逃れられない兎
私は心を殺した。嬉しいや悲しい。寂しい、楽しい。怒りと、状況に応じて感情を殺す。みんなに合わせるために。
◇◆◇
殺し屋を名乗る「獅子」という男に言われた通り、私は玄関で座っていた。リビングからなにやら不穏な音が聞こえてくるが、気にしないふりをする。
「よし、終わり。これで兎衣が怪しまれることはないよ」
「あ、ありがとうございます」
「リビング覗かないほうがいいよ。一般人が見たら気絶するから」
そう言って、獅子はリビングへ目線を向けようとする私の目元を手で覆った。恐怖と好奇心が同時に湧き上がってきたが、見ないよう我慢をする。
獅子へと目線を戻すと、彼は私の目元から手をどかす。そして、ポケットのなかから私のスマホを取り出し、手渡してきた。
「俺がここから出た後、警察に連絡して。『父が殺されました』って」
「分かり、ました……」
「また会いに行くからね♡ 兎衣」
私の名前を呼ばれた時、からだが戦慄する。
名前なんて教えてない。何故私の名前を知っているのか。
玄関扉を開け、獅子は全身手足が血だらけのまま外へと出た。私は名前のことが聞きたくてからだが勝手に玄関扉を開けていた。
「獅子、さん……」
だが、そこには獅子の姿はなかった。確認するため、玄関出てすぐの道を跳び出し、左右を確認する。彼の姿はない。まるで真夜中に潜むライオンのようだ。
呆然と立ち尽くしていたところ、通行人とすれちがい、慌てて家のなかへと戻った。そして、スマホを取り出して百十番通報をする。
「……父が、殺されました」
◇◆◇
その後、私は事情聴取を受けた。身震いが止まらないのと、父を殺害してしまった罪悪感により、まともに話すことができなかった。だが、怪しまれることがなく、私はやがて児童養護施設へと連れて行かれる。しばらくそこで過ごしたところで、退所年齢だったため検討した。一度はここに残って過ごすのも一理ありだと思ったが、獅子のことが頭をよぎり、退所を決断した。
「……これで全部かな」
段ボールのなかに入った家具を設置し、部屋を見渡す。
ベッド、テーブルに椅子。そして事件後に持って帰った勉強道具。勉強道具以外は、児童養護施設からの提供で施設の人たちから温かさを感じた。
これから始まるんだ、ふたりの生活が。
「いつ来るのかな。流石に今日はないよね。引っ越し初日だし」
そう言った途端、インターホンの音が鳴った。荷物はこれで全部なため、引っ越し業者ではない。ネットでは特になにも頼んでいないため、配送業者ではない。一体誰だろう。
「はい……」
玄関扉を開けると目の前には—引っ越し業者の人たちが立っていた。だがさっき帰った人たちとは顔立ちや体型が違う。目の前の人だけ体型が筋肉質で、後ろに立っている他二人は小太りだ。
「お届け物です。こちら、玄関先まで運び入れてもよろしいでしょうか?」
「はい。どうぞ……」
すると筋肉質な男性が頷き、三人はトラックへと小走りした。やがて大きな荷物を運び、開封して置いてくれた。冷蔵庫にテレビ、クローゼットや棚、ソファー、洗濯機と色々運ばれてくる。
「わ、私こんなの注文してません!!」
家具を運んでくる小太りなふたりは、聞く耳を持たず運び続ける。ひとり筋肉質な男性と目が合う。そしてウィンクをされた。
夕方になり段ボールを開け、制服を取り出した時。またインターホンが部屋に響く。今度はなんだと玄関扉を開けると、視界が暗くなったと同時に背中に腕をまわされたことに理解をした。
「会いたかったよ。兎衣♡」
聞き覚えのある声に戦慄する。そうだ、彼を愛さないと。私は慌てて抱きしめ返す。
「確か、愛し合ってる人は抱きしめ合ってるんだよね。嬉しいなぁ♡」
そうだ。彼に気に入られなきゃ私の命が危うくなる。知ってる限りの愛を尽くさなければ。
「お、おかえりなさい。獅子」
「ただいま!」
私は過去の母の動作や、映画や、本で読んだ理想の妻を演じる。食事は引っ越したばかりで手料理は提供できなかったが、電子レンジで温めて一緒に食べた。
彼と私の服を洗濯しようとした時、洗剤と柔軟剤がないことに気がつく。そういえば食器やカーテンなど小物が揃っていない。
買い物に行くため、お財布の中身を確認する。だが、今持っている手持ちはあまりない。すると、肩に顎を乗せられ抱きしめられる。
「兎衣は払わなくていいよ。俺金ならあり余るほどあるから」
「ほ、ほんとですか!?」
驚きとつい混じった嬉しさを声に出してしまう。あ、と感情をすぐに出してしまったことを反省する。
「うん。働いて稼ぐのが夫の勤めだからね! 嬉しいなぁ、妻が俺の金で生活してくれるの♡」
そのあとショッピングモールへ向かい、ふたりで使う小物を持てるだけ買い揃えた。獅子がお会計で分厚い封筒を取り出していたため、獅子のお財布も同じ店内で購入した。すると彼は嬉しそうな表情をする。
「俺にくれるの?! ありがとう! 大切にするね」
「は、はい……」
彼のお金だが、選んだのは私だ。そう捉えてもいいだろう。
お互い両手で手荷物いっぱいなのに、何故か獅子が兎のぬいぐるみキーホルダーを買ってきた。
「兎衣が見てたやつ。俺からもプレゼント」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、帰ろっか」
言われた通り、出入り口へとショッピングモール内を歩いている時、横目の前にいるふたりの女性が、こちらを見ていた。「やば、イケメン」「超タイプ」と聞こえてきたため、見られているのは獅子だと気づく。だが、当の本人は気にせず前を向いていた。そして私の目線に気がついたのか、こちらに目線を向ける。
夜道の帰路。獅子と隣を歩く。はたからみたらカップルか、目の悪い人だったら兄弟に見えるかもしれないが、夫婦である。けれど誰も知らない。隣のいる夫の彼が、殺し屋であることを。




