道化遊戯 正義しか見なかった刑事と正義の味方になれなかった探偵の回想 三田守 その3
地下鉄九段下駅に三田守が来たのは、タクシー運転手のご祝儀を伝えようとしたためである。
北斗千春と一緒に。
「だって、旦那様逃げるでしょ?」
ぐうの音も出ないほどの正論で、実際逃げようと考えていただけに三田守も苦笑するしかない。
という訳で、エレベーターのボタンを地下にしてドアを閉めようとした所に声がかけられる。
「そのエレベーター。待って!」
入ってきたのはパーティードレスの妙齢な女性だった。
妙に煽情的な衣装でも下品に思わないのは、着ている女性がその気でないからなんて三田守に分かる訳もなく。
「知り合いが居たから入ったけど、チハル。久しぶり。
あんたこんな場所に出てくるのいつぶりだっけ?」
「神奈一門の後継者候補を外れてからだから、二年ぐらいかしら。
久しぶりね。ユーラ。
旦那様。こちらの人はユーラ・タチアナさんで樺太酒造の東京支社長よ」
「『はじめまして』樺太酒造のユーラ・タチアナよ。よろしくね♪」
三田守は初対面ではないのだが、場に流されてそれを言う空気でもないので黙っていると、ユーラが出した名刺を受け取って自分が名刺を持っていないというか作っていない事に気づく。
「あ、すいません。名刺持って……」
「ありますよ。旦那様」
そう言って北斗千春が三田守の名刺をユーラに手渡す。
何時作ったのだろうとか、どうしてこの人たちこんなに場を作って流してゆくのかなんて頭に渦巻くが、思ったのはただ一つ。
(インターネットカフェ『ズヴィズダー』副店長。
それが俺の公的身分なんだな……)
そんな感慨深さも到着してエレベーターのドアが開けば忘れる程度の事。
そして、九段下駅の異様な空気に、まずユーラ・タチアナが反応し、続いて北斗千春、三田守は二人の反応でようやく察する始末。
「二人は上に戻った方がいいかも」
「ご心配なく。旦那様が守ってくださいますから。ユーラさんこそパーティーに出られるのでしょう?」
「私もご心配なく。修羅場はなれていますから」
にっこり。
にっこり。
笑顔とは本来攻撃的なものであるとは何処で聞いたかなんて考えるよりまず体が動いた。
着飾った美女二人のマウント合戦から逃げたと言ってはいけないが、エレベーターから出てしまい警備員のメイド二人が駆けてゆく方向を見ると改札口に武装は持っていないパワードスーツの警備員が大声を張り上げる。
「誰か駅員をここに戻してくれ!
俺じゃ対応ができない!!」
その声に聞き覚えがあったからこそ、三田守は駆けて声を出してしまった。
三田守。自称真面目系クズの上に流されやすい男でもあった。
「ゲオルギーさん!」
「おう。三田の坊主。来ていたのか」
「来たくて来たんじゃないですよ……って、それよりどうしたんです?」
「駅員が足りん。改札口で厄介事だ」
言いながらゲオルギー・リジコフはパワードスーツの上から改札の方を指す。
その先でガラの悪いスーツ姿の男が二人互いの胸ぐらを掴み合っていた。
真昼間のサラリーマン同士の喧嘩には見えないが、裏社会の喧嘩にしては目が据わりすぎていて、互いの間合いが妙に近い。
片方が相手を改札機へ叩きつけ、もう片方が足を払う。
改札機の赤いランプが明滅し、周囲の一般客が悲鳴まじりに距離を取る。
「てめぇ、どこ見て歩いてやがる!」
「そっちこそ、人の道を塞いでんじゃねぇよ!」
「失礼します。この駅の警備の者ですが……」
「メイド風情が邪魔すんじゃねえ!!」
三田守と一緒に来たメイド二人はこれの対処で呼ばれたのだろう。
メイドに暴言は吐くが、喧嘩相手ではないので手を出さない理性はあるのかと三田守が感心しようとするまえに、ゲオルギー・リジコフの声が届く。
「あれ、ただの喧嘩じゃないな」
「え!?」
怒鳴り声そのものは、駅の揉め事としてはありふれていた。
だが、二人とも相手の顔より改札の向こう側を気にしている。
その違和感に三田守もようやく気づく。
「……あれ、喧嘩に見せてるだけですか?」
「見せてるだけじゃない。本気でもある」
ゲオルギーの声が低い。
「互いに、相手をここで止めたいんだ」
さっきまでロッカー封鎖やホーム対応に散っていた駅員が、今度は改札口へ呼ばれる。
無線が飛び交い、立入禁止テープを張っていた警備員の一人も駆け戻ってくる。
「救急要請! 急病人一名、意識あり、嘔吐しています!」
「改札前、人を下がらせて! 通路を空けてください!」
「……いやな流れだな」
ゲオルギーが呟くのとほぼ同時に、改札横の業務導線が開いた。
救急隊を最短で通すためだろう。
駅員が一般客を押しのけ、改札機横の簡易ゲートを外す。
「救急優先です! そこを開けてください!」
その判断自体は、正しかった。
だが、正しい判断ほど利用しやすい。
「坊主。よく見ろ」
ゲオルギーの声に、三田守は息を呑む。
救急隊が担架を持って改札口へ急ぐ、その人の流れの陰。
別々の方向から、二人の男が業務導線へにじり寄っていた。
一人はくたびれたジャケット姿の中年男。
帽子を深くかぶり、片足を少し引きずっている。顔色が悪い。
もう一人は駅員風の上着を羽織っているが、腕章の位置が微妙におかしい。いかにも間に合わせの偽装だ。
しかも、二人は互いの存在に気づいてしまった。
「……てめぇ」
帽子の男が低く唸る。
駅員風の男も足を止め、目だけが険しくなる。
「先に通す気かよ」
「そっちこそ、誰の順番を抜くつもりだ」
三田守は思わず顔をしかめた。
更に厄介事が増えたとしか思っていないが、口からそれが漏れる。
「何ですかあれ……」
「逃げるんじゃない」
「は?」
「逆だ」
ゲオルギーの言葉に、三田守は首をかしげるばかり。
警察に捕まりたくない人間の動きではなく、どちらも怯えてはいる。だが同時に焦っている。
自分が先に通らねばならないという焦り。
その時、最初に喧嘩していたスーツ姿の二人のうち片方がその二人を見つけた。
「いたぞ!」
怒鳴り声が響く喧嘩相手も声をあげた。
「そいつらだ!」
もう片方もその声で振り返り、倒れた急病人の周囲にいた客まで一斉にざわめいた。
喧嘩していた二人が互いの手を離して見つけた男の所に行こうとした所を警備メイドに止められる押し問答が発生。
救急隊が「下がってください!」と叫び、担架を持ち上げる。
駅員は急病人と喧嘩と侵入未遂とで、完全に手が足りない。
「何なんだよもう……!」
三田の叫びは、誰に向けたものでもなかった。
帽子の男が、半ば叫ぶように業務導線の先へ身を乗り出しゲオルギーに止められると叫ぶ。
「警察に話がある! 通せ!」
次いで駅員風の男が、相手の肩を掴んで引き戻しゲオルギーに訴える。
「ふざけるな! そいつの話より俺の方が値打ちがある!」
その一言で、現場の意味が一変した。
三田守が呆然とする横で、ゲオルギーは低く舌打ちする。
「やはりそうか」
「どういう事です?」
「連中は逃げたいんじゃない」
駅の騒ぎをただの混乱から、意図を持った異常事態へ変える一言をゲオルギー・リジコフは口にした。
「売り込みに来てる」
名刺
名刺交換をする身分がないと、名刺交換をする場所に行けないと作家になって気づいた私。
小説家の名刺の前は『フリーライター』を名乗っていた。




