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となれば何時までもこんなところでぐずぐずしてはいられない、カレルとなんとか合流してルイス邸から脱出しなければならない。
大人しく権力者の言いなりになってみたものの、事態はルドヴィカに優しい方向に動いてくれているとは、どうにも考えにくい。公平な視点で自分とカレルの状況を見定めてくれる人物が存在するなら希望も持てないではない。しかし少なくともルイス伯爵が公爵派と聞いてしまった以上、ルドヴィカに肩入れしてくれるとも思えない。
食事会とやらは明日の予定だという。彼女らのきゃっきゃとはしゃぐ話が否応なしに耳に入るので知ってしまったが、今夜ルドヴィカには適当な客室が充てがわれるそうだ。当然水晶玉の姿といえど、比較出来ない程身分の高いであるカレルを誘拐犯と目されるルドヴィカと同じ場所に収容するとも思えない。客室に押し込められるより早く、カレルを見つけねば。
脱出を企む場合、先ずは自分を取り巻く女性達の目を盗む必要がある。
彼女らは見た目はルドヴィカよりも幾つか年上、精々二十を超えたか超えていないかくらいだろうか。若くて見た目も健康そうだ。仮に彼女らの視線をルドヴィカから逸らすことが成功したとしても、バレて追いかけられてしまっては逃げおおせるのは難があるような気がする。
自分の寝床に監視は付くだろうか……付くだろうな。彼女達の一人なら未だなんとか口八丁手八丁ですり抜けられたり出来るかもしれないが、まさかそんなことはないだろう。困った。
「それにしても、やはりあの噂は本当のことだったのかしら」
一人の侍女が心の声がついつい口から漏れてしまった、もいう風情で何事か呟いていた。
声のした方を向くと、これまで頑強にルドヴィカに似合うと紫色のドレスを熱心に勧めていた侍女の一人だった。ルドヴィカの色素の薄い肌にその華やかを通り越して、けばけばしくすらある濃い色はとても似合うとは洋服に関する知識もセンスがなくても、合うようには思えない。他の侍女も同じ意見だったようで、全員から却下され、不貞腐れていた人物である。ルドヴィカを取り囲む使用人の中でも一番年若く見える。茶色の髪の毛を引っ詰めた娘だ。遊びたい盛り、といった好奇心が爛々とした大きな瞳からあふれている。
彼女はルドヴィカに聞こえているのも気付いてないのか、独り言では飽きたらない様子で近くにいた、長い金髪を纏めて一本の乱れもなく頭上のキャップに収めた女性の袖をつつくと、同じ言葉を繰り返した。
「はしたなくてよ、レスカ」
「だってえ、お姉様も気になってるんでしょう? カレル様のご出生の秘密」
聞き捨てならない言葉があどけない少女の唇から漏れたのにぎょっとして、ルドヴィカはそちらを見た。話しかけられた侍女の方は、レスカと呼ばれた若い侍女よりも年上の様子。お姉様、と呼ばれていたが姉妹なのだろうか。
「きっとあの噂は本当なのよ、だからお世継ぎから避ける為に誰かがお姿を変えてしまおうと」
「何の話ですか?」
甲高い少女の声がぴたりと途切れ、口を両手で抑えた少女がルドヴィカを見てばつが悪そうな表情を浮かべている。
「えっと、その……聞こえちゃいましたか?」
「こんな数人しかいない場で内緒話なんてものに、聞こえない筈ないじゃないですか。それで、カレル様がなんだって言うんですか」
「何でもないの。お気になさらないでください」
「無茶言わないで欲しい、気にしますよ」
助けを乞うように年少の侍女は同僚に視線を寄越す。媚びへつらうような表情だがどことなく深刻さの感じられない雰囲気が漏れている。しょっちゅうミスをしては、他の侍女に尻拭いをしてもらっているのかもしれない。
「本当に何でもないの、お客様の耳を楽しませられるような、興味深い話など残念ですがわたくしどもには持ち合わせてないのですよ」
「カレル様に告げ口しますよ」
場が静まりかえる。
誰一人言葉を発していない、無音の筈の空間であるにも関わらす騒然とした空気が室内を慌ただしく掻き乱すのを感じる。他の人々の張り詰めた空気で、言い出しっぺの少女も漸く自分が言ってはならない人間の前で不用意な言葉を発したのか理解したのか、顔色が悪くなっていく。
この場にいる人間がルドヴィカの立場をどの程度正しく理解しているかは知らないが、水晶玉の姿をしているとはいえある程度カレルのような立場の人間と、気安く接することが出来るとわかっているようだ。
部屋から連れ出されるほんの僅かの時間だったが、カレルがルドヴィカと離れたくないと駄々をこねた理由に、女性の着替えを覗きたいなんて野暮な理由が僅かでも混入していると思う不届き者はこの場にはいない筈だ。いたとしても、口に出来ようもない。親密な関係をカレルと築くことを可能にした人間に、自分達の不用意な噂話が漏れてしまった事実に焦っているように見えた。
(……あれ)
一人だけ様子の違う人物がいた。肩より長くのばした癖のある黒髪を一つに纏めた女性が、他の侍女に厳しい視線を投げている。
「噂なんですよ……取るに足りない話で、誰が言い出したかもわからない、真実か確かめる術もない話です」
言い出しっぺの少女が往生際悪く見逃して欲しいという、媚びた視線をルドヴィカに向けたが彼女の気持ちを汲む理由などない。逆にそこまで必死に隠そうとするということは、碌な話じゃないというのが想像出来た。
「へーどんな噂なんですか?」
こりゃ碌な噂じゃないなと思いつつ追及は止めないでいると、彼女は不快そうに睨み返してきた。
「事実かは、わかりませんの。だから」
「言いふらしたりはしませんよ、噂の張本人にだって」
全員の視線が年少の侍女に向かい、彼女はおずおずとルドヴィカの顔を見つめた。
「本当に、カレル様には……公爵家の方々には特に内緒にしてくださいませ。カレル様は……公爵家の血をひいていない、という噂があるのです」




