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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
八.橙色の記憶
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096.Edelweiss-尊い思い出-



 多分、あれは秋の頃だったと思う。

 草原が一面の金色に染まり、さらさら流れていた情景が、目に焼きついている。

 兄に拾われてから三年後。

 誰もいない、そんな草原での出来事だった。



 ***



 相手の動きをよく見ること。

 兄に言われたことを口の中で呟きながら、顎をひく。

 幼い海の瞳がすうっと細くなり、剣を中段に構える。

 体は、流れるように。

 空気の動きに身を任せる。その細い足が――大地を、蹴る。

 ――風が、唸った。


 ――ギィィンッッ!!


 甲高い音。

 すぐに一度剣を引いて、次の一撃を横から叩き込む。

 しかしそれも一歩足を引いた兄の剣に軽く払われてしまう。

「腕に力が入りすぎだ。足を使え」

 小さくそう呟かれる。

「攻撃にパターンを作るな、読まれたらやられるぞ」

 血の味が滲む口の中で歯を食いしばり、また剣を振るった。

 日は既に傾き始め、辺りは次第に夕日の色に染まっていく。

 そんなひかりに照らされた剣は振るごとにきらきらと煌く。

 剣はまた、横に薙がれた。

 金属同士が交わる音と、腕に電流のように駆け抜ける痺れ。

 そのあまりの強さに手の力が緩んだ瞬間、――剣は弾き飛ばされていた。

「――あっ……」

 小さな手を離れた剣は宙を回転しながら、離れたところに突き刺さる。

 瞬間、喉元に剣の切っ先があてられた。

 兄の瞳がこちらを見下ろす。

「……まだやるか?」

 迷わずに頷いた。

 下ろされた兄の剣を横目に、暫し膝に手をついて呼吸を整える。

 唾を呑んで顔をあげると、小走りに飛んでいった剣の方向へと向かった。

 がさがさ。

 がさがさ。

 乾いた草原をかきわけるようにして、進む。


 その奥に――見つける。

 目を見開く。

 探していた剣以外のもの――。

 なにか、いる。

 何だろう。

 そう思った瞬間……。


 足はいつの間にか、止まっていた。

 剣が突き刺さっている場所まであと数メートル。

 しかし、そのすぐ傍に――影、ひとつ。

 自分と同じくらいの、幼い少女であった。

 彼女はしげしげと突き刺さっている剣を見つめている。

 そんな少女はこちらに気付いて、顔をあげた。

 思わず目を見開いてしまう。

 長い若草色の髪。大きな瞳。

 まるで初対面とは思えないような堂々とした出で立ちで、こちらを見つめている。

 服装からして、町の子供なのだろう。

 手にはバスケットを持っていて、その中には森で摘んできたらしい果物や花が入っていた。

「――」

 どうしていいか分からずに立ち止まっていると、少女はにこりと笑う。

 夕日と同じくらいに鮮やかで眩しい、純粋な笑顔だった。

「こんにちは」

 同じ年代の子供に話しかけられるなど、生まれて初めてのことだ。ただ口ごもるしかない。

 少女は目を瞬いた。

「……えっと、」

 彼女はそう言いながら口元に手をやって、暫く逡巡。

「…………あの」

「うんっ!」

 なにかを言い出そうとした自分の小さな声は、少女の発した元気な声にかき消された。

「これ、とってあげるわね!」

 少女はバスケットを一度下ろして、地面に突き刺さった剣に両手をかける。

 有無を言わせぬ鮮やかな動きだった。

「よいしょっ」

 そうして真剣そのままの眼差しでそれを引き抜こうと力を入れるが――。

「んーーーっっ!」

 …………。

「おりゃーーーっっ!」

 …………。

「やぁーーーーっっ!!」

 ……10秒見ているだけで、こちらが疲れた。

 仕方なく近寄って、少女の手を振り払う。

「抜けないわよ、これ……」

「そうか」

 顔を真っ赤にさせ、ぜえぜえと肩で息をする少女の横で、軽々と剣を引き抜いた。

 片手でそんなことをしてしまった自分を前に、少女は見事に固まる。

「――うそっ」

 剣が突き刺さっていた場所と自分の手を交互に見つめる少女を横目に、さっさと背を向けた。

「あ、ちょっと――」

 歩き出した自分の後を、慌ててバスケットを拾ってついてくる。

「なんだ?」

「あなた、この町の子よね? って……あれ?」

 彼女の瞳が静かに見開かれた。

 ふわりと長い髪が風と戯れて、揺れる。

 夕日に照らされたあどけない横顔は一瞬、まるで一枚の絵画のように思わせて……こちらも幾度か目を瞬く。

 少女の視線の先には、兄の姿があった。

 彼女は驚いた様子で兄を指差す。

「クォーツ、さん?」

 ……兄の名前を、呟いた。

 彼女にならって、兄の方に視線をやる。

 兄もまた突然現れた少女をじっと見詰めて、静かに呟いた。

「なんだお前か」

 瞬間、少女の眉が幾分か吊りあがった。

「なんだとは失礼ですね。シルフレアって名前があんですよ、私にはっ。ちゃんと覚えててくれてますよね?」

 腰に手をやって鼻を膨らませる。

 どうやら兄と面識があるようだった。

「あれ? っていうことは……」

 少女の大きな瞳と人差し指の先がこちらを向く。

 視線は兄と自分を幾度か往復して、結局はこちらに収まる。

 豊かな髪の中から覗く、茶色い大きな瞳が疑問を浮かべていた。

「……弟だ」

 自分が答えるよりも先に、兄が答える。

「え、でもクォーツさんって家族は――」

 少女は怪訝そうな顔で言いかけて、……止まった。

 きっと幼いながらに事情を察したのだろう。その瞳の色を滲ませて静かに頷く。

「へえ。……名前は?」

 笑顔で問われる。

 しどろもどろで、返す。

「…………スイ」

「スイ、ね。私はシルフレア。フレアでいいわ。えへ、これでもクォーツさんの従兄妹なのよ」

 だからあなたも私の従兄妹ね、とフレアは笑った。

「……いとこ?」

 聞き返す。

「そ。私のお父さんとクォーツさんのお母さんが、兄妹ってこと。分かる?」

 そんな話は全く聞いたことがなかった。

「それにしてもクォーツさん、全然見かけないと思ったらこんなところにいただなんて。……剣の練習?」

「そうだ」

 兄が答える。

 フレアはふぅん、と口元に手をやりながら呟く。

 その顔には不意に胸を締め付けられるような寂しさが浮かんだようで……暫くそんな顔に見とれてしまった。

 だがその顔が、突然なにかを決断したように前を向いて、ぱちん、と手を叩いてみせたのに思わず肩を飛び上がらせる。

 少女は、笑顔で提案していた。

「見ててもいい?」

「…………?」

 突飛な発言に首を傾げる。

 少女はまくしたてるように兄に向けて続けた。

「どうせ暇なんだもの。ねっ、いいでしょ?」

 兄は表情の変化もほとんど見せず、淡々と返す。

「危ないぞ」

「ちゃんと離れたところから見てるもん!」

 一歩も引かない彼女は胸を張って兄に詰め寄る。

「だが、大丈夫なのか、お前」

 ふと、兄の声が幾分か小さくなった。

 まるで風に溶けて消えてしまうようにも思える。

 突然そこだけ、時間の流れが限りなくゆるやかなものになったような――。

 しかしフレアは小さく笑ってみせるだけだった。

「お父さんには言わせておけばいいのよ。私のすることなんて、私の自由だもの」

 きらきらと……笑う。

 夕日に輝いている。

 そう、思った。

「――好きにすればいい」

「やった!」

 兄の許可を貰ったフレアは、こちらを向いた。

 ふわっと長い髪が広がって、僅かに甘い香りが広がる。

 この黄昏の草原に細い少女の影は、よく似合っていた。

 さらさらと、静かに草原は絶えず風に流れている。

「じゃ、これからよろしくね。スイ」

 白く長い手が持ち上げられて。

 こちらの瞳をじっと見つめられる。

 あまりの真っ直ぐな視線に、目を伏せてしまいそうになったが……。

「…………ああ」

 小さく喉で紡いで、剣を左手に持ち替えてから差し出された手を握った。

 さらりとしていて温かい手だった。

 また風が吹いて、頬を撫でていく。

「あははっ、クォーツさんにそっくりね。そのむっつりなところとか」

 少女は手を離すと、鮮やかにターンをして走っていく。

「剣の腕もそっくりかしら? ふふ、見ててあげるわ」

 まるで走っていった彼女はそのまま空へと飛んでいってしまうような。

 そんな力強さを兼ね備えていて――。

 しかしやはり、彼女は地面の上に立ったまま、少し離れたところで腰を下ろした。

 一体、剣の練習など見て何が楽しいのだろうと思う。

 彼女は先ほどの剣を抜こうとした行動からして、別段運動をするわけでもなさそうなのに。

 しかし、邪魔にはならないようだったから、そのまま練習は再開することになった。

 兄を見ると、……彼も頷いてみせる。

 だから、再度剣を構えた。

 気がつけば、既に太陽は夕日へとその姿を変えている。

 視界も、一杯の橙に染まっていた。

 町の喧騒から離れた草原の一角。そこには風の音しか届かない。


 そんな中に、再び――金属の音が、大きく鳴り響いたのだった。



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