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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
四.あたたかな雨
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041.樹海の精霊



 北の、果ての果て。

 その地方は、寒かった。

 冬がくれば全てが雪に埋もれ、夏がきても暑いと思うことも少ない。

 風が吹けば目を細めて肩を震わせる。

 息をつけばおもしろいくらいに白に染まって流れていく。

 その地方は、そのくらいに寒かった。


 そして、その朝の冷え込みはまた一入で。


 澄んだ空気が頬を撫でる。

 まるで水の中にいるように、まどろむ意識は浮き沈みしながら、静かに水面へと向かっていく。

 心の一番深いところをくすぐるのは、やわらかな香り。

 甘い甘い、――花の、香り。

 ああ、今日も一日がはじまるのだと思う。

 静まり返った意識の泉に波紋を呼んだその香りは、風と共に運ばれてくる。

 いつもいつも、

 そう、いつも、かかすことなく。

 覚醒へと導かれていく中で、その先に思うのは――。



 ***



「……あれ、」

 呟きに、少しかすんだ先にいた娘が振り向いた。

「あら、起こした?」

 宿屋の一室。

 朝、それも早い時間だ。

「ううん……」

 セルピはほぼ条件反射のように呟いて、寝間着のまま立っているピュラを、見る。

 その腕には、黄色に乱れた花が一杯に抱かれていた。

 窓から差し込める朝日を浴びて、美しく煌く花――。

「ああこれね、さっき顔洗いにいったら主人さんに頼まれたのよ。部屋に飾っといてくれって」

 彼女はもう一度その花を抱きなおして、優しい香りに笑みを零す。

 すっかり目が覚めたセルピは起き上がって、暫くぼんやりと花を見ていた。

 そんな彼女にピュラは首を傾げる。

「そういえばあなたがこんな早起きなんて珍しいじゃない。まだ早いし、もうちょっと寝てていいわよ?」

「……ううん、起きるよ」

 セルピは静かに笑ってベットからするりと降りた。

 おろした長い黒髪をなびかせながら、とたとたと窓辺に向かう。

 ――開け放たれた窓の外は、快晴だった。

「わあ、すごい青」

「この辺りは自然が綺麗だからねー。この花も多分、樹海から持ってきたんでしょうけど……」

 こんな朝早くに、飾る為の花をとりに樹海に入る主人の気がしれない、とピュラは暗に思う。

「なんて花かしら、これ」

「見せて見せてっ」

 セルピはくるりと振り向いてピュラの横から花を覗き込む。

 朝の泉のような水色の瞳に、黄色を基調とした花々が映しこまれた。

「えーとね、このおっきいのがカンナで、ちっちゃいのはオミナエシ。白いのはアベリアだよ」

「へえ、よく知ってるのね」

「うん、お花さんは好きだから」

 ピュラは窓辺においてあった花瓶に水を入れ、花を差し込む。

 空気は驚く程に澄み渡り、窓からの景色は何処までも自然な色だった。

 茶色、緑、青――、色調の深い風景は強い主張をもってして旅人たちの目に焼きついていく。

 そんなものたちを見ながら、ピュラは目を少し伏せて呟く。

「お花さん、ねえ――」

「うにゃ?」

 こういうときのピュラは、半端なく正直だった。

「14歳が使う単語じゃないわね」

「にゃっ!」

「やっぱりあんた歳ごまかしてるでしょ。本当は3歳とか?」

「違うよ~!」

「少なくとも精神年齢は胎児ね」

「生まれてないよ~!」

「いちいち細かいことを気にしてると、将来ハゲるわよ」

「いや~~」

 ぶんぶんと頭を振るセルピを軽く撫でてから、ピュラは仕度をするためにくるりと振り向く。

「ほら、バカなことしてないで準備するわよ。早く顔洗ってらっしゃい」

「うんっ」

 セルピはピュラの後姿に頷いてから、彼女を追い抜かして走っていった。

 ピュラは後からついていく風を感じながら、呆れ混じりに軽く首筋をかく。

「まったく、よくあれで旅ができるわよね。親はどう育てたのかしら――」

 ――そこまで言って、止まった。


 ……親。


 そういえば、今は会えないのだと言っていたか。

 一般的に、こんな時世では、14歳の少女の一人旅を、家族が許すはずもない。

 よくよく考えてみれば、彼女の旅の目的も、南へ進むという漠然としたもので、具体的なことは何も見えていなかった。

 となると――?

(それに最近あの子、少しおかしいときがあるし。どうなってるのかしら……)

 ピュラはもう一度振り向いて、窓辺の花を見つめた。

 そして花の名前を教えてくれた、あの生き生きとした笑顔を――。

(ま、気にしててもはじまらないわね)

 無理に聞き出そうとは思わない。ただ、本人が語るべきと思ったときに語ってくれればいいのだ。

 前髪をかきあげると、ピュラは自分の荷物に手をかけた。



 ***



「あらスイ、もう大丈夫なの?」

「ああ」

 宿屋の一階に行くと、既にスイがテーブルに座っていた。

「よかった。今日からまた次の町まで長いからね」

 ピュラは笑って反対側の席につく。

 テーブルにはその地方に見られる平たいパンと、海の魚を使った簡単な料理の数々。

「わ、おいしそ~」

 目をきらきらさせるセルピは、ピュラの隣でぱん、と手をあわせてからフォークを手にとった。

「そうだ、クリュウ」

「なに?」

 いつも通りに机の上に乗っているクリュウは、パンをかじりながら首を傾げる。

「ギルドの人から聞いたんだけどね、この辺りって精霊がでるらしいわよ。あなたの親戚でしょ?」

「せ、せいれいっ!?」

 想像を大いに裏切るような声に、今度はピュラが首を傾げた。

「なにか問題でもあるの?」

「あ、いやその……うん、なんていうか……」

 ばつが悪そうにクリュウは頬をかく。

「なによ、妖精と他の精霊が戦争やってるとか?」

「そんなことがあったら、今僕はここにいないよ……」

「じゃ、あなたが精霊にいじめられてるとか?」

「精霊にいじめられる人なんて見たことないよ……」

「悪かったわね! で、なにがあるのよ」

「別に問題ないし、気にするようなことでもないんだけど……」

「ねちねちいってないで、とっとと核心だけ話しなさいよ」

「でも、長い話になるんだけど」

「ならいいわ。面倒な話は嫌いだしね」

 クリュウの首が、かくんと折れた。

 ピュラは何事もなかったかのように食事を続行する。

「クリュウ、食べないの~?」

「う、うん……」

 クリュウは、なんとか引きつった笑顔を浮かべて頷いた。

「そういえば、スイも手がとまってるじゃない。大丈夫なの? また本調子じゃ……」

 ピュラは言いながらスイの顔を下から覗き込むが……、

「スイ?」

 ……よくよく見ると、意識も止まっていた。

 ――言い換えれば、居眠りしているともいえた。

 次はピュラの首が折れる番だった。

「私の人生は大丈夫なのかしら……」

「あは、あははは……」

 砂漠のように乾ききった笑い声を零すクリュウの横で、ピュラは頭をかかえるのだった。



 ***



 緑に覆われて閉ざされた、もわりと体中にまとわりつく空気。

 風もない、ただ何処かから聞こえる獣の鳴き声のようなものだけが支配する、不思議な空間。

 ピュラとしても、樹海と呼ばれる場所に入ったのは初めてだった。

「うー、湿気が多いわね」

 この樹海の何処かには、浸水林と呼ばれる水に漬かった森があると聞く。

 この辺りはそういうことさえなかったが、何層も降り積もった葉はしっとりと濡れていた。

 岩のあるところを歩くために手を岩肌につけば、手に冷たいともいえない水がつく。

 巡礼者が通る道を少しでも外れてしまえば、迷うのは必至だった。

 むしろ、代わり映えのないその景色は既に迷っているのではないかとも思わせるのだが――。

「この調子で次の町まで10日ねー……。はあ、先は長いわ」

「でも途中で休憩所があるんだよね?」

「ギルドの人はそういってたけど、こんな密林の中に本当にあるのかしら……」

 ギルドの主人は、次の町への中間地点に小さな山小屋が営業されていると話していた。

 聞くところによると、営業しているのは一人の女性で、彼女は長年この森に住み続けているという。

 確かにこの道を通る者は少なくない。次の町もディスリエ大陸では有名な町だからだ。

 そんな森に人の一人や二人、住んでいてもおかしくはない、が――。

「一人で経営してるんだって言ってたけど、魔物とか大丈夫なのかしら」

「それなら心配ないと思うよ」

 答えたのはクリュウだった。

 怪訝な顔をするピュラに、彼はつい、と空を飛んで先を見渡す。

「精霊が住んでる森は、比較的魔物が少ないんだ。元々魔物ってそんなに沢山いるわけでもないし」

 僕の住んでた森も魔物はほとんどいなかったよとクリュウは軽く笑った。

「そういえば、あなたたち妖精はどこの森にいるの? 妖精って他に見たことないけど」

「フローリエム大陸の真ん中辺りにある、トリロの森だよ」

「え、ボクそこ通ったけど、全然見なかったよ~」

「うん。結界がはってあって、人間には僕たちの里に入れないようになってるんだ」

「へえ、やっぱり戦争から逃げるため?」

「それが一番大きいかな。他にも色々理由はあるんだけどね」

「そろそろ開けたところにでる筈だぞ」

「あらほんとに? じゃ、そこで一度休憩ね」

 スイは頷いて持っていた地図を仕舞う。

 ピュラはその顔を覗き込んだ。

「ところで、スイはどこの出身なの?」


 ……。


「……この大陸の、北の小さな町だ」


「あら、この大陸に住んでたのね」

「ああ」

「あ、ねえピュラ、スイ、あそこじゃないかな、広場みたいなところ」

 セルピの指差す先には目を見張るような大きな樹がたっており、根の張ったその周囲が休憩できる場所になっていた。

「――うわ……、すごいわねこの樹」

 ピュラは思わず感嘆の息を漏らす。

 その樹は決して真っ直ぐ立っているのではない。根を深くまで張り、幹をくねらせながらも空を目指して葉をしげらせている。

 幹の太さは大人が数人でかこんでも手を繋げない程にまでなっていた。

 まるで圧倒されるようなその出で立ちは、老人のような静かな威厳を漂わせる。

「ほんとにすごいね、なんて樹なんだろうっ」

「あ、セルピ! 走ると……」


 ――どてっ!


 約束通り、セルピは大地に突き出た根に躓いて、顔から転んだ。

「にゃ~、いたい~~」

「足元見ないで走るからよ……。全く、ほら顔に泥ついてるじゃない」

 ピュラは溜め息まじりにセルピに近寄ろうとして――止まった。

「どうしたの?」

 スイが一瞬クリュウの方を見て、僅かに目を伏せる。

「セルピ、こっちきなさい」

「うにゃ?」

 セルピは首を傾げてピュラのところまで行って、――振り向いた。

「あ……!」

 目が見開いて、声が、零れる。

 未知なるものの気配に、ぞくりと背筋が戦慄した。

 大きな樹のまわりに目には見えない、何かの流れが起こり――、


 きらきらと光るものが、ひとつ、ふたつ……。


「精霊……?」

 セルピは呟いて、樹を見上げる。

 クリュウだけが一人、目を逸らして宙に浮かんでいた。

 樹のふもとまで下りてきた二つの光は、それぞれクリュウと似たような小さな人間の姿になって、4人を見上げる。

 二人の精霊は、臆することもなく大きな瞳で囁いた。


『あなたたち』


『あなたたちは』


 それは声というよりは、空気を震わせぬ思惟の音。

 鈴が鳴るような、小さい声なのに聞き漏らさずに聞くことができる、音。

 話しているのは二人だけなのに、それが森全体の声に聞こえるのは気のせいだろうか――。


『どこから』


『どこから来たのですか?』


「え、」

 ピュラは首を傾げた。

「どこからって……」

 この場合の答えは、それぞれの故郷を言えばいいのだろうか。それとも入ってきた町の名前か? またそれとも――?

 精霊の表情は怯えでもなければ怒りでもない。

 ただ、目の前のものたちの存在が不思議で仕方ないというような――。



『つみびと』



 精霊の一人が、言った。

「……罪人?」

 セルピが聞き返すと、精霊はこくりと頷く。



『罪人のにおいがする』



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