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魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


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豊穣の大地と三つ巴の戦渦 23

 星辰第七将ラングレーが指揮を執る助攻部隊は、第一の目標であるグレンツフェルス関所の攻略へと向けて着実に歩みを進めていた。


 ドルニエ湿林の鬱蒼とした木々と、足元に絡みつく不快な泥濘が徐々に途切れ始める。腐葉土の重苦しい匂いから、乾いた冷たい風へと空気が変わりつつあった。その先には、灰色の雲を突き刺すかのように峻厳なグルゴタ山脈が立ちはだかっている。目指すグレンツフェルス関所は、その湿林と山脈の境界にあたる山麓の急な傾斜地に位置する、極めて堅牢な砦であった。この場所は、山脈の奥底から果てしなく湧き出すグルゴタ連邦の増援が、プレンブルク大平原へと雪崩れ込んでいくための主要ルート上に位置している。主攻部隊の背後を守り抜くためには、ここを物理的に封鎖することが絶対条件であった。

 険しい山脈の彼方からは、絶え間ない地鳴りのような足音と、金属が擦れる耳障りな音、そして鼻をつく強烈な異臭が風に乗って流れてくる。他国の廃棄物から作り出した赤茶けたジャンク兵器を無軌道に振り回すゴブリン族の群れと、自我を持たずにただ機械的に死の特攻を繰り返す蟲人族の波。それらのおぞましい異形の増援が、途切れることなく関所へ向けて押し寄せている気配が、戦場の空気をひどく重く圧迫していた。


 過酷な行軍の道中、陣形の中腹を進む観測者のハズラは、自らの役割を静かに反芻していた。彼はかつて辺境の密売組織で鎖に繋がれた無力な存在であったが、今や統星の覇道を支えるため、戦場の真実を見極める重責を担っている。彼のもたらす正確な情報が味方の命を救い、高度な戦術を決定づけるのだ。

 その時、彼の視界の隅に、足元の腐葉土に半分埋もれていた歪な金属片が映り込んだ。それは先行していたゴブリン族が落としたであろうジャンク兵器の一部、紛れもない敵の遺留品であった。

 ハズラは歩みを止めることなく滑らかな動作で身を屈め、その金属片を拾い上げた。表面の泥を指で軽く払い、静かに自らの魔眼を発動させる。対象が触れた物に残された痕跡から波長を読み取り、遮蔽物越しに相手の現在位置を割り出す。この遠隔追跡の技術によって、彼はこれまで幾度となく敵の伏兵や指揮官の隠れた情報を暴き出してきた。


 光のない濁った黒色の瞳が、ドプリと赤黒く充血し、燃えるような強い熱を帯びていく。

 しかし、ハズラが事象の解析を試みても、持ち主を遮蔽物越しに透視し、遠隔追跡することはできなかった。

 普段であれば、遺留品に触れた途端に持ち主の強い殺意や恐怖といった感情エネルギーの波長が鮮明に像を結ぶはずであった。指先から脳髄へと不快なノイズが駆け巡り、波長そのものは読み取れる。だが、そこには個別の精神の揺らぎが全く存在しなかった。

 すべての波長が完全に凪いだ状態で単一化されており、特定の個体を識別する目印がないのである。個を識別できない以上、特定のターゲットに絞って遮蔽物越しにその火を見つけ出すことは物理的に不可能だった。果てしなく押し寄せる圧倒的な物量を前にして、ハズラは自らの論理的な観測をすり抜ける未知の事象に直面し、静かな当惑とともに思考を高速で回転させ始めていた。


 戦場全体を眼下に収めることができる小高い丘の位置に到達したハズラは、役に立たない遺留品を投げ捨て、眼前に広がる広大な光景へと真っ直ぐに視線を向けた。そして、接触解析ではなく、対象を直接視認することによって魔眼を発動させた。

 赤黒く充血し、強い熱を帯びた瞳が世界を捉え直す。それと同時に、ハズラの視界から木々の緑や岩肌の灰色といったあらゆる色彩が急速に失われ、音のないモノクロームの濃淡だけで構成された静謐な世界へと反転した。


 物理的な障害物であるはずの巨大な岩や砦の城壁は、精巧なガラス細工のように輪郭線だけを残して半透明に透き通っていく。だが、その透き通った景色の向こう側にいるはずの敵の魂の火は、全く見えなかった。

 直接視認できる場所にいる敵の胸元には魂の火が浮かび上がっているものの、それらはどれ一つとして瞬くことすらなく、完全に凪いだ状態のまま均一な光を放っていた。自我を持たず、ただ機械的に特攻を繰り返す蟲人族をはじめとする敵軍の特性が、群れ全体の波長を不気味なまでに単一化させていたのである。

 波長が単一化し特定の個体を識別できない以上、それを前提とした遮蔽物越しの透視と遠隔追跡を行うことは不可能だった。


「……遮蔽越しの透視は不可能。ならば」


 ハズラはその事実を即座に受け入れると、無駄な思考を切り捨て、観測の方法を素早く切り替えた。遮蔽物越しの透視を完全に諦め、直接視認できる範囲で眼下に蠢く無数の群勢を一つの巨大な量として捉え直す。彼が必要とするのは、個々の透視ではなく、戦術を成立させるための全体としての正確な情報である。


「ルルティアさん。敵群の密集地帯に関する情報を伝えます」

「んー……聞いてるっすよ。さっさと片付けたいっすね」

「方向、十二時。距離、四百五十歩。高度、二十分。対象の絶対数、約三千。さらにその後方、方向一時、距離五百歩にも後続部隊が確認できます」


 正確無比な座標と数の羅列。それは、盤面を支配するラングレーの戦術を完璧に支える、観測者としての曇りなき指示であった。ハズラは周囲の喧騒と肉体的な疲労を無視し、次々と変わる戦況の情報を絶え間なく伝達し続けた。

 ハズラから正確な情報と魔法の行使ポイントを伝達されたルルティア・アッシュウッドは、一切の力みを感じさせない気怠げな動作で一歩前に出た。

 彼女は王都の内政官である紫苑から贈られた豪奢な美酒にすっかり酔いしれており、これから大量の命を奪うという戦場の緊迫感など微塵も存在しない。くすんだ金髪を風に揺らしながら、世の中のすべてを斜めに見るような翠緑の半眼を山麓の関所へと向けた。

 アルコールの甘い匂いを漂わせながらも、彼女の身体の奥底で渦巻く魔力は、周囲の空気を歪ませるほどの途方もない密度を誇っていた。大気が微かに震え、彼女の足元の小石が重力を失ったかのようにふわりと浮き上がる。


「拠点には一切の傷をつけてはならない……でしたっけ。マジで面倒な注文っすね。まあ、面倒なだけっすけど」


 彼女は文字通り息をするような自然さで、魔法を放った。

 歴史上類を見ないと評される、世界最年少の魔導六杖による規格外の超精密魔法である。彼女は、魔法の作用する空間と出力を極限の次元で完全に制御した。魔法を発動させる範囲、力の方向、そして威力の減衰を極めて微細な精度で寸分の狂いもなく設定し、爆風や熱といった意図しない余波を一切生じさせない。極めて繊細な魔力操作によって余剰なエネルギーの漏出を完全に抑え込み、注ぎ込んだ魔力を無駄なく百パーセントの効率で事象の改変へと変換していく。


 凄まじい爆発音が山麓を揺るがした。

 その圧倒的な事象支配の力は、堅牢なグレンツフェルス関所の建造物には指一本、石の欠片一つ触れることはなかった。

 ルルティアの魔法が干渉したのは、関所に迫る敵の密集地帯の空間のみである。ピンポイントで操作された爆発の連鎖が、関所の城壁ギリギリでぴたりと威力を殺しつつ、山脈から途切れることなく雪崩れ込んでくるゴブリン族と蟲人族の群れだけを的確に捉え、その圧倒的な熱量と衝撃波で容赦なく吹き飛ばしていった。

 一切の矛盾も綻びもない完璧な術式は、環境の乱れや敵の抵抗を全く寄せ付けない。


 気怠げに酒瓶を揺らす少女の眼下で、無慈悲に押し寄せていたはずの異形の群れだけが、精巧に設計された爆発によって綺麗に消し飛ばされていく。

 砦の石壁は無傷のまま、ただ敵の物量だけが魔法の力によって劇的に削ぎ落とされていったのである。それは、まさに神業とも呼べる光景であった。

 視界を覆い尽くさんばかりに押し寄せていたグルゴタ連邦の群れが、超精密な魔法の介入によって見る間に削がれていく。山脈から雪崩れ込んでいたゴブリン族と蟲人族の圧倒的な物量が分断され、山麓の傾斜地にわずかな空白、すなわち決定的とも言える敵陣の隙が生み出された。


 戦術的に完璧なその瞬間を、カネルは見逃さなかった。

 戦場の後方に陣取る彼女は、愛らしくアレンジされた軍服の裾を翻して一歩前へと進み出る。艶やかなピンクブロンドのリングレットが風に舞い、ルミナスピンクの瞳が前線で戦う兵士たちをまっすぐに捉えた。彼女の表情には、死と隣り合わせの戦場にいる悲壮感や恐怖など微塵も存在しない。


「みんなー! 今だよ、頑張ってー! 早く終わらせて、みんなで温かいご飯食べようね!」


 澄み渡るような天真爛漫な声援と、一切の陰りのない無邪気な笑顔。それは、血と泥に塗れた戦場にはあまりにも不釣り合いで、ひどく日常的な響きを持っていた。

 しかし、その声と笑顔こそが、カネルの配下である兵士たちにとってはいかなる強力な魔術支援をも凌駕する絶対的な力であった。かつて極寒の故郷で暴君の理不尽から身を挺して自分たちを守ろうとした心優しき将を、彼らは家族以上に深く愛している。彼女の笑顔を曇らせないためならば、己の命など惜しくはない。

 カネルの笑顔を背に受けた瞬間、兵士たちの内側で常軌を逸した熱狂が弾けた。


「おおおおおおっ!」


 怒号のような鬨の声が山麓を揺るがす。彼女への狂気的なまでの愛情と忠誠心によって、兵士たちの士気は瞬時にして頂点へと達した。肉体の疲労も、敵の特攻に対する恐怖すらも完全に置き去りにし、彼らの戦闘力は理屈を越えて限界を突破する。

 極限の熱狂状態へと陥った兵士たちは、魔法によって生み出された敵陣の隙間へと、それこそ雪崩れ込むような勢いで猛攻を仕掛けた。


 残存していたゴブリン族がジャンク兵器を振りかざす暇すら与えず、自我を持たない蟲人族が死の特攻を仕掛けるより早く、カネルの兵士たちは圧倒的な速度と熱量で敵の群れを次々と蹴散らしていく。彼らの瞳には、ただ愛する将に勝利を捧げるという狂信的なまでの純粋さだけが宿っていた。

 その突撃は苛烈を極めたが、決して無軌道な破壊をもたらすものではなかった。後の増改築の要石とするため、拠点の施設には一切の傷をつけてはならないというラングレーの厳命は、高度な戦術として兵士たちの意識の奥底にまで徹底されていた。彼らは敵の肉体のみを的確に打ち砕き、堅牢な城壁や防衛機構には剣の腹すら当てないという極めて精緻な制圧行動を完遂していく。


 やがて、山麓に響いていた異形たちの奇声は完全に途絶えた。

 土煙が風に流されて晴れた後、そこにはドルニエ湿林と山脈の境界を塞ぐグレンツフェルス関所が、戦火の傷跡を一つも残すことなく静かにそびえ立っている。

 施設に一切のダメージを受けることなく、完璧な無傷の状態で第一の拠点は制圧されたのである。歓喜に沸く兵士たちの中心では、カネルが変わらぬ無邪気な笑顔で彼らの無事を喜び、その輝かしい勝利を心から称えていた。

 最強の不確定要素を組み込んだ助攻部隊は、一つ目の障害を完全に排除した。彼らの次なる目的地は、さらなる深淵である。

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