道化遊戯 正義しか見なかった刑事と正義の味方になれなかった探偵の回想 愛夜ソフィア その2
花嫁控室では、花嫁である愛夜ソフィアがウェディングドレスの着付けを行っていた。
ちっとも嬉しくない顔で。
その理由を彼女は愚痴として吐き出す。
「そりゃあ、式をあげたいとは言ったし、安くとも言ったわよ。
何でこんな場所でこんな形で式を挙げる事になったのかしら?水樹ちゃん?」
「安いじゃないですか!ただですよ!!た、だ!」
「『只より高い物はない』ってことわざを今噛みしめているわよ……ええ……」
ウエディングドレス姿でぼやき続ける愛夜ソフィア相手にどこ吹く風の神奈水樹。
安く式を挙げたいと彼女の上に言ったのが運の尽き。
その上の名前が桂華院瑠奈という、政商桂華グループの実質的トップだった事が話をややこしくし、そんな彼女を狙った新宿ジオフロントのテロを未遂で防いだメンバーに愛夜ソフィアが入っていたのが更に運の尽き。
豪勢な結婚式を九段下桂華タワー内部の桂華ホテル九段下でただで行えることになったのである。
「でも、きれいですよ?」
「やめて。そういう真っ当な褒め方されると、逆に落ち着かない」
「真っ当じゃない褒め方って何ですか」
「そうねぇ……『今日一日でいくら稼げそう』とか?」
「最悪ですよその基準!」
きゃはは、と神奈水樹が笑う。
それにつられて愛夜ソフィアも少しだけ笑った。
鏡の中の自分を見る。
白いドレスに、慣れない化粧。きちんとまとめられた髪。
こんな格好は場末の店で何度か冗談半分に着せられたことはあっても、真正面から『花嫁』として飾られるのは初めてだった。
「……似合ってる?」
「はい」
「即答ね」
「だって、似合っていますし。近藤さん、たぶん腰抜かしますよ」
「どうかしら。あいつ、こういう時ほど困った顔しかしないわよ。
たぶん今頃、花婿控室で胃を痛めてる」
「あー。それわかります」
その言い方がおかしくて、愛夜ソフィアは肩をすくめた。
まったくその通りだったからだ。
近藤俊作。
あの男は、危ない橋を渡る時ほど妙に腹が据わるくせに、こういう真っ当な場になると途端に落ち着きを失う。
今この塔のどこかで、きっと似合わない礼服を着せられて、似合わない笑顔の練習でもしているのだろう。
「……まあ、でも」
「はい?」
「今日ぐらいは、普通に祝われてもいいかなとは思ってるのよ」
「おお」
「何よその顔」
「いえ、愛夜さんが殊勝なことを言う日もあるんだなって」
「蹴るわよ」
「ドレスでですか?」
「蹴るわよ」
言いながら、愛夜ソフィアはほんの少しだけ目を伏せた。
今日ぐらいは。
今日ぐらいは、裏の話も、金の話も、誰が誰を利用するのかも忘れて、ただの花嫁でいたい。
そう思ったのは事実だった。
だが、そういう願いはたいてい高くつく。
控えめなノックの音が響いたのは、その時だった。
「失礼いたします。愛夜様に、お祝いのお花が届いております」
控室の扉の向こうから、ホテルスタッフらしい女の声がする。
愛夜ソフィアも近藤俊作も来てくれる身内はおらず、そもそもこの式が内々で行われる式である。
神奈水樹が愛夜ソフィアの顔をうかがった。
「どうします?」
「どうするも何も、この状況で来る“お祝い”なんてろくでもないに決まってるじゃない」
「それでも受け取るんですね」
「結婚式当日に突っ返したら角が立つでしょう。表向きはね」
神奈水樹が扉を開けると、桂華ホテルの係と思しき女が、上品にラッピングされた花束を抱えて入ってきた。
純白の包装紙に銀のリボン。
いかにも一流ホテルの婚礼にふさわしい、気の利いた祝い花という体裁である。
「差出人のお名前は?」
「名前は聞かないでくれと。
支払いは既に行われておりますが、指示された花についてはこちらでご用意させていただきました」
「なお悪いわね……」
係の女が一礼して去ってゆく。
扉が閉じるのを待って、神奈水樹が花束を受け取り、テーブルの上に置いた。
「きれいですね」
「見た目はね」
愛夜ソフィアはそう言って花束に目を落とす。
白を基調に整えられた花々の中に、赤がひどく鮮やかだった。
赤いアネモネ。
その合間に、雪の雫のようなスノードロップ。
祝いの場らしく明るく見せようとしているのか、黄バラも混じっている。
神奈水樹が首を傾げる。
「どうかしました?」
「……趣味が悪いわね。ホテルスタッフも苦労したでしょうに……」
「え? そうです? 私はきれいだと思いましたけど」
「だからよ。綺麗に見えるようにしてあるのが、なお悪い」
愛夜ソフィアが花束に手を伸ばし、赤いアネモネを指先でそっと撫でる。
それだけで、昔の記憶が嫌になるほど鮮明によみがえる。
安酒と煙草の匂いが染みついた薄暗い部屋。
場違いなくらい鮮やかな赤い花を、似合わない手つきで差し出してきた男。
柄にもなく気取った顔で、「高い花じゃない」と笑っていた。
――君を愛す。
そんな花言葉まで口にしていたのを、ちゃんと覚えている。
「……まさか」
小さく漏れた声に、神奈水樹が反応する。
「愛夜さん?」
「赤いアネモネ。スノードロップ。黄バラ」
「はい」
「花言葉を並べると、最低の手紙になるわ」
神奈水樹がおーと納得した顔になる。
そんな彼女の顔を放置して愛夜ソフィアは、ひどくうんざりした顔で花束を見つめたまま呟いた。
「“お前を愛してる”。“助けてくれ”。“もう壊れている”――そんなところかしらね」
「は?」
「昔の男よ。こういう、気取ってるくせに趣味の悪い真似をするの」
「おー。何だかドラマみたいですね」
神奈水樹の顔に楽しそうな色が混じるが、愛夜ソフィアは目を閉じて幸せな結婚式を呪わないように長く息を吐いた。
「なるほどね……。顔も出さず、名前も書かず、それでいて私には分かるように寄越したわけだ」
「え、ちょっと待ってください。じゃあこれ」
「ええ。当たりよ。
昔の男が、結婚式当日の花嫁に祝い花を贈ってきたの。最低でしょう?」
祝いの花束。
花嫁への贈り物としては、どこにもおかしくない。
だが愛夜ソフィアにとっては、それは過去から突き付けられた私信だった。
赤いアネモネ。
あの男が、安いくせに見栄えだけはするからと好んでいた花。
スノードロップ。
昔、逃げるように別れたあとで一度だけ届いた手紙に、『雪が解ける頃には、少しはましな男になってる』と書いてあった。その文の端に、この花の名前があった。
黄バラ。
最後に喧嘩別れした夜、店の裏口に一本だけ置かれていた花だ。
あの時は気障だと思っただけだったが、あとで花言葉を調べて、愛夜は笑った。
笑って、腹が立った。
「……どこまで行っても、趣味が悪いわね」
吐き捨てるように言ってから、愛夜ソフィアは花束をテーブルに置く。
見た目だけなら、本当に見事だった。
だからこそ腹が立つ。
「どうします?」
「どうするも何も、これだけで十分すぎるほど伝わったわ」
どうせ支払いも足がつかない手を使っているのだろう。
このクラスのホテルスタッフが花言葉の意味を調べない訳がないので、作られた花束にはカードすら差し込まれていない。
だからこそ、鮮明なメッセージとなって愛夜ソフィアに伝わってしまう。
『君なら、まだ意味を覚えているだろう』
と。
神奈水樹が息を呑む中、愛夜ソフィアはしばらく黙って花束を見つめ、やがて呆れたように笑った。
「ええ。覚えてるわよ。嫌になるほどね」
祝福の花に偽装した、助けを求める合図。
しかも、ただの未練ではない。
この場、この塔、この式が、すでに誰かにとっての釣り堀になっていると分かった上で、わざわざ寄越してきたのだ。
つまり――。
「愛夜さん……」
「ええ。そういうこと。
あいつ、もう詰んでるのよ。
だから昔の女を思い出したんじゃない。昔の女を、最後の逃げ道にしようとしてる」
鏡の中の花嫁が、ひどく綺麗で、ひどく嫌そうな顔をしていた。
「結婚式当日ぐらい、普通の花嫁でいさせなさいよね……」
そう呟いても、花束は何も答えない。
ただ甘い香りだけが、控室の中に静かに広がっていた。




