桃香のお仕事 5
「ここ、どこよ……」
上には丸い穴が空いていて、奥の方には行き止まりになっている暗い空間があった。先ほど聞いた、ロングブーツの撮影という言葉を思い出す。
「まさか、ここって……。ブーツの中ってこと……?」
嫌な予感がして、片足で出ようと思ってピョンピョン上に飛び跳ねたけれど、筒みたいに高いブーツのてっぺんには全然届きそうにない。なんとかして出られないかと思って側面にしがみついてみたりもしたけれど、まったく出られそうになかった。そんな風にリリカが苦戦していると、ブーツが大きく動く。
「次、これお願いします」
衣装担当の人に持ち出されたブーツが運ばれていく。中にリリカが入っているなんて思われてもいないから、かなり雑に運ばれてしまっていた。大きく揺れて、ブーツの足先の方に転がっていったから、慌てて元の外が見える場所に這うようにしながら戻る。つま先のほうに潜ってしまったら、気づいてもらえなくなってしまう。
「桃香ちゃん、時間押してるから、早くしてね」
はぁい、と少し元気のない様子で返事をしてから、急いで着替え始めていた。小さな穴から見上げている感じでは、衣装担当の人に手早く着替えさせられていき、最後にブーツを履くだけになったようだった。その間、リリカは怯えながらブーツの唯一の外に出られる丸い穴を見上げ続けていた。
「ねえ、この靴桃香が履くの? わたし、中に入ってるから! 履かないでよ!」
桃香が履く前に気づいてもらおうと声を出した。けれど、急かされているせいか、大慌てで履かせようとしている衣装担当にも、桃香の耳にも、リリカの声は入っていなかった。ただでさえ履きにくいロングブーツを履かせるために意識を集中させているらしい。
ファスナーを目一杯下ろして、中が見えやすくなったときが最後のチャンスだと思った。「桃香!」と声を出しながら思いっきり両手を振った。だけど、声が届く前に、桃香が急いで足を入れてくる。慌てて足を突っ込んでしまったせいで、全然リリカのことは見てくれなかったようだ。あっさりと桃香の脚が唯一の逃げ場を塞いでしまった。今度は桃香の足がブーツの中に入ってきて、どんどんリリカの方に迫ってくる。
「ねえ、桃香ってば!! わたし入ってるから!!」
泣きそうな声で、叫んだけれど、閉ざされてしまったブーツの中に虚しく響くだけだった。そうこうしている間にも、桃香の足が迫ってくる。必死にブーツの先っぽの方に向かって、身を屈めながら逃げたけれど、行き止まりだった。近づいてくる巨大な足に怯えながら、一番先っぽのつま先の方に潜んでいる。徐々に近づいてくる桃香の足の親指はついに、リリカに触れた。
「えっ!?」と桃香の声がする。ほんの少し触れただけなのに、桃香は足を入れている途中で動きを止めた。さすがにカバンに入れていたリリカがいつの間にか桃香のブーツに入っていたなんて思わないだろうから、虫か何かが入っていると思ったのだろうか。もうこの際虫だと思われたのだとしてもよかった。とにかく桃香が気づいてくれたのだから。
「どうしよぉ……」と桃香が小さな声で呟いた。
履くのを途中でやめてしまったから、衣装担当の女性の苛立った声が聞こえた。
「ちょっと、桃香、早くしてよ!」
「いえ、でもぉ……」
ブーツの中に虫がいるからと言えばいいのに、桃香は躊躇していた。
「ちょっとお手洗い行っても良いですかぁ……?」
「ダメに決まってるでしょ! 撮影終わらせてからにして!」
遠くの方からは、「衣装早くしろ!」と怒鳴り声に近い声が聞こえている。
「早く履いてよ!」
桃香は怒られているけれど、ブーツのファスナーをあげようとはしなかった。そして、上空から涙声が聞こえてきた。
「ご、ごめんなさぁい。モモカ、今日は撮影できないですぅ……」
「はぁ? ……ってちょっと目元擦らないで。メイク崩れちゃうから!!」
「台無しだな」と遠くから声が聞こえて、「もう帰らせろ」という声も聞こえた。
(わたしが中に入ってるせいで、桃香がすごい怒られてるわ……)
リリカがブーツの中で桃香の足に触れながら、しょんぼりしていた。
「ごめんね、桃香」と小さな声で謝ってから、大きな親指をそっと撫でた。ほんの少しだけベタッとしたけれど、気にはならなかった。代謝が良いから汗の臭いが充満していて、普段なら苦しいはずだけど、助かった安堵と、リリカが中に入っているせいで怒られてしまった桃香への罪悪感で、汗の臭いなんてどうでもよくなっていた。




