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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
六.あぶれたものたち
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081.あぶれたものたち



「とうちゃーく」

 ディリィは町の門を潜り抜けて、思いきり伸びをする。

 秋の日差しが心地良い。今日も快晴だ。

 勝手知ったる道を歩いていく。滅びた町を、たったひとり。

 ふいに海から吹き込む風に、目を細めた。長い髪の間をさらさらと通っていく感触が心地良い。

 例えそこが哀しみに満ちた廃墟であっても、それらを取り囲む世界は美しく広がっているのだ。

 視線を大空から目の前に下ろすと、そこは瓦礫の世界。

 滅びの都、レムゾンジーナ。

 茶色にすすけた情景。痛々しく焼け焦げた家の数々。ぽつんと道端にさらされた、少女を象ったぼろぼろの人形――。

 わずかに胸に痺れに似たものが走った。

「――たった一夜でこんなになるなんてね」

 彼女自身、あの悲劇の夜を体験したわけではない。

 その事実を人に伝えられただけだ。

 だから、その時の色や匂い、肌に触る空気の重さ――それらを知ることはできないのだ。

 だから、それは何も知らないのと同じなのではないか、とさえ思う。

 ――それも単なる言葉遊びか。

 彼女は動きを停滞していた足を速めた。

 彼に会わなくてはいけないのだ。少なからずともこの件に関わってしまったのだから、今更投げ出すわけにもいかない。

 それに、自分の育てたたった一人の弟子がその真っ只中へと踏み込んでいることが、彼女の足を更にこちらへと向けていた。

 歩きながら、もう一度、ふいっと伸びをする。

「あーあ、ヘイズルは元気かしらねえ」

 まるでそれに答えるかのように、風がまた一つ、瓦礫の町を駆け抜けていった。



 ***



 今から三年前、一つの町がまるで一夜の夢のごとく炎に消えた。

 町の名前はレムゾンジーナ。海と山に挟まれた、様々な資源に恵まれた町。

 至るところに咲いた笑い声、華やぐ景色、活気付く、人々――。


 それは、うだるように暑かった日のことだった。


 永遠に続くことを誰もが疑わなかった、そんな日常の欠片でしかなかった。


 全くもって、予想外のことだったのだ。

 ヘイズルは山中を走りながら舌打ちをした。

 既に他の二人の姿は見えない。自分でも常人をはるかに逸脱した足の速さだというのに、あの二人の走りはまるで疾風だ。

 魔物討伐を請け負っていて、すぐに仕事は片付いた。確かに数は多かったが自分たちの敵ではない。

 しかし――その帰り、山の上から、三人は気付いたのだった。

 炎に燃え盛る港町、レムゾンジーナに。


 もう夜も落ちかけて、視界は暗い。

 本当だったら一日野宿のはずだったのだ。しかし今となってはそれどころではない。

 故郷が燃えている。当たり前のようにあった町が……、死んでいく。

 普段だったらこんな長時間、こんな速度で走るのは無理といえるだろう。そんな長い距離を、ひたすら疾走していた。

 前を走っていたはずのクォーツとハルリオの姿は、完全に跡形もない。

 歩いて半日近くかかる距離を、たった一時間たらずで走り抜ける。

 なにかが燃える嫌な臭いがした。人の泣き叫ぶ声が、耳元でするような錯覚さえ覚える。

 そうして、町の全貌を目のあたりにしたとき……ヘイズルは、もう手遅れなのだということを痛いほどに感じ取った。

 荒れ狂う炎、暴れるように動く影、悲鳴、怒号、泣き叫ぶ声、炎の音、音、音――。

 何が起こったのかはわからない。しかし炎は町の全てを支配し、貪りつくそうとしている。

 胃の奥から吐き気がこみあげる。冗談だろう、と苦笑することすら叶わない――。

 クォーツとハルリオの姿はない。まさかこの中に飛びこんでいったのだろうか?

 そこでヘイズルは一人の少年のことを思い出した。そうだ、確かクォーツの弟がまだ、この中にいるはずだ……。

 しかし冷静な思考が、もうその弟の生存が絶望的だと嘲笑するように言っている。そうだ、きっとクォーツも諦めているだろう。

 ヘイズルの思考はそこで途切れた。

 視界の隅に、こちらを狙う剣を構えた兵士を捉えたからである。

 身に覚えは――ないとはいえないが、まさかこんな場所で襲い掛かってくるなど、無差別に襲っているとしか思えなかった。

 咄嗟に抜剣して対応する。しかし思わずそこで剣を受けてしまったのが命取りだった。冷静に避けて瞬時に殺してしまえばよかったのだ。

 兵士は叫んだ。

「おい! こっちに来てくれ、住民脱走者だ!!」

 住民脱走者――ヘイズルは一瞬でその意味を知った。

 きっとこの兵士は貴族のものだ。そうして、この町を滅ぼさんとしているのだ。

 舌打ちをした。とん、と一瞬引いて相手が怪訝な顔をした瞬間、既に剣は兵士の腹を一突きしていた。

 しかし、もうそこまで幾人もの兵士たちが集まってきている。ヘイズルは迷わず暗い森の中に飛び込んだ。

 夏の日が長いとはいえ、既に森は暗がりに落ちている。

 追っ手を次々とその手にかけながら、ヘイズルは息を切らせてきつい山の傾斜を登り続けた。

 完全に闇に閉ざされた視界の中では、どちらに向かっているのかもわからない。もしかしたらまた町の方向へ出てしまうかもしれない。しかし傾斜を登る方向に行けばきっと安全だと信じて疾走した。

 既に仕事仲間のことなど、完全に頭の隅に追いやられてしまっていた。

 次の日の朝を拝むまで、ヘイズルは走り続けた。

 まるで何週間も走っていたような、そんな気がしていた。



 万全を期して、ヘイズルが再びレムゾンジーナへと向かったのは、一ヶ月も後のことだった。

 もう貴族たちもいないと信じて、森に身を隠しながら山を下る。

 そうして、瞳に映った町並みは、……あまりにも虚しく、その姿を風にさらしていた。

 あの賑やかさがまるで夢だ。黒ずんだ石畳、崩れて瓦礫と化した建物、あちらこちらに転がる人だったものの形。

 まさに、生き地獄だと思った。自分は数々の修羅場を越えていると思っていたが……それをはるかに超越した光景だ。

 しかしヘイズルがそのままそこを立ち去らなかったのは、――人がひとり、立ちつくしているのを見つけたからだった。

 しかも、知っている人物だ。カールがかった金髪が潮風に揺れている。

 生き残っていた、……仕事仲間。

 近付いた。彼女は丘の上で、じっと町を見下ろしていた。

「リエナ」

 声をかける。肩を飛び上がらせて、剣の柄に手をかけながらこちらを振り向く。

 そうして、その瞳が、とめどもない涙を零している瞳が、揺れる……。

 いつだって気高く振舞っていた彼女からは想像も出来ないその表情は、彼女を一人のか細い人間として印象付けるには十分すぎるほどだった。

「お前……」

 すぐに顔を背けてしまった彼女に近寄って、横に立つ。

 眼下には、滅びた町が広がっていた。

 なのに海はいつもと同じように広がり、空はどこまでも青く、空気は夏の暑さを湛えている。

 まるでこんな町の生死など、どうでもいいというように……。

「リーフはどうした?」

 横に、リエナはゆっくりとかぶりを振った。

 まだ涙は止まらない。肩が震えている。

「そうか」

「…………たい……」

「ん?」

 最初はかすれた声が、次には魂がぶつけられたような声が、その唇から放たれた。

「殺して、やりたい……」

 握り締めた拳がわなないている。むき出しの感情がその瞳に浮かぶ、憎悪という憎悪を一点に集めたような――。

「この手で、あの人と同じように……八つ裂きにして、やりたい……!」

 呪いの言葉を吐いて、リエナは歯を噛み締めた。涙は止まることなく後から後からわいてくる。

 きっと目の前で殺されたのだろう。最愛の人を、彼女の目の前で。

「あの地下組織は生き残ってるのか?」

「……何人か生き残りがいたよ。でも、リーフが死んだなら……もうばらばらになるのは目に見えてる」

 リーフはリーダーだったと聞いていた。リエナと共に、貴族を倒し、世界に真の安息を与える為に活動しているということをヘイズルは知っていた。

 しかし力を貸すわけでもなかったし、貴族にその情報を売るということもなかった。どうでもよかったのだ、彼にとっては。

 もし彼らが反乱を起こして成功したなら、次の時代に順応して生きていけばいい、そう思っていた。

「あなた……家族はいた?」

 先ほどから幾分落ち着いたのか、リエナが問うてきた。

「……いいや。いねえよ。町が燃えようが、世界が滅びようが、どっちにしろ、俺は一人だ」

 言いながら、その場に座る。潮風が心地良く、そして哀しかった。

「これからどうするつもり」

「さて、どうすっかなあ」

 ギルドはもう使えないだろう。この町の貴族に顔は割れている。偽名を使っても、見つけられた瞬間に適当な理由をつけられて殺されるに決まっている。

「俺たちは死んだことになってるんだよな」

「きっとね」

 一々殺すときに名簿をチェックするわけにもいかないだろう。貴族たちはこの町の者が全て死んだと思っている。

 そうだ、彼らは。

「……あぶれたもの、か」

 ヘイズルは呟いて目を細めた。

 あぶれたものたち。大きな波にかき消された、小さなひかり。誰にも気付いてもらえない、逸史に沈む者たち。

 しかし、しかし――。

「――だが、そういう立場になると、逆に有利になることがあるよな」

「え……?」

 リエナが不可解そうな顔をする。

 対してヘイズルは不敵に笑った。自分が生き残る術。こうなってしまった現実は変えられない。だからその中で、自分たちが再び太陽の下を歩いていけるようにする為には――。

「駄目で元々さ。俺はこんな日陰を歩きたくはないんでね、……英雄というものに憧れてみようかと思う」

「はぁ?」

 あからさまに怪訝な顔を向けてくる。既に涙は乾いたのか、顔はいつも通りだ。

 ヘイズルは立ち上がった。一歩、足を踏み出した。

 この滅びた町に向けて。そして、この荒れ果ててしまった世界に向けて。

 彼は、言った。


「世界を変えてみるか」


 リエナの瞳が、丸くなる。

 腰に手をやって、笑ってみせた。

「基地とやらに案内してくれるか。俺がリーフの代わりにリーダーになってやる」

「ヘイズル、あなた……」

「そのくらいしか確実に生き延びる道はないからな。仕方なしにやるんだぞ、感謝してくれ」

 唖然とするリエナは、立ち尽くすのみである。

 しかし……数秒後には、呆れたように笑んでみせた。

「……物好きもいたものだね」

「そんなに褒めるな」

「はっきりいうけど、生半可な度胸で出来るものではないよ?」

「この天才に向かって言ってるのか?」

「ヘイズル」

「なんだ」

 リエナは背を向けた。町へと歩き出したのだ、彼を地下へと案内するために。

 ただ、風に乗って小さな声は確実に、彼の元へと――。


「ありがとう」


 それが、ヘイズル・オルドスという新たな指導者の誕生であった。



 ***



 ディリィが中に入ると、丁度リエナと鉢合わせになった。

 相変わらずリエナはあまり驚いた様子もなく淡々と話す。

「おや、ディリィじゃないかい」

「久しぶりね、元気だった?」

「見ての通りだよ」

 いつもと同じ一通りの挨拶をこなすと、ディリィはヘイズルがいるかどうかを問うた。

 するとリエナは僅かに笑った。

「あの出嫌いはそうそう外に出ないよ」

 聞けばリエナも丁度ヘイズルの元へ向かう途中だというので、なし崩しに一緒に行くことになる。

 ランプの灯りが照らす地下道に、二人の乾いた足音がこつこつと響いた。

「そういえば、前々から言われてたピュラに会ったよ」

「あらっ、可愛かったでしょう?」

「ディリィ、いい加減にその弟子煩悩もほどほどにしたらどうだい」

「うふふ、可愛い子を可愛いといって悪いことでもあるのかしら」

 呆れた、という風にリエナはこめかみに手をやった。

 二人の付き合いは既に十年を超している。

 リエナは元々武術の都ドトラの出身だったのだ。

 ディリィと流派は違ったものの、昔はよく町中で遊んだものだった。

 リエナが養女としてこの町の親族に引き取られ、離れ離れになっても、こうして今でも親交が続いている。

 道を何度か曲がって、二人はとある部屋の扉を軽くノックした。

 中から返事とも唸り声ともつかない声が聞こえたので、そのまま開く。


 ――むわっと漂う本と金属の匂い。

 机にうず高く積まれた本の山。床に置き去りになった武具の数々、雑多なものが散乱した床――。

 そんな部屋の一番奥で、三十路を越した男が机に足を乗せて本を読んでいた。


「ヘイズル、もう少し行儀よく本が読めないのかい?」

 すると男はちらりと二人の女性に視線をやって、……口元だけで笑った。

「あいにく育ちが酷いもんでね」

 栗色の瞳は薄暗い中で一層闇に近付く。無骨な見た目からするとこんな場所で本を読んでいるなどとは全く想像できない。それが彼、ヘイズルという男であった。

 ぱたん、と本を閉じて無造作に机に投げ出す。視線はディリィに注がれていた。

「おうディリィ、久々だな」

「元気そうでなによりね」

 ディリィは腰に手をやりながら机ごしにヘイズルと対峙する。

 その斜め後ろにリエナが立つ形となった。

「リエナもいいところに来たな。おい、良い知らせが入ったぞ」

 ヘイズルは机に詰まれた書類から雑な手つきで一枚の紙を抜き出すと、怪訝そうな顔をするリエナに突き出す。

 それをリエナが受け取るのと、次の言葉が放たれるのはほぼ同時であった。


「ハルリオの行方が見つかった。お前、ちょっと迎えに行ってこい」


「――な、」

 普段は淡々としているリエナの顔に険しいものが混じる。

 まるで化け物にでも遭遇したかのような、……嫌悪を示すような、そんな表情だ。

 ディリィはそんな彼女の姿を一瞥すると、肩をすくめてみせた。

「誰かしら、それ」

「ハルリオ・イム・クザナンハ。孤高の銀髪鬼クォーツ・クイールの唯一の相棒であり、しかし元貴族であること、それから――」

 書類を掴むリエナの手に力がこもる。

「非常に冷酷だということで人気はなかったな。だから有名にもならなかった。この町が滅びた日からは行方も知れない――、まあそんな放浪の旅人さ」

 ふぅん、と口元に指をあてるディリィに対して、リエナはその紙を手で握り締めていた。

「私は反対だ! あんな奴を仲間に入れたくはない、奴は悪魔だと何度も言ったろう」

 見るからに機嫌の悪そうな顔でヘイズルを睨む。ヘイズルは肩をすくめてみせる。

「ふん、所詮は同じ人間じゃねえか。首はねられても生きていられるわけじゃないし、海の中で生活できるわけでもないぞ」

「なんだかすごそうねえ、その人」

 牙を剥いているリエナとは裏腹にディリィは首を傾げている。

「というわけでだ、リエナ。奴を説得してこっちに引っ張って来い」

 リエナはあからさまに髪を荒々しくかきあげた。

「私が行くと間違って首だけ持って帰ってきそうだよ」

「そりゃ物騒だな」

 そのままリエナは最後までぶつぶつと不満を漏らしていたが、このヘイズルという男には何を言っても仕方ないということを知りすぎている彼女にその現状を変える術はなかった。

「相変わらず無茶苦茶なやり方してるわねえ。とんだ博打じゃない」

「おう、この反乱自体が大博打もいいところだからな。所詮、成功か否かは運の問題さ」

「人の命を賭け金にしないでくれるかい、ヘイズル」

 くくっとヘイズルは喉で笑ってみせる。まるで動じた様子もなかった。

「そういえばスイ君に会ったんだけど、あの子も不思議よねえ」

 次の話題をだしたのはディリィだ。

 スイという単語に反応して、ヘイズルとリエナが同時にディリィに視線をやる。

「孤高の銀髪鬼の弟であり、この町から逃げ延びた『影の有名人』だったんでしょ? なのになんで今まで貴族に目をつけられなかったのかしら」

 ヘイズルは腕を組んで不敵に笑ってみせた。

「そりゃな、スイは目の上の腫れ物だからさ」

 軽く瞳を閉じて続ける。

「例えもし奴が貴族に見つかったとしても、うかつに手はだせない。奴はあれだけの力量があるし、『自分がクォーツの弟だ』と民衆に言ってあの日の真実を語れば貴族の面子は丸つぶれだからな。貴族が自分を殺そうとしてると知ったら、確実にスイはそのことをばらす。だから殺せない。貴族は奴の生存を黙認することでスイに黙っていてもらえたのさ。そしてスイもまた、その真実を保険にしてひっそりとしていることで生きていられた――、」

 口元には変わらぬ笑みを浮かべて――。

「奴もまた、あぶれたものなんだろうな」

 ディリィの脳裏には彼の姿が浮かぶ。

 人の流れに隠れるように、佇んでいた影。誰の目にも留まらぬように、誰の記憶にも焼きつかぬように――。

 そうでないと彼は、生きられなかったのだ。

 誰かに救いを求める術も知らない。その中で、自らの命を断つことも知らない。


 ……孤高の銀髪鬼。


 ふっと、そんなフレーズが浮かんだ。

「ヘイズル」

 呼んだのはリエナだった。

「フェイズから連絡がきているよ」

 どうやらそれが彼女の本題だったらしい、持っていた書類を机に置く。

「あら、フェイズ君もちゃんとお仕事してるの?」

「いい具合に問題児だけれどね」

「そう――」

 ディリィは紫紺の瞳の色を揺らめかせた。僅かに目を伏せて、床に視線を這わせる。

「ピュラちゃんとは何かあった?」

 幾分か小さな声で問うと、リエナはその光景を見ているように視線を僅かに上に向けた。

「今のところはなにもないみたいだよ。だけれど――それも時間の問題だろうね」

 風のように過ぎていく、赤紫の髪。全てを笑みに閉じ込めてしまった、その心の内――。

「大丈夫かしら、あの子」

「いや」

 机ごしに、低い声がした。

「奴に待っているのは――」

 珍しくヘイズルが言葉を一度切る。

 彼は今度こそ、目を閉じた。腕を組んだまま、まるで眠っているようにも見える――。


「奴に待っているのは、恐らく悲劇だろうな」


 返る答えは、なかった。

 リエナがぽつりと呟く。

「誰がこんな世の中にしたんだろうね」

 ディリィは黙ったまま肩にかかった長い髪を軽く払った。

 ヘイズルは。

 ……ヘイズルは、栗色の瞳をそっと開いて、首の間接をわずかに鳴らせた。

「これからは時間との勝負だ。貴族側の体勢が整う前に、一気に攻撃を仕掛ける」

 既に口元には普段と変わらぬ不敵な微笑みを。

「フェイズがどうしようと、どうなろうと、俺たちの計画に支障はないしな」

「随分無茶な言い方だね。民の前に現れた救世主が真実こんなのだったら、さぞかし志気も下がるんじゃないかい」

「ふん、どうせ真実なんざ世界中には伝わらないさ。伝わっても混乱を招くだけだ、そんなものはいらない――」

 ディリィが呆れとも諦めともつかない溜め息を漏らす。

「あらあら、困った指導者ね」

「欲しいのは現実だけだからな。真実はどうだっていい」

 薄暗い部屋に照らされるのは影、三つ。



 そうして、地下に潜むあぶれたものたちは、動き出した。

 ミラース1429年、冬も近い季節のことだった。



 男は、笑ったまま。

「真実なんてのはな、何百年か後の考古学者が発見してくれりゃいいのさ」


 -Bitter Orange, in the Blaze-



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