042.妖精と人間と・前
『罪人のにおいがする』
――辺りは、いつのまにか静まり返っていた。
さきほどまでどこかしらで聞こえていた風の音も、全て、ない。
「……」
ピュラは無言でセルピとスイを交互に見た。
セルピはただ首を傾げるだけで、スイは相変わらずの無表情。
一体、何が罪人だというのだ――?
「きっと僕のことだよ」
つい、とクリュウは飛んでピュラの前まで来た。
僅かに寂しさが入った顔で、笑ってみせる。
「精霊がでてきて、罪人がどうとかいってるんでしょ?」
「いってるんでしょって……あなた、」
――その言葉より先に、彼は、言っていた。
「僕には精霊の姿も声も、見えないし聞こえないんだ」
ピュラは、押し黙った。
呆気に取られて、なにからどう聞いていいのかわからなかったからだ。
「……クリュウ?」
セルピが名前を呼ぶと、クリュウは振り向いてまた笑った。
「別に隠すようなことでもないし、スイにはもう言ってあるし、……話すよ。朝言ってた、長い話」
「クリュウ」
「大丈夫」
いいかけたスイの言葉をさえぎるようにして、クリュウは根の一つに腰掛ける。
精霊たちのほのかな光に反射して、羽根が七色の煌きを宿していた。
樹は天に届くかと思うほどにその枝を葉を広げて――。
――彼は、静かに目を閉じた。
背後に巨大な樹を置いたその光景は、きっと絵になってもおかしくないだろうと思うほどに雄大さを思わせる。
静かに静かに、精霊たちが無言で見守る中でクリュウは言葉を紡いだ。
「僕は、精霊界を追放された身なんだ。だから、他の妖精も精霊も、見ることも感じることもできない」
――。
……。
暫く、沈黙が辺りを支配した。
否、その言葉を理解するのにそれだけの時間がかかったということか――。
それでもクリュウは笑んでいた。もうその現実に慣れてしまったかのように。
「僕たち妖精は、確かに精霊に属する種族なんだけど、その中でも少し特殊なんだ。人間に近い、っていえばわかるかな。妖精には身分があって、法がある」
声に上擦りはまじらず、しっかりとその場に通る。
まるでこの森に物語として聞かせているかのように……。
「なんでそうなのかは、これも法で禁じられてるから言えないんだけど――。でも法っていっても、難しいことじゃないんだ。ごく当たり前のことで……、」
彼は一度、左手首にはめてある腕輪に目を落とした。
「僕は、その法を破ったんだよ」
「法を破った……って、なにをしたの?」
まさかクリュウのような性格のものが法を破るはずがないだろうと、ピュラは首を傾げる。
クリュウは小さく頷いて見せた。
「その説明が、長い話になるんだ」
例えクリュウの方から見えなくとも、精霊たちからクリュウの姿は見えているらしい。
精霊たちはその大きな瞳でクリュウをじっと見据えている――。
「僕がまだ妖精の森にいた頃、人間なんて会ったこともなかったときにね――、」
――物語が、紡がれ始めた。
***
――あのときは、なにひとつとして知らなかった。
ずっとずっと、森に守られて外との交流を断って生活していて。
争いもなければ、不穏もなかった。
そんな場所にぬくぬくとくるまれて、現実を何も知らなかった……。
妖精たちが住むトリロの森は、フローリエム大陸の中央付近にある深い森であった。
彼ら妖精には、他の精霊と違って組織的に活動する傾向がある。
まず一族を取りまとめる女王、その配下の者たち、そして一般の妖精。
一般の妖精たちは森に村をつくって住み、日々を暮らしていた。
クリュウもまた、その輪に入っていた一人だった。
五年前、運命の日までのこと、だったのだが……。
春のとある日からのことだった。
彼が、はじめて人間と関わりをもったのは。
「ティントー、もう帰ろうよ……」
「えー、もうちょっとだけ」
「だって人間だよ? 人間っていったら、武器を持って、エルフを狩りに来るんだって皆言ってたじゃないか」
「私たちは妖精だよ。それにね、人間っていったっていい人間もいるんだよ」
「でも、こんなとこにいるのが見つかったら怒られるよ……」
「クリュウ、お願い。きっと会えばクリュウも仲良くできるはずだから。もう少しだけ、ね?」
「もう……」
深い森の中、二人の小さな妖精が群れから外れてたむろしている。
「もうすぐ来るはずなんだけど……あ、来たよ!」
ぴん、と少女の姿をした妖精の耳が張って、その顔に笑顔がこぼれた。
ティント。まるで妹のようだった、妖精の少女――。
本来なら一般の妖精たちは有事の時以外に結界の外にでることを禁じられている。
しかし彼女らはこっそり抜け出してきていたのだ。
「妖精さん、今日はいるかな?」
唄うように言いながら歩いてきたのは、まだ10歳にもならないような小さな少年。
きょろきょろと辺りを見回している瞳に溢れるのは、子供特有の好奇心。
そう、彼はほかの人間とは少し違う友人をもっていいたのだ……。
「こんにちは」
「わ、妖精さん! こんにちはー」
木陰から姿を現したティントに、少年はぺこりとお辞儀をする。
「今日は友達を連れてきたの。クリュウ、ほら、でておいでよ」
「う、うん……」
目の前に人間がいるということが生まれて初めてのクリュウは、しどろもどろしながら草陰から姿を現した。
外界と交流を断った妖精にとって、人間と関わることは慣れない行動であったのだ。
ティントは少し前からその少年と交友があるらしく、物怖じすることはなかったが、クリュウは不安に唇を噛み締める。
子供とはいえ、自分よりも何倍も大きなその姿に完全に圧倒されていた。
「妖精さん、はじめまして。僕はアッシュ」
「あ、えーと……クリュウです……」
「もう、そんなに緊張しなくていいのに。アッシュ、お腹減ってない? 近くにおいしいリンゴの樹があるの」
「ほんとうにっ?」
ぱっとアッシュの瞳が輝く。ティントも負けじと笑ってみせた。
「こっちよ。行きましょ? クリュウ、なにさっきからぼーっとしてるの。」
「う、うん……! 行かなきゃね」
「クリュウ、ちょっと待って」
「え?」
「……そっち、行き先とは反対方向だよ?」
「……」
「……」
「あっ……ご、ごめん」
「全くなにやってるの。アッシュ、もうクリュウなんて置いていきましょっか」
「う、うわっ! 待って待って!」
「妖精さん、そそっかしいね」
「……」
「クリュウ、泣かないの」
今思うと、本当に懐かしい。
出会いは小さな罪悪感と共に、不思議な感覚を与えてくれた。
初めての人間、というもの――。
それが人という種族全体の一部でしかないことに気付くには、彼はあまりにも幼すぎて。
素直に好奇心が持てなくとも、興味は沸いていた。
アッシュという少年は、つい最近に母親を失って、借金を返しながらなんとか生きている、なんでもない普通の少年だった。
そして、人間といえばいつも戦争をしているものだとばかり思っていた彼らにとって、その少年の存在は新鮮だった。
「お父さん、今日も飲んだくれてるんだ。夜に何度も借金取りがくるし……」
少年はリンゴをかじりながら、唯一の友人である妖精に悩みを打ち明ける。
ティントに聞くところによると、数週間前に借金取りから逃げて森にかけこんだ彼を見つけたのが、付き合いの始まりだったという。
「大丈夫なのかな、これから……」
「アッシュ、大丈夫じゃなくなったらいつでも頼ってよ。私たちでできることなら、力になるよ」
「うん、ありがとう……」
小さな少年はこくんと頷いて、またリンゴをかじった。
「いざとなったらクリュウが盾になって守ってくれるからね」
「そ、そんなー! あんな大きな人間となんて戦えないよっ」
「でもでも、妖精さんって魔法使えるんでしょ?」
「そうよ。クリュウは特に魔法が得意なんだから。」
まるで自分のことのように自慢するティント。対してクリュウは情けない顔で俯く。
「う……で、でも、大人の人間ってすごく大きいんでしょ? 魔法だって使える人もいるって聞くし……」
「もう、いじいじしちゃって。アッシュの方がよっぽど大人だね」
「うー……」
「でも、そう言ってくれると嬉しいな。妖精さん、ピンチの時に助けてくれるんでしょ?」
「う、うん……努力するよ……」
正直、そのときは人間というものがわからなかった。
どう接すればいいのか? どう話しかければいいのか? なにが失礼に値するのか? どうすれば喜んでくれるのか?
初めて出会った人間に抱いたのは、疑問……。
しかしそんなクリュウの想いをよそに、少年はふいに柔らかく笑いかけたのだった。
そして、訪ねたのだ。
「クリュウは、人間が好き?」
「え?」
「だって妖精さんは他にも沢山いるでしょ? なのに皆隠れてる。だから、皆、人間のことが嫌いなのかなーって」
「……」
「私は好きだよ。だって戦争ばっかしてるわけじゃないもの、アッシュみたいな子もいるんだから」
ただ漠然と、法に従って生きてきたクリュウは、ティントのように即座にその問いに答えることは出来なかった。
人間とはどういうものなのか、何も知らなかったのだ。
潜在意識の中で知っていることといえば、戦争をする、殺し合いをするということだけ――。
「……僕も、好きだよ」
答えが見出せないまま、彼は答えていた。
「僕も……人間が好きだよ」
嘘なのか本当なのか、自分でも分かってはいなかった。
「ほんとうに?」
少年の目が、きらきら輝く。
「えへへ、ありがとう」
子供の無垢な微笑みに、思わずクリュウも笑んだ。
あの時は、ただ当たり前のように生きていた。
この世のシステムがどういうものであるかなんて、知らなかった。
何故その子供が、人間の元を離れて森に来ているのか。
それは借金にまみれて、他の子供に嫌われているからだということを彼らは知らない。
そう、幼い妖精の少年は、あまりにも無知で――。
二人の妖精は度々結界をでるようになった。
森を伝って、いつもの場所で少年と落ち合う。
少年は質素な服を着て、いつも歳に似合わず痩せこけてはいたが――、妖精を見るとその顔に笑顔が戻った。
次第にクリュウも少年と関わることに慣れてきて、自然と笑うようになった。
特になにをするわけでもない。他愛もない話をして、森を散歩して、……たった、それだけのことだ。
しかしいつのまにか、その人間はかけがえのないものになっていった。
当たり前のものこそ、一番大切なものなのだと言ったのは一体誰だったろうか。
ただ、それでも現実は残酷に、日常を蝕み続けていたのだけれど――。
「大丈夫? 元気ないよ?」
「ううん、平気だよ。ちょっと疲れてるだけ……」
とあるその日、少年は苦しそうに笑った。
その表情が、人間の子供がするような表情ではないということを、二人の妖精は知らない……。
「クリュウとティントの方こそ、大丈夫? 秘密で抜け出してるんでしょ?」
「私たちは平気よ。ここは結界の外だけど、それでも森だし危険はないの」
「アッシュ、その『借金』っていうのは返せたの?」
クリュウの問いかけに、少年はふるふると首を振った。
「朝のお手伝いでお金はもらえるんだけど、それで暮らすのがやっとだから……」
「なんで人間はお金がないと生きていけないのかしらね」
「ティント……」
「だっておかしいじゃない。私たちは、そんなものがなくたって生きていけるよ」
「ううん」
呟いたティントを、少年はそっと撫でた。
「しかたないんだ――」
しかたないんだ――。
そのときはさして何も感じなかったのに。
今になってその言葉が、刺すように、痛い……。




