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せっちん!  作者: 濱野乱
空蝉編
59/97

New order3


「おしくら饅頭押されてにゃくにゃ」

黄金色の砂塵が空を覆う。

灼熱砂漠の海に、細身の凛々しい黒猫が踊るように跳ねていた。


ぴったりとした全身黒タイツに、花も恥じらうような美しい少女のかんばせだけが露出している。カチューシャ猫耳が頭部で揺られる。鍵型の尻尾、手足には肉球の手袋、足袋をつけた意識の高い雌猫であった。


「灰村先輩」

砂の中に埋もれて顔だけを出していたのは、寺田幸彦だ。埋没して身動きが取れないので雌猫に救援要請を出している。


「にゃ☆」

アクロバティック雌猫と化した香澄は、不安定な砂場を物ともせず飛び跳ねると、空中で向きを変え、幸彦の顔の真上に尻からダイブした。着地の衝撃で、砂埃が広範囲に舞う。


「やっぱり男は尻に敷くに限るにゃ。異論は認めにゃい」

尻を押しつけるたびに出る幸彦の苦しげなうめき声に、雌猫はご満悦だ。


「させるかあああああ!」

香澄は何者かに猛烈なタックルを食らい、為す術なく砂を巻き上げ、数十メートル吹き飛ばされた。


「私、参上」

毛羽だったスウエットを着た、カヲリ=ムシューダが屈伸をしていた。

「お尻の大きさで勝負できると聞きまして」

カヲリは膝を曲げ尻を突き出し、無様に振る。 


「この畜生……、でかけりゃいいと思ってんのかにゃ」

砂混じりの唾を吐き、香澄が毒づいた。


「Exactly(その通りでございます)!」

息巻くカヲリの前で、鼻に詰まった砂を、幸彦が噴水のように勢いよく吹き出す。

「僕のために争うのはよくないよ。話し合おう」

ジョンレノン的態度が、二人の雌猫の怒りに油を注いだ。

「だゃれの」

「せいだと」

思ってるんだ。みんなお前が悪い。はっきりしないその場しのぎの言葉で、たぶらかした罪は重い。

償え。

私のためだけに。

尻と尻の激突が、幸彦の真上で引き起こされる。恒星の衝突にも似た破滅的な爆発が、砂漠をみるみる飲み込んでいった。


「もしも、この世界が」

カヲリはベッドの中で独り言を漏らした。毛布にくるまり、体を丸めている。

「お尻の大きさだけで決まってしまったら、悲しいことが起きるわ。私って罪な女」

悪夢から覚醒する。香澄とお尻の張り合いをするなど荒唐無稽にもほどがある。


一九九九年 十二月二十日月曜日

いつまで寝ている訳にはいかない。学校に遅刻する。体を起こし準備を始めた。

寝袋のハクアに声をかけて、鏡の前に立つ。前髪が短くて、落ち着かない。目が慣れるまで時間が要りそうだ。


アパート出ると、塀の陰から黒猫が飛び出してきて、カヲリの背後から距離を置いて続いた。ハクアはカヲリの隣に小走りで並ぶ。

「せっちーん」

ハクアが立ち止まり、アパートの屋根の上にいるせっちんに気づいて、大声で呼んだ。


せっちんは、目を曇り空に据えている。ハクアの声に全くの無反応だ。

「おいてくよー」

カヲリがさらに声を張り上げると、せっちんの背筋が大きくはねたように映った。それから栗鼠のように民家の屋根を伝い、カヲリたちと併走するようになった。


教室に入ると、真っ先に陽菜がカヲリを捕まえる。

「ま・え・が・みwww」

陽菜は、カヲリの髪を容赦なくいじくり回した。

「オシャレなお店でやってもらったのよ。笑うなんてひどいよ」

「笑ってないじゃん。みんな見て見てー、可愛いよ、オシャレだよ」

カヲリの前に人だかりができた。好奇の目にさらされ、羞恥心から小さくなる。周りがあきるまで、我慢するしかなかった。


「そんなに変かなあ」

席に座り、前髪をいじって、隣の幸彦に意見を求める。

「慣れないだけじゃないの。そのうち、飽きるよ」

「飽きるの? 私に」

言葉尻をとらえて食ってかかると、幸彦は困り顔を浮かべる。

「ムシューダさん、もっと自信を持ちなよ。絶対変じゃないから」

「わかったようなこと言わないで。大体、誰のせいで……」

その時、教室の端から陽菜が手招きしているのが目に留まる。カヲリは息を飲んで、席を立った。


「楽しそうにしてましたねえ。カヲリさん」 連れていかれた女子トイレの鏡の前で、陽菜が腕組みしている。下から突き上げるような物言いに、カヲリは躍起になって反論を始める。

「全然楽しくない! 寺田君といるとイライラするわ」

「じゃあ話すなよ」

「だって側にいるから」

自分から幸彦に気を許していると告白しているようでカヲリは恥じらった。

「あんな奴、最低よ。陽菜のこともてあそぶし、雪乃ちゃんに厳しいし、灰村先輩だって傷ついているわ」

陽菜は洗面台に後ろ手で手をついて、片足をぶらぶらさせた。

「カヲリ。あんた、私に喧嘩売ってんの?」

「ちょっ、何でそうなるの」

陽菜の直情的な言葉に、面食らう。

「幸彦君を馬鹿にしないで。私が馬鹿にされてるみたいで腹立つし」

「あう……、ごめん」

落ち込むカヲリの胸に陽菜が額をつける。

「心配かけてごめんね。カヲリのこと大好き」

大事な友達を守りたい。たとえどれだけ責められても、陽菜を傷つけさせはしないと改めて誓う。

二人連れの女子生徒が、噂話に花を咲かせながら、トイレにやってきた。

「伊藤先生、学校やめるってよ」

 

 (2~)


ハクアは、前日からの校内探索の続きを始めた。根ほり葉ほり、屋根裏から、床下まで、侵入できる箇所は残らず探索していた。


「螺々ー!」 

血眼で走り回る様は、以前よりも切羽詰まったものを感じさせた。

ハクアの耳にも、伊藤の依願退職の件は伝わっていたのである。


「嘉一郎さまが急にいなくなったのは、あのアマが噛んでるに相違ありません。探し出して尋問……、いいえ、そんな生温いこと言わずに、体に聞けばいいんですぅ。ヒッヒッヒ」

半ば錯乱状態の今のハクアに捕まれば、五体が無事に済む保証がない。幸か不幸か、螺々はこの日、まだ登校していなかった。


そんな簡単な事実も見抜けないほど、ハクアは余裕をなくしていた。帽子についた蜘蛛の巣を払い、校舎裏の庭の花壇の脇を走り抜ける。 


カヲリは二階の窓から、ハクアの勇姿を目撃していた。

「あの先生ってゲストだったのか」

旧校舎で遭遇した時から、不吉な予感はしていたのだが、ハクアの白熱度合いで納得した。


「”げすと”と、”きゃすと”は、きっても、きれぬあいだがらじゃ。たとえ、せかいをまたいだとしてもな」

カヲリの腕に抱かれたせっちんが、同情するような口振りで理解を示した。 


「それにしても、あの先生から色々聞き出したかったね。多分、支配者のこと知ってたと思うよ」

それを見越して伊藤は逃げたのかもしれない。機転が利く。野放しにするのは危険な相手だ。

校内では、突然の事態に陽菜と伊藤の関係を邪推する空気が広がっていた。二人きりで楽しげに会話しているところを多くの人間が目撃していたためだ。表向きカヲリもアイコたちと同様、陽菜を信じる態度を貫いているが、何処かで疑う気持ちは拭えない。本心を訊ねることができれば楽だが、それも難しい。陰口を叩かれても陽菜は普段通り生活している。何もなかったと思いたい。

「かをり、そなた、かんちがいしておらぬか」

「え?」

せっちんは、カヲリの腕から下ろすようにせがむ。

「そなたに、できることは、”もう”なにもない」

「見くびってもらっちゃ困るわ。これでも、憤怒のキャストを撃退したんだから」

付け焼き刃の自信を、せっちんは鼻で笑い飛ばす。

「たわけ。そなたが、たたかえたのは、はくあや、わらわの、くろーんがいたおかげじゃ」

正論にカヲリは声を詰まらせる。せっちんは、常日頃から冷徹な言動が目立つ。クローンの件も、カヲリに相談はなかった。

「わ、わかってるわよ。そのくらい。でも」

カヲリが見苦しい言い訳を継ごうとする頃には、せっちんは廊下を去った後だ。

「”しんちつじょ”のまえには、げすとも、きゃすとも、むりょくじゃて」


意味深な言葉を残し、校舎の闇に溶け込むようにせっちんは消えた。

カヲリは腑に落ちない気分で、その場に立ち尽くしていた。

二限目の理科のため、実験室まで移動の最中である。


菊池寛曰く、生活が大事。

カヲリは作家ではないが、何が一番大事か、これまでの経験から学んできていた。

一歩、前に。

気を取り直し、進みかけたカヲリを阻むように、灰村香澄が廊下の真ん中を歩いてきた。

機嫌がいいのか、上体を揺らして、まるで空気をカヲリの方向に押し込んでくるかのようだ。

「見知った顔、はっけーん♪」

香澄が数歩手前で立ち止まり、頬に手を当てしなをつくる。カヲリは後ずった。


「ごきげんよう。あら、髪型変えたのね、よく似合ってるわ、うふふ」

「ど、どうも」

カヲリは、油の切れた機械のようにぎこちない。

「お加減はもうよろしいのですか」

「おかげ様で。未来から聞いたわよ。心配してくれたってね」


香澄の体調がすぐ戻ったことで、キャストの障りの心配はなくなった。万が一の事態にも備えていたカヲリには朗報である。

「ずっと君に謝りたいと思ってたの。火傷とかしなかった? 熱かったでしょう」

「あ、いえ、大丈夫みたいです。私の方も、失礼なこと言いましたし」


紅茶の一件はこれにて落着した。香澄のことを心底毛嫌いしていたわけではない。良い関係を築くことができるならそれに越したことはないと胸を撫で下ろす。

にもかかわらず、

カヲリは、懸命に香澄の顔から視線を外そうとしていた。

「どうかした? 私の顔に何かついているかしら」

「い、いえ」

勘所が鋭いらしく、カヲリの挙動を香澄も怪しみ始めた。腰に手を当て、カヲリの全身を巡るように回った。仁王のような目つきをされて、恐怖するなというのは無理がある。

「おい畜生」

「はいっ!」

極度の緊張からか、背骨がはねる。

「隠し事をするとためにならないって、わかってるわよねえ、ねえ?」

声にならず、顎をがくがく揺する。

すると香澄は穏和な表情に戻った。お面でもつけているのかと思うくらい変わり身が早い。

「よろしい。ほら、なんて顔してるの。言いたいことがあったら、忌憚なく言っていいからね」

言えるわけがない。

私の怖い先輩の頭に猫耳が生えてるなんて言えるわけがない。


香澄の頭には、カチューシャだろうか、三角形の猫耳が二つちょこんとついている。細かい毛並みまで再現されており、余計に普段とのギャップが生じた。


「せ、先輩の髪っていつもきれいですよね、特別なお手入れとかどうされてるんですか?」

尋常ならざる危険が迫っている。上機嫌だった分、反動で激怒されかねない。香澄は猫耳に気づいていないのか、それとも、カヲリが指摘するのを待っているのか探る必要がある。


「特にしてないわ。母方の祖母の髪もきれいだから、遺伝なんじゃない」

「さっすがー。じゃあ絶対勝てるわけないです。あはは」

ごますりが効を奏したのか、香澄は悦に入っている。猫耳には無自覚らしい。


一番良いのは悟られずに音便にこの場を離れることだ。香澄には悪いが、もう紅茶事件のような目に遭いたくない。

「私、理科室に行く途中だったんです。すみませんが、失礼しますね」

「それは悪いことしたわね。さっきからそれで落ち着きがなかったの。早く言いなさいよもう」


物わかりのいい先輩面した香澄に、申し訳なく思いながらも逃げるようにその場を去ろうと脇を通り過ぎようとした。


「ムシューダさん、何やってるの?」

忌々しい刺客、寺田幸彦が小走りで近づいてきた。カヲリがいつまでも理科室に来ないので、様子を見に来たらしい。

「授業始まってるよ。あれ……」

香澄の頭部に視線が集中、そして、

「先輩、可愛い」


その一言で全て合点した香澄は、幸彦の腕を掴み、側の階段にひっこんだ。

五分もしないうちに猫耳を外し、鼻息を荒くした香澄が戻ってくる。

「いつから気づいてたの?」

香澄とカヲリは冷たい階段に座り込む。幸彦は先に理科室に戻った。

「ええと、初対面から」

「は?」


頭を抱えていた香澄が、驚きを込めてカヲリをにらむ。

「猫耳は今日初めてつけたのよ」

「えっ?」

話が噛み合わない。カヲリが言いたかったのは、幸彦と、香澄のただならぬ関係だ。

カヲリの嗅覚は、香澄から漂う幸彦の臭いをかぎとっていた。初めて廊下で見かけて後をつけたのも、偶然ではなかった。幸彦からも香澄の臭いがしていたし、恋人であると邪推するに足る根拠がカヲリにはあったのだ。


それを公にすることは残念ながらできない。普通の人間のできる領分を超える能力を披瀝してしまえば、白眼視は避けられないだろうから。


「ちょっと魔が差しただけなのよ。部屋にあれが置いてあって、付けてみるのも悪くないかなーって。体調が戻りかけで、妙なテンションだったわけ。別に特定の人に見せようとか考えてたわけじゃなくて……」

「わ、わかります。それにとっても可愛かったです。全然変じゃなかったです」

拙いフォローにも香澄は顔を上げなかった。

「まさか外し忘れるなんて一生の不覚。喋ったら、殺すから。そのつもりで」

 


 (3~)


絢爛な光が目を灼いた。耳を聾するようなBGMと軽薄なアナウンス。まるで現世のソドムだ。 


丑之森螺々はパチンコ台に座り、玉を着実に増やしていた。ヒョウ柄のパーカーにサイケデリックなカットソーと、スキニーパンツ。


隣の台にいた主婦らしい女性や、作業着姿の中年男性も螺々の羽振りのよさを呪うように席を離れていった。

「退屈だ。パチンコくらいしかやることがない」

リーチが入り、特殊な画面演出が目を楽しませる。情動がわずかに昴る。が、それに見合う玉の払い戻しはなかった。

「打ち止めか」

箱に十分玉は集積している。深みに入って負け越すより、ここでやめておくべきだろう。

二万遣って、四万二千円の儲け。悪くないリターンだ。

螺々は、ここ数日、朝からパチンコ店に入り浸るルーティーンを繰り返している。


もはや、この芝居における螺々の出番は終わりを迎えたと言ってよかった。

幸彦を介してカヲリをサンタ大使にし、注目度を上げさせた。積極的に集金作業に没頭すれば、顔を覚えられる。知名度の低さをカバーする目論見だ。


さらに一年男子生徒に金を掴ませて、カヲリに公開告白させた。校内でカヲリに箔がついて、さらにファンが集まることを期待して。


城ヶ崎綾を伊藤にけしかけたのも螺々だった。こちらは保険だったが、不気味なほどにうまくいった。これで支配者の隙が決定的なものに近づく。伊藤のことだから油断はできないが、有効な一手には違いない。


支配者を騙り旧校舎にカヲリを呼び寄せたのは、憤怒を排除する目的と、旧校舎の探索を画策したものである。

丸腰の螺々が旧校舎に足を向けるには危険過ぎたし、カヲリたちに説明する手間が省けて、さらに憤怒も排除できれば一挙両得だったのである。


欲を言えば、ハクアが憤怒と相打ちになってくれたら完璧だった。ハクアの能力は状況次第で強力無比になりかねない。今後を考えるとハクアには早めに退場願いたいところだ。一度自分の身でハクアの能力を体験しているため、警戒は怠っていなかった。


あくまでカヲリも、ハクアも、せっちんも、単なる駒として見なす考えに変わりはない。始めから、これからもずっと。脅して宥めすかすやり方が性にあっているのだろう。

支配者の力を手にするために、彼らには犠牲になってもらう。


パチンコ店を一端出て、離れた場所にある換金所まで歩く。二十台は置ける駐車場には、軽自動車が二、三台停車していた。


不景気そうなのは天気も同じなのか、曇天で今にも降り出しそうな気色だ。

駐車場の奥まった端にある小屋のような換金所が目に入ったところ、けたたましいサイレンが鳴動した。


「火事か」

螺々の思惑は珍しく外れる。猛スピードのパトカーが駐車場に乱入してきた。

摩擦音を上げながらスリップさせたドリフト走行で、螺々の斜め四十五度から車体を突っ込ませてきた。

 

「ん」

突然の凶行を避けることのできる反射神経は持っていない。螺々の体は、パンパーの端に正面から衝突した。ボンネットに乗り上がったまま数メートル走った状態から、アスファルトに転がる。潰れたトマトのように血液が飛び散った。


フロントガラスが破損したパトカーの運転席のドアが開き、婦警姿の少女がまろびでる。両手を正面に突きだし、ピストルを撃つポーズでウインクした。 

「逮捕しちゃうぞ☆」

少女は、ポニーテールを揺らし、倒れている螺々に歩み寄る。罪状を読み上げた。


「丑之森螺々。旧校舎に無断で、ふ、ほう、ふ、ほう」

「不法侵入の容疑で逮捕します」

慣れないヒールにもたつながら、婦警姿のナノが間の抜けた妹のフォローをした。


「というわけでオシオキに来たけれど。ねえ、ナノ」


螺々の人差し指はあらぬ方に曲がっている。打撲による夥しい出血が生命活動に終止符を打ったことを物語っていた。

ナノは死に直面しても、何の情緒も露わず指示を下す。

「ニーナ、火葬しといて」

「あいあいさ」

螺々の死体を処理し終えると、大破したパトカーの窓に雨粒がついているのをニーナが見つけた。


「あーあ、せっかく婦警の格好までして来たのに、肩すかしかよ。もっと歯ごたえあると思ったのにな」

頭の後ろで手を組んで、ニーナは物足りなさから唇を尖らせる。

ナノは螺々の死体の跡がこびりついたアスファルトに、白い百合を手向けていた。彼女は一人、隠し切れない笑みを浮かべていた。


「これで準備は整った。New orderの始まり始まり♪」

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