6・出発する王女クリス
エビ。か。
蝦?
海老。
えび。
エビ。
私の知っている「えび」が頭の中でぽぽんと浮かんだ。
エビ、か。
私は、うん、と頷いた。
「お父様。何事ですか」
何事ですか、を、正常ですか、にしなかったことは誰かに褒めてほしい。が、お父様はしらふだろうと正気だろうと、おかしな性格をしていることに違いはないので、いつもしている自制を褒めろと言うのは無理な話か。
「お父様はなぁ、お前がそこまで上玉だとは思ってもいなかった」
「は?」
何この馬鹿親、馬鹿じゃね? という思春期の娘が父親に送りがちな視線をお父様に浴びせてしまう。私としたことが。この人はいつもこんな感じだというのに。
「ぼんくら貴族の坊ちゃんに気に入られて、公爵子息と知り合いになって。おまけに第一王子殿下に見初められるとはなあ!」
ぼんくら貴族の坊ちゃんというのは、ギーに散々駄目だしされていたハドリーさんだろう。そして、公爵子息というのはそのギーのはず。名乗りが長くてよく覚えていないけれど、貴族の子弟だとかなんとか言っていたような。いや、子どもと弟じゃ差があり過ぎるけども。
だが。
王子か。
全く、身に覚えがない。
「うん?」
私は顔をしかめた。
「今、私が殿下に見初められた、と言いましたか?」
「そう聞こえなかったのなら医者に診てもらったらどうだ?」
なんでここで心配そうな顔するんだよぉぉぉぉぉ! 納得いかない、理解不能…! この父親、絶対どうかしてる! ……それはもうずっと前からわかってい(以下省略)
「え。や……。その。リピートお願いします」
不服ながら頭を下げると、お父様は言った。
「『おまけに第一王子殿下に見初められるとはなあ!』だったかな」
王子に、見初められた、だと……!?
「はあっ!?」」
驚きのあまり裏返った声を、自分のものとは思えなかった。
「お父様、私、王子殿下と面識なんてないんですが!」
「ないって言っても、げんにこうして求婚されているんだから見初められたと言わずして何と言う」
きゅ、きゅうこん。
球根。
キュウ●ン? 金色の狐みたいな?
…………。
冷静になった。
「求婚?」
「海老で鯛を釣ったなぁ。本当に」
それで私海老かよ! っていうか、け、けけけけ結婚!?
「よし、海老。お前、一週間後にオラディアに行け。一ヶ月後の式までつつがなく過ごせ。いいか、命令だからな」
いや。いやいやいや。
「どういうことですか?」
「はぁ?」
まだわからないのか、と眉をひそめるお父様に、イライラが募る。私がわからず屋みたいではないか。けれど、この場合、本当にわからないのだからここは折れるしかない。納得できないまま、いきなりオラディアに行くとかマジでムリ。
「だーかーらー」
お父様は、さっきまで使っていた羽ペンを振りながら喋る。インクがとんでこっちに来ないことを願う。執務机を挟んでいるし距離もあるからないと思うけど。ああ、四十をとっくに越えているのにこんなノリってやっぱ苛つくなぁ!
「お前は、オラディア王国の第一王子殿下の花嫁候補なの。んで、来月には結婚式だから、それまであっちで過ごして慣れろよ、ってこと!」
「は、はなよめぇ?」
思いっきり「なんじゃそりゃ」という顔をすると、お父様が鼻で笑いやがった。私の顔ってそんなにおかしいのか?
「何があったか知らんが、王子がお前を気に入った。そんでもって、二日前に求婚の書状が届いた。断る理由もないから受諾した。今は結婚にまつわる書類に署名している。ってわけだ」
お父様は面倒そうに説明するが、最初からそう言ってくれた方が理解できた気がする。まだ頭の中は混乱しているけど。
だって、よりにもよって私だ。ない。ないないない。ないわぁ〜。
疑問は多い。特に、
・何故私が王子に求婚されているのか(しかも本人にではなく父親に話がくるってどうなんだ)
・面識がない相手を見初めるってどういうことだ
この二つ。私との結婚でオラディアが得られるものは一つとしてないと思う。借金持ちの貧乏国家、しかも凡人で取り柄のない姫を所望しているときた。美形で有能なお兄様達ならわかるのに、本当にどうして私なんだ。きっと絶賛血迷い中なのだろう、王子。いや、実際に王子がお兄様をほしいと言っても血迷っていると思うだろうが。
もしかして、ギーの手回しだろうか。事件についてのあれこれを忘れたら私にいいことがある、みたいな話をされなかったか。
私がぐるぐる考えていると、我が父は口を開いた。
「正直、どうしてお前かはわからない」
言い切った! 気持ちはわかるが言い切りおったぞ、この親!
「裏があるに違いない」
ひどっ! 言葉の家庭内暴力だ!
「だが、あの大国とのパイプは是が非でもほしい。お前だって、エリーの夢を叶えたいだろう?」
「うぐっ」
くっ……!
私は頬を引きつらせながら、心の中で深呼吸した。そして脳内そろばんをフル稼働させる(本物のそろばんは使えないが)。
「……」
はぁ。
「…………クリス・二ア・ライティア。喜んで、その縁談をお引き受けします」
半ば開き直るように浮かべた笑顔。私の努力の結晶でもあるそれを見て、お父様はにやりとした。
「何言ってるんだ。もう、先方には返事をしてあるぞ」
……。
私に拒否権はないってことか。
あ。
王宮のベッドで寝る機会が、できてしまったようだ。
これからの日程を聞いて執務室を出ると、カイルお兄様がいた。
「お父様に用事ですか? もう、大丈夫だと__」
「違う」
お兄様は怜悧な瞳をまっすぐ私に向けた。
「クリス。君に用がある」
ちょっと話をしないか、と言われて私はお兄様と肩を並べて歩くことになった。私の部屋までだが。
ミーナはいない。お父様に会うとき、下がらせたからだ。
「驚いた」
ええ、まあ。答えそうになったが、その言葉は、お兄様の感想のようだったので、私は口をつぐむ。
「まさか、君が嫁ぐなんて」
私が嫁げないと思っていたと言っているのだろうか。考えすぎだろう。……お父様とのやりとりのせいで気が立っているため、被害妄想が激しいようだ。
「君は、僕の妹だ」
お兄様は、ゆっくり、言葉を一つずつ吟味するように、慎重に喋った。
「エリーもだ。でも、彼女はいない。君だけだ」
ぶつ切りの台詞でも、なんだか優しい。
「だから、というわけではないけれど、私もルークも君を大切に思っている」
わかりきっていることだけど、面と向かって言われると気恥ずかしい。それと同時に、あたたかい思いがぶわっと溢れかえって泣きそうになる。
「君がどこに行っても、何をしていても、どんな立場でも、家族だということに変わりはない。それだけは、覚えておいてほしい」
「忘れません。絶対に」
私は笑った。嘘偽りのない、正真正銘の、心の底からの笑顔。
突然の嫁入り。十五歳で。
十五歳。
死んだときの私の歳も。今の私の歳も。
さくこを庇わなければ。車がこなければ。きっと、私は普通に生きていただろう。友達と一緒にクラスの噂話で盛り上がったり、恋をしたり、失恋をしたり、勉強に励んで、高校を卒業して、大学に入学して、卒業したら就職。それで、また恋をして、愛になって、結婚する。そんな。そんな未来が、あったかもしれない。
でも、それはもはや「未来」じゃない。
今の私にとって、長野なこの「未来」は、クリス・二ア・ライティアの「仮定」であり、「実現しない夢物語」である。
転生なんてありえない。それでも私はこうして生きている。存在している以上、そうやって生きていくしかない。嫌なら命を絶てばいいけれど、私はそんなことをしない。お姉様のために。そして、私のために。
前世では、ぼんやりと、二十代で結婚して幸せな家庭を築きたい、なんて考えていた。
現世では、面識のない男と、十五歳で裏事情のありそうな結婚をしなければならない。
生きていることはいいことなのだろうが、なかなか難儀なものである。
「私は君のことが好きだよ。大好きだ。愛している。たった一人になってしまった、私達の妹。父と、ルークと、私が死んでも、君だけは強く生きてくれ。辛くても。苦しくても。どうか、生きていてほしい。それは君にとってひどく重たい枷になるかもしれない。それでも、笑ってほしい。口には出さないが、父もルークもそうだと思う。……勝手ではあるが」
私は、頷いた。
たとえみんながこの世を去っても、私だけは生きていると誓おう。
私に生きろと言ってくれたお姉様を、全ての人が忘れても、彼女はいたのだと憶えて、伝えていかないといけないから。そう、決めたから。
まだ部屋には着かなかったけれど、途中でお兄様と別れた。
湿っぽい話はどうも苦手だ。
で。
なんだこれは。
トランク一つ。侍女一人。
「お父様、これは……?」
王宮の正面に待機する馬車。その荷台と、近くに佇んでいる人物を見て私は問いかける。
「嫁入り道具だが」
父親の返事はあっさりしたものだった。
ふむ。
私の結婚について、必要なことは全てお父様が行ってくれた。私はただ、待って、礼儀作法の勉強をするだけでよかった。で、もちろん嫁入り道具の用意をしてくれたのもお父様なわけだが。
あれ? 私の気のせいでなければお父様、荷物はもう準備できている、って言ってなかったっけ?
「こちらの経済状況を包み隠さず言ったら、生活必需品は用意してくれると言われた。懐が広いよなあ、大国は」
いや、そこ笑うところかお父様。
「持参金だってあるし、そもそも嫁の面倒を見るのは義務だろう。恥じることはない、クリス」
そういう問題か?
私は唯一同行する侍女、つまりミーナを見た。いつものように微笑していた。
「姫様!」
「お姫様〜」
ん。聞き慣れたこの声は!
あっという間に、近所のおばあちゃんや奥さん、おじさんが大集合した。
「物は少ないから、見送りだけは盛大にしてやろうと思ってな」
お父様は何故かどや顔だった。それだけは腑に落ちないけれど、とてつもなく嬉しい。
「寂しくなるわねぇ」
「元気でやれよ!」
「皆さん……!」
全員に抱きついてお礼を言いたいが、我慢する。時間がないから。
「私、とにかく頑張ります!」
おぉっ、と拍手される。
「そろそ行った方がいいな」
お父様が私に言たとおり、結構時間がギリギリだ。
「では、行ってきます!」
ハグは無理でもハイタッチはした。これくらい、やったっていいだろう。
最後に、カイルお兄様と握手をした。お父様に抱きついたら、誰にも聞こえないくらい、私でも空耳かと思ってしまうくらい小さな声で、「クリス。ありがとう」と囁かれた。ルークお兄様は若干涙ぐんでみんなにからかわれたせいで、握手をしようとしたらそっぽを向かれた。それでまた、どっと笑いがおきた。
馬車に乗り込もうとすると、ごめん、と小さく声がかけられた。振り向いた途端。
「幸せになれ、俺の妹姫」
耳朶に残る、優しい声。
「なっ___」
ルークお兄様に………………でこちゅーされた。それも一瞬のことで、異常なほど近くにあったはずの格好いい顔は、気付いたら普通の距離にあった。
しばらく続いた重苦しい空気を切り裂いたカイルお兄様は、少し気まずそうだった。
「……オラディアと同盟を結んでいるオースティンでは、結婚前の一ヶ月間に口づけを受けた花嫁は、その、うまくいかないという伝説があるらしい」
「はあ? そんなのよくある噂だろ。大体、オースティンが出所って時点で信憑性がない」
ルークお兄様は悪びれずに肩をすくめた。気持ちはわかる。オースティン=信じられない、というわけではないが、あの国は「迷信大国オースティン」と一部で揶揄されているからだ。ちなみにその不名誉なあだ名は、中くらいの国でありながら、怪しい伝説が数多く存在し、その中でいつも中心的な大国だったことになっているから、とついたそうだ。自国の伝説で自国が中心になっているのは至極当然だと私は考えるのだが、世間はどう見ているのやら。
「カイル、お前、不吉なこと言うな」
「不謹慎なルークに言われるのは心外だ」
どこか剣呑な雰囲気が漂ってきたので、私はそそくさと馬車に入った。まだちょっと心臓がドキドキしている。ルークお兄様のスキンシップは一生慣れないだろう。
まあ、それももうないかもしれないが。
私は今日、国を出る。
十五年間育ったこの国を。
家族が、民が生きる、この国を。
お姉様が愛したライティア王国を!
「今までありがとう!」
馬車の窓から身を乗り出して、大きく手を振る。
私は、ライティアを愛せていただろうか。
わからない。
でも、どうやら、「すき」ではあったようだ。
自分の気持ちがわかったことだけでも、この結婚は無駄じゃないと思える。
ギーが、条件をのんだら相応の報酬を用意すると言っていた。報酬は、国の援助より何より、これかもしれない。
そんなことをミリ単位でも考えた私は、少しわくわくもしている。
次回から、やっとオラディア王国編です、ギー&翔凰再登場!
音声のみの王子が姿を現す__といいなあ…。




