021.掃除大作戦
空気は、停止していた。
誰もが誰も、その少女をじっと見詰め、ショートしかけた思考を取り繕うとしていた。
「……え、……っと……」
ピュラは辺りをもう一度見回して、顔をひきつらせたまま、振り向く。
「可愛らしいお嬢さんが腰を抜かしてへたり込んでいるように見えるのは……私の目の錯覚かしら?」
「僕にもそう見えるけど……」
クリュウは語尾を濁す。この場を取り繕える話術を持つ者など、そうはいないだろう。
しかし、彼らの中には全く動じない強者も、またいるのだった。
「わわ、お皿割れちゃって、大丈夫? 怪我してない?」
セルピがとてとてと小走りに少女に近寄る。
「は、はい~、大丈夫です」
少女は困ったような顔をして手を振り、立ち上がった。
柔らかなスカートが、ふわりと揺れる。
正真正銘の、お嬢様だ。
しかし、その正真正銘のお嬢様にもセルピは容赦ない。
「ボクはセルピ。あのね、ピュラとスイとクリュウと旅してるの」
「はいぃ……あ、私は、クリアナっていいます」
少女は怯えた表情のまま、セルピと玄関にいる三人を交互に見つめる。
確かに、突如家の中に見知らぬ旅人が押しかけてきたら誰でも驚くだろう。
しかし、まさか人がいるとは思わなかった屋敷に入ってみたら、こんなお嬢様がいたとしても、誰でも驚くに違いない。
それはお互い様だった。
「あ、あの……クリアナ、だったわよね?」
「はっ、はぃ」
クリアナは魔物に追い詰められたかのように語尾を弱め、数歩後ずさる。
「あなた、なんでこんな場所に住んでるの? まさか私たち、こんな大平野に館があって、そこにあなたみたいな人が住んでるとは思わなかったんだけど」
「ああ……えっと……」
クリアナはわてわてと動揺してから、また消え入りそうな声をだした。
「あのぉ、お茶……出します。折角のお客さんですから……、お茶飲みながら私のこと話します」
……沈黙。
クリアナの顔が、更に困った顔になった。
既に泣きそうになっているのか、目じりに涙すら浮かんでいる。
「あ、ゆっくりしてられませんか……?」
あなたの素性が怪しいので、とは口が裂けても言えそうになかった。
「え、あ、別にいいわよ。お世話になるわね」
「は、はい、とんでもありません」
では、と少女はスカートの裾を摘んで、奥へと姿を消した。
……沈黙。
「可愛い子だねーっ」
セルピがにこにこと首を傾げる。
ピュラたちは顔をひきつらせたままだった。
「と、とりあえず中に入ってみましょう……か」
「そ、そうだね……」
ピュラとクリュウが顔を見合わせる。
そうして一同は、恐る恐る中へと足を踏み入れた。
***
「あなた、ここに一人で住んでるの?」
ソファーに座ることなど、平民には考えられない。そんなソファーに座ってはいるものの、ピュラは背にもたれずにいつでも立ち上がれるよう背筋を伸ばしていた。
机の上には紅茶が湯気をたてているが、これも危険がないとは言い切れないので、まだ飲まないでおく。
家の中に入ったとはいえ、彼女を信じきったわけではないのだ。油断は出来ない。
「いえ、おじいさまと一緒に住んでいました。でもおじいさまは、少し外出するって言って出て行って、まだ帰ってこないんです。そろそろ帰ってくると思うんですけれど……」
確かに、ここから外出するとなると町へ出かけていくということになるのだろう。そうすると2週間は戻ってこれない。
クリアナは行儀良く反対側のソファーに腰掛けて俯いている。
「私、貴族の出なんです。でも、家の事情で身を隠さなければならなくなって……、それでお爺さまとここに移って来たんです」
ピュラは納得した。貴族は家内でも政権の争いが絶えないと聞く。故に暗殺などの危険と隣合わせなのだろう。
彼女がもしそんな中に巻き込まれ、命を狙われるようになったというのなら、こんな人里離れた場所に住んでいるのも頷ける。
「こんな場所で一人で、寂しくないの?」
セルピが聞くと、クリアナは少し苦しそうに笑った。
「寂しいけれど、でも仕方ないですから……」
「でも一人じゃ大変でしょ? メイドとかを雇ったりは?」
「なるべく目立たない方がいいですし、それに信用できるとも限らないからって、お爺さまがつれてこなかったんです……」
掃除も洗濯も炊事も、全て一人でやっているとクリアナは言った。
「わあ、大変だね」
呟くセルピの横でピュラは少し緊張を緩めて微笑みかける。
「よくやってるじゃない。そんな歳でここまでやってるんだから、見上げたものだわ」
「あ、ありがとうございますぅ……」
クリアナは恥ずかしかったのか顔を赤らめて俯いた。
ピュラは紅茶を手にとって、口につける。
――文句なしに、おいしかった。
「ごめんなさい。あの、お菓子とかだしたいんですけれど、こんな場所に住んでいるからそういうのもなくて……」
「クリアナちゃん、お菓子食べられないの?」
「え、あ、はい……」
「ならボクのあげるよっ! ちょっと残ってるんだ」
「え?」
セルピはごそごそと自分の鞄の中を探って、包み紙に入ったチョコレートや飴を両手に取ってクリアナの前に差し出した。
色とりどりの包みにくるまれたそれは、決して貴族の食べるようなものではない。
「あ……、飴、嫌い?」
しかしクリアナは、ぱっと顔をあげた。少し目じりに涙が溜まっているのか、瞳が僅かに煌く。
「いえ、大好きですっ! ありがとう、セルピさん!」
「うん、飴もチョコもおいしいよねっ!」
「はい、ずっと食べられなかったから……すごく嬉しいです」
「セルピの甘党ぶりも偶には役に立つのね」
「にゃ~、ピュラも食べる?」
「ついでに鞄の奥に隠してるクッキーもよこしなさい」
「いや~~、なんで知ってるの~!?」
「私が全知全能の神だからよ」
「うわ、うそくさい……」
「クリュウには天の裁きが必要ね」
ピュラはクリュウを軽々と捕まえてきゅう、と握力を強めてやる。
「全然天の裁きじゃないな」
「うるわいさねっ!」
「どわっ!」
ピュラはスイに向けてクリュウを投げつけた。
クリュウは頭からスイの額に激突し、大きなたんこぶを額にこさえる。
「ぼ、僕は物じゃないよっ!」
「あら失礼。あなたって投げやすいサイズだから」
「~~~~!!」
そんな客人の姿にクリアナは笑い声をもらした。
「ふふっ……おもしろい人たち」
今まではずっと怯えた顔をしていたのに、笑うとこんなにも可愛らしい顔になる。
「嬉しいです、こんなに楽しいのは久しぶり……」
心を和ませるような笑みに、セルピは立ち上がって問いかけた。
「クリアナちゃん、一人で家事やってるんだよね?」
「はい、そうですけれど?」
「ボク、手伝うよ!」
『は?』
ものの見事に、その場の者の声が、ハモった。
「だってお掃除大変でしょ? 広そうだし、えっと、それに皆でやればとっても楽しいし……」
みるみるクリアナの顔が赤くなっていくのが、しっかりと見て取れた。
「あっ、あの、いいです……、そんな、旅のお方に……」
「ねー、ピュラ、やろうよー!」
「マジで?」
「うん!」
満面の笑みで言われれば、回避するのも無理に等しかった。
「あ、なら……あの、今日はどうぞ泊まって行ってください。私も一人では淋しかったので……」
瞬間、きゅぴーん!という音と共にピュラの瞳が輝く。
かと思えば次の瞬間、彼女は怯えるクリアナに向けて顔をずいと突き出していた。
「泊めてくれるの?」
「えっ? あ、……は、はい」
「セルピ、いくわよ。この屋敷には埃一つ残さないわ」
横でクリュウが、顔を引きつらせていた。
「スイ! 男手はあんただけなんだから、活躍してもらうわよ!」
「ああ」
「あ、ありがとうございます! じ、じゃあまず雑巾を……」
かくして、屋敷の大掃除が始まったのだった。
***
「んしょ、んしょ……」
廊下にて、セルピが窓の高いところをジャンプしながら拭いていく。
長袖をたくしあげて、露になった白い腕でふう、と額を拭う。
横ではクリアナが手すりに雑巾をかけていた。
「セルピ、とっとと終わらせて下の客室の棚拭きに来なさいよ」
「うん!」
「ありがとうございます。旅の疲れもあるでしょうに……」
「いいのよ。めんどくさいところは男たちがやってくれるし」
「そ、そうですか?」
「そういうこと。じゃ、そっちも頑張ってね」
ピュラは通りすがりにそう言って、ホウキを片手に次の部屋へ入っていく。
いくらクリアナが一人で頑張ったとしても、この屋敷の全てを掃除できるわけがない。
普段使う部屋しか掃除していないようで、使っていない部屋の数々はすっかり埃をかぶってしまっていた。
そんな部屋を前にピュラは一息漏らし、髪をかきあげて掃除を開始する。
上品な造りで、貴族のいやらしさが全く感じられない屋敷だった。
小さな少女と、今は外出しているらしい老人が住むには丁度良いかもしれない。
床をホウキで軽くはくと、ぼわりと埃が舞う。
「うわ、すごい……」
ピュラはそう漏らしつつ棚の下や隙間の奥までホウキではいていく。
こんなことをするのは孤児院以来だろうか、あの時も孤児院の掃除は子供にまかせられていたから、ピュラもよくやったものだ。
「あのときはいつも後ろにあの子がいて大変だったわね……」
ぽつりと呟くと同時に、手が止まった。
――ピュラ、お掃除まだー?
――ね、あとで裏庭に遊びにいこうよっ。
――ね、ね、いいでしょ?
(……老人じゃあるまいし、何を回想してるのかしら)
ピュラはそう思って記憶の扉を閉めた。
思い出すのは、辛くなるだけなのだから。
椅子をどかして、下に溜まった埃をはらっていく。
ふう、と大粒の溜め息をもらす。
「あと何部屋あるのかしら……」
既に、5部屋を掃除し終わっていた。
***
「ふごほっっ!! ごほっ……!」
クリュウの堰はとまらない。
横でスイが黙々と雑巾で床を磨いている。
しかし、その場の埃の積もりようは恐ろしかった。屋敷が出来てから、何の手もついていないように思える。
――そう、屋根裏部屋である。
「酷い空気だよ……うう、おかしくなりそう」
そういいつつ、クリュウは大きな綿埃を取っていた。
真ん中にあつめられた綿埃の山は、既にクリュウと同じ大きさにもなっている。
ただ、更に恐ろしかったのが、何故かスイの磨き終わった場所が新品同様といって良いほどに綺麗になっていることか。
「わ、床がピカピカ……。スイ、もしかして掃除が得意なの?」
「昔はよくやった」
「へ、へえ……」
これもある意味での才能だな、とクリュウは思う。
2種類の雑巾を分けて使い、奥の汚れも完璧に見逃していない。
対して本人の顔は埃で灰色になっていたが。
「天井の窓は外から拭かないといけないな」
「え、そんなことまで……ってスイ!」
クリュウが言った時には既に遅かった。
ぱちん、と止め金が外れてスイがその天井窓から外へ出る。
命綱もなしに行く姿は、命がけの掃除としか言いようが無い。
しかしスイは極めて当たり前のように窓に雑巾をあてた。
淵の溝まで雑巾の角を使ってふき取り、ふいと視線を辺りに回す。
その目が、ベランダに落ちた。
――目が、輝いた気が、した。
「次はあそこだな」
「す、スイ、まだやるの?」
「早く済ませておかないと、食事の準備が出来ないだろう」
「食事って……ま、まさかスイが作るの!?」
「ああ」
スイはバケツと雑巾とゴミ袋を両手に、当たり前のように下に下りていってしまった。
なんだか嬉しそうなその後ろ姿を見ながら、本気でクリュウは眩暈を覚えた。




