罪と罰(前編)
摩天楼そびえる灰色の街の一角、家電量販店のショーケースに白黒テレビが規則正しく並び立つ。
「選挙速報です」
設置してある全てのテレビ画面に、マッシュボブの女の子が真面目腐った顔で映っている。セーラー服で、ホワイトボードの前に陣取っている。電波が安定しないのか、時折白いノイズが画面を横断していた。
「開票作業担当のニーナさん! 進捗状況はいかがですか?」
カメラが視点を動かし、選挙用紙の束の上にだらしなく寝転がるニーナの姿が大写しになる。彼女もセーラー服だ。
「あー、終わったぜ……、こんちくしょー」
ナノがやってきて紙の束の上に腰を下ろす。無惨に紙がひしゃげる音がばりんと鳴った。選挙用紙の裏面には逆五芒星の印がくまなくついていた。
「お疲れ様、ニーナ」
二人は達成感を存分に味わうように同時に伸びをする。
「美堂薫子も、カヲリ=ムシューダも、支配者に届くことはない。あたしたち無敵の姉妹だよね、ナノ」
ナノはニーナの手をしっとりと握りしめた。
「油断しちゃ駄目だよ? 私たちは、支配者から最後の大仕事を任されているんだから」
テレビ画面がふいに途切れる。次に映ったのは、棒グラフ。
左から灰村香澄、西野陽菜、カヲリ=ムシューダの順で棒グラフの下に名前が付けられている。
カヲリと陽菜のグラフが拮抗していた。
(10)
曲調はメヌエット、軽やかにステップを踏む紳士と淑女。
輪の外にいるカヲリは、華やかなダンスの虜になっていた。胸元露わなドレスで体をトッピングし、口を惚けさせている。
傍らには、ワインレッドカラーのティアードドレスを着た来栖未来。慣れないドレスに羞恥し、落ち着きなくスカートを握っている。
灰村香澄は未来と色違いの黒のドレスに身を包みグラスを片手に、弦楽カルテットの演奏に聞きほれていた。
一九九九年、十二月二十五日
午後三時を皮切りに丸岡高校の講堂を貸し切って、クリスマス大会が決行された。
香澄の専断と横暴により、かつてない規模のものが開催の運びとなった。ドレスコードは必須。貸し衣装が用意され、ウェディングケーキと見まがう巨大なケーキまで搬入された。カルテットは、生徒会のつてを利用し、卒業生の演奏家を呼び寄せている。
「探さないでください」
謎めいた言葉を残し、生徒会の三浦が失踪した。当日にやつれた者もちらほらいた。
そんな主催側の暗部を露とも知らないその他大勢の生徒たちは、飲み物を片手に談笑し、ダンスに興じる。暢気なものだ。開始三十分で三十人弱。口コミが広がってまだ集まりそうな気配がある。
「プレゼントはいらんかね」
白髭を蓄えたサンタコスチュームの男が、白い袋を担いで、会場を歩き回っていた。
カヲリたちのテーブル近づくと袋を漁り、赤い包装紙にくるまれた小箱をそれぞれに手渡してきた。
「美しいお嬢さま方に祝福を」
サンタはしゃがれた声で祝辞を述べた。
手に取った箱は、手のひらの収まるサイズ。外観は全て同じもののようだ。
カヲリは辛抱できず包装紙をちぎって、紙箱の蓋を開ける。ハート型のチョコレートが目に飛び込んでくる。条件反射的に、口に放り込んだ。
「どこまでも食い意地の張った畜生ね。一緒にいるこっちの身にもなってよ」
香澄に苦虫を噛みつぶしたような表情で非難され、確かに行儀が悪かったと反省する。
「す、すみません。でもおいひー」
「まー、まー、無礼講無礼講。あたしも食べよっと」
未来も自分の箱からチョコレート出して頬ばる。心強い味方だ。
「まあ! 未来までその子の味方をするの。私だけ仲間外れってわけ」
意固地になりつつも、甘味に目がない香澄である。誘惑に負け、箱を開けた。
「あら?」
「どうかしました?」
チョコレートを口の周りにつけたまま、カヲリは香澄の箱をのぞき込んだ。
香澄の箱には、チョコレートが入っていない。代わりにあったのは、クリスマスツリーの頂上につける星型の飾りだった。
「大当たり~!」
サンタがハンドベルを鳴らして、騒ぎ立てる。
「さあ、こちらへどうぞ、エトワール」
サンタに恭しく手をさしのべられ、香澄はためらいがちにその手を握った。
高さ二メートル近くのクリスマスツリーの前に、香澄は連れて行かれた。
脚立が用意され、香澄が星を載せる作業を終えると、サンタは聴衆に向き直る。
「今宵の主役に拍手願います」
耳が割れんばかりの拍手とカメラの高圧的なフラッシュに、香澄は後ろめたさと、得意な気持ちの半々で応えた。
「どういうことですか?」
カヲリは未来に詰め寄った。
「お前も聞いてただろ、香澄が今年のエトワールに決まったみたいだ」
妥当な結果だと未来は受け入れる。こうなることを予期していたようだ。
対照的にカヲリは仰天の余りよろめく。
「エトワールってこんな簡単に決まっちゃうものなんですか?」
「票の集計はしたと思うぞ。多分、あのサンタは香澄が星を選ぶようにし向けたんだ」
サンタはもう仕事は終わったと言わんばかりに、会場を出ていく最中だった。右足を引きずり、安堵感か疲労によるものなのか丸まった背中が遠ざかっていく。彼の正体にカヲリは興味を持ったが、人混みに紛れ見失った。
「残念だったな。ま、お前は来年もあるし元気出せ」
「はー……、みんな持ち上げるだけ持ち上げといて結局このザマ。わかってたんですよ、器じゃないって。どうせお尻おっきいですし」
「でも健闘したとあたしは思うぞ。女っぷりも上がったしさ、あんま気落とすなよ」
未来はカヲリを励ますと運動部の後輩たちと連れだって、別のテーブルに移動した。
一人残されたカヲリはため息を漏らし、グラスを手に取ろうとする。
同じグラスを取ろうと手を伸ばしてきたのは、寺田幸彦だった。ジャケットにシャツ、スラックスという大人びた姿が目新しい。
「あ、ごめん」
指が触れそうになると小声で謝り、幸彦はテーブルから逃げようとする。
「丁度よかった。傷心だから慰めてよー」
「傷心の人の言葉とは思えないね」
「ぐずぐず言わない。ほら、飲み物とって」
カヲリは香澄になりきったつもりで、幸彦に命令する。乾杯し終わると、お互いの姿を観察する余裕が出てくる。
「ちょっと、どこ見てるのよ」
「いや、なんかごめん」
カヲリが豊かな胸を腕で隠すと、幸彦は目のやり場に困っていた。
「寺田君もさまになってるじゃない。まさか来るとは思わなかったけど」
「思い出作りにね。お金もちゃんと寄付してるから」
なじる口実を奪われ、カヲリは内心舌打ちした。
「灰村先輩あっちにいるよ、呼んできてあげようか」
「いや、いいよ。自分で行く」
ここまで彼は思い切りが良かっただろうか。カヲリは怪訝に思う。
講堂を横切る途上、西野陽菜は幸彦の姿を遠目から見つめていた。雑踏の中、手を伸ばそうとしている。
人混みをかきわけ、幸彦は香澄の眼前に立った。お追従に飽きていた香澄の胸は一際高鳴った。
「僕と踊ってくれませんか?」
一見冴えない幸彦が、女王にダンスを申し込む。不釣り合いにも程がある。香澄ははねつける。と、誰もが思っていた。
「いいわよ。エスコートなさい」
快く手を差しだし、講堂中央まで二人は移動した。二人の関係を知らない多くの人間はどよめいた。
「どこまで意地が悪いのかしら、この駄犬は」
演奏曲はドヴォルザークのスラブ舞曲に変わっていた。
二人は対面し、幸彦は香澄の腰に左手を置いた。横に移動を始める。
「もっと体をつけてもらえませんか」
香澄の腰はひけ、ステップもおぼつかない。
「しょうがないじゃない、ヒールだし。君、社交ダンスの心得あるの?」
「ないです。みんなやってるから。僕らにもできるかと思って」
「呆れた。それでよく誘ったわね」
はやし立てる声や、口笛は香澄の耳に入らない。幸彦と体を密着させ、息づかい、心臓の音を感じ取る。
幸彦のリードでかろうじてダンスの体裁を整えることができると、周りに目を配る余裕ができてきた。他の踊り手たちは体をよじったり、ちょっとした音の変化を楽しむように緩急をつけている。
「カヲリ=ムシューダをエトワールにするんじゃなかったの? 話が違うんだけど」
「ブラフですよ。ムシューダさんに注目が集まれば、西野の票が奪えます。西野派は何だかんだでムシューダさんに流れてくれたみたいですね」
カヲリが陽菜と友人になったことで、注目度は増す。便乗商法と同じだ。
螺々と組んで大っぴらに行動していたのも、カヲリに価値があると見せかけるためである。さすがに知名度ゼロから勝てるほど勝負は甘くない。それでも、カヲリは勝てないまでも予想を超えて健闘した。恐らく幸彦の与り知らぬ間に彼女は大きな成長を遂げたのだろう。今のカヲリは、転校してきた時とは別人のような自信を漲らせている。
「弄した策は、それだけじゃないんでしょ」
「策だなんて人聞きの悪い。機に乗じただけですよ。伊藤先生の退職で西野に疑惑の目が向けられました。二人の関係を怪しむ人は少なくない。これって選挙的にはかなりのマイナスイメージですよね」
足をとられそうになりながら、音楽に合わせて舞踏についていく。
「それで安牌の私に白羽の矢が立ったわけ。ごめんね、大して儲からなかったでしょ」
「少しでいいんですよ。元本割れしなけりゃね。僕、ギャンブルは好きじゃないんです」
和やかに笑う少年のどこに、これだけの狡猾さが潜むのか。香澄はますます魅せられた。
「エトワールになった感想は、どうです?」
「大袈裟。やっぱり単なる遊びだわ」
ヒールに躓いて、香澄は幸彦に抱き止められた。
「君は、誰に入れたの?」
男子生徒全員が投票するまで開票されない。幸彦も一人に決めたはずだ。
「先輩ですよ」
幸彦は香澄におもねるように声を落とす。
「嘘おっしゃい。実は西野さんに入れたんだわ」
香澄の体を建て直し、幸彦は再び舞踏を再開した。
「そんなことしません。今の僕には少しでも多くのお金が必要なんですから」
けろっと本音を言ってしまう当たり、どこか間が抜けている。やはりこの男は軽蔑に値すると確信する。それにも増して抑えきれない炎が、香澄の口を滑らせた。
「寺田、好きよ」
一層、幸彦に身を預けて、香澄は囁いた。
「こんな私をエトワールに選んでくれてありがとう」
(9)
入場者は引きも切らず、クリスマス会は活況を迎える。教師陣まで着替えて、会場入りしていた。
絢爛豪華な舞踏会に、生徒たちの高揚も最高潮に達したようだった。
カヲリはこの会に参加できたことを誇りに思った。
「見せつけてくれちゃって」
拙いターンを実行する香澄と幸彦をほほえましく見守る。あの二人はよりを戻すのだと勝手に決めつけていた。
せっかく来たので腹に納めるだけ納めることにした。ダンスの相手もいないことだし、思う存分食い道楽だ。
先ほどから食べようとしていたフライドチキンの皿が見あたらない。ビュッフェ形式のため皿に取り分けてきたのだが、誰かが間違えて食べてしまったのだろうか。
「もう……、しょうがないなあ」
あきらめてショートケーキを二口で胃に放り込む。
そういえば、ハクアにケーキをご馳走する約束を果たしていなかった。ついでに思い出したのだが、回転寿司店で似たような状況が起きていた。あの時も、雪乃がプリンの皿が消えたと憤っていた。
一抹の期待を込め、カヲリは白いテーブルクロスをめくった。
フライドチキンの骨の乗った皿がテーブル下に隠されている。
「誰のイタズラかしら」
皿をテーブルに戻し首を巡らす。
その際、講堂入り口に足早に向かう一人の女子の姿が目に留まった。
「陽菜……?」
カヲリは後を追い、講堂を出た。
講堂を出ると、校舎の敷地を隔てて一車線道路がある。
そこを陽菜らしき少女がふらふらと歩いていた。
バイクが制限速度ギリギリのスピードで陽菜に迫る。
「危ない!」
カヲリは思わず声に出して叫んでいた。
バイク危ういところで減速し、陽菜をよけて走り去った。
陽菜はバイクに気がつかなかったようにまっすぐ敷地に入り、カヲリの視界から消えた。
衣装は借り物だが着替えている時間はない。カヲリはなれないミュールでゆっくり歩きだした。
陽菜は校舎に進入した。カヲリはわざと大きな足音を立てたが、振り返らない。二年の教室の扉を開け陽菜は中へと入った。カヲリも後に続く。
黒板には、see you と、チョークで書き殴ってある。今日で今年度の授業は終了した。その名残だろう。
陽菜はスカートにひだのついた薄ピンクのドレスを着て、窓際の席に座っていた。そこは幸彦の場所で、彼がよくやるように陽菜も頬杖をついている。
「クリスマス会、来てくれたんだね。声かけてくれれば良かったのに」
カヲリは教室を横切り、陽菜に近寄る。
「バッカみたい」
陽菜は窓に顔を向けたまま言った。
「うかれちゃって、ダンスなんかダサいのに……」
うなだれて顔を覆う。涙声が入り交じる。
「ねえ教えてよ、カヲリ。私どうすればよかったの?」




