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倉庫を出て、広場を外周に沿って走った。ここには大聖堂の他にも、同じ聖教の様々な宗派の礼拝堂が広場を囲むように並んでいて、その陰に隠れながら行けば目に付くこともなく進んで行ける。それでも一、二度見張りらしき男と行き合ったが、それもウォレンが声を立てさせることもなく無力化していた。
ただし肝心の大聖堂はそうもいかなそうだった。ヴォロヴィッツの配下たちはそこを拠点のように使っているようで、帯剣した男たちが数人で門の前を固めている。
「さて、ここから先は強行突破だな。覚悟はいいかい、お嬢さまよ?」
「ええ」と、わたしも長剣を抜いた。けれどわたしの前を遮るように、マリーが立ち塞がる。
「お嬢さまは足を止めることなく、階上を目指してくださいませ。道は、このマリーが開きますので」
そんな彼女を見て、ウォレンはまたひひっと笑う。
「勇ましいメイドだぜ。腕に覚えは?」
「それなりに。田舎育ちですので」
そいつは頼もしいぜ。ウォレンはなおもせせらうように吐き棄て、剣を抜いた。そして音もなく地を蹴ると、男たちがに身構える間も与えずにふたりを斬り伏せる。マリーも驚きながらどうにか反応した男の剣を弾き飛ばし、肘を喉に叩き込んで悶絶させた。
そうして一瞬で正面門を制圧し、大聖堂内部へと踏み入る。中は敬虔な信徒が見たら卒倒しそうなありさまで、ならず者たちがたむろし、飲みかけの酒瓶やタバコの吸殻などが散乱していた。そしてすでに異変に気付いていたのか、抜刀して待ち構えている者もいる。敵は広い礼拝堂の中に、ざっと十五、六人といったところか。これはウォレンといえど、少し骨が折れるだろう。
「マーカス・ウォレン……これは驚いた」
階上へと続く階段から、背の高い細身の男がゆっくりと降りてくる。一見すると優男だが、冷たく鋭い双眸は只者ではない光をたたえている。強行犯係に配属されて間もない頃、推測されるだけで十数件の殺人に関わったとされる暴力団のヒットマンの検挙と取調べを手伝ったこともあるが、そのときの相手と似た空気をまとっている。
「まだ戦争が続いてると勘違いした老いぼれが、いったい何をしに来た。徘徊か?」
「お前みてえな若僧に老いぼれなんて言われるほどの歳でもねえよ、ヴォロヴィッツ」
ウォレンが口にしたその名前は、この件の指揮を執っているとみられる幹部のものだった。なるほど、この男がヴォロヴィッツか。思っていたより若い。しかしフィールズ一家もウォレンたち同様、戦争が終わって行き場をなくした軍人たちの集まりだったはずだ。その中にあっては新参者であろうに、幹部にまで成り上がったとあれば、相当な腕の持ち主なのだろう。若いからと言って油断はできなかった。
「このグレインディールは俺たちの縄張りなんでな。余所者に好き勝手されてもこっちの面子が立たねえんだわ。悪いが死んでもらえるか、若僧」
「戦争の遺物が……大人しく博物館にでも飾られてろ」
ヴォロヴィッツがそう吐き捨てながら剣を抜いた。その上背に見合った、ゆうに一メートル以上はありそうな長い刀身。
「……マーカス」
「何、造作もねえさ。とにかく隙は作ってやるから、あんたは脇目も振らずに上に向かえ」
その声音は、別に気負っても強かってもおらず、平然としたものだった。ならばこちらも、それを信じるしかない。
「わかったわ、お願いね」
答えて、わたしは一歩下がった。そうして階段を塞ぐように立ちはだかるヴォロヴィッツのわずかな隙も見逃さぬよう凝視する。その立ち姿、足運び。確かにかなりの実力者であることはわかった。それでも必ずウォレンが、隙を生み出してくれると信じて。
「お嬢さま、まずいです」
隣に並びかけてきたワッツが、囁くような声で言った。
「結界がひどく不安定になっています。もう長く持たないかもしれません」
兄アルフォンスの魔力もそろそろ限界なのだろう。けれどうにかあと少し、持ちこたえて欲しいと祈る。それしかできない。
ヴォロヴィッツが音もなく地を蹴り、一気に間合いを詰めてきた。しかしそれとともに放たれた横薙ぎの斬撃を、ウォレンはこともなげに弾き返す。
「踏み込みが甘いぜ若僧。そんな剣、戦場じゃものの役にも立たねえ」
わたしの目から見ると、むしろ踏み込み過ぎと映っていた。せっかくリーチ差があるのに、いきなり間を詰め過ぎてそれを生かせていない。なるほど剣筋は鋭いが、戦略的な立ち回りは不得手なのか。あるいは実力差がある戦いばかり経験して、リーチさを生かさなければならないような拮抗した戦いは経験してこなかったか。
ヴォロヴィッツはなおも接近したまま、続けざまに剣を振るう。けれどウォレンはさらに相手の懐に潜り込み、体捌きだけでそれやをすべてやり過ごした。そして一連の攻撃が途切れた一瞬、膝を跳ね上げて強烈に腹へめり込ませる。
「………ぐっ!」
ヴォロヴィッツは苦しげに呻き、二、三歩と後ずさった。けれど倒れることはなく踏みとどまり、また剣を構える。脇を抜ける隙が生まれたかとも思ったが、まだ難しかった。
しかし好機と見たか、今度はウォレンが自分から間合いを詰めた。そして剣を絡ませるように合わせ、体勢を入れ替える。そしてちらとこちらに視線を向け、行け、と合図してきた。
わたしは小さく頷くと、身を低くして彼の背中をすり抜けた。そして鉄製を階段を駆け上がると、その先は礼拝堂をぐるりと囲う回廊だった。
回廊は正面に配置されたパイプオルガンの奥へと続いており、そちらが尖塔の上へと続いているらしかった。しかしそこにもヴォロヴィッツの手下が配されていたようで、わたしたちに気付くと大声を上げて向かってくる。
「お嬢さま、お下がりください!」
マリーが前へと進み出て、持っていた剣を先頭の男に向かって躊躇いもせずに投げた。男は慌てたように身構え、くるくると回りながら飛んできた剣を振り払う。しかしそれで体勢が崩れ、踏み込んできた彼女に懐へ潜り込まれる。そしてみぞおちへと肘を叩き込まれ、あっさりと悶絶した。
マリーは男が取り落とした剣を拾うと、狭い回廊を塞ぐように立ちはだかった。そして足を止めた男たちを見据え、高く振りかぶる。
「道をお開けなさい。さすれば命までは取りません。あなた方のちっぽけな命など、わたしは興味もありませんから」
その声は凍りつくほどに冷たく、従わなければ容赦なく斬り捨てる気だろうとわかるものだった。男たちも、その威圧に顔を引きつらせている。しかしだからと言って、それで引いては沽券にかかわるのだろう。男たちも、道を開ける様子はなかった。
とは言え、睨み合いをしている暇はなかった。術式の発動を抑えている結界が、もう限界なのはわたしにもわかっていた。ずっと感じていた頭上の圧力が、耳鳴りのように聞こえ続けていた低い音が、ひどく不安定に波打っている。まるで蝋燭の火が消える直前のように。
「ああ、いけない……結界が破られます」
ワッツが絶望するような情けない声を上げた。
そうして次の瞬間、ぱりんと何かが割れるような音が聞こえた。いや、それはもしかしたら気のせいだったのかもしれない。それでもそんな錯覚をするくらい唐突に、感じ続けていた圧力が消えた。まるで低い天井の部屋の中から、星いっぱいの夜空の下に放り出されたかのように。
兄アルフォンスの結界が、ついに崩壊したのだ。




