一話め 貴方の良き隣人アンナです!
この世界が不幸に満ちているという人がいる。
私はこれを理解できない。
私はこの世が幸福に満ちていると思う。
というのも、私は雪が好きだった。
冷たさも、清純さも好きだった。
でも、薄着だと寒いものは寒かった。
死んでしまうのだろうと思う。
せめて最期くらいご飯を沢山食べたかったな……。
眼前の家には明かりが灯っている。
家から閉め出されたのは、お客さんに生意気だと言われたためだった。
お客さんと言っても、私が母さんのように春を売っていた訳じゃない。
時折お酒を注いだりさせられただけだった。
……今も私は私を幸福だと思っていた。
軽やかな雪が私を包んでいる。私は愛したものに囲まれているのだ。
ああ、私は本当に雪が好きだった。
生まれてからずっと不幸を嘆く声が聞こえてきた。
彼は私の前世だと名乗っていた。
そして、この不幸の元凶を断つべきだとも言った。
何度も耳元で囁くのだ。あれらを殺せ、と。
彼は恨めしそうに言った。
「君のような子が苦しむのが本当の不幸だ」
私は私以外の記憶に、私を不幸だと断じられたくなかった。
でも、翌朝には凍った私が朝刊にすら報じられないのは、彼からしたらやはり不幸なのだ。
…………二度の銃声があった。
暫く意識を失っていたらしい。
雪はしんしんと降っている。
目前の建物の灯が消えて、黒い外套が姿を現す。
彼は少々身体を震わすと、私の目前に立ち止まった。
銃口というのを初めてみた。
これは私の中にある記憶も同様だったらしい。
心臓が早鐘を打つ。
「おい」
短く声がする。
男は銃をしまい込むと、しゃがみこんだ。
「お前は何か見たか」
首を横に振った。
記憶がそうしろと言ったためだった。
彼は私を簡単に担ぎ上げると、車の中に投げ込んだ。
そこには同じく黒い外套の女性がいて、私を見ると目を丸くした。
「えっと、この子は?」
「子飼いだ」
「怒られますよ。党のお金を使う訳ですし」
「内務局の新人だよ。俺が決めた」
女性の手によって毛布に包まれる。
どうやらこのまま殺されるということはなさそうだった。
「さて、ナスターシヤあとはお前の仕事だ」
女性はそれを聞くと、暗がりの中でも顔を顰めたのが分かった。
「私、裸で抱き合った死体なんて見たくないですよ。なんか気味悪いですし」
人民理事会内務人民局。
元は党内右派と急進左派を粛清する集団だと恩師に聞いた。
恩師に拾われてから数年ほど経った。
そう! 私、アンナ・イワノヴナ・ヴロンスキーは内務局員になったのだ!
それにしても世界は思ったよりも汚いもので、私も今まで幾つか仕事をしてきた。
どうにも局員の中でも、私はかなり手際がよいらしく何度か褒めてもらった。
ちなみに、今も仕事中である。
ぼろ布みたいな服に身を包み、人のよさそうな顔をしたおじさんに手を引かれている。
経験上これはサミズダート……党に許可されていない本を頒布しているタイプだ。
別に悪いことではないと思うのだが、調査しろと言われたのだから調査をするしかない。
「お嬢ちゃん、お腹は空いていないかい」
「あんまりかな。ちょっと前にパンをくれた人がいたんだよ」
「それは良い人にあったね。最近は餓死も減ってきたが、やっぱり皆飢えているからね」
服の下に隠した銃を触る。
もしもの時は撃てと言われているが、これもあまり使いたくはない。
人が死ぬと、そのあとは汚いあとが残ってしまう。これは好ましくない。
そのための魔法もあるそうだ。
勿論私は使うことができない。
悔しいものだが、簡単なものが出来る程度の才能しかないのだから仕方ない。
「さあ、こちらにおいで。しばらくここにいるといいよ。親戚と連絡がつくかもしれないからね」
人のよさそうなおじさんが部屋から去る。
室内を見渡すと、雑に積まれた雑誌がある。
「これはセーフ、これもセーフ。これはアウト、うんこれも」
一つ一つ確認していく。だいたい三割ほどアウトのものだった。
人がよさそうなのに、こんなに法律を犯すのは不思議なものだ。
……なるほど、世の中にはこの国を好ましく思わない人もいるのか。
灯台と題された一冊の内容を軽く見てみる。
えーと、内容を簡単に言うと党の独裁を嘆く感じだった。
これはダメだね。うん、前世の私もダメだと言っている。
……前世、そう前世だ。
分断もなくなって、彼の延長に私がいる。
だから過去の記憶からダメだと分かるというのが正しいだろう。
「っと、仕事仕事」
少々申し訳ない気持ちになりながら、銃を取り出す。
計画では連絡をしてから、同志が逮捕するみたいな話だが、私がやってもあまり変わらないだろう。
「やっ、おじさん」
人のよいおじさんの後を追って声をかける。
彼は料理を作っていた様子だ。
「どうしたんだい。ご飯はまだ……」
どうやらやっと彼は銃口に気付いた様子だった。
何だかもっと申し訳ない気持ちになってしまう。
「私もあんまり暴力は好きじゃないので、抵抗しないでもらえますか」
出来る限り人の良い声を出す。
おじさんの目は揺れている。
「君みたいな子まで信用できないのか」
「信用できましたよ。貴方がよい隣人だったらね」
出来る限り満面の笑みで答える。
私は良き隣人のアンナです、という意思表示だった。
さて、その後逮捕は上手くいった。
きっと彼は極東に飛ばされるだろう。
生きて帰ってこれることを祈るばかりだ。
連行される後姿の先に、白くてふわふわとした雪が見えた。
……そうだ。帰りにクッキーでも買って帰ろう。
雪は汚くて食べれないが、美味しいクッキーは多少のお金を払えば食べれるのだ。
異世界ソ連諜報員ものです!
ほぼ存在しないTS要素は趣味です。
一章完結まではノンストップで行きたいです。
よろしくお願いします。




