Ep.19 サンジュ視点
「みんな、ちょっといい?少し話しがあるんだ」
ある日の夜、マツリはそう言って話を切り出した。
使われていない民家を借り切っている俺達は、夜はいつも一階で集まることを習慣としていた。それは、野宿をする時に、移動車の前で語らう時間と酷似している。
こうして一日の最後には仲間達と共に居る。それはとても気持ちの落ち着く時間だと認識し始めたのはいつからだろうか。そう他の皆も思ってくれているといい。
俺は、バーントと共にソファーに座っていた。
位置的にいえば、暖炉から向かって左側のソファーだ。その向かい側にはコウヤとルイが。彼らのソファーを背凭れにしたその足元に、カインが剣を腕に抱え込んだまま座っている。
暖炉が明々と燃え上がる中、ソファーに座って何も喋らずまどろんでいた俺達を起こしたのは、少女の遠慮がちな小さな声だった。
「どうした?」
カインが声をかけた。
少女の名はマツリ。俺の兄の娘であり、俺自身の姪であり、今は実の娘のように可愛がっている、異世界からの訪問者。
先ほど、二―ルとセピアと共に眠りについたものと思っていたが、実際は違ったようだ。
「今、大丈夫?」
心なしか小声で話しかけてくるのは、時間帯を配慮しての事だろう。もしくは、もう寝てしまった幼い二―ルを起こさないようにするためか。
「おう」
俺は少し身体を端に寄せて、バーントとの間に空間を作った。するとマツリは極自然とその空間に身体を落ち着ける。
「どうしたんだい?」
向かいに座るルイが話しを促す。
その瞳はどこまでも穏やかだ。奴がこんな瞳でマツリを見つめる事は決して珍しい事ではない。マツリにとっては珍しいかもしれないが。
……ほれ、マツリと目があった途端、ルイの目が意地悪く輝いた。かわいい娘は、その瞳に少したじろいだようだった。果たして、何を見つけたのか。まったく。
とにもかくにも、彼女は背筋を正して一度仲間達を見渡した。
今居るのは俺、ルイ、カイン、コウヤ、バーント、そしてマツリの六人だけ。人間が人間なだけに、誰もマツリを急かすような事はしない。ただ、彼女が喋るのを待ちつづける。
何度か深呼吸をして呼吸を整えた後、彼女は口を開いた。
「あのね、わたし、やっと自分の世界でしたいこと、見つけた」
突然の言葉に、誰も何を言わなかった。
息が止まった。
「旅の中で見てきた人達を思い出して、この村で子供達と出逢って、わたしの世界の事を思い出したよ」
周りを囲う空気に気がつかないまま、マツリは話を続ける。新しいものを見つけたからか、彼女の頬は高潮しているようだ。
その様子がまた、俺達の雰囲気を重くした。
「わたしの世界でも、戦争があってね。でも、それは、ずっと向こうの関係ない所であってると思ってた。だけど、ここで戦争のことを身近に感じてから、なんだか他人事に思えなくなったんだ。だからわたし、元の世界に帰ったら、世界の子供達のためになにかしたいと思うの。子供って本当に大切なものだから守っていきたいの。大きな事はできなくても、自分にできること、していきたいなって思って」
だからこそ、元の世界に帰ることを諦めたくないと、マツリは今まで見たことがないほど綺麗な、そして幸せそうな顔で笑って言った。
そんな彼女を見つめて、俺達が言えたのは、たった一言だけ。
気の効いた言葉なんて出てくるはずも無く。
「よかった」
まるで喉に引っかかった魚の小骨を必死に取り出した時の要領で、小さな言葉だけを必死に喉の奥から引き摺り出した。
「じゃあ、お休みなさい」
「あぁ」
「お休み」
話を終え、マツリが眠るために二階へ上がって行く。
その後ろ姿を俺達は静かに見つめるしかなかった。
言いたい事はたくさんあった。
最初の出逢いこそあまり良いものではなかったけれど、それでもお互いをちゃんと受け入れて半年近く共に居たのだ。
男しか居なかったこの旅の中で、女である彼女の存在は大きな力になった。
二―ルの母親代わりにもなり、旅の疲れに加え本職に対する責任感の重みでささくれ立つ俺達の心を宥めくれた。
彼女を眺めているだけで大きな力をもらえるような気になるのだ。
そして何よりも大きな変化は、後ろ向きだった彼女がいつの間にか誰よりも強く前を向いて生きていける少女になっていたという事。その変化を間近で見守ってきた俺達は、誰よりも彼女の心に近いだろうと自負している。
いつも迷子にばかりなって、俺達を心配させて、ルイの怒りに無意識の内に触れて。誰よりも大変な思いをし、巻き込まれていたのは俺達だ。
それが楽しいと思い始めた頃、心のどこかで彼女の存在が永遠になっていた。
「結局心のどっかで、あいつはずっと俺達と居るだろうって気になっていたんだろうな」
自嘲の笑みと共にそんな言葉が零れた。
「団長」
カインの気遣う声が聞こえる。
「俺だってそうだったさ」
キセルを咥えたバーントは、暖炉を見つめたまま言った。必然的に視界に入るであろう俺の姿に目をやることなく、彼の瞳の中には暖炉の炎だけが映る。
「あいつは元の世界に帰るための方法を探して俺達と共に居たんだったな。……すっかり忘れていたよ」
笑いを含んだその声は、俺と同調したように思う。
ルイやコウヤも、何も言わない。
見れば二人共目を閉じて考え込んでいるようだった。
コウヤの考えていることは正直よくわからない。
奴がこの国に来て早十二年。俺は一度だって奴の考えを読み取れた事が無い。それくらい、掴めない人間なのだ。
今までも、そしてきっとこれからも。
そしてそうであるを、奴も望んでいる。
自分の災いに、俺達を巻き込まないために。
ルイは己の波に飲み込まれないようにしているのだろう。
俺達とは違う意味でマツリに思い入れのあるのだ。けれど誰よりも理性の強く、誰よりも情熱的なやつだから、尚更。
ルイがマツリに惹かれている事、それはとても自然で抗いようのないことであるといえる。
あんな風に無邪気に笑う少女を間近で見ていれば、あんな風に、強い女に変わっていく少女を傍で見守っていれば。
ただ、俺自身としては複雑な気持ちにもなる。
ルイが相手であれば、俺も何も言わない。彼のことはよく知っているし、彼であれば、マツリを幸せにしてくれるだろう。だが、二人は根本的に違うのだ。兄上と、マユリ殿のように。
せめて、兄上のようにならないことを。
だがそれは、俺の勝手な願いだ。
すべては、マツリとルイの決めること。
そして彼らの決めた答えは、俺達にも影響を齎すことは、火を見るより明らかだ。
俺はまた小さく笑う。それしか出来なかった。
前々から感じていた。マツリを見つめている時に感じた焦燥感。
「そうだな、マツリはこの世界の人間じゃない。いつかは、俺達の元から旅立っていく日がくるんだ。…………そしてきっと、二度とは会えない」
それはこんな日を予感していたのだろうか。
その後、俺達の間に言葉はなかった。
素直に彼女を送り出せる自信が、今の俺達にはなかったのだ。愚かではあるが、自分達は、まだ、少女を手放せない。
依存していたのは意外にも大人の皆さまの方でした、の回。