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せっちん!  作者: 濱野乱
澪標編
91/97

カンタレラ


すべての物質は有毒である。

毒でないものは何もない。

適切な用法が毒と薬を区別する。

 

パラケルスス

  

 

 一


遠雷が、獣の遠吠えのように不気味に轟いていた。凶兆をはらんだ黒雲が空を覆い、影を落とす。雪はいつの間にか止み、校庭には重苦しい空気がたちこめていた。


せっちんのやけ焦げた衣装の綻びが密に塞がれる。汗腺から繊維を作成し、着物を補修したのだ。


「よもや、わらわが、ここまでおいこまれるとはのう。ほめてつかわす。みどうかおるこ」


中空で切りもみ回転しながら、薫子は傲慢なせっちんをにらんだ。クロを殺害された激しい怒りは内外にほどばしる。校舎三階付近の壁を蹴りで壊しながら、衝突の勢いを殺し、校庭に着地する。その際、まばゆい光に目を細めた。


せっちん自体が発光しているのではなく、その足下にある物体が光源だと気づく。


大地に根を下ろすように鎮座する金色のおまる。左右に天使の羽のような彫り物がなされ、首が雄々しく反り返っていた。


「悪趣味な……、今更そんなもの出したってこっちは手を緩めないわ!」 


薫子のクラウンチングスタートが校庭を揺るがす。暴風に煽られたように砂塵が舞った。


せっちんは、薫子の攻撃を防ぐことができないと理解したのか接近を嫌った。体表を周囲の景色に同化させ、姿を隠してしまった。


突如敵を見失い、薫子は急ブレーキをかけ足を止める。


「つっ……、隠れても無駄よ。こっちは匂いで」


薫子はとっさに鼻を覆った。シンナーのような刺激臭がたちこめ、嗅覚が麻痺してしまった。せっちんの戦術はぬかりない。


気づけばおまるが、一メートルの高さに浮遊している。


薫子は脇を締め、身構える。


金のおまるが、何らかの能力に関係していることは明白だ。破壊すべきだが、どうにも臭い。これみよがしに破壊してくださいと置かれているような気がしてならないのだ。


しかし、これがせっちんの奥の手なら早く潰すに越したことはない。


結論に至るまで、一秒はかからなかっただろう。


それでも敵の攻撃手段は、音速をはるかに超えていた。


一条の光が薫子の頭上から貫いた。全身の細胞の水分が蒸発し、意識までも焼却されるような浄化の炎が駆け抜け、地面へと吸い込まれていった。


一連の運動は無音だった。


否、音は遅れてやってきた。薫子がそれを聞くことはなかった。


太鼓を連打するようなおどろおどろしく校庭に轟いた。


薫子は呂律回らなくなる。歯の音が噛み合わない。

 

「お、が、が……、な」


頬に火傷ができ、背中から白い煙が上る。痛みがようやく脳から伝達され、膝を折りそうになる。


「攻撃……、どうやって、どこから」


思考は一瞬で白く塗りつぶされる。再び光の洗礼を受けた。校舎の窓が衝撃に耐えきれず破砕する。


攻撃の正体は、雷だ。


そのすさまじい電圧、人間が耐えきれるはずもない。


人知を超越した自然の暴力を前に、美堂薫子は為す術がなかった。


クロなら冷静に分析し、能力に対抗するだろうが今の薫子にその余裕はなし。


一時雷止むも、伏す姿に生命の律動は感じられない。


せっちんは、それを見計らって後、悠々と姿を現した。


「おもいしったか。これが”さいのかわらをさまようちご”のいかりと、なげきよ。そなたにそれをうけいれるきりょうはなかったようじゃな」


せっちんは幼くして亡くなった子供の鎮魂を意識していた。その大義は雪乃一人だけに止まらずに、より大きな力を行使できるに至った。 


「子供のため……、違うわね」


薫子はうつ伏せでうめいた。


「貴女は、寺田君のためにいるんでしょ。自分を偽るんじゃないわよ」 


せっちんは、薫子の右手のひらを上から太刀で串刺しにした。 


「うああっ……!」 


「かるぐちをたたくでないぞ。わらわは、もはやなにものでもない。ゆきひこのそばにもいられぬ。なぜなら……」


言いよどむせっちんからは、後ろめたさのような暗い感情が漂っていた。

 

「本当の妹じゃないから」


薫子は、螺々の調査と自分の足で全てを知った。以前の世界はやはり虚偽が含まれてい


「私は、十年前のあの時期、あの場所にいた。寺田君と一緒に」


せっちんは睫を震わせ、一歩下がる。

 

「それいじょう……、くちをひらくな」


薫子は刀を一息で引き抜くと、立ち上がる。嗅覚に続き、痛覚もなくなりつつある。左耳は聞こえないし、視界もおぼろ。ひどいものだ。


それでも自身の罪から逃げるわけにはいかない。


「私は、黒猫を探してたんじゃない。自分の境遇から逃げたのよ」


薫子の十代の神隠しの原因は生存本能だった。父親との生活では衣食すら危うかったと見える。


飢餓を癒そうとして、どういうわけか東京に流れ着いた。


香澄、未来の証言から幸彦と行動を共にしていた未知の人物Xの存在の確認が取れている。状況証拠から、Xの正体は薫子だという事実は白日の元になった。


「そして、せっちん。貴女は雪乃ちゃんじゃない」 


雷撃が校庭に落ちたが、薫子のはるか背後に狙いはそれている。


「本物の雪乃ちゃんの死因は、肺炎からの合併症だったみたい。ずっと不思議だったの。どうして寺田君と定期的に会っていた雪乃ちゃんが物置で亡くなっていたのか」


せっちんは狼狽し、気勢をそがれている。


「寺田君は、離婚してから妹と会っていないのよ。あの世界は、寺田君が罪の意識から逃れようとして作ったものだったんだわ」


薫子が、菊と刀で不倫の罪をあがなおうとしたように、幸彦もまたキャストの力を借り、過去を書き換えようとしたのかもしれない。


「それが、どうしたというのだ。ひとのよわさを、せめるほど、そなたは、えらいのか? かみにでもなったつもりか?」


「いいえ。私も弱かったから、支配者に付け入られたんだわ。他のみんなもそう。だから前に進まなくちゃ。止まった時を動かすには今しかない」


せっちんは、薫子の言葉を制するように片手を荒々しく振りあげた。


「そなたは、やはりなにもわかっておらぬ。”くおん”こそ、しんの、やすらぎ。ねむらせてやる」


一拍後、せっちんは空を見上げ、続いて金のおまるの方向に振り返る。目をむく。


金のおまるに、無数のメスが突き刺さり、ヒビが入っていた。


「まこと、てくせのわるい、おんなじゃ!」


金のおまるは、雷を誘導する避雷針の役割を果たしていた。それを破壊すれば、不可避の攻撃は成立しない。落ちていたメスをせっちんとの会話の隙に投げておいたのだ。


もろくなった金のおまるは、金粉をまきながら、跡形もなく散逸した。


「終わりにしましょう。接近戦なら、今の私でも負けないわ」


薫子も満身創痍だったが、せっちんも息を切らし、今にも倒れそうだった。先ほどの薫子の攻撃が堪えているようだ。


「わらわは、まけ……、ぬ。まけるのは、そなたじゃ」


せっちんは、負け惜しみと思われる言葉をあえぎあえぎ残し、倒れ込んだ。


薫子は、息を吐き駆け寄る。


抱き起こすと、せっちんの顔は風邪を引いた真っ赤である。白い前歯が露わになるほど口を開けている。


「すごい熱……、しっかりして」


危うく、せっちんに情けをかけるところだった。


しかし、戦いは終わったのだ。

 

薫子は、束の間だけでも心の底からそう信じていたかった。


 二 

 

残骸だけになったクロの体からはみ出た部品は、風に吹かれ四方にばらけ、体の中はもぬけの殻になっている。もう元通りにならないと薫子は知った。


せっちんは、五分経っても意識を取り戻さず、高熱にあえいでいる。


放置するのも忍びなく、薫子は膝の上にせっちんの頭を置き、精一杯の介抱をしていた。


「さっきまでの強気はどこいったのよ。貴女、不死身なんでしょ。ほら、しっかり」


叱咤している間も、せっちんが目覚めないのではないかという不安が払拭できない。


脈をはかろうと、せっちんの垂らした腕を持ち上げた時に異変に気づく。腕にびっしりと発疹ができている。着物の袖をめくると、肩から首にかけ絶え間ない苦悶の跡が露見した。


「これは一体……!?」


せっちんの細胞が暴走している可能性があるが、医師や科学者でもない薫子に正確な症状を判定することは不可能だ。螺々がいれば、何かわかったかもしれない。


この場に止まっても、状況は進展しない。薫子はせっちんを背負って立ち上がるが、膝に力が入らず倒れた。


雷のダメージが効いてきたのだろうか。それにしては、呼吸がしづらく、めまいがひどい。


「かかったな」


人事不省だったはずのせっちんが耳元で、さえずる。 


「わらわの、きりふだが、たかが、いかづちをあやつるだけかとおもうたか、たわけめ。幻想之白鳥のしんのおろしさ、とくとあじわうがいい」


せっちんが、岩のように重たくなり薫子の首を締め始めた。押し返そうとするが、呼吸がままならず意識が遠のいていく。


いつしか薫子の肌にも、せっちんと同じ発疹が出来ていた。せっちんを何とかひきはがしたものの、這いずるのも困難だった。

 

(まずい、呼吸が)


気道が狭まり、体が激しく痙攣している。助けを求めるように手が空しく宙を切った。


幻想之白鳥の引き起こした真の現象は、アナフィラキシーショックである。アレルギーの一種で、過剰な抗体反応により、呼吸困難、血液循環障害を引き起こす。 


せっちんは、人類が触れたことのない未知の原子を作りだし、それを用いて金に似せたおまるを作った。


全ての物質は毒である。 


足尾銅山鉱毒事件、水俣病、歴史を遡れば金属が原因による公害は枚挙に暇がない。


破壊され粉末となったおまるが、薫子の体に摂取され抗体反応が起こる。


過ぎたるは及ばざるが如し。生体にとって当然の防衛反応が薫子自身を殺すのだ。いかに薫子が優れた身体能力を有していようと、返ってその能力の高さが諸刃の剣のように跳ね返るのは逃れられない生物の宿命と言えよう。


同じく毒を浴びたせっちんもただではすまないが、薫子に比べれば影響ははるかに少ない。何せ己の細胞を糧に作った毒なのだから。


止めを自身の手でつけるべく、せっちんは太刀を振りあげる。


積年の想いには、憎悪だけではない複雑なものが含まれていた。断ち切ることを望むのは薫子だけではなかった。

 

(もういっか……)


薫子は一切の抵抗を捨てた。これ以上抗った所で勝ちはない。父を捨てた過去の自分が復讐しに来たのだ。大義は十分にある。


心残りはつい先ほど購入した枕だろうか。一万三千円もしたのだ。勿体無い。


仕事を終え、枕に頭を埋める幸せ。嗚呼、社畜に生まれて幸せなるかな。


(こんな些細なことが幸せだって気づくなんて私もヤキが回ったわね。でもこれが今の私なの)


傷だらけの薫子の腕が、せっちんの足首を掴んだ。瀕死とは思えない握力に、せっちんは玉の汗を浮かべる。


「まだ、あがくか。おうじょうぎわのわるい」


「あがくわ。あがいてあがかないといけないの。確かに昔の私は人間を超えた存在だったかもしれない。でも、特別じゃなくてもいい。帰る所さえあれば」


せっちんは、ふらつきながら太刀を振りおろす。薫子は拳を突き上げ、太刀の腹を叩き折った。毒は金属の劣化も早めていたようだ。


「今を生きる。その強さが私にはある!」


薫子は渾身の思いを込め、せっちんの横面を殴り飛ばす。踏み込みが足りなかったせいか、威力は小さい。間髪入れず、せっちんが薫子の左頬を殴り返す。


「かるいのう!しゃちくとは、そのていどか」


薫子もせっちんを殴ろうとするが、狙いはそれて肩をどつくだけに終わった。


「くく……、若いっていいわね。でも、大人も悪くないもんでしょ」


薫子は口を閉ざす。それは禁句だった。意図せずせっちんの気力を奪っていた。


「ふふ……、ひとのこの、あさましい”せい”へのしゅうちゃくが、みちをきりひらくか」


せっちんは前のめりにゆっくりと膝をついた。それよりとっくの前に薫子も倒れていた。


「よくぞ、たどりついた。これが”きゃすと”にはないせいめいのちからづよさなのじゃ。わらわたちは、しょせん、だいやくにすぎぬ。まくがおりれば、それでしまい。そこに、こころはない。わらわでは、ゆきひこをすくうことはどだいむりだったのじゃな。どくは、やはりくすりにはなれぬ、か」


せっちんの肌が、紙のように次々とはがれ落ちる。役割を終えた細胞が死滅し、天に吸い込まれていく。いつしか雲は晴れ、淡い光が差し込んでいた。


「ひとのこの、ちからを、しんじるときがきたのやもしれぬ。いまのそなたになら、ゆきひこを、たくすことができよう」

 

「ねえ、私は強くなれたかな?」


薫子は顔を上げたが、日差しが目に入りせっちんの姿を見失う。

 

確証はなかったが、薫子はまるで昔の自分と語らっているようにせっちんを身近に感じていた。せっちんはそれが気に食わなくて薫子を嫌っていた節がある。


せっちんは、渇いた笑い声を立てる。


「たわけ。わらわが、そなたのようなおんなにせいちょうするなどかんがえられぬ。もっとしとやかに……、いきたかったわ。さすればゆきひこも」


湿った空気を一層するような大風が吹き、大気を清めた。  


悲しいカンタレラとの別れだった。

  

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