New order1
カヲリ=ムシューダは一枚のルーズリーフを破れんばかりに握りしめ、肩を震わせた。
教室は放課後の喧噪の渦中にある。カヲリだけが目を興奮で釣り上げ、口元を結んでいる。
紙には、長い髪を振り乱した女のイラストが描かれている。原人というタイトルが目を引く。
カヲリが席を離れている間に、机に置かれていた。正しく今のカヲリの容姿を揶揄するような絵である。
デフォルメされたイラストにも一定以上のクオリティーがあるため、犯人の目星はすぐについた。
「陽菜の仕業ね。全く」
腹立ち紛れに髪を払う仕草をするが、香澄のように雅にいかず、虎の尻尾のように幸彦の鼻をぶった。
「いてっ!」
「あら、いたの」
カヲリは悪びれもせず、背後にいた幸彦に今気づいた振りをした。
「その髪、邪魔じゃない?」
「ここまで伸ばしたことないから、切るの少しもったいなくなっちゃったかも」
とはいえ、毛先は箒のようにはねてみっともないし、前髪が邪魔なので、アイコにヘアピンを借りて留めている。
「その絵、西野が描いたんだね」
「あー、うん。笑わないの?」
「別に。おもしろくないからね」
カヲリはわざと俯く。
「……、本当のことだからだ。寺田君も私を原人だと思ってるんだ」
すねた振りをすると、幸彦が慰めてくれる。
「西野のやることにいちいち反応していたら、キリがないからね。あんまり気にしないで」
「わかってはいるけどさあ」
カヲリの目尻も下がって、溜飲も下がる。が、すぐさま幸彦と普通に会話したことを後悔した。陽菜を誑かす憎き相手なのだ。
その時、陽菜が堂々と教室に入ってきたので、組み付いてお灸を据える。
「アッー! 原人に乱暴されるっ!」
小柄な陽菜の体がもがき苦しむさまを堪能する。同姓とは思えない華奢な骨格に嫉妬も加わる。
「あんな変な絵を描くからよ。この! なんて柔らかい! 良い匂い! 嗅がせなさい、もっと!」
「趣旨変わってんじゃねえか……」
傍から成り行きを見守っていたアイコが呟いた。
急激に髪が伸びたことを、誰もそれほど詮索してこなかった。助かりはしたが、やはり自分は路傍の石だったのだろう。モテ期も終わりそうだ。
昨日まで生死の境をさまよっていたのが嘘のような平穏だ。カヲリや、キャストの暗躍は知られざる秘密であるべきなのだろう。
良いことばかりではない。悲しいことがあった。
昨夜、死地を共にした二人のクローンたちは、もうどこにもいない。オリジナルの体内に還ったという。せっちんが淡々と事後報告しにきた。あるべき流れとはいえ、命の大切さを改めて思い知らされた。あの二人の経験はオリジナルに蓄積するが、同じ二人を取り出すことはもうできないのだ。
ハクアは螺々に話があると言って、一日中、校内をうろついたが会えず苛立っていた。 カヲリが調べたところによると、螺々の目撃証言は昼を境に途切れている。
その際、灰村香澄が風邪で休んでいる事実を知らされた。ほっとしたような物足りないような、複雑な心境だ。
「大したことないってよ」
未来が大事なさそうに請け合う。
カヲリとしては憤怒のキャストの影響を考えてしまって、気が気でない。体を冷やしたことが不調の原因ではないと言い切れなかった。
「一応、帰りに顔見てくるよ。カヲリはどうする?」
「同行します。させてください」
念のため、様子が知りたい。
話がまとまると、未来と一緒に校舎を出た。
校庭に、巨大な土偶の姿は影も形もない。朝は確かにそびえていたはずだが、いつの間にか、せっちんが解体したらしい。
一安心して、未来に視線を映す。
背筋を伸ばし、悠々と歩く姿に羨望を感じずにはいられない。首から鎖骨のラインに目が吸い寄せられる。
同姓のカヲリでも見惚れる八頭身のプロポーションに、思わずため息が出た。
「悩み事?」
「いえー、眼福ですぅ」
未来は表情を引き締める。
「色々悪かったな。八つ当たりしちゃって」
カヲリは数日前の未来の奇行の数々に思い至る。
「ぜんぜん! 元々、私が場違いなこと言っちゃったからですよね。気にしてませんから」
「そう言ってくれると、助かる。もう大丈夫だから」
「仲直り、できたんですね。よかったあ……」
心から祝福できた。未来の相手はどんな男だろう。モザイクのかかった裸体を思い出し、カヲリは顔を赤らめた。
未来と弾んだ会話を久方ぶりに楽しんでいると、校門前にいる一人の青年に目が留まる。
長身で茶色いブルゾンにニット帽という出で立ち。カヲリに向かって手を振ってこられ、初めて誰か気づいた。
「知り合いか?」
幾分かの好奇心を込め、未来が訊ねる。
「さあ、誰なんでしょうね」
カヲリはにこやかに否定し、青年の前を通り過ぎる。
「カヲリ……、ちゃんだよね」
見る影もなくなった自分をすぐさま見分けるとは、彼も捨てたものでもないのかもしれない。
「あ、どうも。翔さん」
年に一度会うか会わない親戚に似た感覚だった。彼が前触れなく現れても、心がざわつくことはない。
「ちょっと話があるんだけど。すぐすむから」
「すぐすむなら、また今度にしてもらえませんか? 先輩が寝込んでて、お見舞いにいかないといけないんで」
取り付く島もなく、翔を置き去りにした。
「見舞いなら、あたし一人で大丈夫だぞ。カヲリ」
「でも」
せっかくの口実をふいにされ、カヲリは頑固に抵抗する。
「いいって。ちゃんと話合え」
髪をくしゃくしゃと撫でられると、後輩として立つ瀬がない。恥ずかしい姿を晒してしまった。
未来と別れ、翔と並んで校門を出た。好奇の目にさらされ、引き回しの刑に合っている気分だ。三メートル離れて他人の振りをする。
「しばらく見ないうちに、髪伸びたね」
「原人」
「え?」
「友達からそう呼ばれたんです」
翔は顔を綻ばせたが、すぐに笑顔を引っ込める。
「時間が欲しいんだ」
二人は道路の反対車線をあえて平行して歩いている。バイクが排気を巻きながら、カヲリの側を通り過ぎた。
「君との時間。俺たち、やり直せないかな」
やり直すも何も、始まってすらいなかったのだ。今のカヲリはそれを理解していた。
カヲリは駆け足で歩道を渡り、翔の前に立ちはだかるようにして道を塞いだ。
「友達からなら、オッケーです」
翔は頭を掻いた。かなわねえなと呟いて。
(2~)
野放図に伸びた髪の処置をついぼやいたら、翔が良い美容室を知っているからと、車に乗るよう勧めてきた。
「変な所に連れて行かれませんよね」
「ないない。友達だろ、俺たち」
安く見られまいと疑心暗鬼の振りをしたまま、カヲリは車の後部座席に座った。それとなく車内を物色したが、女の影はない。
翔に連れて行かれたのは都心にほど近い、四階建てのビルディング。ガラス張りの近代的なデザインで、一階はコーヒーショップ、二階で美容室が経営されていた。
予約が必要だが、翔が無理を言って切ってもらうことになった。
店内は、木の床に見通しのきく活気のある店内だ。カウンターにアロエの鉢が置いてある。
穴の開いたデニムを履き、ショートの髪を緑に染めた女性美容師がカヲリの担当。年は二十代後半くらいで、関西なまりがある。
カヲリが人見知りと、慣れない場所に緊張していると、
「私な、翔君と付き合ってるんよ」
「へー」
カヲリは鷹揚に相づちを打ち、鏡面越しに滝のようにこぼれる自分の髪を名残惜しそうに眺めた。
「反応うっすー。もっと驚き、自分。冗談って言いそびれるところやったやん」
「いやあ、なんて言うかあんまり意外性もないというか」
「あはは、じゃあ、あの子がどういう奴かも知ってる訳ね。よかったよかった」
鋏が髪を裁つ小気味よい音が、そこかしこから聞こえる。オーダーするのを忘れていたが、カヲリの処置も始まろうとしていた。
「可愛くなりたい? きれいになりたい?」
「両方」
挑むようなカヲリの態度に、美容師の動きが一端止まる。
「気に入った。欲張りなお客さんの願い、叶えたるわ」
一時間半ほどで、カヲリの髪型は完成した。前髪は短めに切りそろえられ、肩の辺りでふんわりと毛先がまとまっている。
会計する段になり、その料金に目をむいたが、翔が払うと申し出てくれた。
「後で払いますから」
美容室を出てすぐのスクランブル交差点で、カヲリは告げた。十八時をゆうに過ぎており、人波にまみれていた。
「いいよ。俺が勝手に連れてきたんだから」
「そういうわけには」
「お腹減ってない? どこか入ろうか」
自分の食い意地を呪たい。結局、食事だけならと了承した。
赤提灯街の一角にある定食屋に二人は入った。木のテーブルが三つ、裸電球がほの白く光る。定食屋というより飲み屋といった方がしっくりくる。漆喰の壁に、メニューが貼られていたが、じっくり選ぶ前に、翔に決められてしまった。
程なくして運ばれてきたオムライスは、何の変哲もなかった。かぶさった卵は、ふわふわでもなく、形も整っていない。
カヲリは若干の失望を感じながらも、オムライスにスプーンを入れた。
「あれ……」
米のしっかりとした歯ごたえと、鳥肉の香ばしい肉汁、それを包み込む、卵の程良い厚み。
「おいしい」
「だろ?」
翔のウインクにうっとおしさを感じながらも、カヲリはオムライスを貪るように頬張った。
「本当、美味そうに食べるよな。カヲリちゃん」
翔もオムライスを注文したが、食べ終わったのはカヲリのだいぶ後だ。
「恥ずかしいです」
「そんなことないよ」
「男の人に見られたくなかったんです。こういう姿」
「見せちゃいなよ、もっと」
「幻滅される気がして」
「可愛いよ」
「……」
「可愛い」
店の外の狭い路地は、身を寄せないと歩けない。翔と難なく腕を組んでいた。
「久しぶりに言われたなあ」
カヲリは、あくびをかみ殺すように言った。あくまでも眠たそうに。
「父にも食べる姿を褒められたんです。なんかそれを思い出しました」
「お父さんって、トルコの?」
「はい。最近出て行ったきりですけど」
気軽に弱音を吐いていい相手ではないけれど、誰かに甘えたい夜もある。褒められるのに慣れていないためか、気がゆるんだ。
「カヲリちゃん」
路地の暗がりで、翔がカヲリの背中に腕を回してきた。
「いやいや、友達って言いましたけど! 何してるんですか」
突然のことで、身をよじって悲鳴に似た甲高い声を上げた。
「俺でよかったらいつでも相談乗るから」
どこかでこの展開を期待している自分がいた。卑怯じゃないか。同情されて舞い上がっていたのだ。
「……、ありがとうございます。でもお気持ちだけで結構です」
翔の細い割に割にがっちりした腕を離れ、制服の皺を直す。
「あんまり、無理すんなよ。陽菜ちゃんみたいに、甘える時は甘えた方が」
カヲリは翔の言葉を遮る。滅多にしないことだった。
「私は、陽菜じゃない! 一緒にしないでください」
感情の高ぶりを押さえきれず、渾身の思いで怒声を浴びせていた。これには翔も驚いたようだ。
「ごめん、そういうつもりじゃ」
「いえ……、私の方こそ」
何故、陽菜と比較されて怒ったのか。陽菜に対する嫉妬だったのか、それとも……
大通りに出ると、自然に二人は距離を置いた。
「遅くなっちゃって悪いね。送ってくから」
「ふぇっ!? もう」
にやにやと、翔が意地の悪そうな笑みを浮かべる。
「もっと俺と一緒にいたいってことか。いいよ、どこ行く?」
「ち、違います! 調子に乗らないでください」
帰りは、助手席に乗ることができた。やはり隣で運転を鑑賞できるのは嬉しい。
サザンオールスターズの曲を車内のオーディオでかけて、二人で歌った。
「そういえば、学校で一緒だった子、知り合い?」
「先輩ですけど」
「モデルみたいだったね。今度紹介してよ」
「はい。いいですよ」
カヲリは快諾したものの、あまりに無理に口角を上げたため、逆に仮面のように不気味な凄みが出た。
翔はすぐさま発言を撤回し、声を裏返しながら愛しのエリーを歌いまくった。




