52 祝福の鐘
次々にやってくる渡し舟を眺めながら、ペリーウィンクルはバスケットからクッキーを取り出す。
自身の口へ運ぶ途中、手首を掴まれて引き寄せられた。
「あ」
あっという間に指ごとクッキーを食べられる。
恥ずかしさに、ペリーウィンクルは顔を真っ赤にして怒った。
「ちょっと、ヴィアベル! 見られていたらどうするのよ」
そう言う彼女の視線の先には、今年新たに入学する予定の妖精使い見習いたちがいる。
見られるのは彼らから、ということだろうか。
怒るペリーウィンクルに、ヴィアベルは「なんだそんなことか」としれっと答えた。
「見せつけているのだ。こいつは私のものだから手を出すなと」
「〜〜!」
言葉にならないのか、ペリーウィンクルの唇がハクハクと開閉する。
ちらちらと見える舌はまるでキスをねだっているようで、ヴィアベルはたまらず顔を寄せた。
──ぎゅむ。
ペリーウィンクルの手のひらが、ヴィアベルの美貌を容赦なく押し除ける。
他愛ないスキンシップさえ嬉しくて仕方がないヴィアベルは、クツクツと笑いながら「今夜の楽しみに取っておこう」と甘ったるい声で言ってのけた。
ローズマリーたちを見送ってから、二カ月が経った。
夏が終わり初秋になる頃、スルスに新たな生徒たちがやって来る。
あれから──ヒロインことリコリス・ハーパーは、卒業パーティーの場で妖精たちに連行されたきり、誰も姿を見ていない。
妖精たちのうわさによれば、彼女は今も花泥棒以外の罪を認めていないらしい。誕生花に肥料を与えた件、そして名もなき生き物を生み出してしまった件については、すべてスヴェートが勝手にやったことであると無罪を主張しているようだ。
そもそもリコリスが卒業式に参加できたのも、卒業パーティーに参加できたのも、全ては妖精の女王が許したからに過ぎない。ローズマリーとソレルによる茶番を観賞したいという、彼女のわがままで叶った場だった。
誕生花に関して彼女は一切関与していないと言うならば、卒業なんて認められるわけがない。
関与していたら、肥料を与えたことについて罰せられ、関与していないなら自ら卒業のチャンスを棒に振ったことになる。
どちらにしても卒業できないのだから、より罪が軽い後者を選ぶのも頷けた。
本当に男が目当てでやって来たのだな、とペリーウィンクルは呆れるが。
気まぐれで飽き性な妖精たちは、一向に罪を認めないリコリスに嫌気が差してきている。全ての罪が詳らかになるのが先か、それとも妖精たちが匙を投げるのが先か──。
ヴィアベルが冬の国と連絡を取っているのを見る限り、後者になる確率は高いだろう。なにせ彼は、冬の国で一番厳しいと言われている修道院──問題がある女性犯罪者を収容する牢獄──に空きがないか聞いていたのだから。
名もなき生き物は、捕獲されてからしばらく経っても種に戻されることはなかった。
種に戻すという試みをする前に、一部の妖精から「名もなき生き物について研究するべき」という声が上がり、保護観察という形を取ることになったのだ。
面白いことに、名もなき生き物は人が作った菓子を食べることで成長するらしい、ということがわかった。
一つ目の菓子で舌を、二つ目の菓子で手を得た名もなき生き物は、実験に協力する代わりに大好きなママと一緒に暮らすことを望んだ。
妖精王はそれを面白がり、スヴェートの幽閉をあっさり解いたばかりか、中央の国の外れに離島を作り、家まで建ててやったらしい。
『これで女王はわたしのものだ!』
という独占欲のかたまりのような言葉は、妖精王のものである。
ペリーウィンクルは知らなかったのだが、どうやら彼がスヴェートを生贄にせよと命じたのは、スヴェートが妖精の女王のお気に入りだったからのようだ。
愛する女王を取られていじけていたのだと聞かされたときは、ペリーウィンクルも呆れるしかなかった。
だが、妖精の番に対する習性とやらを聞かされては、仕方のないことだと思わざるを得ない。
曰く、妖精は基本的に気まぐれで面倒くさがりだが、番だけは例外であるらしい。
番がいる妖精は常に番が気になって仕方がなくなり、困っているなら助けずにはいられなくなり、目が届かないと心配で夜も眠れず、無視されたり要らないと言われた日には死にそうになる──そうだ。
その話を聞いた時、ペリーウィンクルが思ったのは「なるほど」だった。
もう随分前のことのように思えるが、ヴィアベルが「殺す気か」と言ってきたことがあった。
あの時の言葉は、おそらくそういうことなのだろう。
涼しい顔をして翻弄してくるあのヴィアベルが、ペリーウィンクルの一言でそんな思いをしていたのかと思うと、嬉しくてたまらない。
同時に、もっと困らせて夢中にさせたいという意地悪な気持ちが湧き上がる。
ペリーウィンクルは自分の中にそんな感情があったことに驚いたが、それほどまでに彼が好きなのだから仕方がないかと納得もした。
「ねぇ、ヴィアベル」
「なんだ?」
くつろぎきった顔でクッキーを咀嚼するヴィアベルの腰に腕を回し、ペリーウィンクルは甘えるように身を寄せる。ヴィアベルはそんな彼女の体をひょいと抱き上げ、自身の体の上に乗せた。
ヴィアベルの腰のあたりに馬乗りになるような体勢に、ペリーウィンクルの頬が赤く色づく。
「えーっと、その……」
困らせてやろう、と。そう思ったのだが、思いのほかこれが難しい。
大人の女性みたいにスマートにできないことを悔やみつつ、それでも思いついたいたずらがこれしかないのだから仕方がない。
「どうした?」
この涼やかな顔を崩すためだ。
ペリーウィンクルは、覚悟を決めた。
だけどやっぱり恥ずかしかったので、ヴィアベルの胸に顔を埋めてごまかす。
「夜じゃないと、だめ?」
くぐもった声は、確かにヴィアベルの耳に届く。
今にも消えそうな弱々しいお誘いに、彼の顔から表情が抜け落ちた。
「ペリー……」
顎を掬われ、上向けられる。
初めて見る、怖いくらい真剣な顔に、ペリーウィンクルは息をすることも忘れた。
ヴィアベルが最も愛するブラックオパールのような目が、ゆっくりとまぶたに覆われていく。
安心しきった顔をして身を預けてくる腕の中の少女に、ヴィアベルはひそかに幸せを噛み締めた。
そして、その気持ちをたっぷりと思い知らせるために、唇を寄せる。
唇が合わさる瞬間、スルスで鐘の音が響く。
それはまるで、二人を祝福しているようだった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この物語は、これにて完結となります。
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