第14話:境界線(デッドゾーン)の野営と天然の魔導ゼリー
ルータン村の温かな見送りを背に出発してから三日。シンとリィルの前に広がるのは、教団の巨大なネットワークから切り離され、生命の源であるマナが根こそぎ吸い上げられた「オフライン(死の領域)」でした。
緑が失われ、大地がひび割れる過酷な環境下で、天界の因子を持つリィルの身体は深刻な「バッテリー切れ」によるエラーを引き起こしてしまいます。
エンジニアとして冷徹に状況を分析するシンと、限界を迎えるリィル。二人が帝都を目指す道中で直面する最初の大きな障壁と、荒野での一夜を通じて描かれる「物理的な同期」の始まりを、どうぞお楽しみください。
ルータン村を出発して三日。
俺たちの足元から、徐々に「緑色」が失われていった。
草木は枯れ果て、大地はひび割れ、空には常に薄鈍色の埃が舞っている。地図上では、このあたりから教団の完全な支配領域――巨大な「広域ネットワーク」の圏内に入るはずだった。
だが、現実はその逆だ。
「……ひどい有様だな。ネットワークの末端から、マナを根こそぎ吸い上げている。ここはもう、生命を維持するための最低限の電圧すら確保されていない『オフライン(死の領域)』だ」
「はぁっ、はぁ……っ。監督、ちょっと、待って……」
俺の後ろを歩いていたリィルが、荒い息を吐きながらその場に膝をついた。
見れば、彼女の背中にある折れた翼が、痙攣するように細かく震えている。天界の因子を持つ彼女の身体は、周囲の環境マナと常に同期する仕様だ。これほどマナが枯渇したデッドゾーンでは、いわば「バッテリー切れ」による深刻なエラーを引き起こしてしまう。
「環境マナの欠乏による、魔力回路の不全か。……無理もない、このエリアはノイズすら存在しない完全な真空だ」
俺は歩みを止め、リィルのそばに片膝をついた。彼女の顔色は青白く、額には脂汗が浮かんでいる。
「少し、痛いかも……ごめん、なさい。足手まといに、なるつもりは……っ」
「謝るな。環境依存の不具合は、お前のせいじゃない。それに、アシスタントの体調管理も現場監督の仕事だ」
俺は端末を起動し、魔力の出力ポートを開いた。
「俺の端末から、お前の回路へ直接マナを供給する。……少し服を緩めるぞ」
「えっ……ちょ、ちょっと待っ――」
リィルが止める間もなく、俺は彼女の背中に回り込み、ワンピースの首元をわずかに引き下げた。露わになった白く華奢なうなじと、その下にある、翼の付け根――彼女の身体で最も魔力に敏感な「接続ポート」に、直接指先を這わせる。
「動くな。今、俺の残存リソースをお前に流し込む」
「あっ……んんっ……!」
俺の指先から、熱を帯びた高純度のマナが彼女の体内へ直接注ぎ込まれる。
極度の渇き状態にあったリィルの回路は、その熱を貪欲に吸い上げた。だが、回路を通って全身に駆け巡るその感覚は、彼女にとって強烈すぎたらしい。
「あ、あつ……っ! 監督、ダメ、それ……なんか、変な感じがする……っ!」
リィルは身をよじり、俺の腕の中でビクンと背中を跳ねさせた。声にならない甘い吐息が漏れ、青白かった彼女の顔が、一瞬にして首の先まで真っ赤に染まる。
「抵抗が高いな。我慢しろ、完全に同期するまであと十秒だ」
「だ、だから……っ、流し込みすぎだってば……っ!」
俺はあくまで論理的かつ正確に魔力を送り続けたが、腕の中に伝わる彼女の体温と、生々しい息遣いには、さすがの俺も少しだけ視線を逸らさざるを得なかった。
――その時だ。
乾いた風の音に混じって、上空から『ブゥゥゥン』という不快な羽音が聞こえてきた。
「……!」
俺は瞬時に魔力供給を打ち切り、リィルの身体を乱暴に引き寄せると、近くにあった巨大な岩の陰へと滑り込んだ。
「きゃっ!? な、何よ突然……」
「シグナルを絞れ。声も出すな」
俺は岩壁にリィルを押し付け、その上に覆い被さるようにして自分の長コートで彼女の身体をすっぽりと隠した。密着した胸と胸。先ほどの魔力供給で火照った彼女の体温と、少し乱れた甘い匂いが、俺の鼻先をかすめる。
岩陰から僅かに空を覗き見ると、六つのプロペラを持った無機質な機械――教団の「広域索敵ドローン」が、赤いセンサー光(ping)を放ちながら低空を舐めるように飛んでいた。
あれに見つかれば、一瞬で帝都の防衛システムに現在位置が送信されてしまう。
ドローンが頭上を通過する十数秒間。
俺の腕の中に閉じ込められたリィルは、息を殺しながらも、心臓の鼓動を俺の胸に直接打ち付けていた。彼女の潤んだ瞳が、至近距離で俺を見上げている。
『……ピィガガ、異常ナシ。ルート巡回ニ戻ル』
やがて機械音は遠ざかり、空には再び灰色の静寂が戻った。
「……行ったな。定期巡回の監視スクリプトか」
俺が身を離すと、リィルはへたり込み、真っ赤な顔で荒く息を吐き出した。
「も、もう……っ! 突然くっついたり、熱くしたり……あんたのペースについていくの、本当に寿命が縮むわ……」
「文句は仕様書(世界)を書いた奴に言ってくれ。さて、このまま夜間行軍はエラーの元だ。今日はここで野営する」
日が落ちると、荒野の気温は急激に下がった。
俺は風よけの岩陰に小さな焚き火を起こした。乾き切った大地では、水も食料も満足に手に入らない。
「お腹、空いたわね……。村でもらった干し肉、もうカチカチで噛めないし」
膝を抱えて落ち込むリィルに、俺は先ほど周辺の探索で見つけてきた、ハンドボールほどの大きさの緑色の植物を放り投げた。
「きゃっ! なにこれ、トゲトゲしてる!」
「『耐熱サボテン』だ。この枯渇した環境下でも、内部にわずかな水分とマナを保存できる優秀な自生プログラムさ」
俺はサボテンを手に取り、ナイフで外側の硬いトゲと、毒素を含む青い皮を寸分の狂いもなく削ぎ落とした。現れたのは、淡い翡翠色をした、半透明の瑞々しい果肉だ。
俺はそれを手頃な大きさに切り分け、村の女将から持たされた「岩塩」と、少量の「野草のスパイス」を振りかけた。
「食べてみろ。天然の魔導ゼリーだ」
リィルは恐る恐るその果肉を口に運び――次の瞬間、目を丸くした。
「……っ! 冷たくて、甘い……!」
俺も一切れ口に放り込む。
シャクッという小気味よい食感と共に、サボテンの中に蓄えられていた清涼な水分が、口いっぱいに弾けた。植物特有の青臭さはなく、ほんのりとした甘みがある。そこに岩塩の塩気とスパイスの香りが加わることで、甘みが極限まで引き立てられていた。
それはまるで、高級な冷製デザートのようだ。乾き切った喉を潤し、魔力供給で疲弊した細胞の隅々まで、優しく染み渡っていく。
「美味しい……! 干からびた地面に、こんなに美味しいデータが隠れてたなんて!」
「一見リソースがゼロに見える場所でも、適切なクエリ(検索)を叩けば、必要な答えは返ってくるものだ」
嬉しそうにサボテンを頬張るリィルの顔を焚き火越しに眺めながら、俺は端末のマップを開いた。
この灰色の境界線を抜ければ、いよいよ帝都へと続く「幹線道路」の入り口――巨大な宿場町が見えてくるはずだ。
「明日は、正規のルートへ接続する。面倒なセキュリティ(検問)が待っているぞ」
「……あんたがいれば、どんなパスワードだって破れるんでしょ?」
リィルが、口元にゼリーの水分をつけたまま、少しだけ誇らしげに笑った。
俺は小さく鼻で笑い、焚き火に枯枝を放り込んだ。夜の冷え込みとは裏腹に、不思議と寒さは感じなかった。
第14話をお読みいただきありがとうございました。今回は、マナが枯渇したデッドゾーンでのサバイバル回となりました。
作中で行われたシンによる「直接マナ供給」は、彼にとっては単なる効率的なメンテナンスに過ぎませんが、リィルにとっては非常に刺激的で、二人の距離が急速に縮まる(物理的に)きっかけとなりました。また、殺伐とした荒野で唯一の潤いとなった「天然の魔導ゼリー(耐熱サボテン)」は、シンの「適切なクエリを叩けば、必要な答えは返ってくる」という信念を象徴する一品でした。
次話からは、いよいよ教団の厳格な管理下にある宿場町へと足を踏み入れます。
そこでは「聖別身分証(ID)」という新たな壁と、さらなる**「密着プロトコル」**が彼らを待ち受けています。
引き続き、シンとリィルの旅路を見守っていただければ幸いです。




