9、思い出の品
「私はここで人生を終えようと思っているんだ」
そして彼は、手に持っているクリスタルについている薇をまいた。そこから音楽が流れる。
「アヴェ・マリアだよ」
オルゴールだった。彼はそれを優しく撫でる。
「妻が好きだった曲なんだ」
ぽろん、ぽろんと優しい音が聞こえる。大きいオルゴールほど長いメロディーではないし、音質も高音域ばかりなのだが、不思議と落ち着きのある音色なのだ。私は目を細め、彼のそばにいた彼の奥さんを想像していた。
「クリスマスの日に必ず僕がピアノで演奏をしてあげていたんだけど、年に一度ここでしか弾かないものだから、いつの間にか鍵盤を押す力が弱くなってしまってね。だから代わりにこのオルゴールを贈ったんだけど、返されてしまった」
老人は力なく笑った。私はそれを見ながら、彼の人生は奥さんがいてこそ一つのしっかりしたものだったのではないか、と思った。今見る彼は優しいが、力強さに欠けている気がした。
「そんなことないです」
だから、私は言った。
「きっと今でも、奥様がおじいさんを見ていてくださっています」
そういうと老人は微笑んだ。
「ありがとう」
すると老人は私の傍に寄ると、しわくちゃの手で私の手を取った。
「私はもう長くない。だから、これを持って行っておくれ」
彼は私の手にクリスタルの美しいオルゴールを乗せた。
「ここで会ったのも何かの縁だ。君たち家族に幸せが来ることを祈って……」
「でも、これは…、とても大切なものなんじゃ…」
「いいんだ。私がいなくなった後捨てられてしまうより、誰かに持っていてもらった方が嬉しいから」
そう言われたら、受け取らないわけにはいかないと思った。
「…分かりました。大切にします」
私は言った。
「あの、それでお聞きしたいことが…」
と、私が老人の名前を聞こうとした時だった。通信を切っていたトランシーバーのバイブ機能が震え出した。