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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
八.橙色の記憶
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095.Telephion-それはとても穏やかな-



 イメージ。

 光景。

 強いひかり。


 人が溢れる町。

 どこにでもあるような町。

 海に面したその町は、華やぎをみせている。

 ずっと山の奥地で暮らしていた自分にとっては、まるで夢のような光景であった。

 ただ、そんな町の流れはとても早い。はじめての喧騒と人ごみは、息苦しく感じた。

 だから、兄となったひとの後ろにひっそりとついてまわる。

 兄はどうやら町ではよく知られた人らしい。

 当たり前か、あのときの剣技は、剣について何もしらない自分でさえ只者ではないとわかったのだ。

 すれ違うごとに……どうやらギルドの仲間らしき者たちに声をかけられている。

 まだ彼は、14歳の少年だというのに――、だ。

 兄は無口だった。

 話しかけられればそっけなく返し、さして立ち話もせずに先を急ぐ。

 自分には夕凪の時間、ひとの流れの速さに呑まれないようにするのが精一杯だった。

 潮風の独特の匂いにのせて髪がなびく。

 兄の銀色の髪はまるで橙色に輝いているようで、彼がずっと上の方にいるのだと……そう思わせるには十分なもので。

 ただ自分は、その眩しさに目を細めるだけだった。

 兄はこの辺りでは珍しい銀色の髪を持っていることに加え、大振りの剣を腰に携えていたから、いつでも人の目をひいているようだった。

 しかし彼は怖じをみせることもない。

 いつか、いつか、そんな風に強くなりたいと――。


 幼心に、そう思った。



 ***



「――スイ」

 兄は静かに、呟くように言った。

 町の喧騒から離れた草原。

 潮風の匂いも薄れる、静かな場所。

 兄は拾ってくれた次の日、自分をこんな場所まで連れてきた。

 腰にはいつもの剣。そして、もう一振りの剣を手に持っていた。

 兄の瞳はとても深い。ここから見える海よりも、ずっとずっと、深い。

 そんな彼の視線は、下手をすれば圧倒されて後ずさってしまうくらいに強かった。

 だが、自分は強くなるのだと決めたのだから。

 そう、この人に誓ったのだから。

 だから、歯を食いしばって兄の顔を見返した。

「強くなりたい、と言ったな」

「――うん」

 頷く。

 すると、兄は問うた。

「強いとは、どういうことだ?」

「……え?」

 思わず聞き返す。

 兄は静かな顔で、こちらを見下ろしていた。

「強くなるということは、どういうことだか分かるか?」

 強くなること。

 考えた。

 強くなること……。

 その意味を。

 8歳の頭の中で考えたことはとても幼稚だったが――。

 そのときの自分で出来うる限り、精一杯に。

 必死で、考えた。

 そうして出した自分の中での、その答え。

 思ったまま、言葉を紡ぐ。

「クォーツみたいに」

 兄は、静かにその瞳の色を揺らめかせた。

 午後の、やわらかな昼下がりだった。

「クォーツみたいに、なりたい」

 その答えに兄は暫く逡巡すると、持っていた小ぶりの剣を鞘から引き抜く。

 太陽のひかりを吸い込んで輝く剣の肌。

 美しい、まだ下ろして間もない剣であった。

「この剣で――強くなるのか?」

 そうだと思ったから、頷いた。

 あの草原の中での戦いは目に焼きついている。

 もしも彼のように戦うことが出来たなら。

 出来た、なら――。

「力が欲しい」

 小さな拳を握り締める。

 それがとても漠然としたものであったとしても。

「誰にも負けないくらいの、力が欲しい」

 そうして、前の日と同じ言葉を。

「強く……なりたい」

 兄は黙って幼い声を聞いていた。

 風が穏やかに二人の間を通り過ぎていく。

「……スイ」

 兄は剣を、足元に突き立てた。

 二人の間が隔てられる。

 その真新しい剣の輝きはあまりに眩しかったから、兄の顔を見上げた。

 だが、剣の肌と同じ色をした兄の髪もまた、とてもまばゆくて。

「ひとも……命も、簡単に死ぬ」

 やぶから棒にそんなことを言い出した兄に、ただ聞いていることしかできなかった。

 それはとても穏やかな――そんな風が優しく頬を撫で付ける。

「これは、人を殺す道具だ」

 兄にならって剣をもう一度見つめる。

「剣がなくては、他人を殺す力がなくては、――強くならなければ生きていけない世界を造ったのは……俺たち人間だ」

 にんげん。

 その言葉が胸のどこかを押した気がして、手を胸にやった。

 難しい言葉が混じって、よくわからない部分もあったけれど、何か大切なことを言っているということはわかった。

「そうだ、お前も、俺も、そんな世界を造った一員だ」

 瞳を伏せて、兄は呟いた。

「スイ、人を殺すのは良いことだと思うか?」

 反射的に首を振っている自分がいた。

「なら、人を殺せる剣はあっていいものだと思うか?」

 思わず顔をあげる。

 兄の顔を、見つめる。

 彼は、どこか淋しげな表情のまま、続けた。

「それでも俺たちは生きる為に剣を振るう。人を斬るのは……とても、辛いぞ」

 呟いて、瞳を伏せて……。

「何度だって苦しい思いをする。血を吐くような思いをする」

 その色を揺らめかせて……。

「それが、お前が選ぼうとしている道だ」

 そうしてこちらを真っ直ぐに、見据える。

「それでもお前は剣をとるか」

 強いひかりを湛えた目だった。

 きっとこの強い目は誰にも真似することなどできるはずないだろうと、そう思った。

 剣の肌は、相変わらず……眩しい。

「その覚悟があるか」

 年頃の少年に似合わず落ち着いた兄の声。

 責め立てるわけでもないのに、強い声であった。

 だが。

 それでも。

 答えは――もう、決まっている。

「生きていくためなら」

 少々つっかえながらも、そう答えた。

 そうして……足元に突き刺さった剣の柄に、手を伸ばす。

 兄は、止めたりはしなかった。

 まだ細く華奢な腕が伸びて、小さな指が剣の柄をとらえる。

 そのまま、足を踏ん張って剣を引き抜いた。


 ――ざっ……。


 ぱらぱらと土を零しながら持ち上がる剣。

 その重さに最初は驚いて、思わず落としそうになった。

 しかし、ここで落としてはいけない。

 歯を食いしばって、両手で支える。

 兄は今持っているものの倍ほどもある大きさの剣を使っているというのに。

 初めからこんな剣すら持てないなど、話にならないと幼いながらに思ったからだ。

 兄のようになりたかった。

 どこまでも気高く、強く。

 なにも失わないように。

 ひとりで立って、生きていけるように。

 この広すぎる世界の中で、早すぎる人の流れの中で、自分の足で走っていけるように。

 だから。

 それがどんなに辛い道であったとしても。

 この剣を持って、強く、強くなるのだと。

 穏やかな風の中で……思った。

「そうか」

 兄は眼を一度閉じて、呟く。

「……それでいいんだな?」

 ずっと高みにいる人にむけて、大きく頷いた。

 既に腕は重すぎる剣に悲鳴をあげていた。

 だけれど……それでも。

 きっと、いつの日か。

 きっと、きっと――。


「わかった。お前に、剣の使い方を教えてやる」

 兄は自身の剣をすらりと引き抜いてみせた。

 片手で持っているというのに、その大きさは普通の片手剣よりもずっと大振りだ。

 使いこまれた剣は、自分の持っているものよりも遙かに太陽のひかりを映しこんで輝いている。

 まるで兄の髪の色と同じだった。

 鋭く、気高く、美しい。

「ひとを殺し、自分が生きるための方法だ……」

 ぽそっとそれだけ、呟いて。

「なんでもいいから斬りかかってこい。まずはそれからだ」

 何歩か下がって、剣を前に構えた。


 肩が剣と一緒に落ちてしまいそうだった。

 すっかり痺れた腕は、剣を振りかぶることもままならない。

「……――」

 しかし、その強い想いが心の奥底から跳ねるように突き上げてきて――。


 草原を、幼い少年の足が、強く蹴り上げた。



 ***



 まともに連続して剣が振れるようになるまで、一ヶ月を要した。

 兄はほぼ一日中、練習に付き合ってくれた。

 週に一度か二度、仕事――兄は魔物や盗賊などを退治して賞金稼ぎをしていると聞いた――に行く以外は、毎日だ。

 だが、練習法はただひとつ。

 ただ、斬りかからせるだけなのだ。

 時折、斬り返しが遅い、とか左側が隙だらけだ、とか助言をしてくれるが、あとは剣で軽くはらうだけ。

 しかし、まともに斬りかかれたことなど、一度もなかった。

 圧倒的な力量の差を見せ付けられて、1日が終わる。

 ただそれでも、幼い弟は一度も弱音を吐くことはなかった。

 手の皮がむけようと、体中擦り傷らだけになろうと、それでも剣を取った。

 それが生きる全てなのだと、そう、信じて。

 兄は表に表情をださないが、――それでもこちらを気遣ってくれているとよくわかった。

 血まみれになった手に包帯を巻いてくれたし、家にも快く入れてくれた。

 家には、兄一人しか住んでいないようだった。

 家族のことを問うと、昔、魔物に襲われて全員亡くなった、と表情もなく答えた。

 兄はあまり口を開かない。

 しかし、そこに冷たさを感じることはなかった。

 少し前までいた、あの家と違って……。

 温かくもあったし、幸福でもあった。

 それがどんな形であったとしても、本人がそれを幸福だと思えば、それは幸福なのだ。

 そして、確かに、小さな手は着実な力を身につけ始めていた。

 日に日に兄に一歩ずつ近づけているのだと思うと、それが次の日の糧になる。


 兄は14歳、弟はまだ8歳――。


 まだ幼く弱く、なにも知らなかった頃の、穏やかな日常のはじまりであった。



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