070.風の残り火
一体どれほどの時間をこの地で過ごしたのだろう。
最初にこの地を踏んだときから、時は流れ、景色は驚くほどの変化を遂げた。
山に囲まれ海に面し、そのくぼみにすっぽりと収まった町――。山の上から見れば三日月型に見えるはずだ。
この地方は山が多く、大陸の中を渡って交易をするには厳しいものがある。
だから、全ては港からの貿易によって成り立っていた。
幸いなことに、山の幸と海の幸には恵まれたこの地である。街は発展し、行き交う人で賑わいを増していく……。
――そのはずだった。
それが、現実には――廃墟。
半数ほどの建物は残っていたが、灰色に染まった道や無残に崩れた住宅の残骸は、痛々しいものとして目に映る。
海の変わらぬ波音だけがどこか淋しく響き渡っていた。
そんな死んでしまった町の一角に、腰掛けて視線を遠くに馳せる男が一人。
名を、ヘイズル・オルドスといった。
もう歳は三十も半ばだというのに、若々しさを失う様子を見せない顔つき。
深緑の髪は潮風に揺れ、栗色の瞳がゆっくりと細まった。
「スイはまだこないの?」
視線を向ければ、見慣れた女性の姿。
カールがかった金髪をざっくりと肩の辺りで切り、腰に細身の剣をつけている姿は、武人であることが一目瞭然だった。
そうして冷めた瞳でこちらを見下ろす――。
「もうそろそろ着いてもいいころなんだけどな」
がれきの一つから腰をあげて、山の向こうにもう一度目を向けた。
ふっとその口元に笑みが走る。
「ようやくこの時が来た」
「……3年でこぎつけたのは奇跡だと思うけれど」
「ふん、まだまだ奇跡は起こってもらわないと困る」
かつ、と近くのがれきに軽くブーツをぶつけると、雨ざらしになっていたそれは、もろくも崩れ去る。
「――スイは前線へ送り込むつもり?」
「おいおいリエナ、そこじゃなくて何処に送りこむっていうんだ」
金髪の女性――リエナ・ティルモアは小さく肩をすくめて髪をかきあげた。
「確かに『あの孤高の銀髪鬼の弟が前線で活躍してる』なんて情報が流れればこっちの指揮も高まるし貴族には不安を与えられるだろうけど――、」
その瞳に鋭い煌きが宿る。冷たく静かに現実を直視する彼女の瞳――。
「恐らくスイは戦力外――むしろ足手まといと見た方がいいよ」
「んなこた分かってるさ。だからその『お守り』でハルリオを探していたんだがな……」
ハルリオ、その単語を聞いた瞬間にリエナは眉間に深いしわを刻んだ。
「あんな奴に任せたら、それこそスイは殺される」
「それはどうかな?」
ヘイズルはからかうような口調で不敵な笑みを浮かべ、一歩二歩と前へ踏み出す。
「まあ、危ない橋に変わりはないな。なんせあまりにこのメンバーには危険因子がありすぎる」
「あなたとかね」
「おお、そりゃ一番の危険人物だ」
「あなたがいなくなったらこの計画は私が仕切るから安心して死んでいいよ」
「頼もしいな」
心底おもしろそうにくつくつと喉を鳴らしながら、軽く腕をあげて伸びをした。
平均的な男性の体格よりも大柄で筋肉質な彼である。少しむさくるしさを感じたのか、リエナが横で渋い顔をしていた。
「それで、フェイズはあのままにしておいていいの?」
「そうだ。目当ての娘を連れてきてるはずなんだよな。可愛い子だと嬉しいんだが」
リエナは眉間のしわを更に深くさせながら閉口する。本当にこの上司はこの話題に関しての始末が悪かった。
「手をだしたらきっとディリィに瞬殺されるよ」
「ん? ああ、ディリィの弟子だったんだな。お前、ディリィからそいつのこと何か聞いてるのか?」
すると彼女は小さく溜め息を漏らしつつ呟く。
「目に入れても痛くないほど可愛い、ってさ」
「ははは、そりゃこの目で拝むのが楽しみだ」
空には一杯の青。全ての音はそこへと吸い込まれていた。
大きな雲が静かに漂い、決して同じところにとどまることなく穏やかに過ぎていく。
潮風は優しく山へと吹き抜け、その通り道である町の中はひどく心地良い空間として感じられた。
これでこの町が滅びてさえいなかったら、ここは最高の土地となっていたことだろう。
しかし一度死に崩れてしまった町を再生させるのは無理に等しい。しかもまだ滅びて3年しか経っておらず、この地には訪れる客人も少ない。
そう、昔はこの町に銀髪の剣士がいて、その名を世界中に馳せたというのに――。
今となってはなにも残ってはいない。
「いい天気だな」
「……そうだね」
廃墟の港町レムゾンジーナ。
いつだったか孤高の銀髪鬼と呼ばれた青年が住んでいた町。
今となっては誰からも忘れられてしまった、静かに風化を続ける都市……。
その地に根をおろしていた男は、ゆっくりとその口元を笑みの形に変えていた。
***
「やぁ、やっぱり出迎えはあんたかー」
「雑用が仕事だからね、どこかの出嫌いの男のお陰で」
ピュラたちは、出迎えてきた女性をじっと凝視していた。
この町は山を越えてやっと辿り付ける位置にある。そして先ほど山の上からその姿を一望して、驚いたものだった。
かなり大きな町だ。それなりに栄えていたのだろう――。
そうして山を下りながらゆっくりとその姿を目の前にすると……、もうその町が『死んでいる』のだということがよくわかる。
炎に焼けただれて、ススで灰色に染まった地面の肌。閑散とした雰囲気に、虚しく潮風が打ち付けている。
3年という歳月はまだ町を原型と等しく留めているものの……、確かにその町はゆっくりと風に溶けていく途中だった。
おそらくこれから何十年という時をかけて、全てが自然へと戻っていくのだろう。
スイはじっとその姿を見ているだけで、何も言うことはなかった。
誰もその町が彼の故郷だという話題を取りあげることもない。
ただ、そこにヘイズルというリーダーと、彼の部下たちが住み着いてゲリラ活動を行っている、ということだけに、その思考を向けていた。
一体どのような組織なのだろうか。
実際に成果をあげているのだろうか。
フェイズに聞いても、適当に話をそらされてしまうだけで収穫はなかった。
そのような過程を経てやってきた、滅びた町。
三日月型の形をした町はその大きくくびれた部分に港を作り、昔はそこで様々なものが取引されていたのだろう。
風の音と海の音しかしない、死んでしまった残像。
そうだ、孤高の銀髪鬼クォーツ・クイールは炎に包まれたこの町に身を投じて――そのまま消息を絶ったのだ。
生きているのか、死んでしまったのか……それをスイが語ることはなかった。
その女性は門の前で、まるで銅像のように佇んでいて、こちらに気付くと凛とした面持ちで迎えてくれた。
潮風に揺れる金色の髪。短く切ったからこそ、彼女の細さを際立たせる。
すらりとした体つきに、本当にこのまま石像にでもなってしまいそうな端整な顔つきが印象に残った。
「久しぶりだね、スイ」
「――ああ」
抑揚のない声で女性――リエナが淡々と挨拶を済ませるのに、スイも何気なく返す。
「知り合いなの?」
ピュラがスイのマントを引っ張ると、リエナは僅かに瞳の色を濃くさせて言葉を紡いだ。
「私もスイと同じように、この町の生き残りなんだよ」
そうしてふっと笑みを漏らす。端整で冷たい顔立ちは、それだけで突然穏やかで優しげな印象をもたらした。
「私はリエナ、あなたがピュラだね?」
「え?」
ピュラが突然名前を呼ばれて首を傾げるのを見て、またリエナは苦笑した。
「ディリィから耳にタコが出来るくらい自慢話を聞いているよ」
――友達の頼みごとをしてるの。
――そ。幼馴染よ、その子の頼みであちこち旅してるの。
心に一滴、雫が落ちて波紋を呼ぶ。
「あ……、」
無意識に口元へと手がいった。
「ヘイズルが待っている。ついてくるといい」
リエナはまた抑揚のない声に戻ると、くるりとその華奢な身をひるがした。
金髪が風に踊るようにして舞い上がる。
「げー、俺あのオッサン苦手」
「得意になられても困るけれどね」
不平を言うフェイズのセリフも軽く流して、ピュラたちにまた小さく視線を向けた。
「それにしても随分連れてきたね」
「俺の巧みな話術の賜物さ」
リエナの視線にクリュウがわずかにたじろぐ。
いつ敵とみなしてその腰にある細剣の切っ先を向けられるかもわからない、……捕食者がするような目線だった。
しかしそれもしばらくすると幾分緩められ――信頼はされていないに等しいようだったが――リエナはまた前に向き直る。
「子供でも現実は容赦ないよ」
「わかってるよ」
その声にぴくりとリエナの眉が反応した。
振り向けば、セルピがじっと彼女を見つめている。
朝の泉の煌きを宿した瞳は、まるで怖じを知ることもなく一直線に射抜いていた。
不思議と静かでそこに揺らぎは見当たらない。
真っ白な肌に、艶のある黒髪がよく映える――。
「……そう、覚悟があるならそれでいい」
そんなセルピをリエナは軽く一瞥した。
まるで興味がないと割り切ったようにも見えた。
ふと、ピュラはセルピの雰囲気に僅かな違和感を覚える。
一体何故だろうか、覚悟のようなものが垣間見える気がして……不可解に思えた。
しかしそれも一瞬の錯覚だと思って、すぐにかき消す。
石畳はすっかり黒や灰色に染まってしまって砂埃を溜めていた。
レンガ作りの家が目立つ。あちらこちらに大きい家があることから、貴族もいたのではないだろうか……。
半分焼け焦げた扉が無残に転がっており、また、壊された建物もがれきを辺りにまき散らせていた。
もう人々の笑い声も、その面影すらなにも残ってはいない……。
スイは無言のまま、すっかり古びた町並みに目をくれることなく前に進んでいた。
その瞳に映るのは数年前の華やいだ空気か、それとも今の淋しい情景か、
あるいは、あの激しく燃え盛る炎の匂いか――それは無論、誰にも分からなかった。
***
町の一角にその入り口はあった。
小高い場所に位置し、傍から見れば単なる石くずの山と化した建物だ。
しかしその影に、小さな穴がぽっかりと地面へ開いているのだった。
その先の暗がりへは階段が続いている。
「内部の詳しい案内は後でするよ。まず、スイはヘイズルに会ってくるといい。ピュラたちには私から教えなくてはならないことが沢山あるからね」
「俺はどうするんだー?」
「あなたはこれ」
ぼそりと呟くと、機械がするような動作でフェイズの鼻の先に資料の束を突き出す。
「全部あなたの仕事だよ。終わるまで戻ってくるなとのヘイズルの指令」
「うおっ、マジ?」
「こんなところで嘘をついてもどうしようもない」
嫌そうに紙束に目を通しはじめるフェイズを、リエナは何事もなかったかのように通り過ぎて、階段に足を踏み入れかけた。
「うえー、大忙しじゃねーかよこれ」
その声に、足が止まる……。
瞳が普段よりも厳しいものに一変し、彼を僅かに睨んだ。
「最初に、どんなにことにでも耐えると言ったのは何処のだれだい?」
ふっとフェイズは視線をリエナに向ける。
ほんの一瞬だけ、ぴんと張り詰めた空気がその場に駆け抜けていく――。
風がその瞬間止まったように思えたのは、気のせいだろうか?
そうして、暫くの沈黙の後、その口元が不敵に笑う……。
「俺だったなー」
「そういうことだよ」
リエナはピュラたちを促して、中へと入っていった。
「んじゃピュラ、またなー」
「二度と会いたくないわね、今度こそ」
「どうかな? 俺には幸運の女神さんがついてるからさ」
フェイズは資料を丸めて作った棒で自分の肩を叩きながらくるりと背を向ける。
その足がすっと動いたかと思えば、あっという間に姿は遠のいていった。
「クリュウ」
「なに……?」
ふとスイが呟いたのに、クリュウは不安そうな面持ちのまま顔をあげる。
「お前はピュラたちと一緒にいてくれるか」
その本意は、いざというときに彼女たちを守れという意味か、それともヘイズルに一人で立ち向かいたいという意志か――、
しかしクリュウはどちらにしろ、スイの瞳に垣間見える悲愴さに断れるはずもなかった。
「うん、わかったよ」
「すまない」
「ううん……」
階段を下っていくと、いささか広めに作られた地下道に出る。
「わあ、すごい……」
セルピが辺りを見回して呟いた。
あちらこちらの部屋に伸びているだろう枝分かれした道がそこから続いていた。
一本線で奥まで直結しないのは万が一攻め込まれた時の為だろう。
ふとその道の一つを見ると、奥から誰かが歩いてくるのが見えた。
どうやらリエナたちの仲間らしい、剣士風の青年だった。
「あ、リエナさん。お疲れ様です」
軽く会釈をした後に、ピュラたちに軽く視線を投げた後、また彼の目的のままに歩いていく。
「ここにはどのくらいの人がいるの?」
「仲間は総勢でいったら100人はいるよ。外回りもいるから実際には50人程度しかここにいないけれどね」
細い道の一本に入って歩いていく。
中もまた石畳になっていて、地下であるがためにいくつも灯りが灯されていた。
見るからに随分前に作られたような地下室だ。彼らはそんなに昔からこの活動を続けていたのだろうか――。
「スイ、この横の道を行った突き当りにヘイズルがいる」
「……ああ」
「私たちはそこに見える部屋にいるから、終わったら来るといい」
スイは小さく頷くと、踵を返してヘイズルのいる部屋に向かった。
クリュウはピュラの方に行って、心配そうにその後姿を見送る。
小さく足音を響かせながら進んでいく彼は、一度たりとも振り返ることをしなかった。
いや、振り返ることが出来なかった……。
後ろの者たちが違う道へと歩いていったことを背中で感じながら、スイは一歩一歩前へ進む。
地下のひんやりとした空気だけが、重く横たわってそこにあった。
そんな中、何処までも続くようにも錯覚する道を歩いていく。
彼は、顔をあげた。
不思議と、体は震えていなかった。
――既に打ち震えることすら心の中に閉じ込めてしまったのか……。
突き当たりの扉を、静かに開いた。
木製の扉は、いとも簡単に開かれた。
中に一歩足を踏み入れる。
まるで空気に見えない壁ができたように、歩くことに抵抗を感じた。
そうして、目の前を、見る……。
「よぉ」
奥の影が、揺らめいた。
ランプに鈍く照らされて、口元の笑みが一層際立つ。
黒に近い深緑の髪と、栗色の瞳。
歳を感じさせない空気をまとい、そうして周りを圧倒する――。
――ヘイズル・オルドスは片手をあげてスイを迎えた。
スイは後ろ手で扉を閉めて、資料がどっさりと詰まれた部屋を歩く。
恐らくは広い部屋なのだろうが、武具や資料や本などにすっかりその大部分を占領されてしまっていた。
「お互いに生きてるなんてな、まるで奇跡だ」
「……ああ」
淡々と返すスイに、ヘイズルは椅子から立ち上がってその姿を見つめる。
「変わってないな、お前も」
「……」
「あの正義感の欠片もなくて私利私欲の為にしか働かない男がこんな真似事をしてるなんてな、想像もつかなかったろ」
その距離、3メートル。
ヘイズルは覚えていた、はじめて彼に会った日のことを。
あの日もまた、彼は3メートル離れたところでじっとこちらを無言で見つめていた。
何が起きても対処できる距離を開けて、しかしその表情はかたくなに何を現すこともなく――。
――そう、スイのその姿は、数年前から何一つとして変わっていなかった。
***
「スイからどこまで聞いているんだい?」
「えっと、あの人がクォーツって――あの孤高の銀髪鬼の義理の弟だってことだけだけど?」
「ならスイがこの町でどうしていたかは何も知らないんだね。まずはそれを語らなくてはいけない」
リエナは巻きがかった金髪を少々うっとうしそうにかきあげた。
まるで宿屋のような部屋だ、寝泊りが出来るように毛布が何枚か積み重なって、壁には棚、そして部屋の中央に机がひとつ。
クリュウはじっと黙り込んでテーブルの上に座っていた。
――それはピュラの最初の問いかけだった。
なぜ、スイがこの場に呼ばれたのか。
そしてこの場で何を求められているのか。
その問いに、リエナはゆっくりと語りだす。
この町に生きていた、スイ・クイールという一人の少年の物語を――。
「スイが実際に何処から来たのかは分からない」
そのくだりから、話は始まった。
ゆっくりと流れるように彼女の唇が言葉を紡いでいく。
「ただ、いつだったかクォーツが突然どこからか拾ってきた子だった」
きっと親を失った孤児だったのだろうと彼女は呟いた。
「でもあの二人は本当の兄弟のように似ていたよ。きっとクォーツもスイのあの雰囲気に自分を重ねて拾ったんだろうね」
「あなたもこの町に住んでたのよね?」
リエナは軽く頷いてみせる。
「クォーツとは仕事仲間だったよ。奴は小さい頃から無口で人嫌いで、それでいて有名人だった」
ふっと脳裏をあの噂が駆け抜けた。
いつしか世界のいたる場所で語られることになった、孤高の銀髪鬼の物語――。
――彼の目は人を寄せ付けぬ鋭い瞳。
――数多の仕事仲間の中ではもちろん、彼と同じ街の者でも、彼と親しい者は数少なかったという。
「それで、スイはその日からクォーツに剣術を習い始めた。それはもう年がら年中、朝から晩までね。恐らくそれはスイの意志だろうけれど――」
「っていうことは、スイの剣術は」
「クォーツ譲りの人間離れした技だったよ。何度かクォーツの仕事にくっついてきていたことがあって、私も共に戦ったことがあるけれど、芝居でも見ている感覚だったよ、あの二人の剣技はね」
そこで怪訝な顔をしたのはセルピだった。
「え、でも『孤高の銀髪鬼』って……兄弟って話は全然聞いたことないよ?」
「……」
リエナは何かを言いかけて、一度、切った。
そして、瞳の色を揺らめかしながらまた口を開く。
「そうだね、あのまま行けばあの二人は兄弟として、きっと名の知れることになったに違いない。だけれど――」
心に風が吹き込んだ。
抑揚もなく単調で、それでいて淋しく研ぎ澄まされた声……。
「なぜだか私にもわからない」
クリュウは誰にも気付かれずに、そっと瞳を閉じる――。
「スイは、14歳のときに突然……剣を捨てたんだ」
ピュラの瞳が僅かに引き絞られた。
「……え、捨てたってことは、戦わなくなったってこと?」
「そうだね、ずっと町にいるようになった。一切魔物討伐や盗賊殲滅に来ることがなくなったよ」
そして、その後に、クォーツがかなりの強敵と言われた魔物を一人で討伐したのをきっかけとして彼の名前は広がった、とリエナは加える。
「完全にスイは影に隠れちゃったのね、噂にもならないくらいに」
それはまるで、強いひかりにかき消された小さな影。
「スイも無口で、あまり人との接触がなかったからね」
脳裏に小さな影が掠めるようにして映る。
町に一人取り残された、迷い子のような面影。
少年の名はスイ・クイール。
最強の剣士の技を継いだというのに、その手から剣を捨て――。
一体彼はこの町でひとり、何をしていたのかと思う。
人間にとって暇ほどの苦痛はないといわれている。
そんな数年に渡る時を、どのように過ごしたのだろうか?
華やぐ町並み。人の笑い声。
たわむれる子供たち。賑やかな露天の数々。
それらと関わることもなく、ただ暗がりに隠れて――。
「そうして、この町は、スイが16のときに……燃えた」
「どこからか軍が流れ込んできたって聞くけど……」
セルピが言い終わる前に、リエナは吐き捨てるように遮った。
「は、そんなのは嘘に決まってるじゃないかい」
言葉がみるみる強いものに変わっていく……、
その瞬間、彼女の瞳に爆発的な憎しみが宿った。
貴族への憎悪――、抑揚のない中に見えた険しさがその猛烈さを物語っていた。
彼女のその存在全てが、冷たく激しい感情を露にする。
そして、鋭くとがった言葉が静かに紡がれた。
「結局は貴族同士のいがみ合いだよ」
レムゾンジーナ自体、歴史の古い町ではない。実際、この町は約80年前に僅かな人々によって作られた町だという。
この町には成金貴族と呼ばれる者たちが大人数暮らし、町のいたるところにまでその幅をきかせていた。
成金貴族、それは元は平民だったが仕事に成功し大金を得た者の俗称だ。
そしてその町は思いもよらぬほど山と海の幸に恵まれ、また近くに鉱山もあった為に民は豊かになる一方だったという。
町は爆発的な勢いで発展していったのだった。
もちろんそれを気に入らないのは有名な貴族たちだ。
蔑むべき庶民などに力を得られてしまうのは、不都合でしかなかった。ウッドカーツ家さえもがこの町を気にかけていたという。
金に目がくらんだ成金貴族たちはみるみる肥えていき、元々いた他の貴族たちを罵倒するまでになったのだった。
彼らは皆自らの手によって金を手に入れただけの才能を持っており、頭もよかったから他の貴族たちが口で太刀打ちなどできるわけがなかった。
そうして、成金貴族たちは、ついに武具の不正流出を謀った。
鉱山から取れる良質の鉄鉱を使い、禁じられている重火器系の武器開発を独自に行い、貴族たちにそれらを流したのだ。
ウッドカーツ家の政策の根本的にあるものは、他の貴族たちに力を与えないことである。
そうすることで下級貴族たちの下克上を300年も免れることが出来たのだった。
だから、下克上を求める武具を持たない下級貴族たちはこぞって彼らと取引をした。
「上級貴族たちは、これをどうにかしなければならないと思った」
そうして、その決断が。
「――だったら、町を全て焼いて、全てなかったことにすればいい、そう考えたんだよ」
「そんな……!」
セルピが小さな声で呟く。
静かにリエナは笑みを漏らした。
自嘲と、憎しみと、貴族への軽蔑と――、そんな負の笑い顔だった。
「ちまたでは反乱軍とか盗賊とかがこの町に襲ってきたといわれている。だけれど、本当にこの町を襲ったのはウッドカーツ家、そしてそれを鎮圧したのもウッドカーツ家」
一瞬、声が震えているようにも聞こえた。
「奴らは猿芝居をしながら、この町の住人を皆殺しにしたんだよ」
一晩にして完全なる廃墟となった町。
ふつふつと湧き上がる怒りに、リエナの拳が僅かにわなないていた……。
ピュラはじっとその場に座ったまま、声に耳を傾けている。
何を考えているのだろうか、その瞳はリエナに向けたまま離れることはなかった。
「だけれど、一つ問題があった。それがクォーツ・クイールの存在だよ。貴族の依頼でも何一つ文句も言わずにやってのける彼だけは、殺したくはなかったらしい」
吐き気が、した……。
クリュウはただただ唇を噛んで、真実が語られるのを聞くことしか出来ない。
スイにその話を聞いたときも――あまりにそれが淡々と語られるのに、息が詰まったというのに。
リエナによる憎悪と怒りが生み出す言葉たちは……ひたすらに痛い。
「だから彼に仕事を依頼した。あの夜に町を離れてもらえるようにね……、簡単な魔物討伐だったらしいよ。その時に一緒だったのが、ヘイズルと、ハルリオという男」
「ハルリオ?」
ふとピュラは聞き覚えのある名前を繰り返した。
そうするとリエナもまた意外だったように驚いた表情になる。
「ハルリオを知っているのかい?」
「ええ、スイの友達、でしょ? 旅してるときに一度会ったけど……」
途端にリエナの顔がその険しさを増した。
「そう、友達と言ったんだね……」
「ハルさんも――、この町に来ていたの?」
「来ていたもなにも、奴はクイールのたった一人の相棒だよ」
「え……?」
セルピは不可解そうに小首をかしげる。
「でも、『孤高』の銀髪鬼が相棒、って……」
「そうだね、相棒という言葉は似合わないかもしれない。けれど、貴族の仕事は基本的に二人以上で取り組むのが普通なんだよ。クォーツもハルリオもお互い一人で戦うのを好む人種だったから、それぞれ勝手に戦える分、よく二人で仕事をしていた」
「それで」
ピュラはもう一度口を開いた。
その瞳は、ただ目の前の現実を求める――。
「それで、その夜、クォーツ・クイールはどうなったの?」
リエナもまた、冷めた瞳でピュラを見据えた。
双方譲らぬ強さを持った視線が、かち合う。
「――噂と同じだよ。奴は炎の中に飛び込んで行った」
――知らせを受け、すぐに戻った彼の目に映ったのは目が痛くなるような橙色の炎。
――赤でもなければ黄でもない。
――深い、深い、橙色。
「もちろんスイを助けに、ね。だから――」
瞳の奥に映る炎の舞。
あまりにも静かに、全てが奪われてしまった、全てが欠落してしまった、あの夜のこと……。
――仲間の制止さえ振り払って、彼はその街に飛び込んだ。
――そして……、
「その後の話は、今となってはスイしか知らない」
「それじゃ、クォーツの生死はまだわかってないのね?」
「大体の予想はついているけれどね」
リエナはすっと目を細めて、その視線を横の扉へと向けた。
「きっと今頃、ヘイズルがそれを聞いているよ」
***
それは穏やかな緊張だった。
そして、なによりも残酷な緊張であった。
それがヘイズルの持つ天性の才能、底知れぬ恐怖を与える静かな雰囲気。
張り詰めているのか、そうでないのか――それすら分からないこの空気は、彼独特のものだった。
「……聞きたいことが沢山あったんだがな、あれこれ考えて全部一つにまとめてやったぞ。感謝してくれ」
心だけが縛られて引きちぎられる。
そうすればおのずと体もまた、自分のものでなくなったかのように不快を覚える。
部屋は、それ以上ないほどに静かだった。
昔から顔に似合わず出嫌いで読書家でもある彼の部屋はすっかり本にまみれ、じっとりとこもった空気が部屋中に重くのしかかっている。
ヘイズルは相変わらずの不敵な笑みを浮かべたまま、言葉を続けた。
「別にあの夜のことを詳しく説明しろとも、お前の旅の理由も聞きゃしないさ。ただこれだけ、真実を一言……な」
ぴくりとも動かずに佇むスイに向かって、問いが放たれた。
全てが込められた、問いだった。
「孤高の銀髪鬼クォーツ・クイールは、――死んだのか?」




