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20 ニコルの関心事

 23時、彼女のボーイフレンドがやって来た。我々を車で送ってくれると言う。車で来たから、水で良いと言いながら、テレサがウォッカを出すと、平気で飲んでいる。オイオイ、大丈夫か?

 テレサがポーランドで働いていた時、同じアパートに日本女性が住んでいた事は前に話したが、どうもその印象が強かったのか、その話しを始めた。どうもその話しから判断するに、俺がオシャベリなのだと言っているようだ。

 彼氏をドライバー替わりにして申し訳ない、と一言断りを入れたんだけど、単なる友達だと言われた。単なる友達がこんな時間に態々来るのか? 何やら訳ありではないかと思いながらも、深く突っ込まないのが礼儀だと、清子ちゃんから釘を刺された。彼に話しを振ると、彼もそう言っていた。何やかやと話してみると、結構気の良い男だってのが分かった。

 食事と会話を楽しみ、気が付くと0時半を回っている。テレサがこれからパリに繰り出してカフェでビールを飲もうと言い、男友達に車の運転を頼み出したので、満腹で、もう飲み食い出来ないからと辞退したんだけど、それじゃ夜のパリを案内すると言い出した。彼女がホストだからそうそう断るのも失礼だと思い、3人でOKしたんだけど。

 夜のパリをあちこち案内されたが、良く分からなかった。俺達3人が後席に座り、テレサが助手席で頻りに、あゝだこうだと説明してくれるんだけど、車の振動が良い具合に眠気を誘うんだね。


 凱旋門近くで大西君を降ろしてもらった。彼の親父さんのアパートがこの近くにあり、週末は父親と過ごすんだと。上手く逃げたな。

 その後は宿舎に向かってもらったが、彼女相変わらず俺に話し掛けて来て、眠いのも相まって殆んど生返事になってしまった、半分寝ていた状態だった。

 宿舎に着いた時は3時半。大変な一日だった。



13日目

 休日。昨日帰りが遅かったのもあって、必然的に起きるのが遅くなった。9時に朝食を取る。ヴァシリーがテニスに行かないかと誘ってくれたが、学生達が休みはルーブルに行きたいと言っていたので、丁重に断りを入れた。別の日に誘ってね。大西君を除いた11人を引き連れてルーブル見学に向かう。


 ルーブルは広い、広過ぎる。各ステージで何度も迷子になった。その都度フランス語や英語で出口を尋ねるが、全く知らない言葉が度々返って来る。色んな国からルーブル見学に来る人間がいる事が実感出来た。館内自由解散したのは不味かった。睡眠不足もあり、早く帰りたいのだが、若い奴は体力が有り余っているのか、集合場所に中々現れなかった。



 ようやっと宿舎に帰ったと思ったら、ホールにニコールがいて、俺を手招きしていた。そうだよ。休みに色々教えると言っていたのを覚えていたんだ。俺は寝不足もあって忘れていた。

「はい、アル元気?」

「OK。ニコールは?」


「OKよ。待っていたのよ」

「今、学生達を連れて、帰った処なんだよ」


「時間あるの?」

「大丈夫さ」


「良かった。それじゃ、昨日の続きをお願い」

「何処迄話したっけ?」


「仏性と輪廻は聞いたわ。色々聞きたいの、涅槃とか空とか等についてね」

「そうか、涅槃と空か。その前にコーヒー飲まして」


「どうぞ」

 彼女の同意を得て、俺は食堂に行って熱いコーヒーをもらった。睡眠不足なので、カフェインが必要なんだ。飲み終わり、ニコールの処に戻り、説明を始めた。


「初めは涅槃から説明するね。これは輪廻から解放された状態の事を示す言葉で、仏教の目標さ。理解した?」

「えゝ。理解した」


「次は空だね。これは、現実世界には実体がないと言う考え方なんだ。ニコールはデカルトを知ってるよね」

「えゝ。フランス人なら誰でも知っているわ。“我思う、故に我あり”ね」


「その通り。周りの物が本当に存在するのか、しないのか疑わしくても、己の思考は疑う迄もなく存在する。だから自分も存在する。これがデカルトの考えだよね」

「そうよ」


「その考えを更に進めて、自分だけは確たる存在であると考える事自体が怪しいんだ。確実なものは何もない、全ては虚仮である、空っぽ、虚しい、実体がないという事。全てが仮初めなんだと」

「その考えも妄執ではないの?」


「良い事言うね。しかしね、仏陀は、それも迷いによる執着なんだよと。仏陀の言葉を理解し、その理を修行によって悟る事が大切なんだと言っているんだ。知識として覚えるだけでなく、物事をありのまゝに見極める事が出来る状態になれば、空が分かると」


「何を言っているのか分からない。言葉の定義ではなく、実体を知りたいのよ」

「確かに。俺が今迄話した事は単語の定義だからね。その実体を知るにはどうすべきか? 基本的に在家では無理です。専門に学ばなければならない。そんなん無理だよね。俺にも無理だよ。だけどそれに近付ける方法はあるのさ」


「『近付ける』って、どういう意味?」

「涅槃に至る事は出来なくても、輪廻を断つ事は出来なくとも、来世では涅槃に至れる境遇に生まれるだろうって事」


「それで、その方法って?」

「“八正道”と言うもので、正しい思考、意思、言葉、行動、生活、努力、意識、精神を持つ事さ」


「戒律を守る事ね」

「そう理解して」


「違うの?」

「大筋では合っているけど、通訳するのが難しんだよ。俺達がカソリックの教義に詳しくないのと同じだろ」


「そうね」

 このような遣り取りが1時間は続いた。彼女が何故知りたいのか聞かなかったけど、随分詳しかったから、キリスト教か、教会に対する不満があるんだろうと思っていた。後、クンダリーニの覚醒云々言っていたけど、ヨーガは詳しくないので、勘弁願った。

 セリーヌもカソリックの教義について強調していたけれど、ニコールも宗教について造詣が深いと言うか。フランス女性はそうなのかな?



14日目

 学生と共に受講室に入る。ヴァシリー、オルガ、アレクセイがいない。ホワイトボードに“今晩、フランソワーズの家での晩餐にクラス全員が招待された”と書かれてある。知らない名前だ。活字体で書かれているので学生も理解したらしく、「服装は?」、「身だしなみは?」、「美容室云々」と早速事前打ち合わせが始まった。


 午前中は消費税について学ぶ。直間比率で言うと、所得税より消費税の方が、税収が多いらしい。

 午後はジョルジュ・シトシン(マーケティング研究所)にて講演を聞き、その後フランソワーズに招待されている為、宿舎に戻らず、そのまゝ行く事にした。



 講演にヴァシリー、オルガ、アレクセイは参加しなかった。何かあったのかな? 少し心配ではある。

 シトシン氏の講演の前、聴講生全員が自己紹介をした。こちらに来て2週間を過ぎ、学生の語学力も上がったのが分かった。全員、簡単ではあるが自己紹介をし、中にはジョークを混ぜて話す者もいた。俺も耳が慣れたせいか、BとV、LとRの発音の違いが分かるようになった。

 学生以外は貿易関係、マーケティング関係の者が大半であった。


 シトシン氏が言うには、国内では日本製品がフランス製品を凌駕しているが、初めから日本製が優秀であった訳ではなく、品質管理、市場調査、彼等の努力が我々を上回った結果であると。

 ソニー、ホンダ、トヨタの製品は世界から愛され、購入されている。その名前だけでフランス人は安心して購入出来るのだと。彼等の一層の努力でブランドが確立され、消費者は彼等から購入し、他からは買いはしない。ブランド名に対する安心感、満足感がその行動を促すのだと。それ故、フランス人は努力(実際は勤労)しなければならないと。

 一人のフランス人が何回か質問していたが、段々熱が入って来たのか早口になり、何を話しているのか分からなくり、学生に通訳出来なかった。 シトシン氏は「全く」、「全く」と相槌を打っているので、議論の内容が?

 結論として、ブランドを確立しなければならない、その為にはもっと働け。そう言っているのだろうと学生には伝えたが?


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