14:ギミアブレイク
襲撃地点は、すぐに見つかった。
街道がゆるいカーブを描いた先で、古い荷馬車が脇の草むらに突っ込んでいた。片側の車輪が壊れて傾き、周囲には散らばった木箱。どれも壊れ砕け、焼け焦げて一部はまだ燻っている。
被害者を尋問している途中だったのか、手の平をナイフで荷馬車に打ち付けられた死体があった。首を掻き切られているのは、俺たちが来たことで作業が中断された結果か。
だとしたら、申し訳ないな。
遺体の手からナイフを抜き、崩れ落ちる体を草むらに横たえた。血を拭った両手を胸の前で合わせる。残念だけど、これ以上このひとに出来ることはない。
馬は生きていたが、荷馬車に繋がれたまま頸木から逃れられず不満そうに嘶いている。見たところ、シッポが焦げているくらいで大きな怪我はなさそうだ。
哀れに思って拘束を解いてやると、馬はブフンと鼻息荒くこちらを一瞥して、どこかに走り去った。
「……獣人じゃ」
「え?」
見ると、遺体の男性が深くかぶっていた帽子がずれ落ちていた。その下から現れたのは、頭の高い位置にある、犬のような垂れ耳。そういわれてみれば、口と鼻も少し突き出しているような……気がしないでもない。
そうか、この世界には獣人もいるのか。魔法使いやら勇者やらドワーフがいるくらいだもんな、そりゃいるか。
「でも、なんで殺され……」
ミルリルが手振りで俺を黙らせる。手の平を上下させて、姿勢を低くしろといってきた。その上で、ええと……馬車の下を、見ろ?
指示通り、そっと覗き込むと、傾いた車体の暗がりに、ふたつの眼が見えた。怒りか憎しみか警戒か、それはギラギラと鈍い光を放つ。
油断していたのかもしれない。銃を持っているという安心感もあった。危険な敵を一掃して、自分たちは対処能力があると過信していたこともあるのだろう。
いきなり突進してきた小さな塊を避けられず、俺は弾き飛ばされて地面に転がる。おそらく渾身の一撃を、みぞおちにまともに食らった。息が詰まり声が出ない。
ミルリルが血相を変えて駆け寄ってくるのが見えた。
「ヨシュアーッ!?」
大丈夫だと、俺はミルリルに手振りで伝える。苦しいが、それだけだ。
ことが終わってから、ようやく自分のバカさ加減に気付く。あれが刃物でも持っていたら、俺は確実に死んでいた。
「こいつッ!」
ミルリルが、俺を襲った相手に拳銃を向ける。弾丸は入っていないが、威嚇にはなったようだ。
姿勢を低くして唸り声を上げているのは、小さな――といってもドワーフの少女であるミルリルと同じくらいの――生き物だった。手足には鎖を切った枷の残骸。着衣はボロボロの貫頭衣で、薄汚れて毛が絡まり獣のような体臭を放つそいつの頭には、ピンと跳ねた犬のような耳があった。
「人狼? ……いや、その毛の色は、フェンリルの血でも引いているのかの?」
こちらを警戒しつつ距離を取り、一気に逃げ出そうとした犬耳は、振り返りざまマイクロバスの車内に入ってしまう。
「おい、待てッ」
「うぎゃうぉああああ……ぎゃんッ!?」
薄暗い車内で混乱し恐怖でパニックになったのか、犬耳は手足を振り回しながら全力で駆け回ると、鉄の手すりに頭をぶつけて伸びてしまった。
「おい、大丈夫かあいつ。すげえ鈍い音したけど」
「じ、自業自得じゃ! ヨシュアが殺されたかと思って、わらわは寿命が縮んだぞ!?」
「……ああ、すまん。もう平気だ。少し、油断しすぎた」
「まったくじゃ。わらわは、あいつを見張っておる。ヨシュアは、他に生き残りがいないか調べてくるのじゃ!」
「ああ、でも殺すなよ?」
「殺さんわ! いいから、さっさと行かんか!」
俺が周囲の警戒と生き残りの確認をしている間に、ミルリルは獣人の傷を洗って応急処置をして、薬草を塗って清潔そうな布を巻いた。布も水も全部、馬車のなかにあった荷物だ。構うことはない、どうせ持ち主は死んでいる。
最初に見つけた獣人の中年男性がひとりと、護衛らしき少し若い男がふたり。全員が首や腹を切られて事切れ、特に若いふたりは死体が焼け焦げて損壊がひどい。
転がって砕けた木箱のなかに、手枷や足枷と首輪をはめられた若い――あるいは幼い、男女が6人。息はあったが衰弱しているし、意識もない。
見たところ、死んだ大人も含めて全員が獣人だ。俺はひとりずつマイクロバスまで抱えて運び、朝まで回復を待つことにした。
「わからんな。こんな子供たちに何の価値がある?」
「……ヨシュア」
「そんな顔するなよ。可愛いとは思うし、助けてやりたいと思ってる。わからんのは、王国の精鋭が殺しに来るほどのものか? ってことだ」
ミルリルは黙ったまま話そうとしない。というよりも何か、話したいけれども話せない事情があるのだろう。俺はマイクロバスを出ると、周囲を警戒した後でサイモンを呼び出す。
「市場」
「ようブラザー、美術商の査定済んだぞ。案外それなりだったけどな」
甲冑やらなんやらの美術的価値など考えたこともないから、当然それなりがどれくらいなのかもわからん。
「剣が4本と甲冑4セットで、ざっくり1万5千。壺やら絨毯やら、それとドレスや靴や服なんかは全部で3千だな」
「それは……安い、のか?」
「剣と甲冑以外に、美術的価値はほぼないそうだ。細工は悪くないが、保存状態が良くない」
そらそうだ。現役で使用中だったもんだしな。素材は良いものを使っているんだと思うけど、布地や鎧には汗や化粧品や皮脂や体臭も付いたままだ。
そもそも美術的価値というのは、それが発展してきた歴史的系譜や制作背景込みなのだろうし、異世界で積み重ねられてきたデザインや進化の筋道は、元いた世界では存在しない。前後関係のない突然変異的な物――しかも先進性はない骨董品――が評価対象にならないとしても不思議ではない。
「となれば、ほとんど素材の値段だな」
「そこらは判断が出来ないから言い値で良い。ここまでとこれからの関係を考えて、な」
納得はするけど、無条件で受け入れたわけではないと釘を指す。サイモンは肩をすくめて鼻で笑った。ムカつく。
「わかったわかった。売値の方で価格譲歩しとくぜ。で、AKMが2丁で8千、弾薬3千発と予備弾倉6個がクリーニングキット込みで5千、拳銃が3千で日本製高級車が2千で、〆て1万8千、美術品との相殺で、差額はなしだ」
「なるほどな。今後の取り引きは要らんというわけか。わかった、他を当たるよ」
「待て待て待て、話は最後まで聞けよ」
さすがにカチンときて睨みつけると、サイモンは慌てて手を振った。だいたいそれ、値付けが適当なことくらい兵器の実勢価格を知らない日本人の俺でもわかるぞ?
値付けの適当さは買値の方もそうだが。
「俺は本気だ。いますぐ選べ。俺との取り引きを続けるか、ここで終わらせるかだ」
「ああ、アンタに他を選べるんならな。おかしな世界に飛ばされて、なんでか俺と運命の赤い糸で結ばれた。そういう事情はわかってんだよ」
なんで知っているのかという動揺を隠したまま、俺はなおも睨み付ける。俺の視線を宥めるように、サイモンは両手を上げて笑った。
「本当だって。前にもあったからな。まだ親父の代で、ずいぶん儲けさせてもらったらしい。けどまあ、その客は化け物に食われて死んじまった。最後の取り引きは、そいつの全財産と引き換えに、死体を故郷に送り届けるってもんだった」
「……ということは、つまり死体なら」
「ああ。こっちに戻れる。そいつは、あれこれ調べたみたいだけどな。それ以外の方法はなかったそうだ」
なるほどね。王国の連中は召喚してきた勇者たちに嘘をついていたわけだ。
帰ったところで社畜に戻るだけの俺は特になんとも思わんけど、勇者様御一行は、ご愁傷様だな。ざまあみろ。
「なんでいまさらそんな話を持ち出した。最初のときとは、ずいぶん態度が違うんじゃないか?」
「……ああ、初めての取り引きは慎重に、というのが親父の遺言でな」
「笑わすなよ。で、本音は」
「忘れてた」
「……あ?」
「しょうがねえだろ? そんな話を聞いたのは15年も前、俺がほんのガキの頃だぞ!?」
「ああ。最初の取り引きのときは、葉っぱでアタマも飛んでたしな」
「ああ……まあ、そうだな。いや、それ以前にな、親父の話を聞いたときだって、どうせ酔った上での与太話くらいにしか思ってなかったんだよ」
それもそうか。異世界とのゲートが開いて商売相手と繋がった、なんて俺なら信じない。誰も信じないだろう。
「……で、だ。俺はアンタと、長く幸せな取り引きを続けたいと思ってる。それには、アンタにその世界で成功してもらわないとな。出来るだけの便宜は図るし、持ちつ持たれつの関係を築こうと思ってる」
「俺とお前の間にあるのは、カネと物とのやりとりだけだ。お前がいったことだぞ?」
「その通り。だからいってるんだよ。話は最後まで聞けってさ」
サイモンは頭や首に掛けたままの貴金属を親指で指す。
「ドルじゃなくても、貴金属と金貨なら取り引きに応じる。たしか親父によれば、そっちの貨幣、特に金貨は不純物が少なくてな。地金の値段で買い取っても、そちらの貨幣価値より高くなるはずだ」
「お前の親父の時代と現在とで、こっちではどれだけ時代が変わったかわからん。価格変動もあるんじゃないのか」
「そこは自分で判断してくれ。“大陸共通金貨”とかいう、これっくらいの金貨な。天使か女神か知らんけど横顔の刻印があるやつなんだが」
親指と人差指でOKサインを示すサイモン。
「金の含有比率が変わってなければ、ひとつ5百ドルで買い取るぜ」
5万円相当か。その値付けも、どうせかなりのボッタくりだろう。最低でも、サイモンの側で捌けば3倍にはなると見た。
後でミルリルに、金貨の貨幣価値を確認しよう。
「まあ、考えておくよ。そのレートも含めてな。貴金属と、金貨だけか?」
「銀貨も、引き取ることは可能だけどな。そちらの貨幣価値と比べると、地金の買い取り価格はかなり下がるんで、お奨めはしない。銅貨はこっちが割に合わないんで勘弁してくれ」
「わかった。じゃあ、貴金属の買い取り価格を聞こうか。追加で渡した分の、掠奪品についてもな」
「……ああ。そいつは忘れてくれてたら大喜びだったんだけどな。まあ、いいや。宝石商だと2万5千なんていわれたが、美術商に聞いたら、なんと30万ドルは固いんだとよ」
「よし、20万は現金でよこせ。残りは……」
「おいおいおい、待ってくれ。そんな金額を右から左に動かせるわけねえだろうが。だいたい、現物はここだ。時期を待ってオークションに掛けないと、その半分にもならねえよ」
「そんなに待ってられるか。こっちはいまも生きるか死ぬかの勝負を掛けてる真っ最中なんだよ」
「物納でなら、なんとか……」
「AKMをあと10丁と弾薬1万、狙撃用の銃を2丁と弾薬2千、M2重機関銃と予備銃身5と弾薬1万、M79グレネードランチャー2丁とグレネードを100だ」
「…………アンタ、ひとりでどこと戦争する気だよ?」
「この世界で最強最大の国だ。そこの王と、王が召喚した勇者御一行様を相手にケンカを売ったんでな。遅かれ早かれ戦争になる。まず間違いなく、国軍付きでな」
「避けられないのか?」
「そうしたいのは山々だけどな。もう第3王子を殺しちまった」
サイモンが額に手を当てて天を仰ぐ。
こいつにとって商取引の相手がいつ死んでもおかしくないというのは、困ったことなのかありがたいことなのかよくわからない。俺が死ねば手持ちの貴金属は着服できるが、生きていればこれからも着実に商売になる……可能性がある。
「アサルトライフル10、スナイパーライフル2、ヘビーマシンガンが1、グレネードランチャーが2だな。……3日、いや5日くれ。M2とM79は保証できねえけど、ともかく用意する。他には?」
「携行食か保存食、食料とミネラルウォーターをグロスの箱で。あとは毛布か寝袋を10、フラッシュライト2と予備電池、衛生兵が持つ程度の医薬品があれば助かる」
「そっちは……そうだな、明日にはある程度、揃える。とりあえず、いまある分を持ってけ。……じゃあ、達者でな」
白い光が消えて、俺はふうと息を吐く。持たされたのは段ボール箱がひとつと毛布が2枚に大きな缶詰がふたつ。箱の方は中身がすぐわかった。缶詰は、なにか書いてあるけど、絵はないし文字も英語じゃないので読めん。これ、フランス語か?
気配に振り返ると、バスから降りてきたミルリルが、怪訝な顔で俺を見ていた。
「ヨシュア、どうしたのじゃ? 腹でも痛いのか? 薬草で良ければ調合するぞ?」
心配そうな顔で額に手を伸ばしたドワーフ娘の腹が、きゅう、と小さな音を鳴らした。
「こ、これは違うのじゃ、そういうあれでは……」
真っ赤になって弁解しようとするミルリルを撫でて、サイモンから手渡された物を彼女の手に押し付ける。
「飯にしよう。味は保証しないけどな」
「ずいぶんとデカい箱じゃの。これは、なんじゃ?」
「MREっていう、軍の携行食だ。俺のいた世界の軍隊では、“飢死しかけの難民も食わない代物”、なんて呼ばれてた」
ありがとうございます。次回は明日1900更新予定です。




