11、脱出
私の考えでは、三階から降りるのが妥当であると考えていた。
エドワードが言っていたフィーネトレッドは、直径一センチの細いロープみたいなものなのだが、その細さの割にかなり頑丈であるため、こういう現場ではよく使われる。そしてそれは、三階からでも長さがあれば十分降りることができるが、今回はアスカがいるし、できうる限り仲間がいる場所にいち早く着いたほうがいい。
それに、今持っている長さとスピードとアスカのことを考えると、それが妥当であると考えた。
私たちは三階につくと、南に面した部屋に入った。誰もいないことを確認し、急いで窓を開けようとするのだが、長い間空いていなかったせいであろう、なかなか開かない。
「開かないの?」
心配そうにアスカが声をかける。
「大丈夫よ」
そういうと私はアスカを後ろに下がらせ、その窓の鍵がかかるところに拳銃を構える。そして一発入れると、そのあとすぐに回し蹴りで窓を蹴った。
「でやっ!」
すると、ガコン!という音と窓ガラスが割れる音がした。風が南から北西に吹いているため、ガラスの破片がこちらに入ってくる。私はとっさにアスカを庇い、ガラスの破片をしのぐ。
「んぐっ」
かばわれたアスカは私の肩に鼻をぶつけたようで、痛みをこらえる声を出していた。
「さて」
私は開いた窓ガラスから、掌に収まる大きさの円盤型の機械を二つ取りだした。これは、フィーネトレッドをしっかりと張るための道具で、片方をこちら側に、もう片方を向かう場所に放り投げる。すると、ピンと張り、安全に移動できるように固定してくれる。
私はそれを放り投げ、できるだけ遠くに飛ばそうとするのだが、風があって上手くいかなかった。だが、こちらに残っているもう一つの円盤のパネルには、もう片方の円盤の位置情報があり、そこに点滅している点をスライドすると、目的側に向かった円盤が移動するのである。私はそれを使い、できるだけ円盤を遠い所に向かわせる。フィーネトレッドの限界までやろうと思ったのだが、三階からの角度だと全部の長さを使わなくて済むようだった。
「さあ、アスカ行けるわね?」
そういうとアスカは頷き、ダッフルコートの中に隠していたバッグから、フィーネトレッドを伝っていくフック上の機械を出し、自分とそれをうまくつないで、命綱とした。ここまで来れば、もうフックが勝手に操作をしアスカを下まで導いてくれる。
彼女はあの老人にもらったプレゼントをほんの二、三秒見つめていたが、すぐにカバンにしまった。だが、その動作は大切なものをしまうように丁寧だった。
「エドは?」
アスカは降りる際に私を振り向いて彼のことを確認したが、私にも分らなかったので首を振った。
「分からない」
だが、彼のことだ、と思ったので、
「でも、何も心配はいらないわよ」
と私はアスカに笑顔を向けた。彼女はそれを見て頷き、窓枠を蹴って下に滑っていった。
「こちらメアリー。今、アスカが下りていった。あとはよろしく。どうぞ」
私はトランシーバーでアスカを無事におろしたことを伝える。すると、
『了解』
短くリサの返事が聞こえた。彼女は現場に自分の娘を連れてくることは幸せであるとは感じてはいたが、それでもやはり危険に巻き込んでしまうことを、内心ではよくは思っていないのだろう。彼女の短い返事には、不安が払拭された安堵が感じられた。
「さて」
私もアスカと同じように下に降りなければ、と思い準備をする。だが、エドワードがまだ来ない。私は不安に駆られながらも、窓枠に座った。すると、
「ここにいた」
軽く息を切らしたエドワードが入ってきた。
「なにしてたのよ」
私は彼を思いやる言葉を一切かけずに、ただ、私の気持ちをかき乱した彼にそう一言言い放った。
彼は私のいつもの反応に、笑った。そして自身も降りる準備をし始める。
「少し探したんだって」
「拳銃を使ったんだから音は聞えていたはずでしょ?」
「手厳しいなあ…そんなんで分かるなんて犬ぐらいなもんだろ…」
「あなたの本能は犬並みでしょ。分かっていたんならさっさと降りてくればいいのよ」
すると、エドは突然私の顔を覗き込んだ。
「心配した?」
だが私はそっけなく答える。
「任務が終わらないかと思った」
「素直じゃないね」
「アスカは無事に下りたわよ」
彼はそれを聞くと嬉しそうに笑った。
「もう一人でやれるんだな」
「降りるのだけはね」
「大したもんだよ」
「私も行くわよ」
私は前を向いて、すぐに下りる態勢に入った。そうでなければエドワードが下りられない。
「ごめん」
だが、突然彼は言った。
「なにが?」
その時、トランシーバーで会話をしている人の声が聞こえた。その中でアスカは無事に生還したようだった。歓声も聞こえる。
「あの人を助けることができなかったことだよ。説得できなかった」
「ああ」
私はそういいながら灰色の空を見上げた。
「私は別に気にしていないわよ」
「嘘だ」
彼は私の言葉を否定し、私の中にある別の心を読む。
「何故そう思うの?彼はもうここで生きようって決心していたじゃない。私は神様じゃないもの。彼の決心を変えるとなんてできないわ」
「神なんて信じていないくせに。そう言うこと言うな」
私はため息をついて、エドワードの言葉を認めた。
「ええ、そうですね。ったくなによ…。もう行くわよ」
すると彼は私の髪をかきまわした。
「なにすんのよ!」
私が彼に吠えると、彼はにっと笑って言った。
「それでいいんだ」
「はあ?」
彼の意図することがよくわからない。
「さ、早く行こう!俺が帰れなくなる」
そして彼はいつもの無邪気な笑顔になっていった。あの老人の前で見せたり、今私がみたあの静かで大人のような笑顔ではなくなっていた。私はふざけたことを、と思いながらも窓枠を蹴った。