#5「兄と妹」
———レーヴァルド公爵邸。
「……こら、お兄様にバラしたらダメ……」
気配を押し殺し、コソコソと兄の部屋を中を伺っていた一人の少女は、赤い炎の服を纏う妖精を摘み上げる。「しーっ」と人差し指を口の前に立てて、兄を慕う炎の妖精に秘匿を乞う。
ここ数日、兄の元気がないような気がしていた。ため息は多いし、何もないところで躓いたりなどなど……上の空なことが多い。兄の異変が始まったのは、確か婚約者と定期のお茶会をした後からだ。その時に何かがあったに違いない。その何かをティアナはこっそり探りにきたのだった。
(……まぁ、お兄様がなにかやらかしたに違いないけど……。おねーさんも不器用そうだしなぁ……)
「……」
自室の書斎で黙々と仕事に打ち込む兄を、ティアナは扉の隙間からジーーーっと眺める。少女の紫紺色の双眸は宝石のように煌めいていた。
「じーーーーーーーーーっ」
穴が空いてしまうのではというくらいに、影から兄を盗み見ていたティアナは、念願叶ってようやく確信的なモノを手にした。
兄から伝わってくるお茶会での出来事に、ティアナは呆れたように言葉を吐いた。
「……ふぅーん……なるほど……。お兄様ったら、ばっっかじゃないの……」
声量を出したつもりではなかったのに、ティアナの言葉はどうやら兄へ届いてしまったらしい。羽ペンを机に置いたレイオスが、ティアナを叱ってくる。
「———こら、誰が馬鹿だって……? 全く、一体いつからそこにいたんだ……」
「……お兄様が、馬鹿なことをしてるから、馬鹿って言った……」
事実を述べたまでのティアナは悪びれもせずに顔を背けた。ジタバタしている《炎妖精》を離すと、炎の妖精は助けを求めるように兄の方へ飛んでいく。そして兄の側でティアナを指差してプンスコと不貞腐れる。
ず、ずるい……!と思ったティアナは、兄から更にお小言を言われてしまった。
「……ティアナ……妖精を虐めるんじゃない……」
「虐めてない……」
「でも、この《炎妖精》は嫌な思いをしたみたいだ。ちゃんと謝りなさい」
「……お兄様も、謝らないといけないこと、あるよ」
「話をすり替えるんじゃない。ちゃんと謝りなさい」
髪を掻き上げてため息をこぼす兄を、ティアナは横目で見やった。先にティアナと妖精が仲直りしない限り兄は話を聞いてくれなさそうだ。
周囲を飛び回る《炎妖精》へ詫びを入れたティアナはあっさりと仲直りしてしまうと、これで自分の話は終わりだと言わんばかりに胸を張ってみせる。
「ふふん。私、妖精とは仲良しなんだぞー……。これくらい、喧嘩のうちには入らない……」
「許してくれるからって、調子に乗るんじゃない……」
レイオスは眉間の皺を解くように指で揉み始める。
「私は、妖精の愛子。……加護を貰っているお兄様とは違う関係性がある」
ティアナは、腰に手を当てて胸を張って堂々と言いのける。
「……はぁ……わかった、わかった。《炎妖精》も良いのか……? なるほど……これ以上ティアナを怒ると、妖精に嫌われるのは俺のようだな」
レイオスは冷静に周囲の妖精の様子を見ては、肩をすくめた。
この世界の人間は、基本一種類の妖精から加護を受け、その属性魔法を使用する事になる。
けれど例外はある。
その例外こそ、レイオスの目の前にいるティアナだ。
少女のように紫紺の瞳を持った者は、妖精の愛子であり、世間からは能力者と呼ばれている。
妹の瞳の色から、とある少女を思い浮かべてしまったのか、レイオスは目を逸らした。
「お兄様は私が何の話をしているか、ちゃんと分かってるよね。……話をすり替えているのは、お兄様の方」
ぐっとレイオスの奥歯に力が籠り、眉間に皺が寄った。ティアナにはレイオスの心情も考えていることもお見通しだ。筒抜けになっている。
「……分かっている。ご令嬢との婚約破棄の事を読んだんだろう。俺は、今日ずっと考えていたからな……」
「せーかーい……。私の前では、何人たりとも考えていることや感情を隠すことはできないのだー」
「のだーって……、他の人に言うんじゃないぞ?中には心を暴かれるのが嫌な人もいるのだから」
「ん……わかってる。でもお兄様なら、受け入れてくれるから……言ってる……」
能力者─── 彼らは、妖精達に深く愛された存在だ。通常の人間では決して受けないような大量の加護を複数の妖精から与えられている。
加護が重複してしまうせいか、彼らは魔法が全く使えなくなる代わりに特別な能力に目覚めることが多い。
ここにいるティアナの目覚めた能力は、【精神感応】能力。無意識に、意識的に、人の考えている事や思っている事を暴いてしまう力だった。
「お兄様……は、婚約破棄をしていいの……?ほんとに、いいの……?」
(……私が、お兄様達のお手伝いをしなくちゃ……!)
ティアナは内心燃えていた。兄と義理の姉になる人が上手く行ってくれたらティアナも嬉しいし、何より兄が幸せになったらもっともっと嬉しい。えいえいおーっと、握った拳を高く掲げる。
(……お兄様には、いっぱい……迷惑、かけちゃったから……。今度は私が、ちゃんと支えてあげなくちゃ……)
貴族は妖精から強い加護を与えられ、それを使いこなす事をステータスとしている。妖精の愛子が一族に産まれることは非常にめでたい半分、残りの半分ほどでは産まれる落ちる所によって家の恥と思われてしまうこともあった。
外に出ればティアナの能力を畏怖する者ばかりだが、家族と公爵家の使用人達だけは違う。
ティアナは幸いなことに、幼い頃から深い深い愛情を与えられながら育ってきた。家族に後ろ指さされ、爪弾きされる者がいることも知っている故に、家族や使用人達には自分以上に幸せになってもらいたいと願っていた。
「……そうだな……」
その幸せになって欲しいはずの兄の声には覇気がなく、心の声にも力がなかった。
兄の心中では後悔、反省、悲しみが渦巻いていた。
———もっと早く、俺が申し出ていれば……。令嬢にあんな……傷ついたような顔をさせる事をなかったんだろう。彼女の覚悟を踏み躙ってしまったかもしれない……。
(……さっきから、おねーさんの事ばっかり……)
「……おねーさんとの婚約破棄、しなければ良かったのに……」
「そういう訳にはいかないよ。彼女は俺の事を嫌っているようだったし……何より俺には勿体ない人だ……」
「──────え??お兄様、何て、言ったの?」
「え、いや……だから、彼女は俺のことを嫌っているだろう?」
「はぁぁぁぁあ?」
切なげに力無く笑うレイオスに、ティアナは眉根を吊り上げて心底信じられないと声を放った。それも、彼女の中で一番低い声で。
この兄は何を言っているのだ。
「お兄様、なんて言った? おねーさんが、お兄様のことを嫌ってるって言った? なんで? どこが??は??」
若干キレてる妹の剣幕に押されながらも、レイオスは不思議そうに答える。
「え、あ、いや……だって……」
「だってぇ?」
「……ほら、良くお茶会をするだろう? その時も、彼女は黙って俯いているだけだし。声をかければ、緊張しているのか怯えているのか体や声が震えているし……顔を真っ赤にしているし……。あまり俺に近寄られたくないようだし……パーティでのエスコートも、身体を強張らせていているし……」
(う……うわぁ……おねーさんってば裏目に出てるよぉ……)
心を読めるティアナだからこそ、より焦ったさを感じてしまう。
「それに……俺はあまり良い評判がない。恐らく、彼女も俺の婚約者でいる事でこのニ年、迷惑していた事だろう……」
(んんんんんん……お兄様は、考えすぎなんだよ……)
兄の悪い噂は、全てではないが大体嘘だ。
公爵家の跡取りであり、容姿も良く、妖精からの加護も厚い。そんな兄には羨望も嫉妬も付きものだった。
「お兄様……っ、おねーさんはお兄様のことを……、お兄様との婚約を嫌がってなんか、なかった……!」
「ティアナが言うならそうなんだろうな。でも、それだけが婚約破棄をした理由じゃないことは、ティアナも分かるだろう?」
「───……なんで……? 何でなの、お兄様……」
レイオスの心情を読んだティアナの唇が震え、目が真っ赤になっていく。
「どうして……」
「俺の意思は、ずっと昔から変わらないよ」
(この人は──────、どうして!!どこまで!!)
拳を握りしめると、キツく結んだ手のひらに爪が食い込んだ。応援したかったのに、自身の想いとは異なる方向に突き進む兄への怒りが湧いてきてしまった。
顔を上げたティアナは、兄を睨んだ。
「……そんな理由じゃ許せないし、許さない!」
「ティア……」
「さわらないでッッッッ!!」
激情に身を委ねる自分へと伸ばされた兄の手を、ティアナは強く振り払らう。
「 ……もう……もう怒ったんだからっっっ。お兄様の、ばーーーーーーかっ!!」
「あ、こらっ! ティアナ……!」
私室から走り去っていく妹の背に向けてレイオスは叱責を飛ばすけれど、追いかけることはしない。足が鉛のように重くて動かず、追いかけられなかった。徐々に遠くなっていく足音は……やがてぱったりと途絶えた。
「……はぁ……」
どうしたものかと途方に暮れて、椅子に座り込んでは天井を仰ぎ、腕で顔を覆った。妹が反対してくるとは思わなかった。
だけど……レイオスは自分の意思を変えられない。
「……だって、俺みたいな人間と、これ以上……婚約を続けさせる訳にはいかないだろう……」
夕焼けが窓辺から差し込み、レイオスの横顔を茜色に照らしていた。




