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第3話: 泥と錆の足場(プロトタイプ)

第2話をお読みいただきありがとうございます。 泥の中で硬いパンを噛み締め、ようやく「生存」のスタートラインに立った元・創造神シン。


第3話では、彼がかつて数値をいじるだけで済ませていた「世界の保守」が、現場ではいかに過酷な肉体労働であるかが描かれます。 全能だった頃なら一瞬で浮上できた地上わずか3メートルの高さが、今の彼にとっては命がけの絶壁です。


「祈り」を否定し、「物理」を信じるエンジニアの意地。 泥と錆にまみれた、不器用な反撃の第一歩をぜひ見届けてください。

石のように硬いパンの欠片を胃に流し込んだ翌朝。

 忌々しい雨はようやく上がったものの、第九十九魔導中継所は重苦しい湿気と霧に包まれていた。


「……さて、現状把握から始めるか」


俺は泥だらけの衣服のまま、巨大な中継塔の基部を歩き回った。

 神だった頃なら、エラーログを一瞥するだけで済んだ作業だ。だが今は、自分の足で泥を踏み、目で見て、手で触れて確かめなければならない。


見上げれば、塔の惨状は想像以上だった。外装の保護塗膜は完全に剥がれ落ち、内部の魔導回路を雨風から守るための軒下のパネル――建物の破風板はふいたにあたる部分――はひどく腐食して反り返っている。これでは外部からのノイズを拾い放題だ。

 それに加え、北の連峰に仕掛けられた人為的な「デッドゾーン」によって、本来の龍脈の流れが完全に逸らされている。


「塔の先端メインアンテナは完全に死んでいる。だが……」


俺は視線を、地上から三メートルほど上部にある「予備の受信盤」に向けた。


「あの高さなら、地表付近を乱反射している微量なマナの残滓を拾えるかもしれない。端末のシステムをバイパスさせれば、テスト起動くらいはできるはずだ」


問題は、どうやってあそこまで登るかだ。

 かつての俺なら指を鳴らして宙に浮くだけの距離。だが今の俺は、自重という物理法則に縛られたただの人間だ。塔の表面は赤錆に覆われ、素手で登れば確実に滑り落ちる。


「……仕方ない」


俺は広場に散乱していた鉄骨の廃材や、腐りかけた木箱を引きずり集め始めた。それを塔の側面に立てかけ、即席の足場スキャフォールドを組んでいく。

 重い鉄骨を持ち上げるたびに、泥にまみれた筋肉が悲鳴を上げた。掌にはすぐに豆ができ、それが潰れて血が滲む。息が上がり、額から脂汗が滝のように流れた。


「……あんた、本当に何をしているの?」


背後から、呆れ果てたような声が降ってきた。

 リィルだ。彼女は片方の折れた翼を庇いながら、壊れた管理小屋の入り口から俺の泥臭い作業を見下ろしていた。


「見てわからないか。足場を組んでいる。あの受信盤のカバーを開けて、設定を書き換えるために不可欠な作業だ」


「だから、無駄だって言っているでしょ。神様に見捨てられたこの場所で、ゴミを積み上げて塔に登ったところで、奇跡なんて起きないわ」


「奇跡は起きない。起こすのは『物理的な検証』だ」


俺は、ぐらつく足場に足をかけ、慎重に体重を預けた。

 錆びた鉄骨がギシギシと嫌な音を立てる。高所での作業は、少しの足場の狂いが命取りになる。この頼りない肉体では、たった三メートルの落下でも致命傷になりかねない。


「……っ」


腕の筋力を総動員して、なんとか予備受信盤の高さまで這い上がる。

 固着したパネルの隙間に、拾った錆びた鉄の棒をねじ込み、てこの原理で強引に抉り開けた。バキッという音と共に外れたカバーの奥には、埃と泥にまみれた古い魔導回路が眠っていた。


「ひどい有様だが、回路自体は完全に断線してはいないな」


俺は腰に下げていた『全知の欠片タブレット』を取り出し、そのインターフェースから引き出した細い光のケーブルを、受信盤の端子に直結した。


「アイズ、北の連峰を迂回してくるマナの波長を解析しろ。……受信側の感度を極限まで上げ、ノイズフィルターの閾値を下げる。逸れた龍脈の『おこぼれ』を強制的に拾い上げるんだ」


『ピィッ!』


上空で待機していたアイズから、同期信号が返ってくる。

 俺は端末の画面に表示される、複雑な魔導言語の羅列に没頭した。手は泥と血で汚れ、足場は不安定に揺れているが、脳内の論理ロジックだけは、神だった頃と同じように冷徹に稼働していた。


「……周波数同調、開始」


俺が画面の実行キー(ルーン)を叩いた、その瞬間だった。

 

 カチッ、という小さな物理音が鳴った。

 直後、埃まみれだった受信盤の奥で、親指ほどの大きさしかない小さな魔導石が、チカチカと不規則に瞬き始めたのだ。

 それは、世界を照らすには程遠い、頼りない青白い光。だが、この死に絶えた中継所に、数十年ぶりに生じた「魔力の灯り」だった。


「……嘘、でしょ……?」


地上で見上げていたリィルの目が見開かれた。

 彼女の銀色の瞳に、その微かな青い光が反射している。


「嘘じゃない。これが『事実』だ」


俺は揺れる足場の上で、血の滲む手で汗を拭いながら、小さく息を吐いた。


「設定を環境に合わせれば、わずかだがマナは拾える。お前たちの祈りが足りなかったわけじゃない。インフラが最適化されていなかっただけだ」


俺は受信盤を睨み据える。

 たった一つの小さな石を光らせるだけで、足場を組み、手を血まみれにしなければならない。これが「現場」というものか。


「……だが、これはあくまでテストだ。この小さな種火から、いずれ塔全体の龍脈をアライメント(調律)し直す」


神の全能を失った俺の、泥と汗にまみれた反撃が、この小さな光から始まった。

第3話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


ようやく灯った、親指ほどの小さな魔導石の光。

それは神が起こす華やかな奇跡ではなく、泥だらけの手で足場を組み、血を流しながら回路を直結した、執念の**「物理的な検証」**の結果です。


「お前たちの祈りが足りなかったわけじゃない。インフラが最適化されていなかっただけだ」というシンの言葉は、絶望していたリィルの瞳にどう映ったのでしょうか。

かつての創造主が、自重という物理法則に縛られながら現場の真実に気づいていく過程は、本作の大きなテーマの一つでもあります。


しかし、ようやく灯ったこの光も、まだ「テスト起動」に過ぎません。 次回、第4話は**「剥がれ落ちた保護膜コーティング」**。 思わぬトラブルに見舞われたシンが、そこらへんにある「木の汁」と「泥」を使って、神官たちが絶句するような前代未聞の応急処置に挑みます。


もしこの「現場主義」な物語を気に入っていただけましたら、ブックマークや、下の【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると、執筆という名のメンテナンス作業が非常に捗ります!


よろしくお願いいたします。

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