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「おいっ! ちょっと待てっつってんだろ! 俺は善良な一ハイプリステス市民だ! わかってんのか!」
「言い訳なら聞かん!」
エルヴィンは男の懐に鋭く潜り込み、鳩尾に肘鉄を叩き込む。しかしその腹は鋼鉄のように固く、全く手応えが無い。男は顔をしかめると、エルヴィンの腕を掴んで引き寄せる。
「待て。俺の話を聞いてくれ。俺はたまたま居合わせただけで……って、酒臭いぞお前! 酔っ払ってんのか?」
男は顔をしかめると、素早くエルヴィンを突き飛ばした。よろめきながら、エルヴィンは男の困ったような顔を睨む。気は酒の勢いでふわふわしていたが、それくらいのことで判断力を落としたつもりは無かった。
ほんの少し前まで息をしていたであろう女が死に、その傍に血まみれで男が立っている。これで見逃すのはバカというものだ。
「たかが酒の一杯二杯だ。貴様を捕らえるためには支障無い」
「はぁ? ちょっと待ってくれよ……」
男はうんざりした顔で呻き、鋭く蹴り込んできたエルヴィンの足をよろめきながら何とかかわす。男はその時、はっとして声を上ずらせた。
「お前、あのフォックスか?」
エルヴィンは殴りかかろうとした手を一瞬止める。今でも覚えている奴がいたのかと、うっかり感慨深い思いをしてしまったのだ。これではいかんと自分を叱咤すると、鼻先を撫でて構えを取り直し、眉間にはきつく皺を寄せた。
「ああそうだ。綺麗に隠居する前に、気まぐれでぶらぶら回ってみたらこの有様だ。イーストサイドは相変わらずだな!」
「うるせえ酔っ払い! この善良な小市民をいじめにかかるたあ、ハイプリステスのヒーローも落ちぶれたな!」
「黙れ! 余計な話で気を逸らそうという気だろうが、そうはいかん!」
動いて動いて、酒も綺麗に回り始めた。寡黙気味なエルヴィンも気の勢いに任せてべらべらとまくしたてる。男は困り果てるばかりだ。
「頼むから話を聞け! 俺は、この殺された女の妹に頼まれて、助けに入ろうとしたんだよ! そしたら間に合わなくてこのザマだ!」
「そんな言い訳が通じるか!」
「言い訳じゃねえって! ったく、どう言えば信じてくれるんだこの頭でっかちは……」
最後の方はぼそぼそと頼りない声で呟き、男はひたすらエルヴィンの殴る蹴るの乱行を耐え忍ぶ。そうするよりほかにない。今彼が言った事が真実だ。厳めしい顔をしているが、彼は全くもって悪人ではない。しかし、エルヴィンは頑固だ。酒のせいで余計に頑固だ。
「殺人鬼に一々絆されていては守れるものも守れないだろう! 頭でっかちとは心外だな!」
朗々と叫ぶ。彼は認めたがらないが、酒癖はかなり悪い。
「おいおい、聞こえてたのかよ……」
一方の男はエルヴィンの地獄耳(そもそも今の彼は狐なのだが)に辟易して溜め息をこぼす。
(何とかならねえか。そろそろ、何かあったと思ってあの娘さんがこっちに来てくれたりしねえかな)
「何をぼうっとしている!」
エルヴィンが叫び、再び懐に潜り込むような動きを見せた。舌打ちすると、男は低く構えて迎え撃つ。こうまでなっては彼も退けない。何故なら彼はリチャード・ワトソン。探偵としてのプライドがあるのだ。
「いい加減に、してくださいっての!」