1-4.魔弾の射手
「久しぶり、隼人」
目の前の少年。――ハヤトにレンと呼ばれた少年はどこまでも朗らかに、嬉しそうに旧知に挨拶を交わす。先程まで機械的な、恐ろしいまでの射撃を見せた狙撃手とは似ても似つかない、殺気の欠けらも無い微笑。
隣のハヤトはそれでようやく合点がいったのか、凡そ見たことがない年相応の嬉しそうな表情で。
「うわ〜マジか!久しぶりだなってか、もはや別人じゃんその髪どうした?」
「やっぱり黒髪憧れて、黒染めしてるんだ」
ということは、元々の髪色は若苗色かとヴァイスはひとり分析する。魔法五大元素の内の『風』属性の適正値が高い緑色。
そんな分析を表面上は淡々と1人で行っている間にも、二人の会話は続く。
「というかお前なんでここに?学生名簿には名前なかったはずだけど」
「出戻って来ました〜。隼人が戻ってきたって聞いたからいてもたってもいられず」
「物好きな奴だな。そういえば7年前はろくに挨拶もせず別れちゃったけど、あれから日本に戻ったのか?」
「日本には戻らずそのまま渡米したんだ。これを学びたくて」
これ、と言いながら腕の中の狙撃銃をひょい、と上げるレン。その朗らかな雰囲気を纏う彼には、些か不似合いな鈍色の狙撃銃。
それを見るやいなやハヤトはそれを指さして。
「そうだよ、お前なんで狙撃なんてやってるんだ。昔は治癒魔法一択だったのに」
「迷宮区で逃げ回ってた俺に言ったんじゃないか。『剣とか無理なら銃の一丁や二丁使えればいいのに』って」
「そんなこと言ったっけ」
「人の一大決心を忘れるなんて酷いな〜」
なんて。この聖グリエルモ学院にはほとんど居ない同郷の同級生だからか、はたまたかつて同じ調査団員だったからか。随分と砕けた雰囲気で話しているのをじっと見て、ヴァイスは面白くなさげに口の端を盛大に歪める。
だって、本当に面白くない。
そんな年相応な、同世代の友達と喋る普通の学生みたいな、楽しげな顔。そんな顔、自分の前ではそんなにしてくれないのに。
と、むくれっ面で置いてけぼりを食らっていると、同じく置いてけぼりを食らっている小憎たらしいレグルスと目が合う。だいぶ高低差のある、瑠璃と白銀の視線の交錯。
なんか嫌な気分なんですけど。
と、その瞳が訴えかけてきたように思えたので。
珍しく気が合うなおチビ。
とお互いに力強く頷いて。
「ちょっとすみません。オレのハヤト先輩に話があるならオレの後にして貰えませんかね?」
「別に君のじゃないだろ。僕の主人に用なら僕が聞くから」
「いや、誰のものでもないから俺」
俺は物かよというハヤトの非難を無視して、田舎のヤンキー宜しく二人の間を裂くように、ヴァイスとレグルスは割って入る。およそ似つかわしくないガンを飛ばしながら。
まともな態度を取られたことの無い彼らの挨拶は、おおよそ一択で。――とりあえず気に入らない相手には喧嘩を売っておく。
たいていの場合は逆上して噛み付いてくるか大人しく引くか。どちらにせよ邪魔者は排除し排除され一件落着だ。なんとめでたい。
果たして。その剣幕に驚いたようで、レンは琥珀色の双眸をぱちりと大きくまばたいて。
「――わ、美人さんだ〜」
は?
あまりの予想外のレンの反応に、珍しくヴァイスは呆然と黄金の散る瑠璃の瞳を見開く。
そんな行動不能のヴァイスを置いて、レンは見惚れるようにマジマジと見て。
「は〜世の中にはこんなに凄い美人さんも居るんだね〜。もしかして芸能人?その髪の色も天然?」
「おいこらオレを無視するな!」
「ボクも美人さんだね〜、というより可愛いね〜。歳は?幾つ?俺も弟欲しかったんだよ〜」
「子供扱いするなー!」
ガオー!と精一杯背伸びして威嚇するも、レンは小さい弟でも宥めるように頭を撫でるだけだ。
今までで初めてのパターンのこの切り返しに、歴戦のヴァイスでさえも対応しきれずに、知らず後ずさる。
なんだこいつは。底が見えない――!?
そんな様子を見兼ねてか、ハヤトは半目で助け舟をだす。
「そろそろやめてやれよ、こいつら困ってるだろ」
「え何で。俺は思ったことそのまま言ってるだけなのに」
「それが一番困ってんの」
およそ予想と真逆の反応に困ったんだろうなと、短くため息をついて。
「お前のその天然マイペースも変わらないな」
「俺天然じゃないよ?」
「天然のやつはだいたいそう言う」
そう言って、今度はヴァイスとレグルス2人に向き合って、レンを指さしながらきっぱりと。
「こいつはレン・ココノエ。俺の昔馴染みだ。あとこんな性格だからお前らのそういうご挨拶は効かないから」
「そんな紹介なの?俺」
嘆きながらレンはつい、と手を伸ばす。狙撃銃の銃把を握って固くなった狙撃手の両手を、ヴァイスとレグルスそれぞれに。
「レン・ココノエです。こっちに戻ってきてまだ日が浅いので、友達になってくれると嬉しいな」
「…ヴァイスだ」
「…レグルス・アマデウスです」
恐らく2人にとって初めての、この緊張感の欠けらも無い緩みきって穏やかでぽやぽやとしたその空気にほだされて、ヴァイスとレグルスは無意識に手を取って握手を交わしていた。
ちなみにこの時傍から見ていたハヤトは「まるで猛獣使いのようだ」と思ったが、口には出していないのでヴァイスとレグルスには届いていない。
そうしてブンブンと、楽しげに(実際楽しげなのはレン1人だ)握手を交わす3人を眺めていたハヤトは何かを閃いたようで。
「そういえば蓮。お前ここへはいつ戻ったんだ?」
「夏季休暇中だよ。だから学院に通うのは新学期から。早く制服着てみたいな〜かっこいいよね」
「じゃあ学生登録自体は済んでるんだよな」
「?理事長と校長から申請書類の許可印は貰ってるから、多分?」
獣並みの嗅覚で彼の言わんとしている言葉の先を察知したのは、問われているレンではなくヴァイスとレグルスだった。未だハヤトの真意を分かりかねて疑問符を浮かべる彼に、ハヤトは声をかける。立ち戻って、当初の目的を果たすために。
「お前、俺の試験調査団に入ってくれないか?」
「「却下」」
「なんでお前らだよ!?」
「だって!こんな初めて会った人となんて連携なんて出来ません!」
「実力も分からないし。足でまといはゴメンだ」
「2人ともそれブーメランで自分に返ってきそうだけどいいのか?」
「あの〜すみません当事者置いてけぼりなんですけど」
3人での論争が勃発するが、何が何だかさっぱり分からないレンはひとりおずおずと手をあげ説明を乞うので、ハヤトは簡潔に今彼自身が置かれている状況を説明する。
かくかくしかじか。ややあって。
「それは隼人がいけないよ〜。自業自得」
状況を説明した上で発したレンの第一声は、にこやかな毒舌。素直な一言の分、自分のこととはないとはいえかなり心に刺さるその一言に、ハヤトは苦虫を噛み潰したような表情。
「隼人はサボりが下手だね〜」
「じゃあ全教科満点でも取ってくればいいか?」
「ん〜それは先生が可哀想」
天才も大変だ〜と、どこまでもマイペースを貫くレンに、やけくそに刺々しくなってしまったハヤトの文句も届かない。
「隼人の留年の危機を救うためなら俺は全然手を貸すけど。でも御二方は認めてくれないんだよね」
「「そうだね」」
「なんでこんな時だけ息ぴったりなんだ?なぁ?」
ヴァイスとレグルスの2人もハヤトの苦情を受け付けず、間髪入れずの即答でバッサリ切り捨てる。
ん〜困ったな、と言葉とは裏腹の全く困った感がゼロのレンは口元に手を当てながらうんうんと悩み、妙案が浮かんだのか手をぽん、と叩く。
「じゃあ、ヴァイスくんとレグルスくんが2人で鬼ごっこして、俺が2人に弾を当てられれば認めてくれるかな」
なんだそれ。鬼ごっこ?
全く要領を得ない提案をされて黙り込む2人を見かねて、ハヤトはまたも助け舟をだす。2人の表情から真意を汲み取って。
「いきなり鬼ごっことか、前後がわからんのだが」
「俺のところはよくこうやって練習したよ?動き回る相手に誰が1番正確に、速くヘッドショットを決められるか」
レンのその言葉に、ヴァイスとレグルスはこぞって目を据わらせる。レグルスに至っては獣耳のように跳ねたくせっ毛すらぴん、と立てて。
これはやんわりと、喧嘩を売られているのかと。
「随分と自信があるんだな」
「これでも毎回1番だったからね。そこそこ腕は立つと思うよ」
「言ったね?どんなに高速で動いても文句ないね?」
「言わないよ〜。絶対当てるし」
かちん。
その一言で完全に火がついた。絶対負かす。
静かな着火音に第三者でありどこまでも傍観者のハヤトがいち早く察し、深いため息をこぼして。
「…距離は100m先。1分間逃げ切ったら2人の勝ちでいいな?」
「了解」
「異議なし!」
「問題ないよ〜」
全てを諦めた疲労の提案に、3人はそれぞれで了承の意を示し、それ用に使う為では全くない、空の弾倉に入れ替えた自動拳銃を開始の合図用にとハヤトに手渡し、それぞれ準備を始める。
ヴァイスとレグルスの2人は100m先。つまりはこの演習場の的と前へ。レンは得物を抱いて射撃スペースへ。
道中。
「本気で負かす」
「異論はない。全力速だ」
「でもオレがあんたを捕まえてもオレの勝ちだから」
「それは地球がひっくり返ってもありえないから安心しろ」
話の流れで鬼はレグルス、子はヴァイスとお互いにレンを負かす打ち合わせをして、程なくして目標地点へ到達。手を振ってこちらの合図をだす。
それを確認したハヤトはゆるりと右腕を上げる。夏の夕焼けに鈍色に光る、白銀の自動拳銃。
――ダァン、と。ややあってヴァイスにとっては聞きなれた音が辺りに響き渡る。
――瞬間。頭に衝撃が走った。
衝撃と言っても気を失うレベルではなく、平手で軽く叩かれた程度。しかしそれはこの状況においては外部から与えられた、ささやかな攻撃。――確かにヴァイスはこの時、狙撃されたのだ。
そのあまりに想定外で予想外で。瑠璃の双眸はかつてないほどに見開かれ、不意打ちの衝撃にたたらを踏む。
――撃たれた。この僕が?
それは目の前のレグルスにとっても衝撃的だったようで、見開かれて固まる白銀の瞳。
時間にして一瞬。しかし狙撃手にとっては十分すぎる間。
正気に戻り動き始めようとレグルスが細足に力を入れた瞬間轟音。そして見事に的中する、ヴァイスと同じ頭の中心。
ヴァイスよりも小柄なレグルスは踏ん張ることが出来ずに、ふらついてその場に転がってしまう。
まさに刹那の出来事。あまりの時間の短さに、2人は状況がいまいち理解できずにぱちぱちと瞬きをするだけ。
どのくらいだったのだろうか。恐らくそんなに経っては居ないだろうがあまりに2人が戻ってこないので、どうしたとハヤトとレンが歩み寄ってくる。
「おい大丈夫か?死んでる?」
「いや、ゴム弾で人は死なないから」
「ゴム弾でも音速超えれば記憶くらい飛ぶだろ」
「じゃあ隼人も体験してみれば?」
「この状況で試すバカがいるか?Mかよ」
と、呑気に雑談なんかしていたので。
「…ここはどこ。私は誰〜?」
「ほら見ろ。レグルス自分を見失っちゃっただろ」
「え〜本当?ごめんね〜でもほら魔法で記憶戻せるから問題ないよ」
「呑気すぎる」
レグルスの余裕な戯言を一刀両断。しかしその軽い口調とは裏腹に、彼の表情は顰めっ面だ。――自分も同じ顔をしているのだろうと、ヴァイスは内心で思う。
当てられるとは、双方微塵にも思っていなかったのだから。絶対に当てられるわけがないと自信を持っていた。
それだけの実力があるし、ヴァイスとレグルスに至ってはその値が正直人間ですらない『化け物』。
その2人に対して。レンは一切の狂いなく急所を撃ち抜いて見せた。しかも初見でだ。
それはハヤトも驚いたようで、それにしてもとレンに向き直りながら。
「あんな事言うくらいだから多少腕が立つんだろうとは思ってたけど。まさかこれほどとはな」
ハヤトの賞賛の言葉に、しかしレンの表情は変わらない。当たり前のことを、当たり前のように言われただけだと言わんばかりににこ、と微笑む。
「さて。ヴァイスくんとレグルスくん、2人共当てて見せたわけだけど。これで俺の入団は認めてもらえるかな?」
レンのにこやかな言葉に、ヴァイスとレグルスは口を噤むことしか出来ない。最初の取り決めを撤回するつもりは無いが、しかし素直に頷く気にもなれずにむ、として。
しかしレンはその沈黙を了承と受け取って、今まさに自分の頭を撃ち抜いた狙撃銃を抱き直しながら。
「ちなみにこのくらいの速さなら。――2キロ離れていても当てる自信はあるよ」