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アマリッカ ~魔法が消える日~  作者: 沢木キョウ
第一章 出会い ??編
18/24

第十八話 ”ナニカ”

 ***



 清々しい朝。



 空の光は一面に広がる分厚い綿で()され、地上との狭間に閉じ込められた盲目的にさまよう熱が少女の体表を這っている。


 全身には痒みが纏い、自身のザラザラした腕を粗い爪で引っ掻いて痒みを削り取る。


 不思議なことに、ひと掻きするごとに痒みは増していき、それと同時に痛みがにじみ出てきた。

 

 それに気づいた少女は、掻いている手をゆっくりとはなす。


 爪のたどった道は真っ赤。皮が薄くなって、その裏側で流れる血が透過されているよう。


 切ったり貼ったりした、もはや原型を留めていない服。体の些細な動き――呼吸ひとつするだけで、服の杜撰な継ぎ目が引っ掛かり、全身を容赦なく切り裂き続ける。


 少女を襲う断続的な灼熱感。普通の人なら、今すぐに服を破り捨ててでも冷水に飛び込みたいと考えていることだろう。


 しかし、少女の心は違った。




 そう――清々しかった。




 体は灼熱感で悲鳴を上げているのに、頭のなかは紅葉が見えるくらいの季節感の涼しさを感じていた。



 冴えているというか、思考が回らないというか――。



 昨日、自分がどんな感じだったのかも、少女はあまり覚えていなかった。いや、覚えているけれど、なんだか他人事みたいな、そういう感じだ。


 もちろん、今でも少女は戦争や【魔法】のことが好きではない。だが、昨日感じていたそれらに対する熱は、夢の世界へと消え失せていた。


 少女は睡眠で気持ちを仕切りなおせる人では決してない。むしろ引きずってしまうくらい。


 この不気味ともいえる清々しさの原因を考えることさえも、頭のなかの涼しげな風に吹かれて揺蕩うばかりだ。


「朝ごはん? ――食べる前に、川、行こ……」


 ぼんやりと、空に浮かぶ綿の奥の光を探りながら、まるで他人事のように少女は気だるげに呟いた。



 ***



「気持ちいいー……」


 森にある静寂の川で、少女は裸で寝転がるように、流水に全身を浸していた。

 そのままだと体が流されてしまうため、川の比較的浅い場所で顔を出している岩に、身を引っかけて固定している。


 「あ“ぁ”~」と声を漏らしてしまうほどの気持ちよさ。

 外の世界と水の世界の温度差に、少女は得も言えぬ快感に包まれる。さらに目を閉じて頭を空っぽにすれば、その心地よさが数段上がる。


 全身を覆っていた痛みと痒みを伴う灼熱感は、適度にヒンヤリした流水に洗い流され、次第に肌のザラザラ感もなくなっていった。

 先ほど自身で引っ掻いた腕のヒリヒリは、少女のことが大好きなようで、しつこく抱き着いてなかなか離れてくれない。


 だがしかし、そんなことさえも、この流水の前では無力と化し、純粋な多幸感が少女を覆っていく。


「すぅー……ふぅー……」


 鼻から吸って、口から吐く。

 寝息にも近い、力のない呼吸。


 水の浮力と川の流れで全身が揺れ、そのたびに筋肉が緩む。

 体内をめぐっていた力が吐息に交じって空に溶けていく。


 少女は大きく息を吸って、鼻をつまみ、目元に皺をつくりながら、水中に顔を沈めた。


 すると一瞬にして、少女の顔を冷たい感触が覆った。

 音のきこえ方も変わって、『ポコポコ』と籠った水の声が優しく響く。


 顔を沈めて数秒経つと、『ポコポコ』という音はなくなり、耳を塞いでいるときに感じる反響音のような音だけが鼓膜を震わせる。

 自分だけの世界に陶酔しつつも、ときおりきこえてくる川のなかを転がる石の音が、少女の耳に新鮮さをもたらし、これが単なる水のなかだということを思い出させる。


 やがて、少女の息は限界を迎える。

 顔と腹筋に力が入り、水の世界を楽しむ余裕がなくなってくる。

 そして、


「――ぷはぁっ!」


 川底に足をつけて、跳ねるように全身を空気中にさらした。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁー……気持ちよかったー!」


 顔にくっついた水を濡れた両手で拭い、上体を反らして大きく伸びをする。

 全身を覆っていた灼熱感はすっかりなくなり、頭のなかが本当の意味で冴えたことを少女は感じた。


 少女は「よしっ!」と意気込んで、岩の上に置いていた雨着を手に取り、水に浸した。

 それを揉んで、汗や土をしっかりと洗い流す。

 服を破ってしまわないよう、ひと揉み、ひと揉み、丁寧に。


 そして十回ほど揉んで、服を水から取り出した。


 繊維が垂れている裾、今にも破けそうな継ぎ目、変色しきってしまい洗っても取れない茶色い汚れ。それらを見て、少女は頷きながら言った。


「うん! いい感じ!」


 水を多く含んで、重くなった雨着。無理やり絞って破るわけにもいかないため、少女は「ふんっ! ふんっ!」と、雨着を力いっぱい上下に振った。

 服からはわずかに水滴が飛び散るも、もちろん振っただけでは簡単に乾いてくれない。


「これ、着始めたころは、すーぐ乾いてくれたのに……そもそも、水に入れてもこんなに重くならかったような……まっ、気のせいか!」


 少女は岩の上に雨着を広げた。


「これが乾いてくれないと、裸で森を歩き回ることになっちゃう。さすがにそれはしたくない……けど、それまでやることもないしなぁー…………うーーーん…………もう少し寝転がってよっと!」


 少女はゆっくりと座ってから、再び寝転がった。顔だけを出して、そのほかはすべて水中へ。


 目の前には先ほどよりも重厚感のある、黒ずんだ綿が広がっていた。


「うわ……雨降りそう……服、乾くかな。――ん? え?」


 寝転がって早々、少女の視界を埋め尽くしていた綿を、黒い鳥が横切った。

 これだけでは大したことはない、少女にとってもよくある光景だ。しかし、今、目の前で起きている現象に少女の目は丸くならざるを得なかった。


 口を半開きにして少女は呟く。


「なんで……こんなに鳥が、飛んでるの?」


 静寂だった森は一瞬にして鳥の鳴き声に溢れ、世界中の鳥がすべて集結したかのような大群が少女の視界を横切っていた。


 「ア“ァ”―! ア“ァ“―!」と、焦りをはらんだ鳥たちの狂騒は、周囲の鳥たちをも巻き込み、森にさらなる焦燥感をもたらしていく。

 寝転がっている少女の顔にかかった影に隙間はなく、まるで空中に大きな塊でも浮いているかのようだった。


 その幻想的な騒々しさに少女も思わず上体を起こす。


「すごーい、こんなの初めて見た……。鳥たちの飛んでいってる方向って……村の方? なんで急に……そういえば――」


 少女は首を左右に回して、周囲を見渡す。


「だれもいない。あの、おっきな動物の親子もきてないし……どうしちゃったんだろう?」


 この川付近にいつもいる、四足歩行の動物の親子が今日は見当たらない。

 地上には誰もいないのに、空には無数の鳥が焦ったように飛んでいる。


 少女は川に座ったまま再び鳥たちの大移動を「わぁー」とだらしなく眺め続け、数分の後、ようやく鳥が視界から消えた。


「あんなに急いで、どうしたんだろ? この場所が嫌になったのかな?」


「…………」


「うわ、急に静かになった……、変な感じ……。――今のは、いったい……」


(ズゥゥン……ズゥゥン……ズゥゥン……)


「え? 今度はなに!?」


 空に浮かぶ黒塊が村の方向へ飛んでいき、再び平穏が戻ってきたと思った矢先、森に重低音が響いた。


 少女は背筋を伸ばし、息を殺して音の方向に視線を向ける。

 木々の隙間から見える世界はあまりに狭く、森の奥まで見通すことはできなかった。


『見えない……けど、絶対に、なにか、歩いてきてる……』


 音は次第に大きくなっていき、やがて音がなるたびに地面に振動が伝わってくるようになった。

 木の実は落ち、石はカラカラと転がり、川の流れは不規則に。


『だれかいる? この震え方……だれかが【魔法】を使いながら近づいてきてる? でもこっちって、村の反対側……よね?』


 音は村人がいるはずのない方向からきこえてきている。

 それは、ここで暮らしている少女も足を踏み入れない、森のさらに奥地。

 村の屈強な猟師でさえ決して近づかない未知の世界。


(ズゥゥゥン……ズゥゥゥン……ズゥゥゥン……)


『二つ目だ……この感じ、【魔法】、ではない、かも……』


 少女に近づく二つの振動――


 村人が使っている魔法から出る音とは少し異なる、低く、雑じりがなく、そして律動的な――まるで巨大な人間が歩いてきているような、きく者すべてを身震いさせる音圧。


(ズゥゥゥン……ズゥゥゥン……ズゥゥゥン……)


 次第に大きくなってくる音と振動――


 『ミシミシ……』、『パキパキ……』、と巨木が殺され、地に()す音がきこえ始め――


 そして――呆然と森を眺める少女の視界にうつる木が不自然なほど大きく揺れた。


「――ハッ!!」


 少女は木の奥にいる異様な存在が、もう目の前まで迫ってきていることを悟り、岩の陰に身を隠す。


『絶対にバレちゃいけない……』


 森で平和に暮らしていた無数の動物が身を潜めるほどの“ナニカ”とかかわってはいけないと理解していながらも――しかし少女は岩の横からわずかに目を出す。


 やがて、川から見える木も倒されていき、


(ドォォォン……ドォォォン……ドォォォン……)


『なに…………アレ…………動、物?』


 そこには、二足で立ち、猫背でゆっくり歩く、木と同じくらいの高さの動物――――のような“ナニカ”がいた。


 人型の“ナニカ”の頭は毛皮で覆われており、二つの三角耳が頭の上に配置されていた。

 前に突き出た鼻と口周辺の毛皮は白く、目元や耳、後頭部全体は茶色に――


 手足もまた茶色い毛皮に覆われ、触れるだけで巨木を切り裂くほどの爪が鋭く突き出ている――


 それだけであれば、二足で歩く性質を持った、ただでかいだけの動物だと割り切ることができただろう。

 ――だが、


『……ホントに……生きてるの……?』


 瞳の存在しない目。

 口からだらしなく垂れ下がった長い舌。

 上下左右に無理やり引き延ばされたかのように整っていない輪郭。

 

 そして――




 それら以外を支配している――真っ黒な泥。




 体の先端以外を埋め尽くしているのは、ドロドロな黒い液体。

 胴体はすべて黒く、手足につながる関節も液体ゆえに曖昧。

 “ナニカ”の目や口、耳からも黒い液体がゴボリと溢れている。


 地に落ちた黒泥は、草土に染みていき、触れた存在をわずかに黒くする。

 “ナニカ”を構成している黒が地面にポタポタ落ち続けているにもかかわらず、ソレは一向に減る素振りを見せない。


 そんな、この世の法則を捻じ曲げたかのような生物が、木という障害物を気にも留めず――正面だけを向いて歩みを進めている。


 その光景を、少女は――



「…………」




 ――ただ黙って眺め続けていた。惻隠の情(そくいんのじょう)に目覚めたかのような哀れみの視線を向けながら……




(ドォォォン……………………)


「…………」


「??」


 “ナニカ”が少女のいる川に踏み入るとき、踏み込みの直前で時が止まったかのように、突如として足を止めた。

 それは、岩陰の少女が斜め上を見なければ顔が見えないほどの距離――もう数歩歩けば少女の真横を通り過ぎるくらい近くだった。


 突然の停止――少女は岩陰に隠れることを止め、体をさらして目の前の“ナニカ”になにが起こったのかをその場で立って確認する。


 “ナニカ”は依然として一点を見つめ続けており、少女の存在を気にもしていないようす――



 ――だった。



(……ゴギッ!!)


「わっ!!」


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