2-1.非日常の平穏
今日も今日とてうだるような猛暑日。夏季休暇中にまでわざわざ制服を着る必要は無いだろうと、薄手の黒のシャツ姿でオリバーは訓練場の扉を開く。
貴族の豪邸育ちの彼でさえ、ちょっと握るのを躊躇う豪奢な造りの取っ手を握り、手前へ引いて。
「…なんて顔してるんだ君たち」
開けた先の訓練場の床の上に行儀悪く座り込んでいた雪白と薄桃色の少年をみて、第一声オリバーは呆れた声を出す。
だって仕方がない。――普段は人形のように整って無表情なヴァイスと、自分に対しては蔑んだような顔しかしないレグルスの2人が、およそ見た事のないほどのむくれっ面で出迎えてきたのだから。
背後からのオリバーの言葉に、2人はしかし。
「…何が」
「というか何真面目に来てるのさ。貴族のくせに」
「…全く嫌われたものだね私も」
素っ気なさすぎるチームメイトの言葉に、オリバーは嘆息しながら肩を竦める。
ヴァイスに関しては確かに非礼に当たることは多々あるからオリバーもしょうがないとは思うが、レグルスに関しては何もしていないので、完全な八つ当たり。今更気にも止めないが。
こんな凸凹で果たして勝ち上がれるのかと思うが、まぁ仲良しこよしがしたい訳でもないし。とあくまで仕事仲間として割り切ることにしよう。
それはそうと。
「何にそんなに不機嫌なんだ?」
「お、来たなブルームフィールド」
オリバーの質問に2人は答えず、代わりに離れた場所で話し込んでいたハヤトがオリバーに気づいて近寄ってくる。
挨拶の代わりに。
「私が言うのもなんだが。ブルームフィールドって長くないか?」
「え?じゃあ名前で呼べってこと?俺お前と友達になる気ねぇから」
「安心しろ私もだ」
庶民の嫌味にオリバーは努めて表面上はクールに言い返す。何故こうもこの落ちこぼれは他人の神経を逆撫でするのが上手いのか。
しかしハヤトもファミリーネームは長いと思ったようで。
「じゃあブルーム」
「誰だ」
「じゃあフィ、」
「帰る」
「すんませんでしたオリバー様」
「最初から大人しく認めればいいじゃないか全く」
なんて時間の無駄だ。と紫の瞳で睨みつけながら、その隣に立つもう1人の少年へと視線を移す。
「君は?」
「初めましてこんにちは。俺はレン・ココノエです。隼人とは前の調査団で一緒で、今回留年阻止するためにお呼ばれしました〜」
まるで周囲に花でも散らしているのでは無いかと錯覚するほどのほのぼのとした空気に、オリバーは怪訝そうに首を傾げて。
「…大丈夫か?」
「まぁそう言いたくなるのもわかる」
「え〜なんで〜」
なんで、と言われてもと紫の双眸をさらに眇める。いくら防御用の結界が施されているとしても、腐っても迷宮区に隣接する学院。そこに通う生徒たちはそう思わなくても緊張しているものだ。比較的柔和なオーラを纏っていたセオ・ターナーも、その実隙らしい隙は見せなかった。
しかしこの、ぽわぽわのほほんとした雰囲気。こちらまで気が抜けてしまうほどの緊張感のなさだ。
ハヤトもその辺は感じているようで、ぽりぽりと赤銅色の頭をかき混ぜながら。
「一応その辺の下りはヴァイスとレグルスが昨日確かめたから、腕は立つのは保証するけど」
なるほど。だからあの顔か。
まぁあの二人に関してはもっと入れ込んだ、昔馴染みだとかいうレンに対して嫉妬心を覚えて喧嘩を売ったが、見事に負かされたと言ったところだろう。
そう思ってちろり、と一瞥すると2人はこぞって睨み返してきた。こっち見んなと言っている気がしてオリバーは生命の危機を察知して目を逸らす。
「オリバーもなんかやる?魔法の撃ち合いとか」
「いや、時間の無駄だ。それにクサナギが連れて来たのならそれなりの実力者だということだろう」
「腕は保証するよ〜」
「なら問題ない」
『軍神』と同じ調査団だった、ということはかつて壊滅した『大和桜花調査団』の生き残りということだ。それだけで腕は保証されているようなものだと、オリバーは一人納得し、ふと。
「『大和桜花調査団』は壊滅したのでは?」
「俺は後方支援組だったから」
成程。ならば当時前線からは外れていたのだろう、とこれ以上は彼らにとっても思い出したくない記憶だろうからと、それ以上の追求は止めておく。
「オリバー・ブルームフィールドだ。一時かもしれないが宜しく頼むよ」
「わ〜宜しくお願いします〜」
「そいつ貴族だぞ」
「え!?」
ハヤトの小さな警告にびゃっ!と出した手を引っ込めるレン。
「え?早く言ってよ。俺そうとは知らずに握手するところだったよ」
「いや、別に構わないが」
「庶民でも大丈夫?」
なんだか久しぶりだなぁこの反応。
一人は、まぁこれも自分のせいだから仕方がないのだが、実力を隠して恥をかかせようとするし。
一人は貴族と言うだけで毛嫌いするし。
一人に至っては恐らくこちらに興味すらなくて。
その3人に向かって、オリバーは紫の瞳で睨めつけながら。
「この態度を君らも見習いたまえ」
「「「無理」」」
「よしそこに並べ叩き斬ってやる」
「まぁまぁそうかりかりしないで〜」
「君はもう少し緊張感を持った方がいいのでは?」
と、じゃれあいの仲裁に入ったレンの琥珀色の双眸を覗き込んで、オリバーはその色彩に淡く混じった色を見止めて。
「ココノエは異能力者なのか?」
「そうだよ〜。と言っても、隼人のお兄さんみたく強力なものじゃないから自慢できないけどね」
ヴァイスと同じ黄金の光を称える瞳。それは異能力者の証だ。その瞳をレンは弱々しく下げながら。
「俺の異能は『触覚共有』。特に痛覚に特化してるから、例えば隼人が迷宮生物にぶっ飛ばされて特に内臓に大きな損傷を受けたとしたら、触覚を通じて俺の身体にもフィードバックが来るって所かな」
『隼人が〜』の下りでヴァイスとレグルスの視線がハヤトに集中し「なんだその目は」という言い合いが背後で聞こえたがスルー。レンの異能の能力の話を聞いて、オリバーは紫眼を憐憫に眇める。
それは、なんというか。
「…嫌な能力だね」
「でも、この力があるから俺は医療魔法師の資格が取れたし」
オリバーの凝縮された一言に、レンは二種類の色の頭を混ぜながら苦笑。
レンは笑って話しているが、つまるところそれは自分以外の人間の痛覚も全て感じてしまう、ということで。彼がどれくらいの人間の痛覚を感じられるのかは分からないが、今もどこかで怪我をした人間の痛覚を、もしかしたら今も感じているかもしれない。
自分が全く知らない、無関係の赤の他人であっても。それは17歳の少年には、辛すぎる。
起きていても寝ていても感じてしまう幻の痛み。これを生き地獄と言わずなんと言おうか。
幻覚の痛みがどれほど痛いか。それをオリバーは知っている。そう思っての一言だった。
そう胸中で目の前の少年の苦痛を想っていると。
「というわけで、はいこれどうぞ」
そう言って手渡されたのは、透明なガラス片に閉じ込められたクローバー。しかも四葉の。
花言葉は、『幸福』。
「お守り」
「おぉ、懐かしいな。まだそれ使ってるのか」
全部で4つあったうちのひとつをひょいとつまみ上げて、ハヤトは懐かしむ。残りふたつを未だに不機嫌そうな(クローバーを渡した瞬間訝しげになった)ヴァイスとレグルスに手渡して。
「色々試して見たけどこれが一番やりやすくて。これで異能を使う相手の目印にするんだ。と言っても気休めにしかならないけど」
前半はハヤト、後半はその他3人へそれぞれ向けて言って、レンは得意げに胸を張る。
「本職は医療魔法師だからね。怪我をしたらこれで1発でわかるので、大人しく俺の処へ来るように」
「だとさ。良かったなクサナギ」
「なんで俺だ」
「だいたい怪我するのハヤト先輩だし」
「隠すのもハヤトだし」
4人に睨まれさすがに言い訳のひとつも思い浮かばずハヤトは悔しそうな、苦虫を噛み潰したような顔で黙りこくる。反論できないことを言われると黙って睨みつけてくる子供のようだ。
やがて居心地が悪くなったのか、ほとんどやけっぱちに方向転換をして。
「あーもう蓮の自己紹介はこのくらいでいいだろっ。時間も勿体無いし、とりあえずポジションとか作戦とか考えようぜ」
「それよりも先ず考えることがあるだろう?」
ハヤトの提案に、しかし異を唱えるのはオリバーだ。え、と見開かれた深紅の瞳を正面から受け止めて。
「――まずは団名を決めなくては」
*****
「――だぁ〜。1本くらいは取れると思ったのになぁ」
手に持った木刀と共に、訓練場の冷えた床へ隼人は勢いよくへたり込む。夏の外気温と火照った身体に、この床の温度は丁度いい。
個々のプレイスタイルと力量を確認したい、という名目で始めた一対一の模擬戦。とりあえず1番近い近接武器同士オリバーと軽く手合せしてみたのだが、正攻法ではやはり適わずストレートに負けた。
ちなみに。常日頃の鬱憤払いという意味もなきしにもあらず。
「腰が入っていないのだよ。へっぴり腰」
「むかつくぅ…!」
はん、と鼻で笑われながらのオリバーの指摘に、自分自身その通りだと自覚があるからこそ何も言い返せずにただ歯をギリギリと軋ませる。ついさっきまで木剣を振っていたとは思えないほどの、涼やかな紫眼。
ちなみにもう1組のヴァイス・レグルス組は隼人達と同じタイミングで模擬戦を始めたのだが、依然として決着は着いておらず、こうして喋りこんでいる間にも超高速な戦闘を繰り広げている。もはや模擬では無い。
時には鎖鎌の鎖が鳴る音を。時には銃声をBGMに、隼人たちは雑談に興じる。
「は〜これ以上上手く振れるようになる自信ないわ…」
「狡辛い手は思いつくのに、身体がついてこないのではな」
どちらかと言うと隼人は運動神経はさほど高くはなく、それは兄の一樹の方が上だった。鬼ごっこをすれば決まって最初に捕まるし、足もそんなに早くない。だからこそ自分の武器である頭を使って勝利するのが、隼人の戦略だ。
どんなに蔑まれようとも。どれだけ狡辛いと言われようとも。
ただ最後に勝利を掴めるのであれば、それは隼人にとっては勝利にほかならないのだ。
なので、たとえば油断している相手だとか、舐め腐ってる相手には不意打ちがよく効くのだが、正攻法で来られると、弱い。
「せめて君の刀の能力さえ使えれば、補えるのにな」
「神刀は一代につき一人しか契約者を選ばないらしいんだよ。今代は一応兄貴だったから、」
「え、そうなんだ〜初耳」
俺は使えないんだ、と続けようとして、1人だけ戦闘スタイルの違いから(あと人数的にも)溢れて見物を決め込んでいた蓮からの言葉ではた、留まる。
「いや、初耳は無いだろ。お前だって姉貴が契約者だったから使えなかっただろ?」
「確かに俺は『天羽々斬』に選ばれなかったけど、それは姉さんが契約者だったからって理由じゃないよ?」
俺の知ってる話と違くなってくるな、と小首をかしげる隼人を他所に。
「ココノエも神刀の家系だったのか」
「一応ね。まぁ俺には資格が無くて、唯一の男子だったのもあって期待されてたんだけど」
笑って話す蓮の表情は、表面上は変わらず朗らかなものだ。しかし、過去の仕打ちを少なからず知ってしまっている隼人はさりげなく話題をそらす。
「じゃあ一代一人が使えるわけじゃないのか?」
「神刀から認められれば何人でも使えるんじゃないかな?といっても、一度に複数人の適合者が現れるなんてそうそうないから、だから隼人の認識もあながち間違いじゃないかも」
つまるところ、一定の何かしらの基準に合致した者は全て扱える権利を得るが、その基準値がかなり高く設定されているのだろう。
よって、その基準を越えられる適合者の人数が少なく、一代に1人現れれば御の字、という事だろうか。
まぁたしかに文献を見ると、何代も続いて出てこなかったこともあるらしいなと今更ながら思い出し、隼人は成程と回想する。
思い出すのは4か月前。コカトリスとの激戦の時。
身動きの取れない空中で、それでもヴァイスを救おうと半ばやけくそに振るった『天之尾羽張』の一瞬の焔。
その緋色の一閃は今でも鮮明に覚えている。
隣を見ると、普段は左腰に吊っている白鞘の日本刀が訓練場の壁に立て掛けて佇んでいる。今は納まって見えない、漆黒の刀身の浄化の炎を灯す神刀『天之尾羽張』。
別に憧れてた訳では無いけれど、かつてそれを振るっていた大きな背中を夢想して。
自分にもまだやれることはあるかもしれないと、僅かばかりの期待に胸を膨らませた。
…………ところで。
「彼らは何時までやってるんだ。そろそろ止めに入った方がいいんじゃないか?」
「あんな奴らの仲裁に入ったらそれこそ死ぬだろ」
「じゃあ俺が止めてあげようか〜?」
手でピストルの形を象ってばん、と撃つジェスチャーを隼人とオリバーは揃って無言で眺め。
どちらかが文字通り戦闘不能になるまで続いたであろう、ヴァイスとレグルスの模擬戦という名の死闘が二発分の狙撃音で、第三者による勝利で決着が着いたのは、その数分後の話だ。