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気がつけばまたあの場所にいた。見渡す限りに真っ白な世界。どこから光が射しているのかもわからないのに、確かに明るい。明るいけれど、不思議と眩しくはない。
「お久しぶり……とでも言うところなのかしら、あなたには」
「そうだね。二、三週間……いや、ひと月ぶりくらいかな、こっちとしては」
声がするようへと目を向けると、やはりそこには「わたし」がいた。暗いグレーのタイトスーツに、足にはスニーカー。髪は肩までのショートボブ。けれど前と同じように、なぜか顔だけは見えない。いや、見えてはいるはずなのに認識ができない。
「あら、そんなに経ってしまったのね。ここには時間とかそういう概念がないから、ごめんなさいね」
「『ここ』、ねえ……ところで、ここっていったい何なんだ。ただの夢ってわけでもなさそうだけど」
「夢……そうだね、夢といえば夢だけど、厳密にそうだと言えば違うかもしれない」
また何とも、はっきりしない物言いだ。こういうところは、ちょっとわたしらしくない。
「そもそも夢って、あなたは何だと思ってる?」
「何って……夜、眠ってる間に見るものじゃないの?」
「うん。だからそれはいったいどういうものなのか。どうして人は、夢なんて見るんだと思う?」
そんな謎かけをされて、わたしは考え込んでしまう。今までそんなことを考えてみたことなどない。そもそもわたしはあまり夢とか見ないほうだ。あるいは、見たことも覚えていないことが多いのか。
「遠い昔……人間もまだ誕生していなくて、地上には大型の恐竜が闊歩していた時代」
「いきなり何の話?」
「いいから聞きなさい。その頃の哺乳類はまだ小型のものしかいなくて、大型の肉食爬虫類の捕食対象だった。だから昼間は岩陰に身を潜め、夜に活動するしかなかった」
わたしってこんなに語りたがりだっけ、と奇妙に思いながらも口を噤んだ。おそらくこの女は単にわたしの姿をしているだけで、わたしとはまったく別の存在なのだろう。
「そして彼らは動かない昼の間のエネルギー消費を最小化するため、睡眠という習性を身につけた。しかしいくら動かないとはいえ、完全に活動を停止してしまってはいけない。万一外敵に見つかったときには即座に覚醒し、身を守る行動を取らなくてはならない。だから睡眠中でも、ある程度は脳を活動したままにしておく必要があった」
「だから、夢を見るようになった?」
「そう。なので最初は夢はすべて悪夢だった。だって身体に対する警告だものね。そうして哺乳類は恐竜の時代を生き延び、進化して知能を高めていった。社会も発展して、身に迫る危機も単なる外敵の襲撃だけではなくなった。その過程で夢もまた複雑化していき、様々なケースを想定したシミュレーションを行うようになった」
「シミュレーションねえ……それにしては、夢ってでたらめなものが多いじゃない。まあ、わたしはそんなに夢を覚えてる方じゃないけど」
「それは人が、夢を断片的にしか覚えていないからよ。映画だってランダムに切り出されたダイジェストだけ見ていたら、ストーリーなんて理解できないでしょう。それと同じ。でもそれでいいの。表層的な記憶には残っていなくても、夢で行われたシミュレーションの結果は脳に残っているの。そしてその経験が本当に必要になったとき、虫の知らせとか、既視感といった形で警告を送ってくるわけね」
警告、ね。夢にそんな機能があるのなら、わたしが撃たれるときにもちゃんと警告して欲しかったわ。そんな愚痴を飲み込んだところで、ようやく色々思い出せてきた。そうだ、わたしは今こんなとりとめのない話をしている場合じゃなかった。
「そんなことより!」
わたしは大声でよくわからない話を遮って、身を乗り出した。
「わたしはどうしてまたここにいるの。ついさっきまでトゥドールの辺境伯邸にいたはずなんだけど!」
「今だっているわよ、あなたの身体はそこに」
「じゃあどうしてわたしはこうして、夢だかなんだかわからないものを見ているの。眠った覚えなんかないんだけど?」
「そりゃああなた……」と『わたし』はくすくすと笑った。「襲爵式場で突然失神して倒れたからじゃない」
つまりあのときあたりが暗くなって、そのまま気を失ったということだ。その直前までの記憶は確かにあった。
「まさか、あなたが呼んだってこと?」
「さあ。わたしからは何とも。もしそうだとしても、何かあなたが困るようなことがあるかしら?」
大ありだ。それではまるで、わたしが突然の婚約破棄にショックを受けて、その心労で倒れたみたいじゃないか。冗談じゃない。
「不本意だわ。わたしはそんな弱い人間じゃない」
「あらそう、だったら悪かったわね。でもあの場からの退場の仕方としては、だいぶマシな方だったと思うけど。針の筵のような視線にさらされてすごすご帰るよりはよっぽど格好がつくし、それなりに同情も引けるし」
だからそれが不本意なんだって。そう言ってみても、この『わたし』には通じないのだろう。やはりここにいるもうひとりの『わたし』はわたしではないのだ。わたしとはまったく別の存在が、わたしの姿をして現れているだけ。いったい何のためにかは知らないが。
「まあ、いいわ。過ぎてしまったことは仕方ない。それで、あの人は何なの?」
「あの人って?」
「だからあの辺境伯よ。彼はどうして、元の世界の管理官と同じ顔をしているの。何か関係でもあるの?」
あの人がわたしと同じように転生してきたのではなくとも、元の世界の管理官と何かしらの関係があるのなら。それはつまり、この世界と元の世界はどこかで繋がっているということだ。繋がっているなら、帰ることだってできるかもしれない。それは初めて掴んだ手掛かりだ。
「さあ、わたしからは何とも言えないわ」
「ごまかさないで」
「ごまかしてなんかいないわよ。本当に何もわからないの。だから目が覚めたら、自分で本人に聞いてごらんなさい」
確かにそれが一番早いか。もし本当のことを話さないにしても、話した感触から何かを掴むくらいはできるだろう。ただ問題は、婚約破棄をされている状況で話をするきっかけを作ることができるかどうかだ。もう一度辺境伯邸に押しかけたところで、門前払いになる可能性もある。
そう思案しているうちに、『わたし』の輪郭がぼやけ始めた。まるで真っ白な霧に包まれるように、その姿が霞んでゆく。
「今回はこのくらいのようね。それじゃ、あとは頑張りなさい」
どうやらこいつはわたしをあの場で失神させるためだけにここに呼んだらしい。そうして肝心なことは何もわからないままだ。思い返してみれば、この場所でこのわたしに似た女が、何か役に立つ話などしたことがなかった。
「……使えないやつ」
「何か言った?」
女の姿はもう見えなかった。司会は完全に白い闇に覆われて、もうどちらが上かもわからない。
「何でもないわよ」
わたしはそれだけ答えて、その白い闇に身を任せた。
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