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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
五.眠れる古代都市
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059.ライト・オペラ



 ひとつひとつ絡まっている糸がほどけていくように、短い混濁が解けた。

 うたた寝から目覚めたときのように、ぼんやりと意識が戻ってくる。

 ……そして、頭の中で大太鼓が鳴ったかのような痛みも同時に。

「ぅっ、……ぁつつつつ……」

 痛みを感じる神経が正常な働きを始めたところで一気に訪れた激痛に、思わず頭を抱えてうずくまる。

 そうしてしばらくクリュウは額の痛みに耐えることに全てを注いでいたが――、ゆっくりとここまでの経緯を思い出す。

 たった一瞬の出来事だったか。

 セルピが罠にかかって、地下に落ちて。

 穴がしまるぎりぎりのところで……、

「ピュラ……」

 恨めしげにそう呟いた。

 呟くことしか出来ない自分が情けなかったが、どうしようもなかった。

 それに、セルピを一人にするよりはいい結果になったと思う。ピュラの判断は正しかったと言えよう。

 ただ……。

「もうちょっと手加減して投げてくれないかなあ……」

 投げるのではなくて口で指示すればよかったのに、と思いつかないところがクリュウらしかった。

 視線を横に向けると、自分と同じように目を回しているセルピを発見する。

 きしむ額をさすりながら近付いて、軽く肩をゆすった。

「セルピ、大丈夫?」

「うにゃ……」

 彼女の眉間にしわがよって、むにゃむにゃと口の中で言葉が漏れる。

 言葉の連なりは何を言っているのかわからなかったが、しばらく聞いているとなんとなく言っていることが理解できた。

「にゅ……もう食べれないよぉ……」

 ――きっとこの少女は殺されても死なないと、妖精は内心で確信した。

 とりあえずもう少し寝かせておくことにして、あたりの様子を探る。

 妖精独特の長く大きな耳をぴんと張り、周囲の気配を探ったが……、何の物音も捕らえることはなかった。

 随分下まで落ちてきた気がする。そう思って上を見上げた。

「…………うわぁ」

 思わず、そこが地下であることすら忘れてしまっていた。

 天井が見えない。それはずっと先のぼけた先にある。何本も立っている太い柱が圧倒的な存在感を持って突きのびていた。

 自分たちはそこに通じる横穴から落ちてきたらしい。壁にぽっかりと黒い穴が空いて、斜め上へと続いている。

 クリュウだけだったら穴を伝って上に行くことができそうだったが、セルピに登らせるのは無理そうだった。

 そもそも、もし頂上までいけたとしても、ピュラたちといた部屋への蓋はしまってしまったわけだから、どのみちあの部屋に戻ることが出来ない。

 やはり二人で出口を探すしかなさそうだった。

「……それにしても」

 クリュウは、思う。

 本堂ではないと聞いたが、思っていたよりもずっと綺麗で確立された光景だった。

 辺りは太陽の光すら届かない地下故に、いくつか灯りがついている。

 その一つに近寄って調べてみると――、なにかの科学的な仕掛けがしてあるようで、その灯火が終わる日は来ないように思えた。

 そう、その光は魔法の光ではないのだ。

 ――ミラースがはじまる前の、全てが科学によって成り立っていた時代の遺産……。

 おそらくそれらが数多くここに眠っているのだろう。人に触れないように、しかし歴史から消えないように。

「う……うにゅ……?」

 背後から声がして振り向くと、セルピが後頭部をさすりながら起き上がるところだった。

「うぅ~~いたい……あれ、ここどこ……?」

「あ、セルピ」

 はじめ彼女はぼんやりとしていたが、しばらくすれば状況がわかってきたのか大きな目をぱちぱちと瞬かせる。

「あれ、ボク、穴に落ちちゃって……?」

「うん、こんなところに出てきちゃったんだけど……」

 セルピは辺りを見回して、たちまちその広さに驚きの声を漏らした。

「わあ……、すごい広間。こんな広い部屋なんて見たことないや」

 ぱんぱんと服をはたいて立ち上がる。

「随分下まで落ちてきちゃったみたいだから、とにかく上にあがらなきゃいけないんだろうけど」

 地上、つまりこの天井の上まで行かなければならないと思うと、自然にクリュウの喉を溜め息が通る。

「とにかく歩いてみようよ」

 セルピは辺りに出口らしきところがないかどうか見回しながら、壁伝いに歩き出した。

 かつん、かつん、と石を靴が叩く音がどこまでも響いては跳ね返る。

 壁に触れると、ぱらぱらと砂が零れ落ちてその時代の古さを感じさせた。

 そんな壁を見ていて、セルピは不意に足を止めた。

「……あれ、」

「どうしたの?」

「この壁……」

 なぞるように手を動かす。

 その手の軌跡通りに砂がぱらぱらと落ちて、彼女の手を汚した。

 しかしそれも構わずに、セルピは壁を食い入るように観察する。

「……文様?」

 それに気付いたクリュウが呟いた。

 明らかに壁は一色ではない。最初は汚れかと思っていたが、しっかりとした色がついている。

「ううん、文様っていうよりも……」

 セルピは手を離して何歩か後ろにさがった。

 クリュウも続いてセルピのところまで行く。

 そして壁を見て……愕然とした。

「……これ……っ!」

「やっぱり壁画だね……」

 それは、壁一面にぶちまけられたように描かれた巨大な絵。

 否、それを巨大という一言で済ますことは出来ないであろう。

 何千……いやもっと、気の遠くなる時間を経て多少色あせてはいたが、その存在感は絶大だった。

 ぼんやりと灯火に映し出された絵の数々。

 橙がかった壁には、高く高く目の届かない場所にまで古代の人間が描いたであろう壁画が刻み込まれていた。

 思わず言葉を失ってその光景に見入る。

 何を表現しているのだろうか。人や動物、魔物、草木に花々、太陽、雲、月、大地、海、空、風、雨、星、――天使、そして神……。

 上下左右にのびた壁画は永遠に続くような感さえ覚える。

「……文字が彫ってあるね」

 セルピがもう一度壁に近付いて、羅列された文字を見上げた。

 クリュウはその文字のところまで飛んでいって、目を細める。

 丁度人が見上げられる程度のところに、長い文章が刻まれていた。

「なんだろう、古代文字かな……?」

 見慣れない文字にクリュウは眉をひそめる。

 そんなときだった。

「すべては神々の娯楽からはじまった」

 クリュウは思わず振り返ってセルピを見下ろす。

「……神々の住まわれる地、全てが幸福に包まれた地にて、神々はそれぞれの世界を作り出し、思いのままに支配し、そしてその営みを楽しんだ」

 まるで歌のような音の連なり。

 ぽろぽろと竪琴から零れる音色のように、少女の唇が言葉を紡ぐ。

「セルピ、読めるの……?」

 彼女は頷くと、文字を小さな指で指してみせた。

「習ったことがあるんだ、古代文学の解読。難しくて単語くらいしかわからないんだけど……」

 声はいくつもいくつも反響して、また同じくらいにぶれて耳に届く。

 その大きな泉色の瞳に映るのは橙に染まる文字と、そのひかり――。

「これ……、聖典エリシュと同じことが書いてある気がする。聖典の文章は暗記するほど読んだから」

「……ってことは、この壁画も聖典エリシュの?」

 セルピはしばらく沈黙してから僅かに頷くと、……ゆっくりと続きを語り始めた。



 ***



「………」

「………」

「……」

「……」

 …ピュラは、本日何度目になるかもわからない溜め息を漏らした。

 無論、スイに気付かれないようにしていたが……。

 別になにかがあったわけでもない。喧嘩などスイの性格からしてありえないのだから。

 ピュラは思った。……全力で思った。

(会話がないわ……)

 足音しか聞こえない沈黙に、完膚なきまでに打ちのめされていた。

 元々彼女自身、二人以上の旅をするときに完全に会話のない連れなどと連れ添ったことはない。

 これが一人旅だったら問題ない。自分のペースで好き勝手にやっていけばいいのだ。

 しかし数ヶ月前から彼らと連れだつようになってからは、数十分も会話が途切れることなどなかったのだった。

 仲間がいればそこに会話がある。まずセルピが話題の元になるし、クリュウもよく口を挟む。

 だが、この男だけは圧倒的な説得力をもってして沈黙しているのみなのだ……。

 二人で並んで歩いているのに、会話がない。

 ここで適当に話を振ろうとも、『そうか』の一言でばっさりと切り刻まれてしまうのが目に見えていた。

 誰もいない石の通路を、ただ沈黙だけを守って進んでいく。

 ……正直、気まずくていたたまれなかった。

 なんだか歩いていても普段の7倍ほど疲れてくる気さえする。

 ピュラは、考えた。

 ……そしてふと浮かんだことを、あまり深く考えずに口にしていた。

 あまり頭の中で吟味しているよりは、とにかく早くこの痛すぎる沈黙から脱出したかったからだ。

「スイ、しりとりしましょ」

「ああ」

 これで何の疑問も持たずに了解するスイの奇特さをピュラは改めて再確認する。

 ここまできては退くこともできずに半ばヤケクソになって言葉を続けた。

「私からいくわよ。……じゃ、そうね、スイのイからいきましょ。……イカ」

「……乾燥魚」

「……なす」

「……砂埃」

「り……、利子……」

「……湿気」

 一言いうごとに気温が一度ずつ下降していくのを感じた。

 凍えるほどに、寒かった。寒すぎた。

「どうした?」

「……スイ、しりとりはちょっと中断しましょ」

「そうか」

 ピュラは、いつかこの男が焦る姿を目にする日がくるのだろうかと一瞬考える。

 しかしそれが一瞬だったのは、そんなことはありえないと彼女の思考が瞬間で判決を下したからだろう。

「……っあ~~~!!」

 ついに彼女の脳内の一部がショートして、ピュラは豊かな髪をぐしゃぐしゃとかきまわす。

「どうかしたか?」

「誰のせいだと思ってるのよ誰のせいだとっ!」

「俺のせいか?」

「あんたを除いてこの場に誰がいるっていうのよーー!!」

「そうか」

「このスットコドッコイミラクルバカッ!! あんたはね、そうかそうかで会話ぶちぎるからいけないのよ!」

「そうだな」

「それも口癖! だからね、もっと会話を繋げる努力しなさいっ! 黙ってたっておもしろくないでしょっ!?」

 びし、とスイの鼻先に人差し指を向けてピュラは胸を張った。

 そうしてみても、彼女は高い位置にある彼の瞳を見上げていたのだが……。

 普段思っているよりも背が高いのだと改めて感じていた。

「――そうかもしれないな」

「そうよ! うーん、あんたの場合はね、……そうねえ、どうすればもっとフレンドリーになれるかしら」

 自分の口に手元をあててピュラは考え込む。

 うんうん唸るその姿に、ふとスイが過去の情景を重ねていることに気付かずに――。


 夕焼けの情景。

 橙色の眩しいひかり。

 焼け付くような、それでいて優しい最後のひかり。

 眉を潜めて必死で考え事をする、隣に座った少女――。


「ウサギの着ぐるみ着て雰囲気だけでもフレンドリーにするとか」

 ピュラは言ってから、自分で想像して気持ち悪くなっていた。

「――ああ」

「く、口調を変えるのが先決ね。そうだ、『俺の名前はスイだぞコラ!』とかそういうセリフを口にすればいいのよ」

「……俺の名前」

「わーー棒読みで言うんじゃないわよっ!!」

 ピュラは慌てて彼の言葉を遮る。

 そういえば、こうしてもスイは一度たりとも文句を言ったり顔をしかめたりすることはない。

 全て――全てを受け入れる、そして流す……彼はそういう人間なのだということに、彼女は気付いているのだろうか。

「もっと感情を込めるのよ。そう、感情よ! 音の大きさを変えるとか、もっと心を込めて言葉を発すればいいの」

 ぱちん、と手を叩いて笑う。

 いつもの気高さが不意に消える、遊び盛りの少女のように――。

「ナイスアイディアよ。よし、さっそく実行!」


 ――そうよ、あなたっていつも能面で言葉棒読みだから。

 ――もう一歩だけさ、踏み込んでみてもいいじゃない?

 たん、たん、と石畳を蹴って。

 振り向いて、笑う……。


「ちょっとスイー? 聞いてる?」

 ふいにあった焦点に映ったのは、彼女の手の平。

 緋色の髪。炎のような瞳。

「……ああ」

「大体ね、あんたは目の前の出来事を傍観しすぎなの。ほら――、」

 そう言うと共に、ぐい、と彼の腕を引っ張る。

 ……一歩だけ、互いの距離が近付いて。

 目の前に、少女がひとり……。

「もう一歩踏み込んで話してみなさいよ。ま、最近はちゃんと目を見て話すようになったから、それだけでも進歩だけど?」

 少々呆れたようにくすっと笑ってみせた。

「……ピュラ」

「んー?」


 今はもういない人。

 もう会うことができない人。

 どれだけ血を吐くような思いをしても。

 どれだけ自分を責めこんで傷つけても。

 そして、目の前にあるのは変わりのない、光景……。

 あのひとに、よく似ている……。


 ――彼女はフレアの代わりですか?


 頭に杭が刺さったように、体中に杭が刺さったように。

 一瞬だけ、彼女の笑顔を見るのが痛くて仕方なくなる――。


「……楽しいか?」

 ぼそりと、そんな一言がした。

「――――はぁ?」

 数秒の沈黙の後、彼女は素っ頓狂な声で返す。

 ピュラの方を向いたスイの瞳は奥が深く――。

 辺りが薄暗いせいもあってか、普段よりもずっと暗い色に見えた。

 そして、彼女の怪訝そうだった顔がみるみる怒気をはらんでくるのには、数秒もかからない。

 一気に怒りのボルテージが頂点まで達した彼女の顔が、おもしろいくらいに赤くなっていた。

「あのねえ! あんたのために色々と考えてあげてるんだから感謝のひとつくらいしなさいよねーっ!!」

 声が石の回廊の奥底まで響き渡る。

「ちゃんと礼儀ってものをわきまえなさいっ! わかった!?」

 耳元のピアスが揺れてちらちらと光を放っていた。

 生という力をいっぱいに撒き散らす、彼女という娘。

 確かに見ていることは辛いのかもしれないけれど……。

 そこに、救いという言葉も、確かなものとしてあるのかもしれなかった。

 スイはその顔をしばらく見つめ――、

「そうだな……」


 ――――。


 彼女の瞳がゆっくりと、しかし確実に見開かれた。

 唇が僅かに開いて何かを紡ごうとするが、乾いた喉がそれを許さない。

 固まったままじっとスイを見上げる姿に、彼の方が怪訝な顔をしてしまったくらいだった。

「どうかしたか?」

「あなた、いま――」

 呆然と呟く。緋色の豊かな髪が、揺れる……。





「…………笑った?」





 お互いを見つめたまま、長い沈黙が落ちた。

 どこまでも続くような石造りの回廊。

 灯火に照らされた影だけが、長く深く、伸びる……。

 全てが絵になったかのように動くことを忘れているように見えた。

 そして、それを破ったのは、彼女の方だった。

 半開きだった口元がゆっくりと笑みの形に変わって、次第に肩が震えだす。

 喉が小さく鳴ったかと思えば、彼女は吹きだしていた。

「ぷっ……あはははははっ! なーんだ、あんたも笑うことできるのねー! そうそう、そうしとかなきゃ顔の筋肉が消えちゃうわよー」

 ぴょん、と小さく飛び上がって首を傾げる。

「そうね、そうやって笑ってればもっと近寄りやすくなるわよ。はい、よくできました~」

 いいながらスイの紺碧がかった髪をわしわしと撫でた。

 しばらくその運動を続けていると……、沈黙したままのスイに首を傾げる。

「なによ」

「……まさか年下に頭を撫でられるとは」

「悪かったわねっ!」

 ピュラはスイの髪が逆立つまでかきまわしてやった。

「ほらっ、先行くわよ先!」

「ああ」

 何歩か先をすたすた歩いていくピュラの後にスイが続く。

 ふとスイは、無意識のうちに口元に手をやっている自分に気付いていた。



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