない。家族から独立していて独り暮らしだったハルトだが、荒屋なミーナの家よりもずっと大きい。だが今は跡形も無く破壊しつくされてミーナの家よりも小さくなってしまっている。
――ハルトは、ハルトは……
ミーナの脳裏で最悪の想像が首をもたげる。もし、もしハルトが×んでしまってたら……
「なんで……」
何故、自分はここに居るのだろう。どうして自分は生きているんだろう。自らに問い掛けた為に零れ落ちたその呟きは、しかし後ろに立っていたミサトは違った響きで捉えた。
「俺を、捕まえる為だったんだとよ」
ミサトはミーナから眼を離し、どこか遠くを見る様に村の痕を見回して口を開いた。
「もしかしたらミーナも気づいてるかもしんねーけど、俺は召喚者だ」
「しょう…かんしゃ……?」
「ああ。ずっと昔から世界中で行われていた、こことは異なる時間、場所からここには無い知識や技術を持った人間を喚び出していた技術。そうしてこの世界は発展と破壊を繰り返して成長してきた。そして……死んでいたはずの俺は喚び出された。……国を壊す『兵器』として」
涙で濡れた瞳をミサトに向けた。ミサトは少しだけ眼を伏せ、まるで独り語りをするかの様に口を開き続ける。
「発展のためってのは体の良い、耳障りの良いお題目だ。歴代の召喚主たちはそれぞれの国の指示で召喚をして、召喚者たちは皆当時の戦争の為に働かされたらしい。知識や技術は新たな兵器を作り出すため、そして召喚者自身も運動能力はすげぇし何より強力な魔法使いだったみてぇだしな。今の人間たちが使ってる魔法も当時召喚された魔法使いたちが伝えたモンらしい。ま、独自に改良が加えられて俺からしてみれば別モンに近ぇ状態になっちまってるが。
でもま、それはいいや。で、俺を召喚したアテナ王国もそのつもりだった。亜人を、ミーナたちを殺し滅ぼすために国民の眼を掻い潜って召喚を強行した」
そこでピクリ、とミーナの体が震えた。ミサトの眼にもその様子が入ったが、ミサトは気づかない振りをした。
「ところが蓋を開けてみれば、だ。何が起きたか知らねーけど、召喚した場所に俺は居なかった。奴らにしてみれば大慌てだよな。支持も受けてねーのにコッソリと召喚して、けど国を覆すかもしんねー危ねぇ野郎がどこ行ったか分かんねぇんだもんな。下手すりゃ矛先が自分たちの方に向くかも知れねぇしな。
んで大急ぎで探しまわったけれど、そこで大変な事が分かった。よりにもよって亜人の村に俺が居るわけだ。何とも皮肉な話だよな? まさか自分たちの切り札が敵の手の中にあるんだからな。
何とかして手札を自分たちの元に取り返さなきゃならないと考えた王国は強硬手段に出た。その結果がこの有り様だ」
ミサトは本当の事を話さなかった。本当は、ただミサトを攫う「行き掛けの駄賃」程度の感覚で村が襲われた。だが、それではあまりにも報われない。ゴートたちは村を守るために戦って死んだ。いけ好かない奴だったが、村を守る気持ちは確かだ。だから本気で戦い、そして散った。だというのに、相手はただ「序に」で戦った。そんな事実をミサトはミーナに伝えたくなかったし、死者に対する敬意を損なっている様に感じた。だから、真実は伝えなくていい。そう思ってミサトは全てを語らない。
そこまで話してミサトは一息吐いた。紅い髪を掻き上げて、一度空を仰ぐ。曇天の空模様は遠くまで続いていて、今にも雨が降り出しそうだ。
「ねえ、ミサト……」
「何だ?」
「ハルト、は、無事だよね……?」
ミーナはたどたどしい口調でミサトに尋ねた。声は震えていて、顔はハルトの家の跡地を見たままだ。
ミサトは頭を振った。けれども、ミーナには見えない。スゥっと息を吸い、告げた。
「死んだ」
「村から逃げたんだよね? どっかで私たちが戻ってくるのを待ってるんだよね?」
「ミーナ」
「だったら探しに行かなきゃ。きっとずっと待ってるよ。ハルトってあんまり自分から動こうとしないで迷ったら待ってるタイプだから。だから、ずっと私たちが探しだすのを待ってるよ」
「ミーナ」
「どっちの方に逃げたかな? たぶん、道がある方には行かないよね? だったら山の方かな? きっとそうだよね? 人間だとこの辺りの事に詳しくないから逃げやすそうだもんね? ね、ほら、ミサト。早く行かなきゃ」
「ミーナ!」
ミサトの張り上げた声が静かな村に響き渡る。
その声に驚いた小鳥たちが一斉に木の枝から飛び立ち、吹いてきた北風が梢を揺らした。
立ち上がってフラフラと歩き出そうとしたミーナだったが、ミサトの声に動きを止め、無言のまま立ち尽くした。
「ハルトは、死んだ」
「嘘」
「嘘じゃねぇ。ハルトは死んだんだ」
「嘘だ」
「ミーナ」
「嘘だっ!!」
「嘘じゃないっ……! 嘘じゃねぇ、嘘じゃ、ねぇんだよ……」
ミサトは絞り出す様に声を発した。その声は苦しそうで、辛そうで、だからミーナは悟ってしまった。ミサトの言葉が真実だと、理解してしまった。
ハルトが、死んだ。――何故?
何故、ハルトが死ななければならなかったのか。どうして死ぬべきではない人が死んでいくのか。どうして、こんな理不尽が起こりうるのか。
なぜなぜなぜ。
どうしてどうしてどうして。
なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ――
(俺を、捕まえる為だったんだとよ)
――ミサトが、この世界に居るから
世界が、崩れる。
ミサトはゾワリ、と鳥肌立つのを感じた。微かに空気中の魔素が励起するのを肌で捉え、半ば自動的にミサトの体が防衛手段を取った。
「うあああああああああああああっっっ!!」
ミーナが振り向くと同時に叫び、白眼を血走らせた昏い眼がミサトを捉えた。どす黒い感情がミーナを覆い尽くし、激烈な意思が世界に干渉した。
同時、ミサトの何かが塗り尽くされていく。見ていた世界が急速に遠退き、体の自由が奪われていった。
(これは……精神魔法か!?)
発することができない声の代わりに思考の中でミサトは驚愕する。と同時に思案。
カブラスは確か「亜人は魔法を使う事ができない」と言った。ならばミーナが魔法を使えるはずがない。しかし、ミーナは「混血児」だ。人間の血が混じっている。彼女の祖母がいかなる人物であったかは知る由も無いが、彼女が優秀な魔術師であったならばその血がミーナに受け継がれていても不思議ではない。
以外な人物の魔法にミサトは面食らったが、しかし慌てる事は無かった。
魔法――ミサトの居た世界では魔術だが――であればミサトの理解は他の追随を許さない。何せ、自らが開発・発展させてきた技術だ。この世界で最高クラスのイズールの精神魔法でさえ容易く解呪してみせた。
暗い世界の中でミサトはコードを読み解こうと眼を凝らした。肉眼では見えないものであっても、魔素に編み込まれたそれをミサトは見つける事ができ、だからこそミサトは慌てず落ち着いて魔素の海の中で佇んでいた。だが――
(――コードが、無いだと……!?)
ミサトが放り出された世界の何処にもコードの記述は無く、ただ闇だけが何処までも存在する。であれば解呪の手段は無く、以下に最強のミサトと言えども自らの意志で抗う事は出来ない。
二度目の波がやってくる。ミサトの全身を塗り替えていく感覚。それは一度目の感覚とは比べ物にならない程に強烈で、体が、心が、これまで常に感じていた喪失感ごと全く違う物に置き換えられていく様で。
ミサトはその感覚に覚えがあった。
(これは……あの時の……)
この世界に来るキッカケとなった、最後に受けたヒカリの魔法。ミサトを始めとした他の原初の魔法使いたちの魔法は、その威力こそ他の追随を許さないが、魔術として他に使える者は五万と居る。その中で、ヒカリの魔法だけは唯一他の誰も使えない、たった一つの魔法。
何故それをミーナが、と思う間もない。急速に失われていく自らの存在。ミサトは悟った。これで、自分は終わりだと。
それも良いかもしれない。所詮この身は一度死んだはずの身だ。記憶を取り戻してからまだ一日と経っていないが、元々得るはずが無かったものと思えば惜しいとも思わない。何より、ミーナの手で終われるのであれば尚更だ。
暗闇の中でミサトは流れに身を任せた。もうすぐ来るだろう最期を待ち、しかしそれは訪れない。
「ぐぅっ!!」
背中に叩きつけられる衝撃。不意打ちのそれに身構える間もなく、一気に肺の中身が押し出されて息が詰まる。
失った酸素を求めて開かれる口。だが、吸ったはずの空気が肺に届くことは無い。
喉に加わる圧力。痛みに眼を開ければ、目の前にはミーナが居た。
ミサトに馬乗りになってミーナはミサトの喉を締め付ける。眼を大きく見開き、憎悪に染まった眼差しでミーナはミサトを睨みつける。細い腕に力が込められ、首に回った両掌が柔らかいミサトの肌に食い込んでいく。爪が食い込み、紅い血が滲んでいく。
「ぐううぅぅぅ……!」
その唸り声はミサトの息苦しさからか、それとも力を込めるミーナの呻きか。
ミサトは首を締めるミーナの腕に向かって手を伸ばし、掴む。ミサトの腕力であればミーナの腕をどかす事は容易い。それどころかミーナを体ごと弾き飛ばす事だって可能だ。
しかしミサトはそうしなかった。ままならない呼吸に耐え、掴んだ腕から手を離す。
そして醜く顔を歪ませたミーナの頬をそっと優しく撫でた。
滑らかな感触の肌に触れ、ミサトは満足した様に微笑むと開いた瞼を再び閉じた。
静寂。
沈黙。
風が木々の歯を揺らし、葉擦れの音がなった。
「……なんで」
ミサトの頬に落ちる雫。不思議な暖かさを持つそれに、ミサトは眼を開いた。
「なんで、なんで私に何もしないのっ!? なんで私を殺そうとしないのっ!? 私は今ミサトを殺そうとしてるんだよっ! ミサトは強いんでしょ!? だったらさっさと私を突き飛ばしてよっ!」
絞り出す様にミーナが叫ぶ。左右に頭を振り、涙を飛び散らせて、しかし言葉とは裏腹にミサトの首に触れた腕から力が抜けていった。
「殴り飛ばしてよっ! 蹴飛ばしてよっ! さっきの兵士さんたちだってミサトがやったんでしょっ!? あの人達と同じ様に……私を殺しなさいよぉっ!!」
叫びが曇天の空に消えていく。ミーナは崩れるようにミサトの体の上に覆いかぶさり、顔をミサトの胸に押し付けて押し殺した様な泣き声を上げる。ミサトはそんなミーナの背中を小さく撫でるしかできない。
空が鳴き始める。泣き始める。冷たい涙がポツポツと流れ始め、次第に雨脚は強くなっていき、たちどころに二人の体をずぶ濡れにしていく。
「どうして……ハルトを守ってくれなかったの……」
「……ごめん」
「どうしてあんなに強いのに村を守ってくれなかったのよ……」
「……」
「なんで……皆を守ってくれなかったの……」
ミサトに縋り付いて泣くミーナだが、自分がどんなに理不尽な言葉をぶつけているのか分かっていた。
記憶を無くしていたミサトは歩くことさえも出来なくて、魔法なんてものも使えなかった。ミーナ自身ミサトを庇護対象として見ていて、実際ミサト一人では生きていく事は出来なかった。それは紛れも無い事実であり、そんなミサトが村に対して何が出来ると言うのか。
けれど、それでもミーナは縋ってしまう。ミサトが魔法使いであると知ってしまったがために嘆いてしまう。恨んでしまう。憎んでしまう。どうしてもっと早く思い出してくれなかったのかと、どうして魔法を忘れてしまっていたのかと。もし忘れていなければきっと村は無事で、こんなにも残酷な光景をミーナに見せつける事もなくいつもと変わらない明日が待っていたはずなのに、と考えずには居られない。
最低だ。溢れ出す激情の洪水の片隅で、冷静な部分が自らを罵る。だけどもそれも胸中で止まない雨に流されていってミサトを糾弾する言葉だけが口から出て行ってしまう。
ミサトは何も言わない。幾らだって言い訳は出来て、ミーナの糾弾を理不尽だと突っぱねる事だって出来るはずなのに断罪を受け入れる様にただ黙ってミーナの背中を撫で続ける。それがミーナには悔しくて、悲しくて、甘えてしまう。
「皆居なくなって……私一人だけ残されて……」
「ミーナ……」
「これから……私はこれからどうすればいいの……?」
「……分からない」
「何をして生きていけばいいの……?」
「……」
「一人は……嫌だよ……寂しいよ……」
「ミーナは一人じゃない」
ミーナは涙で濡れた顔を上げた。ミサトは降り続ける雨雲を見つめ、ミーナを見ずに言った。
「ミーナは一人じゃない。今は一人かもしれないけど……でも誰かがミーナの傍に居てくれる」
「居ないよ……何処に行ったって混血は嫌われる。ミサトだって知ってる癖に、どうしてそんな気休めを言うのよ……」
「けれどハルトが居た」
息が詰まった。ミーナはそう感じた。
「ハルトはミーナを好きだった。愛してた。ミーナが純粋な亜人じゃなくったって、完全な人間でもなくったってハルトはミーナの事を愛してた」
「……ハルトぉ」
「それは絶対に確かな事で、哀れみなんかじゃない。同情なんかじゃない。ミーナだってそれは知ってるだろ?」
ミサトが問い、ミーナは静かにコクンと頷いた。
「でも……ハルトはもう、い、居ないんだ、よ……」
「それでも他にハルトの様にミーナの事を愛してくれる人が居ないわけじゃない。あの夜だって、ミーナに食材を分けてくれた人だって居ただろ? 嫌ってくる人は確かに多いかもしれない。世界は厳しくて、理不尽で、俺たちに優しくないけど、でも救いが無いわけじゃない。俺たちを決して一人にはしないんだ。一人で道を歩いていくことをずっと強いる程、不条理じゃないんだ。だから、絶対にミーナと一緒に歩んでくれる人は居るから」
かつてのミサトがそうであった様に。世界の敵と称される様になっても変わらぬ関係を築いてくれた人が居た様に。
You'll Never Walk Alone。ミサトはその言葉を胸に生きてきた。最後にはそれを忘れて、選択を間違えてしまったけれども、その言葉は間違いじゃなかったと信じている。だからミーナにも、いつか支えてくれる人が現れると、嫌われるだけじゃないと信じて欲しかった。
俯き、雨に濡れたミーナの前髪から雫が滴り落ち続ける。地面と一緒に二人を濡らし続ける豪雨は次第に鳴りを潜め、小粒の滴に変わり始める。水溜りの上で形作られる波紋は小さくなった。
「ミサトは……」
顔をミサトに押し付けたまま、くぐもった声でミーナは尋ねた。
「ミサトは、これからどうする、の……?」
「街に行くよ。別に何処にってわけじゃねえけど、何処か落ち着いて過ごせる場所を探す。出来ればミーナ、お前も連れて行きたいと思ってる。でかい街に行けば色んな人が居るだろうし、ミーナを受け止めてくれる人も居るかもしんねぇからさ。だから、その……ミーナは嫌だろうけどよ、良い人が見つかるまで一緒に居てくれねぇかな?」
「……」
「もし、それも嫌ならもう何も言わねぇ。俺はこのままミーナの目の前から消えるから。俺が憎いなら俺を殺せばいい。それでミーナの気が晴れるなら気が済むまで殴って、首を締めて、ナイフで刺し殺して野晒しにしてくれたって構わない。何も言わずに後ろから刺してくれたって良いぜ。抵抗はしねぇから、ミーナの好きにしてくれ」
ここで初めてミサトはミーナの方を向いた。背中を掻き抱いていた腕の位置を上げてミーナの濡れた髪を撫でていく。ミーナの耳がピクリと動く。それを優しくミサトは見つめ、また空を仰いで眼を閉じた。
小粒の雨が瞼を打つ。そのまま待つこと何分だろうか。ミーナの返事を待つミサトは静かに待ち続ける。だがどれだけ待とうともミーナからの返答は無い。
それをミサトは「拒絶」と受け取った。それは初めから分かっていたことで、自分と一緒に居てくれない事を寂しく思ったがそれも仕方ない。居てくれるはずが無いのだ。当たり前の話で、聞いた事自体が愚かだ。
ミサトはミーナの肩を抱き、体を引き剥がす。顔を上げたミーナに向かってミサトは微笑みかけ、そして額に口付けた。
そのまま上半身を起こして立ち上がり、ミーナを座らせると濡れて額に貼り付いた紅い髪を掻き上げた。
「それじゃあな。恩を仇で返すことしか出来なかったけど、最後くらいは言わせてくれ」
見上げるミーナに向かってミサトは笑いかけた。それはこれまでミサトがミーナに向けてきたどんな表情よりも柔らかくて、優しかった。
「――ありがとう」
泣かずに笑えただろうか。霧雨で視界が烟る中、ミサトはそんな事を考えながらミーナに背を向けた。
決別の為の一歩。これ以上、小さな少女を傷つけないための一歩。髪から伝って落ちてくる雨が邪魔でミサトは右手で目元を拭った。
と、そこで掴まれるスカートの裾。
「……待って」
裾を軽く摘んだミーナの白い腕。だが徐々に力が込められていき、ミサトを引き寄せる様に強く握りしめる。
「置いてかないで……」
「……」
「私を……一人にしないで……」
ミサトは踏み出した足を元に戻してミーナに向き直った。雨で汚れた地面に膝を着いて強く抱き締める。冷えたミーナの体は震えていて、一度ミサトは躊躇したがしっかりとミーナを抱き留めた。
「一人は嫌だよ……だから……」
「……分かった」
涙を流しながら抱き締め返してくるミーナをミサトは立たせる。ビショビショの服の裾で自分の掌を拭い、そしてスカートの裾を握っていた右手を優しく包み込む。
そっと手を握り、引きながら歩き始める。泣き止まないミーナの、自分より高い位置にある頭を撫でながらミサトは前を向いた。そして空を見上げる。
いつの間にか雨は上がり、遠くには晴れ間が覗いていた。山と山を跨ぐように虹が掛かっていて微かに雲間から覗く太陽が明るく照らしている。
――いつか、ミーナに幸が訪れますように
神に願うなんて柄じゃないけど。
胸中で呟きながらミサトは心から願う。そして二人は何も持たずに村から旅立っていった。
これでこのエピソードはお終いです。
予定ではこの後にもまた別のストーリーを始めるつもりでしたが、一旦ここで完結とさせて頂きます。
一度新作を書いて、その後にまた連載を再開しようと思います。
拙いお話でしたが、ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。また別の話でお会いできれば幸いです。それでは。




