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アジトにはさらに地下があり、そこはメンバーたちの居住区となっているようだった。長い通路の両側には布が垂れ下がっていて、その向こうにはベッドとテーブルを並べただけのそれぞれの寝室がある。そして通路の突き当たりにだけ扉があり、わたしたちが向かっているのもそこらしかった 。
わたしたちは彼に誘われるままそこへ向かっていた。尾行がなかったことを確かめに行ったアンジュも、しばらくして戻って来た。どうやらマリーや調査隊のみなが見つかることはなかったらしい。
「ドニのやつはこっちだ。遠慮せずに入りな」
通された先は、ゆうに十五、六畳はありそうながらんとした部屋だった。おそらくはここがウォレンの生活空間なのだろうが、それを伺わせるようなものは隅に並べられた空の酒壜くらい。あとはせいぜい粗末なテーブルと寝台にもなるのだろう長椅子くらいしかなかった。
その拍子抜けするほどに殺風景な部屋の数少ない調度品、長椅子の端近くに、五十年配の男が座っていた。その顔には見覚えがある。先の殺人現場で、倉庫の鍵を持ってきた人物だった。
ルヴァン商会会頭であるジェラール・ルヴァンの弟にして副会頭、ドニ・ルヴァンその人で間違いなかった。白髪交じりの髪は乱れて着衣も汚れていたが、ぱっと見大きな怪我はなさそうだ。顔色は優れないが、体調に問題があるようにも見えない。手足も自由で、拘束されているわけでもない。
「まず、状況を説明してもらっていいかしら」
アンジュが持ってきた木製のスツールにオハラとわたしを座らせると、ウォレンは長椅子のど真ん中にどっかと腰を下ろした。その反動で小柄なドニ氏の尻が跳ね上がり、彼はびくりと身体を震わせる。
「状況も何も、見ての通りだ。こいつがドニ・ルヴァン。五体満足だから連れて帰ってくれ」
「ま……待ってくれ、マーカス!」
今までわたしたちを警戒してか黙っていたドニが、はじめて口を開いた。
「それはやめてくれ。騎士団に連れて行かれれば、私はきっと殺される!」
「だろうな。それならここでの扱いにも文句は言うな。これでも精一杯丁重にもてなしてるつもりなんだ」
そのやりとりから推察するに、やはり彼はここに監禁されているわけではなさそうだった。むしろ望んでここにいるようだ。まあ多少の不満はあるらしいが。
「何がどうなっているのかは、こいつから聞けばいい」
ウォレンはわたしたちに向き直り、言った。そう、そもそもわたしたちは、このドニ・ルヴァンの話を聞きに来たのだった。
ウォレンは部屋の隅に転がっていた酒壜を拾い上げ、まだ残っていた中身を呷った。そしてそれをオハラにも差し出そうとしたが、彼は固辞した。そりゃあね、まだ勤務中だし。
「と言っても、何から聞いたものかな」とにかく、尋ねたいことは山ほどある。「まずは、どういう経緯でここにいるのか、それから話してもらえますか。ドニ副会頭」
初老の男はしばし躊躇うように目を泳がせたが、やがて納得したように肩の力を抜いた。
「正直、私にもまだよくわかっていないんだ。一昨夜、私は急に兄からトゥドール辺境伯領に向かうように言われた。向こうの支店で商談が難航しているから、応援に行くようにと。しかしおかしな話だとは思ったんだ。これまで支店の経営は基本的に支店任せで、わざわざ人を送るようなことなどなかったから……」
「それで?」
ドニ・ルヴァンはちらとウォレンを見やって、話を続けた。
「荷馬車が街道に出てしばらくした頃に彼らが来た。そして護衛の騎士を素早く制圧して、私を連れ去った。そしてここへと連れて来た。それからはずっと、この部屋にいる」
「あなたを連れ去ったとき、ウォレンは荷馬車の商会員や騎士たちを殺しました?」
わたしがそう尋ねると、ドニは一瞬目を見開いた。しかしすぐに諦めたように息をつき、首を振る。
「いや、そんなことはしなかった。彼らはただ荷馬車を包囲して脅しただけだ。騎士たちのことも、ただ武器を奪って取り押さえてた」
そこで彼はいったん言葉を切り、恐る恐るといった様子で上目遣いにこちらを見る。
「その……本当に、荷馬車にいた者たちはみな殺されたのか?」
おそらくウォレンからそのことは聞いていたのだろう。しかしそれでもまだ、信じたくないという思いがあったのか。とはいえ、嘘を言うわけにはいかなかった。わたしが無言で頷くと、ドニはがっくりと崩れ落ちるように俯いた。
「みな、長く商会に勤めてくれた者たちだった。そうか……兄はあの者たちも切り捨てたのか。そして、私のことも……」
「それはどういう意味ですか。今回の襲撃は、ジェラール会頭の差し金だと?」
「そうとしか考えられない。私は以前から、あの者たちとは手を切れと言ってきたんだ。取り返しのつかないことになるからと。だが兄はあの者たちではなく、私を切り捨てることを選んだわけだ……」
兄やウォレンの調査が正しければ、彼の言う「あの者たち」とはフィールズ一家のことで間違いないのだろう。それと、騎士団の一部。やはりルヴァン商会は、彼らとの関係を続けるべきか否かで揺れていたのだ。
そうしてわたしはウォレンに目を向け、尋ねた。
「それで、あなたはどうやって荷馬車が襲撃されることを知ったの?」
話を向けられたウォレンは、訝しげに「あん?」と眉をひそめた。
「おいおい、この前とはずいぶん物腰が違うな。兄貴の前では猫かぶるクチか?」
「この前のあなたは代理とはいえ公爵家の主である兄の客人だったからね。でも今は、わたしたちのほうが客よ」
そういやそうだったな、とウォレンはひひっと喉を鳴らした。
「それより今の様子じゃ、お嬢さまたちは荷馬車を襲ったのは俺たちじゃねえかって疑ってたのか?」
「まあね。そりゃあ疑いもするでしょ。乗員が皆殺しの荷馬車に乗ったはずのドニ副会頭が、あなたのところにいるというんだから。この人を攫うために乗員皆殺しにしたと考えるのが自然だわ」
「疑っていながら、それでも来たのか。まったくお嬢さまよ、あんたのそのクソ度胸はどこから来るんだい?」
疑われたこと自体は気にもしていないようだった。まあ自分たちがそう色眼鏡で見られる存在であることぐらいは自覚しているのだろう。
「それともそっちの英雄さまを、よっぽど信頼してるってことか?」
そうして胡乱な笑みを浮かべたまま、わたしの隣で黙ったままのオハラに目を向けた。英雄、という言葉に彼が一瞬身を強張らせるのがわかった。そう言えばビトーが、彼の前ではその話をするなと言っていたっけ。
「そんなことはどうでもいいわ。それより、わたしの質問に答えて」
だからわたしは、強引に話を戻した。こちらのそうした意図に気づいているのかいないのか、ウォレンは小さく肩をすくめて答えてくる。
「別に特別なことは何もないさ。ルヴァン商会には、死んだゴードンの他にも何人か潜り込ませてた。それでトゥドールに行く荷馬車にこいつが乗せられることを知った。まあ臭ぇと思ってるところに、ヴォロヴィッツの配下の精鋭がグレインディールに向かってるって知らせが入った」
その名前は以前ワッツから聞いた。この街で目撃されたという、フィールズ一家の幹部だったか。
「ヴォロヴィッツとその配下はフィールズん中でも、荒事専門の武闘派集団として鳴らしてる。やつらが動くってことは、何かしら血生臭いことが起こるってことだ。それで俺たちは先手を取って、こいつを回収させてもらった。まあ仲間でも何でもないが、殺されると俺たちが困るんでね」
「待って。じゃああなたたちは何が起きるかわかっていたのに、他の人たちは見殺しにしたの?」
「他のやつらって……荷馬車の連中か。一応、警告はしてやったぞ。今すぐ大急ぎでグレインディールに引き返せってな。やつらは信じなかった。だったらそれ以上何ができる?」
ウォレンは相変わらず薄ら笑いを浮かべたままだった。しかしその声音には、有無を言わさぬ重厚な響きがあった。
「そのともその場に残って、ヴォロヴィッツのところの連中とやり合えとでも。相手は精鋭中の精鋭だ。まともにぶつかればこっちだって無傷じゃすまねえ。見ず知らずの連中守るために、大事な兄弟を危険に晒せと。そんな義理がどこにある?」
確かにそれは虫のいい話だった。そもそも彼らにそんな義務はない。けれども同時に失望も覚えずにはいられなかった。結局はこの男たちも、フィールズ何某と同類の悪党なのだ。
「そうね。つまらないことを訊いたわ。忘れて」
わたしがそう言ってウォレンへの質問を切り上げると、彼はまたせせらうようにひひっと笑った。




