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エルヴィン曰く意味も無い聞き込み作業を終え、相変わらず不機嫌なエルヴィンと、そんな彼に呆れるマディソンはハロルドの指示したサースタウンの一軒の酒場を訪れる。
庶民街にある店にしては落ち着いた方で、一段高い舞台に立つピアノ奏者が滑らかに心静まる音楽を奏でている。ビールを飲んでがやがや騒ぐ熟練労働者達はなく、初老辺りの人々がワインやら何やらを嗜んでいる。人付き合いに喧騒を求めない者達のための、憩いの場所であった。
「エルヴィン。こっち――」
カウンターに座っていたハロルドは笑いながら振り向き、むっつりとしているエルヴィンに向かって手招きしようとする。しかし、その前にその隣に立っている大男の事に気付いてしまった。
「何だよ。『クマちゃん』まで来ちゃったのか」
「そのあだ名でいつまで呼び続ける気だ、ハロルド」
「うーん。大体あだ名というものは飽きるまで呼び続けるものだろう? でも逢う機会が少ないからさあ、いつまでも飽きないんだよね。そろそろ『クマちゃん』っていうか『クマさん』なんだけどさ、やっぱり付けたからには最後まで責任もって呼び続けたいだろう? だからさ、もっと会う機会増やしてくれよ、クマちゃん」
「……ジジイになっても呼び続けてろよ」
マディソンは溜め息をつくと、エルヴィンの隣に腰を下ろす。制帽を脱ぐと、立派なスキンヘッドが露わになった。
「ハッハァ! クマちゃん。やっぱりオッサン臭いよ」
「余計な世話だ。マスター、ブランデー一杯」
「わかりましたよ」
口が回る限りからかいまくるハロルドに、さらりと受け流すマディソン。変わらない昔ながらのやり取りに、エルヴィンは僅かに破顔する。
「ハロルド、少し静かにしろ。ピアノが聞こえないだろう」
「ハイハイ。でもさ知ってる? ヘイアンの諺に『人の口に戸は立てられぬ』って言葉があってね、それは要するに僕みたいなおしゃべりを黙らせることは出来ないっていう――」
「違う。噂が広がることは避け得ないという意味だ、それは。マスター、何でもいい。これで飲める酒をくれないか」
エルヴィンはハロルドの言葉を遮りつつ、小銭を何枚かカウンターに乗せた。枚数を数えていたマスターは、ふと微笑んで彼に尋ねる。
「あと二ペンス出せばヘイアン酒をお出ししますよ。シュミットさんが、先日ヘイアン土産と言って置いて行きました」
「義兄上は帰って来ていたか。……なら貰おう」
エルヴィンはぽつりと呟き、ポケットからさらに小銭を出した。マスターは大振りの瓶を取り出すと、グラスに一杯注ぎ、彼に差し出す。エルヴィンはそっと手に取ると、味わうように一口飲む。
「ハロルド。……サラの様子はどうだ」
辛口の酒で喉をひりつかせ、神妙な面持ちになりながらエルヴィンはハロルドに尋ねた。先程までぺらぺら喋り倒していたハロルドも、不意に大人しくなって頷く。
「今はゲラ刷りをやらせてる。早く取材に連れてけってうるさいね。そういう生意気なとこは君譲りだけど、まあ才能もあるしそろそろ外に連れて行くつもりだよ」
「そうか……迷惑をかけると思うが、よろしく頼んだ」
エルヴィンは微かに頬を緩める。愛娘も独り立ちの道を選んでしまった。家を出るわけではないが、顔を合わせる事は少なくなるだろう。それを考えると、やはり親としてはしんみりしてしまう。マディソンはそんな親友の横顔を見つめ、不思議そうに首を傾げる。
「それにしても、お前よくこんな色キチに娘を任せる気になったな。心配じゃないのか」
「げほっ」
ワインを傾けていたハロルドは、思わずむせかえってしまった。エルヴィンもバツが悪そうに閉口してしまう。目を白黒させながら、ハロルドは再びヘラヘラした様子でおどけてみせる。
「イヤだなぁ! 僕はいつでも正攻法で女性達のベッドにお邪魔しているだけだって。無理矢理押し入ってるみたいな言い方はよくないよ、うん。それに、サラちゃんに手を出したら僕は八つ裂きじゃすまないし、手なんか出せないよ」
「サラが言ったんだ。ニンブルクイックに入りたいってな。そしたら、コネに頼るしかないだろう」
エルヴィンはしみじみと呟く。彼の娘は、口八丁で道化のように明るいハロルドの事が昔からお気に入りだった。たとえ彼が夜な夜な女をとっかえひっかえしているとしても。
そんな彼女がハロルドの背を追いかけてニンブルクイックに入りたいと言い出したのだから、エルヴィンは頷くしかなかった。
「……まあ、お前がいいっていうなら俺だって何も言う事ないけどよ。あの子ならちゃんとやるだろうしな」
マディソンが闊達な少女の姿を思い浮かべて頷くと、ハロルドも併せて不敵に笑った。
「ああ。見込みはあるから、どんと構えたまえよ。手加減はしないけどね。僕は本物の記者だからさ」
「それでいいさ。手心はサラが望まないだろう」
「いやー。ということはだよ、何? エルヴィンもとうとう暇になるわけだ。そろそろエルヴィンも復活するかい?」
ハロルドはにやにやと笑い、酒を飲み干したエルヴィンの横顔を見据えて尋ねる。
「む?」
エルヴィンは目を丸くしてハロルドの顔をまじまじと見つめた。やめろよ照れる、などという友人の馬鹿げた冗談は聞き流し、エルヴィンは緩んでいた表情を僅かに曇らせた。
「いや。俺はこのままのんびり警邏をやらせてもらう」
「はぁ? そいつは話が違うぜ。クロエもがっかりするぞ」
「……やめてくれ。俺だってもう三十路半ばを過ぎたんだ。いつまでも若い気に任せて突っ走っていられるわけじゃない。最近節々が痛くなることも多くなった」
「やめろーやめろー! 嫌な事言うな! お前は俺達の希望なんだぜ。いや、ハイプリステスの希望とも言ってよかった! それがキミ、オッサン臭い事言って隠居希望なんて、もう全ファンが失望しちゃうじゃないか! なあ、マディソン?」
対岸の火事と決め込んでいたマディソンは、いきなり話を振られて思わず仰け反ってしまう。禿げ頭を掻きつつ、彼はぽつぽつと寂しげに受け答えた。
「あ? ……まあ、みんなオッサンになっちまったって事だろう。エルヴィンが身を引くっていうなら俺は否定しないさ。ハロルド、お前も腰を痛めないように気をつけろよ」
「おいおい。……クロエにまとめて叱られちまうぜ、きっと」
ハロルドはすっかり枯れ果てた二人の友人を眺めて溜め息をつく。時は経ってしまったかと、うっすら考えたりもしてしまうのだった。
そんな彼らの姿を、一人の男が隅の席から見つめていた。山高帽に、襟の高いコートで顔は隠れてしまっている。そんな怪しいナリの男は、白ワインのグラスを空けながら、じっと三人の姿を眺め続けていた。




