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言葉一つ発するのも躊躇われた、重苦しい沈黙を感じていたのは実際のところはルドヴィカだけだったのかもしれない。
当然のことではあるが、屋敷の人間は聞き耳の一つでも立てなければルドヴィカにジェーン、それにカレルも加わった口論とその内容なんて知る由もないのである。彼らに、この状況を察して神妙に接してくれなどと望むのは土台不可能なことだ。
それにしたって、少々不躾過ぎやしないだろうか? ルドヴィカは今自分が置かれている状況が非常に不服であった。
「どうぞ、どうぞ。あらお似合いですわ、あらあら何を遠慮なさるのかしら明日は非公式にせよ食事会がございますのよ、こんなものじゃあ済ませませんよ」
「ご覧になって? 綺麗な色でしょう太陽のような輝かしい色のドレス、よくお似合いですわ」
カレルはいない。最初ルドヴィカだけが連れて行かれそうになった段階で、ルドヴィカとカレル双方が離れ離れになることに抵抗を示したものの(カレルはそれはもう元気に飛び跳ねた)屋敷の美術センスにかなりの自信があるのだという侍女の一人に、それはもうはしたない殿方を諌めるが如くどことなく軽蔑をひそませた表情で言われてしまった。
「ご無礼を承知ながら申し上げますが、うら若き女性のお召し替えに殿方が同行するなど、いかにカレル様といえど、承知しかねます。ご容赦いただけますと幸いにございます」
彼女らが水晶玉の正体に驚きもしてないないのは、昼間の騒ぎに加えて屋敷に来る途中に彼の正体をばらしてしまった為もあるだろう。これでは、公爵家は今頃大騒ぎか。いや、公爵家どころではない。町中大混乱が容易に想像がついた。
ともあれ侍女の指摘に対して、水晶玉の動きが止まった。
彼女らは部屋に入ってきた際にお客様のお召し替えを、と確かに言っていたのをカレルも聞いている。ルドヴィカとしては、カレルならその辺の衝立の後ろにでも潜んでルドヴィカの視界に入らぬようつとめてくれるだろうから着替えにカレルが同行することも全く気にしないし、恐らくカレルも同じように考えだと思うが、二人とも気が付いていなかった。
そんな二人だけで通じ合った暗黙の了解など知る由もなく、第三者にとっては女子の着替えにムキになって付いて来ようとする怪しい男でしかないことに。
しかも公爵家の嫡男である。冷ややかな視線こそ注ぐのを彼女らは自重している様子だが、内心は皆同じ思いを抱えていたことだろう。
そんなわけで、己が低俗な欲望を抱えていると女子に誤解されかねない行動をしていたのを悟ったカレルが、ショックで無機物のように動きを止め、凍り付いている間に、ルドヴィカはあれよあれよと侍女に連れ出されてしまったのである。
半ば強引にルドヴィカが連れて来られたのは、この屋敷に暮らす淑女、つまりはジェーンの衣装部屋のようだ。若い女性の着るようなデザイン、色使いのものばかりなのでルイス伯爵夫人のものではあるまい。洋裁を営むメリルと仲良くしているからか、自分には無縁な高価な洋服の流行りに関しては、無駄に理解があった。
「そんな、ルイス嬢のドレスなんてとてもじゃないけど、着られませんよ。 畏れ多いっていうか触るのも怖いんですから!」
柔らかく光沢のある生地で出来た、真っ白なドレスを手に迫る侍女から逃れつつ、必死に固辞するルドヴィカを彼女らは兎に角笑顔で取り囲む。
「何を仰るのでしょう! お嬢様は、ご友人にドレスを貸すことに不快を示すと、そのような偏狭なお人柄でいらっしゃる筈がないでしょう」
予め執事からか、もしくはここにやってくる前にジェーン本人に言い付けをされていたようだ。自信満々に侍女の一人がそう言って少しばかり胸を逸らせた。彼女らは下働きの身分のようで、主一家から直接命を受けることなど滅多にないからと、張り切っていてルドヴィカは辟易した。お嬢様も元気だが、彼女に仕える人々も実に活発である。
「だけど、わたしがドレスを着る理由も必要もなくないですか? 何でですか?」
「あら、ご存知ではなかったのですか?」
新たに絶対にルドヴィカには大き過ぎる藍色のドレスを手に迫ってくる侍女の一人が、不思議そうに小首を傾げた。
「明日のお食事会でご着用いただくドレスですよ」
「は、は、は? 食事会てなんですか、会ですか? わたしが誰と何を食べるという話になってますか?」
「勿論旦那様、お嬢様とのお食事会のことですが」
「はー!?」
旦那様って、ルイス伯爵のことだろうか。名前を知っている程度、精一杯近しい呼び方を捻り持ち出したところで、学友の親というのが精一杯の貴族社会の一員とこの誉れ高く積むものもなにもない一般庶民が、同じ卓につくと? 不敬と誰も言わなかったのかと疑問である。
大体自分は公爵家嫡男誘拐の嫌疑をかけられた為に、ルイス邸に投獄されたのだ。いや、投獄は流石に言い過ぎか。どのみち呑気に食事会などに参加できる状況でも身分でもない。
ルドヴィカに食事会のことを伝えた侍女の一人は、見事に結い上げた黒髪が揺れない程に小さく首を振る。心底不思議そうである。
「明日、旦那様は公爵家にお向かいになるとのことです。お客様とカレル様について。その後、引き続き屋敷に留まると決まった際に一度ゆっくり話をしたいと」
「いや、嫌ですけど」
「ご遠慮なさらず!」
遠慮してないって。やはり主人が主人なら、使用人も似てくるのか。遠慮なんてしていないのに、彼女らは前向きにドレスを手に迫ってくる。怖い。




