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本邸を出ると、広い中庭を横切って正門へと向かう。そこへウォレンが並びかけて来て、なおもからかうような口調で訊いてきた。
「さて、ずいぶんと安請け合いをしたもんだな。何か算段でもあるのか?」
「ないわ、そんなの」
見栄を張ってもしょうがないことなので、素直に答える。
「算段があろうとなかろうと、やらなきゃならないならやるだけよ。大事なのはまず動くこと。動けば何かが見えてくる」
だいぶ慣れてきたとはいえ、相変わらず重い気配は感じていた。頭上に今にも巨大な岩が迫ってきているような圧力。今もなお、街のどこかから放たれているアルカロンの術式と兄の結界がぶつかり合っているのだ。夜の空気がほとんど固体化するほどに密度を増し、軋みを上げているのがわかる。
「アンジュ、大丈夫?」
「慣れてはきたけど……まだキツい。吐きそう」
アンジュはわたしと比べたら、だいぶ苦しそうだった。同じ魔術に覚醒した者同士でも、この気配の感じ方には個人差があるのかもしれなかった。
「無理はしなくてもいいわ。きついようなら、アジトに戻っていてもいいのよ」
「いや……行くよ」彼女はそれでも顔を上げ、不敵に笑った。「せっかく親父にいいとこ見せられるってんだ。気張んねえと」
「今のあなたは、グレインディール公爵家のメイドなのですよ」そこへマリーが咎めるように口を挟む。「いいところを見せるなら、お嬢さまにです」
アンジュはぞんざいに聞き流すように、「……はいはい」と答える。どうも未だに、マリーのことは苦手なようだった。
そのとき、正門のところに人影があるのが目に入った。召集されずに残っていた門番の他に、誰かもうひとり。近付くにつれ、それが誰なのか見えてきた。
「……エドガー?」
エドガー・ワッツ魔検士だった。わたしは足を速め、彼に歩み寄って行く。
「来てくれたのね。もう身体は大丈夫なの?」
「全然平気です、お嬢さま。今夜も最初は城門の方へ召集されたんですけど、隊長がお前は公爵邸に行けと」
術式や魔力を「視る」ことができるこの魔検士は、この状況では何より頼りになる人材である。オハラのその判断に、素直に感謝した。
「まあ、戦闘になっても俺じゃ何の役にも立ちませんからね。悔しいですけど、こちらの方がまだお力になれるかと」
「助かるわ。それで今この街で何が起きてるのか、あなたにはわかる?」
わたしがそう尋ねると、彼はひどく真剣な表情で頷いた。
「はい。一刻も早くそれをお伝えしなければと思ってました。領主代理さまは今どちらに?」
「兄は執務室の奥で結界の維持に当たっているわ」
できればアルフォンスにはそれに集中させてあげたい。そりゃあ報告も大事だが、どのみちあの場を離れられないだろう。
「状況の対処はわたしたちに一任されているわ。報告があるならこちらで聞かせてもらう。それで、あなたには術式の発信元がわかるの?」
魔力の流れを読み取れる彼なら、それもわかるはずだった。そうすれば魔導師たちの居場所もわかるし、うまくすれば一網打尽にもできる。いささか手が足りないのも正直なところだが、そこはウォレンとその手下たちに期待だ。
「それが……」
ワッツはわたしの問いに、困ったように言い淀んだ。
「どうしたの?」
「発信元、と言えるような場所はありません。強いて言うなら、このグレインディールの街全体が発信元です」
けれど彼の返答は、すぐには意味を理解できないものだった。
「……どういうこと?」
「方陣です」と、ワッツは重ねて言った。「この街全体を覆うほどの巨大なアルカロンの方陣が描かれていて、今そこに魔力が注がれています。術式はまだ発動していないようですが」
方陣とは、いわゆる魔法陣のことだろうか。では街を覆うほどの巨大なものというと。
「お嬢さまもご覧になりませんでしたか。街の石畳に傷を付けるように、何かが刻まれていたのを」
「ええ。てっきり子供の落書きを消した跡だと思ってたけど……」
「あれも巨大な方陣の一部だったということです。あのようにして、城壁の内側いっぱいに沿うように紋様が描かれています。いったいどれだけの人数、時間を掛けたのか」
それも潜入した魔導師たちが、人目につかぬよう夜間にでも密かに進めてきたのか。なんと遠大で、なんと馬鹿げた作業か。
「でも、途中に家だってあるでしょう。街いっぱいにその方陣っていうのを描こうとしてもいくらなんでも無理なんじゃ……」
「方陣というのは完全に描き切る必要はないんです。全体の七割ほどでも出来ていれば、あとは魔力が欠損部分を補完して術式は発動します。もちろん、その分魔力の効率は落ちますが……」
「何よそれ。魔術って、そんな適当なものなの?」
「詠唱だってそうでしょう。多少文言が不正確でも端折られていても、術式の発動に問題はありません。それと同じですよ」
それを言われてしまっては納得するしかない。わたしの顕現魔術も正確に伝わっていない詠唱を適当に誤魔化していて、それでも何とかなっている。
「……それで、術式が発動したらどうなるの?」
「おそらく街の住民全員に対してアルカロンの術式が発動します」
てっきり狙われているのは公爵邸だけだと思っていたが、どうやらその程度では済まないらしい。城門を守っているオハラたち騎士団の背後に、突然万単位のアルカロン中毒者が出現するのだ。身体が耐えられず昏倒する者や、生命の危機に陥る者もいるだろう。また我を失って凶暴化し、暴徒となる者もいる多くいるはずだ。
とてもではないがオハラたちだけで対処できる事態ではない。そこにフィールズの襲撃を受ければ、グレインディールはまさに一夜で彼らの手に落ちる。
「今からでも、住民に避難指示を出すべきです。ひとりでも多く城壁の外へ……」
「城壁の外は危険だわ。フィールズ一家の兵隊も、今城門前にいるので全員とは限らない」
これだけの馬鹿げた計画を立てた連中が、それを想定していないとも考えにくい。わたしたちはすでに罠にかかってしまったのだ。獲物を罠から逃がさない手もすでに打ってあるに違いない。避難のための裏門も、彼らの伏兵の監視下だろう。
使えるとしたら、わたしたちが通って来た地下道か。しかしあの狭い地下道で、いったいどれだけの住民を避難させられるものか。
「術式の発動を止める手立てはないの、エドガー。たとえば方陣を一部でも破壊すれば……」
「さっきも言った通り、方陣は全体の七割程度の完成度でも発動します。そもそも今現在、彼らがどの程度完成させているかもわからないんです。あるいは一割ほどを破壊すれば止められるかもしれませんが、それも確実とは言えないでしょう」
おそらく敵はドニから計画が漏れたと考えて、予定を早めて計画を決行したはずだ。それなら、方陣の完成度はさほど高いとも思えない。兄の結界で発動を抑えられているのもそのおかげだろう。
しかし一周五キロの城壁の内側いっぱいに方陣が描かれているとすれば、その一割でも五百メートル。それをあと三十分で破壊するというのは現実的ではなかった。しかも、それで確実に阻止できるとは限らないのだ。
「なら、今魔力を注いでいる魔導師たちは。彼らのうち一部でも捕縛できれば……」
「残念だが、手が足りねえな」
と、わたしの案を却下したのはウォレンだった。
「まず、やつらの正確な人数も、居場所もわからねぇ。仮にそれがわかったとしても、当然それぞれ護衛も付いているはずだ。それを今から探し出して取り押えるにしても、残り時間じゃひとりかふたりが限度だろうぜ」
確かにそれでは意味がない。数十人はいると思われる魔導師たちのひとりふたりを押さえたところで、まったく焼け石に水だ。
ウォレンはまだにやにや笑いを顔に貼り付けてわたしを見ていた。これがお前が見ると言っていた絶望ってやつだぜ、とでも言わんばかりに。でも残念、わたしはこれくらいで諦めてなんてやらない。
「あと可能性があるとすれば、シンボルを破壊することくらいでしょうか……」
と、ワッツが自信なさげな声で言った。
「シンボル?」
「はい。方陣には必ず、核となるシンボルがどこかに描かれています。発動する術式を決定づける部分でもあり、そこだけは十全に描かれていなければなりません。方陣とはシンボルと、そこへ魔力を供給する経路で成り立っていまして……」
「つまりそのシンボルを一部でも破壊することができれば、術式の発動は止められるのね?」
「はい。ですが問題は、そのシンボルがどこにあるかはわからないことです」
確かにこの城壁で囲まれたグレインディールの街は広いとは言えないが、時間はわずかしかない。その残り時間を考えれば、十分に広い。
「エドガー、あなたなら魔力を見て流れの先を追えたりしない?」
「申し訳ありません。わたしの力では、そこまでは……」
もちろん、それができないからといって彼を責めることなんてできない。今この街で何が起きているのかを知らせてくれただけでも大手柄なのだ。それにシンボルという方陣の弱点を知れたおかげで、突破口も見えた。
「ただこれだけの規模の方陣です。シンボルもかなりの大きさになるはず……おそらくは、五十メートル四方くらいの平らな土地が必要でしょう。そのような場所がこの街にあるのかどうか。ちょっと思い当たる場所がありません」
そう言われて、記憶の中に引っ掛かるものがあった。そう。たしかあそこは……
「……あるわ」
わたしのそのひと言に、ワッツとウォレンが目をみはった。
「大聖堂前の広場よ。あそこなら広場というくらいだから、巨大なシンボルを描くこともできるんじゃない?」
「それは……そうでしょうが」と、ワッツは戸惑うように応じた。「ですがあの広場は、いつも参拝者で賑わっています。たとえ夜中に忍んでおこなったにしても、誰かしらに気付かれるはずです」
「普段ならそうでしょうね」
わたしは顔を上げて、ワッツの目を覗き込みながら続けた。
「でも忘れたの。大聖堂は今、改修工事中よ。広場も立ち入り禁止だったはず」
彼がはっと息を飲むのがわかった。そう、今ならそれが可能なのだ。誰の目にも止まることなく、広場に巨大なシンボルを描くことが。
「ですっ……ですが、だとすると……聖教会までやつらとグルってことになりますよ?」
「だったら何。騎士団の上層部まですでに敵なのよ。その敵が少し増えたくらいで今さらビビらないの」
どうやらこの世界の人たちにとっては、その聖教会というのは相当に大きな権威らしい。しかしわたしには関係ない。そもそも宗教団体なんて、法人を隠れ蓑にして悪どい金儲けをする連中と相場が決まっている。わたしが元いた世界ではそうだった。
「で、どうするんだいお嬢さまよ?」
「シンボルは大聖堂にある可能性が高いわ。これから全員で突入して、破壊する」
ウォレンは短くぴいっと口笛を吹いた。いい度胸だ、とでも言うように。
「いいのかい。そいつは賭けだぜ?」
「ええ。でも、分の悪い賭けだとは思わない。乗れないと言うならあなたは別行動でもいいのよ、マーカス。でもできればあなたのところの子たちを、何人かは貸して欲しいところだけど」
ウォレンは是とも非とも言わず、ただ背後に控えるザールたちを振り返った。そうしてわたしに対するものとは違う、ともすれば威厳すら感じさせる声で指示を送る。
「ザール。お前はこいつらを連れて大聖堂に向かえ。おそらく奴らは守りを固めているだろうから、適当にちょっかい出して引き付けろ」
「オーケー、親父」
ザールは顔を引き締めて頷いた。そして踵を返し、音もなく走り去ってゆく。
「ちょっとどういうこと。当然わたしも行くわよ!」
わたしも慌てて彼らを追おうとしたが、ウォレンは大きな手でこちらの頭を掴むように押さえつける。
「慌てるんじゃねえ、お嬢さまよ。俺たちはこっちだ」
彼はそう言って、あとにしたはずの公爵邸を顎で示す。
「言っただろうが。さっきの地下道は、非常時に街のお偉方を逃がすためにあちこちに繋がってる。そしてそのお偉方には、聖教会の神官たちも含まれる」
「ってことは、つまり……?」
「だから大聖堂の地下にも繋がってる。俺とあんたはそれを通って、やつらのど真ん中に飛び込むってわけだ。あとはまあ、うちの連中がどこまで陽動してくれるか次第だな」
人に賭けだとか言っておきながら、この男はこの男でずいぶんな大博打を打つものだった。しかし確かにそれで敵の裏をかくことができれば、この人数でも目的は果たせるかもしれない。




