New order4
「皆、よくやってくれたわ」
生徒会室には、パイプ椅子が三列に渡って並べられていた。
そこに列席しているのは、今や聖人と等しい艱難辛苦を味わったとおぼしきサンタ大使の面々である。
彼らを睥睨する灰村香澄の目には、光るものがある。
「予算は十分集まった。後の準備は生徒会に任せて。当日まで英気を養いなさい」
サンタ大使お役御免の宣言が出されても、誰一人として喝采を叫ばなかった。ここ半月近く、香澄の理不尽なプレッシャーにさらされていたのだ。飼い犬が脱走しても、なかなか野生に順応できないことに似た状況だった。
面やつれした者、自然な笑顔を忘れた者、夢にまで香澄が現れ罵倒される日々を名残り惜しむ者、様々だった。
一九九九年 十二月二十一日 火曜日
最前列で演説を聞いていたカヲリは、憮然とホワイトボードに目を注いでいた。
「お疲れさま」
カヲリの隣に座っていた男子生徒が、ねぎらいの言葉と共に缶ジュースを手渡してくれた。ふくよかな丸顔、どこか人の良さそうな少年で、名前を三浦清という。彼は二年の生徒会の庶務で、ご多分に漏れず香澄に頭が上がらない一人らしかった。
「ありがとう三浦君。とりあえず喜んでいいのかな」
「ああ、ああ! 上出来だったよ。残った奴は半分もいない。アメリカ海軍のしごきも真っ青だよ、うん」
つい饒舌になった清だったが、香澄の目が気になり、口を閉ざした。香澄は離れた場所で、鼓舞するように後輩たちと話している。
清は再び、カヲリに顔を向ける。
「全く、正気の沙汰じゃない。あの人は計画性って言葉を知らないんだ。十二月に入ってから、今年は派手にやりたいなんて言い出すんだからね。顎で遣われる僕らの身にもなって欲しいよ、ほんと」
カヲリは、彼の急変した態度に目を丸くした。清からはどちらかというと、もの静かな印象を受けていたのだ。
「でも副会長なんでしょ」
「副会長は一番楽なポストなんだ。権限は会長が握ってるからね」
清の歯に衣着せぬ発言は驚きの連続だった。香澄は自信満々に振る舞うし、周りもそれを受け入れているような節があったからだ。しかし思い返してみれば、香澄は些細なことで感情的になりやすいようだったし、人に鞭を当てるばっかりで取り立てることもしない。少なからず人望を怪しんでいたところでもあった。
「会計任せれば、簡単な計算は間違うし、人前出れば上がり症だし、ボランティア先では手際が悪くて役に立たないから突き返されるし」
カヲリは不覚にも笑いをこれきれなかった。これまでの憤懣も少し発散できたように思う。
「でもどうして、灰村先輩は生徒会に?」
「あ、それ、聞いちゃう」
清は人目を気にしたらしく一層、カヲリに顔を近づける。
「前の会長が、あの人に弱みを握られていたらしい」
「弱み?」
「あの副会長、鈍くさいようでいて、そういう”カン”みたいなものがめっぽう鋭い。僕も、逆らえない……」
うなだれる清。
香澄はというと、後輩たちと楽しげに和している。泥の中に咲く一輪の蓮のように白い歯を見せている。
「君も軽々しく口を利かない方がいいよ。結構一緒にいたみたいだけど」
清の忠告は興味深かったものの、カヲリは承伏しなかった。
「私、そんなに灰村先輩のこと嫌いじゃないよ」
「嘘だー」
「本当。三浦君だって本当はそうなんじゃない?」
清は大仰に、頭を振る。
「そんなわけないよ。あの人は気に入らないことがあると当たり散らすし、プライドばかりが高い。できもしない公約を出して、僕らをこき使う。子供みたいだ。けど……」
香澄は客観的に見て、未熟だ。それでも人の上に立ってしまっている。陰険な性格も、それを隠そうとする本人の弱さの顕れなのかもしれない。そのいじらしさが、魅力となって人心を捉えて離さないというのなら、納得もできる。
「美人っていうのもあるでしょ。弱みっていうのは惚れた弱みなんじゃない?」
「違う! 断じて違う! 何を言ってるんだ、君は。あんな狐みたいな」
カヲリの適当な邪推に、清はおもしろいように反応した。
香澄が騒ぎに気づいて清の背後に立つ。
「三浦。楽しそうね」
清はぎこちなく首肯した。
「予算の使い方で相談があるから、こっちに来て。まだまだ働いてもらわなくちゃね。頼りにしてるわよ」
冷然とした命令に、拒否権はなさそうである。清は「はい、喜んで」と、弱々しく笑って席を立った。
(2~)
カヲリは学校からアパートに戻ると、自分の部屋に閉じこもった。
前夜の雨の余波か、夕方近くなっても天候は怪しいままだ。乾いていない傘が玄関に立てかけてある。
制服のまま、カーテンを締め切った薄暗い部屋で体育座りをした。太股に鼻を埋める。
「どうしよう……」
時計の針が立てる音が、普段より短い感覚に思えてならない。
行動したくてうずうずした。だが、待つことが重要だ。
昨日、ハクアが消えた。
螺々を探していたハクアと、帰途を共にした所までは普段の日常と変わりなかった。螺々は結局見つからず、捜索範囲を広げたいと、熱っぽくあの娘は語っていたのだ。
駅のホームで、階段を降りようとした時、異変は起きた。
隣で口やかましくしていたハクアが、突然大人しくなった。周りに不振がられるから、相づちも打たないようにしているが、不審に思い、目線を下げた。
ハクアの口は、すばしっこく動き、身振り手振りも交えていたのだが、音声が聞き取れない。呼吸音も、服の衣擦れも聞こえない。
雑踏の音に紛れているわけではない。カヲリの耳は嗅覚と共に優秀だったし、耳を寄せれば聞き漏らすことはあり得ない。
「ねえ、ハクア、どうしたの?」
肩を掴もうとするが空を切る。ハクアの体に触れようとしても、そこにいないかのようにすり抜けてしまう。
トーキー映画を観ているようだ。危うく見知らぬ通行人に助けを求めそうになった。ハクアの姿はゲスト以外関知できないのを忘れるほど動揺したのである。
為す術なく、ハクアの姿は希釈されたように薄まる。背景の自販機がうっすら透けていた。
「ハクア! やだ、どうして、待って、いかないで」
ハクアを抱きしめようと身を投げ出すが、カヲリは肘からアスファルトに倒れ込んだ。
悲痛な叫びも空しく、ハクアは消失した。何の痕跡も残さずに。皮肉にも彼女の願いは早すぎる成就を迎えたのだった。
すぐさませっちんを犬笛で呼び出し、対策を練った。
「”らら”に、なにかあったのやもしれぬ」
思わせぶりに言うだけで、カヲリに深い事情を説明する気はなさそうだった。
一日が経過したが、せっちんはアパートに戻らず、連絡も寄越さない。ハクアも、螺々も行方不明のままだ。
一人きりの部屋が広い。本当は、ハクアもせっちんも、幻覚だったのではないか。カヲリの冒険も幻覚の範疇ではなかったか。
だが、二人の使った寝袋がたたまずに放置されているし、雪乃もハクアと会話をしていた。
「幻覚なんかじゃない」
気持ちを奮い立たせる。この半月で培った絆はそう簡単に消えない。ハクアは必ず生きている。螺々も転んでもただでは起きない性格をしていた。
ハクアがいつ帰ってきてもいいように、カヲリは辛抱強く待つことに決めている。
どれだけ時間が経ったのか、カヲリはいつしか座ったまま居眠りをしていた。
木製の扉が激しく打ち叩かれる音で目が覚めた。もどかしそうに立ち上がり、玄関に駆け、勢いよくドアを開けた。
「ハクア!」
ドアの前で飛びのいた雪乃は、開いた口が塞がらない。カヲリの落胆は一方ならぬものがあった。
「お、おっぱい、何かあったんか……」
カヲリに気兼ねしながら、雪乃は訊ねた。
「ううん、何でもないよ。ごめんね、さ、入って」
雪乃に心配をかけたくなくて、わざと明るい声で招き入れる。
「暗えな、電気くらいつけろや」
我が家のように部屋を歩き回り、電気をつけた。
「おい、外人はどこ行った?」
雪乃は芯の強い目で、カヲリを見上げる。
「あの娘は、帰ったよ。親御さんのところに」
涙があふれそうになるのをこらえ、笑顔のまま嘘をつく。
雪乃もハクアが普通の子供ではないことに気づいているはずだ。カヲリと雪乃以外の人間には視えないのだから。
子供ながらに、事情を察したのか、「そうか」とだけ言った。
六時近くまで、雪乃はリビングで世界地図の塗り絵をしていた。ランドセルを背負ってきたから学校帰りのようだ。
「雪乃ちゃん。ママ、帰ってきた?」
「うん」
うるさそうに髪をかきながら、雪乃は答える。
「じゃあ、もう帰った方がいいよ。暗くなるの早いから」
「やだ」
「やだじゃない。帰りなさい」
かつてない強硬なカヲリの態度に、雪乃は目を見張った。
「何で」
「ここは雪乃ちゃんの家じゃないでしょ。またご飯も食べていくつもりなんじゃないの?」
テーブルを拳で何回も叩いて、わめく雪乃。
「うるせー! 金払えばいいんだろ! このケチ!」
「そういう問題じゃないの。もう、迷惑なんだ。面倒見るの疲れちゃったんだよね」
そっけなく言って、雪乃の様子を伺う。雪乃はランドセルに塗り絵を押し込んでいた。
「わーったよ、もう来ねえよ。外人がいねえから寂しいと思って、いてやったのに。お前なんかもう知るか」
鼻をすすり、雪乃はカヲリを押し退け玄関に向かった。
「お前なんか、チャラ男とイチャついてるのがお似合いじゃ。バカおっぱい。だいっきらいだ!」
雪乃の足音が完全に途絶えるまで、カヲリは毅然と立っていたが、ふいに泣き崩れた。
「ごめんね……、ごめんね、雪乃ちゃん」
螺々とハクアが消えた今、敵に襲撃されれば、カヲリが矢面に立つしかない。自分の身を守ることで精一杯だ。胸を張って雪乃を守り切ると、豪語できるほど自惚れていない。
突き放して本当によかったのだろうか。あの気まぐれな雪乃ママは本当に育児に心砕いているか疑わしい。
だが、せめてハクアが戻って来るまで、雪乃と距離を置くと決断した。もう引き返せない。
謝罪の機会を願う、つらい日々の始まりと、物語の終わりが迫りつつあった。




