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昼前に、騎士団からの使いが送られてきた。やってきたのはまた、新米騎士ののビトーだった。彼もオハラから可愛がられているのか、それともいちばんの下っ端としていいようにこき使われているのか、よくわからなかった。
オハラからの伝言では、事件の捜査は街道警備隊が担当しており、詳しい情報は彼らにもまだ入ってきていないとのことだった。調査隊は城門の警備の応援や市内の警らに奔走しているらしい。
「今のところ混乱はありませんが、賊の行方もまだ掴めておらず、油断を許せない状況が続いています」
「そう、それをわざわざ伝えに来てくれたの?」
「はい。ですのでお嬢さまも、しばらくは屋敷の中に留まってくださるようにと」
つまりお前が余計なことをするとますます面倒臭いことになるから大人しくしとけということか。なんかオハラの心の声が聞こえてきそうな伝言だった。
「そう、ありがとうねユリアン。どうぞこちらに来て、お茶でも飲んでひと休みしていって」
わたしはそう言って、前と同じように彼を中庭の四阿へと誘った。
「いえ、私はこのまますぐに戻らないといけないので……」
「いいじゃない。都合良く使い走りにされてるんだから、役得くらいないとね」
そう重ねて言うと、ビトーはすんなりと同意して四阿のベンチに腰を下ろした。これはおそらく、わたしからも何か聞き出してこいと命じられてるからだろう。
「それで、公爵家は今回の事態をどこまで把握されているのでしょうか」
ほら来た。「さあ、詳しいことは正直何も。兄のほうにはある程度の情報が入ってきているのだろうけど、それもわたしにまでは下りてこないから」
「そうですか。それはさぞご不安かと存じます。何か新しいことがわかりましたら、またお嬢さまにもお伝えしますので」
マリーがふたり分の紅茶とクッキーを運んできた。それを自分より先に、ビトーへと勧める。
「どうぞ。公爵家御用達のクッキーよ。外じゃなかなか食べられないわ」
「え……そんなもの、いいんですか?」
「いいの。役得よ、役得」
そう言ってあげると、ビトーは素直に顔をほころばせた。そんな顔をすると、意外に幼くも見える。勝手にだいたい十七、八と想像していたが、あるいはもっと年若いのかもしれない。
「それでは失礼して……いただきます」
本当ならここはクッキーなどではなく、カツ丼が欲しいところだった。やはり取り調べと言えばカツ丼だろう。わたしは出したことなかったが。
「ところでユリアン、ほかにもわたしに伝えることがあるんじゃないかしら」
「えっ……と、言いますと?」
「さっきわたしが詳しいことは知らないと答えたとき、明らかにホッとしてたわよね。あなたは、わたしがどのくらい情報を持っているかを確かめに来た」
「そんなことはありませんよ……俺はただ、お嬢さまが不安かと思って」
うん、確かに頑張って平静を装っている。装えている。けれど一瞬だけ、わずかに目が泳いだのを見逃さなかった。それに一人称が、「私」から「俺」に変わってしまっている。
「つまり騎士団は、わたしに知られると困る情報を持っている。それがまだ漏れていないことを確かめて、その上でわたしが勝手に動かないよう釘を刺すためにあなたを寄越した。違って?」
「いや……何のことでしょう。はは……」
わたしは身を乗り出して、彼の前のクッキーのひとつを指でつまんだ。
「ユリアン?」
「は、はい……何でしょう」
「口を開けて」
「えっ……ええ?」
「いいから開けて……あーん」
役得その二、公爵令嬢の「あーん」だ。彼は魅入られたような目をしながら口を開ける。わたしはその唇の間に、小ぶりのクッキーをゆっくりと滑り込ませる。
「美味しい?」
「はい、その……美味しいです」
「そう、よかったわ。じゃあ話して」
「は……何を……」
「大丈夫、あなたから聞いたってことは言わないでおくわ。公爵家の情報網ですでに調べはついてたってことにしてあげるから」
彼はしばらくまじまじとわたしの目を覗き込んだのち、観念したように肩を落とした。
「はい、お願いします……」
ビトーは何だかすっかり萎れたように従順になっていた。といっても役得を得て浮かれている様子はまったく見て取れない。あるいはわたしにここまでさせておいてしらばっくれたらあとが怖い、とでも思っているのか。
「昨夜襲撃されたルヴァン商会の荷馬車なのですが、どうやらルヴァン商会の副会頭であるドニ・ルヴァン氏が同乗していたようなのです」
「何ですって?」
ドニ・ルヴァンはゴードンの遺体を発見したとき、わたしたちに同行していたあの男だ。会頭であるジルベール・ルヴァン氏の弟であり、商会の経営にも深く関わっていただろう。つまりルヴァン商会が騎士団やフィールズ一家と何か良からぬことを企んでいるなら、そのこともよく知っているはず。
そのドニ・ルヴァンが乗った荷馬車が襲撃された。ということは。
「被害者の中に、ドニ氏と思われる遺体はあったの?」
「いえ。遺体の身元はすべて判明しています。商会員が六名、騎士団の護衛が二名。その中にドニ氏はおりませんでした」
ということは、彼はまだ生きている。生きたまま身柄をさらわれたということか。もちろんひとりだけ自力で脱出したという可能性もあるが、現場はグレインディールのほど近くである。それならばすでに戻ってきているはずだ。
「では荷馬車の商列を襲撃したのは、ドニ氏の誘拐が目的だったってこと?」
「それについてはまだ……本当にわからないんです。ドニ氏の件も、まだどこまで事実かわからないというのが正直なところで。ですからはっきりと確認できるまで、お嬢さまに伝えるのは待てと」
「オハラ隊長がそう言ったのね?」
ビトーははい、と頷いた。しかしあの隊長のことだ、腹芸もできないこの若者を使者として寄越したからには、ここまで漏れることは想定済みだろう。おそらくこの話にはさらに裏がある。わたしに本当に伏せておきたかった何かが。そしてそれは、この彼にも知らされてはいないだろう。
「わかったわ、教えてくれてありがとう」
わたしは身を引いて、再び腰を落ち着けた。
「安心して。ちゃんと隊長さんの言い付けは守るから。そのかわり、はっきりとしたことがわかったならわたしにも知らせてね」
「わかりました。それは必ず」
確かに荷馬車襲撃の件も、ドニ・ルヴァンの消息も気になる。しかしまだ情報も少ないこの段階では、どこから手をつけていいのかもわからない。迂闊に歩き回れば止められるだけだろうし。
「この街のことは、あなたたち調査隊にお任せするわ。これでもわたし、隊長さんやあなたたちのことを信頼してるのよ」
その言葉に、ビトーは目に見えて安堵して見せた。どうやら自分が情報を漏らしたことで、わたしがまた勝手に屯所に押しかけるとでも心配していたようだ。でもわたしだって、そこまで考えなしではない。
「はい、我々調査隊にお任せください。俺は確かにまだまだですが、隊のみんなも、そして隊長も、本当にすごい人たちですから」
わがことのような誇らしげな口調に、わたしも思わず頬が緩む。
「あなたは本当に、オハラ隊長のことを尊敬してるのね」
「はい……それは、もちろん」
「わたしも聞いたわよ。『グレインディールの英雄』なんですってね。でもさすがに、ひとりで二十人斬り伏せたってのは盛りすぎだと思うけど」
もちろんあの腕ならさもありなんとも思う。けれどニミッツ連帯という連中だって、元軍人の集団である。素人相手ならともかく、あのオハラだってさすがに手こずったはずだ。
「嘘じゃありませんよ」けれど、ビトーははっきりとそう言い切った。「すべて本当のことです。俺は、全部見ていましたから」
「見ていたって……ユリアン、あなたまさか」
「はい。俺は、孤児でした」
「つまりあなたは、パターソン修道院にいたひとりだったということ?」
『ニミッツ連隊』に襲撃され、アジトに拉致された二十人の孤児たち。そして奴隷として売られるのを待つばかりだった彼を救い出したのが、あのオハラだったというわけだ。なるほど、それは心酔するわけだ。彼にとってあの調査隊隊長は、まさにヒーローなのだろう。
「でも隊長は、そんな風に呼ばれることをあまり好んでいません。お嬢さまも、どうかお控えください」
「それはわかってるわ。本人には言わないから安心して」
間に合わず、救い出すことが叶わなかったふたりの少女。オハラが功績よりも彼女たちのことを痛恨事としているのは想像に難くなかった。迂闊に他人が触れていいことではない。
またそのふたりビトーにとってもひとつ屋根の下で暮らした仲間であり、家族だったはずだ。きっと今でもどこかで生きていることを願っていることだろう。
「ごめんね、ユリアン」
「何がですか?」
「何でもないわ」
わたしはそうとだけ答えて、冷めはじめた紅茶を口に運んだ。




