21.脱力
ふと目が覚めた。時計を確認しなくてもカーテン越しに外の明かりがないことで夜だとわかる。
そっとカーテンを開けてみても真っ暗で、シャーヤランの春の長雨時期に入ったこともあり、雨が降ってなくても曇天続き。山小屋の周囲は木々の葉が茂ってきたことも重なって光がない。
これまではなかったけれど、道の拡張工事とあわせて照明灯の設置の準備もしているとも聞いた。山の自然を守る兼ね合いから明るすぎない控えめの光源だという。ベッド下のフットライトの弱々しい明かりを見ながらそんなことを思い出し、階下へ降りて水を一口飲んだ。
コト……。
「ごめん、起こしちゃったね」
階段と廊下のフットライトだけが僅かに溢れてくるぼんやりとした薄闇の中、台所の暗闇で動いたのはスライムだった。
今までシンクのすぐ横にボウルを置いて寝ていたスライムが、寝床のボウルを保冷庫の斜め下に移動した。蹴っ飛ばしたこと数回。別の場所にしてほしい要望は却下され続けている。
またボウルを蹴ってしまう前にそっと離れて、サンダルで外に出た。
少し風があり、ザザザッと木の葉が揺れる音。
玄関灯の明かりはそこまで光源が強くない。見上げれば空と葉の境もわからない闇が広がるばかり。
「世話係殿」
「!」
闇から声がして驚きすぎて悲鳴も出なかった。
ただ、声には覚えがあり、声がした暗闇を見るが姿はわからない。
「ふ、ふくろう、にごう?」
「すまぬ。驚かせたな」
玄関灯の明かりが届かない暗闇にぼんやりと弱い光の球体が宙に出現し、フクロウ二号の姿が視認できる程度に浮かび上がった。そうしたら小山のような影があり、それはチビだった。
「ち、チビも? び、びっくりした。どうしたの?」
「昼にキィからよくわからない文字について問われてな。そのときは片割れも番も知らぬと答えたのだが、もしかしたらということを思い出して伝えに参った」
「兄貴がリリカが起きる朝まで待つっていうからさ、付き合ってここにいた」
「!」
フクロウ二号の言葉に若干ボヤーッとしていた頭が覚めた。
キィちゃんは妖獣同士の念でフクロウたちにも聞いてくれていたんだ。正確に思い出せないイチゴちゃんからの伝言板にあった謎の文字のことで何かヒントとなることが知れるなら知りたい。
「──人が後世に伝えぬと消した情報であるなら我らも伝えぬほうがいいと考えている。だが、我らはどの情報は残すべきなのか、どの情報は残さぬべきかを判断しきれるものでもない。この意味はわかってくれるか?」
人が遺さないと消した情報──。
その昔、軍事兵器開発で途方もなくよくないものが出来、開発研究者たちが未来に残してはいけないと、何もかもを焼き捨て、壊し、味方も仲間も消し、最後は己の命を絶って伝えないとしたものがあると聞いたことがある。それに該当するなら聞いてはいけないと私もわかる。
「シシダの妖獣が書いてきたなら、そこまでまずいものではないだろう。なぜ普通に読める言語で書いていなかったのかは、世話係殿やキィ同様に気になる点ではあるが……。我らの悲しき記憶を知り、それを秘めて逝くと決めた世話係殿だから、我は知ることを伝えてもよいと思って来た」
フクロウ二号の言葉に答える声は出せなくて、小さく頷く。
「チビから伝えてもらってもよかったのだが、世話係殿を思って言葉を選びそうでな。それなら直接伝えようと朝を待っておったのだ」
「オレっちときどき説明下手だからさー」
伝言ゲームの途中で話がずれてしまうことはある。チビは伝える内容によって私の精神面が危うくならないかをとても気にするのも知っている。
「キィも呼んでるけど『ちょっと待てー!』って」
「世話係殿、我は朝まで待ってもいいから寝たらどうだ」
「気になっちゃって寝れないよ」
「だよねー。キィはほっとこう。リリカ、ほい。座っていいよ」
チビが尻尾を私のベンチ代わりに提供してくれたのでありがたく座る。
「あれはいつぞやの戦時下にあった暗号文字ではないかと思う。ただ、いつの時代のどこで使われていたかまで正確には思い出せん」
「暗号」
「キィの記憶が正しければ、こんな文字だったということだが」
フクロウ二号が地面に降り、私の足元近くに足の爪で地面を掘って書いたのは『$≧¢£Ж』というもの。私の記憶も不正確で、イチゴちゃんの伝言板にあったものとまったく一緒なのかはわからない。ポケットの情報端末を起動して書き留めたメモを撮った写真を出して照らし合わせてみるけれど、似ているなとしか言えない。
「同じように見なくはないけど……」
「大きくズレていなさそうだな。我と片割れ、それに番が知る限りの古代文字にこのような文字はない。知らぬ古代の言語もあるから確約はできぬ。ただ、ふと思い出したのが暗号文字だったのだ。先も言ったがいつの時代のどこで使われたものか不明瞭でな。片割れの記憶でも『そういえば妙な文字を見たことがあった』程度で、どう読み解くのかまではわからぬそうだ」
フクロウ二号が謝ることはまったくない。首を横に振って俯く。
フクロウ二号は地面に書いた文字を爪でザリザリと消した。
沈黙が流れる。
ここからは私がどうにかしないとならない。
調べるのか、調べないのかも決めないとならない。
調べるとなったら──、過去にあった悲惨で残酷な歴史の扉の向こうに行く覚悟をしないとならない。
前にフェフェと魔素毒について読み漁った際に、その触りとなる歴史文献を読んだだけでも涙が溢れ、内容によっては嘔吐感に襲われた。
暗号。
最高機密に該当すると私でもわかる。調べてもらうためにどんな許可が必要だろう。
それより、暗号文字かもしれないと言うとしても、いつ使われていたかもわから……
「あ、」
「世話係殿?」
あの本。あの本の挿絵。
「チビ、妖獣の念でフェフェを呼んでもらうことはできる? リーダーにバレないように出てきてもらえないかな」
「フェフェ? うん、待ってて」
ややあって「フェフェが抜け出してくるって」とチビが教えてくれて、フェフェが山小屋に来てくれたのと同時にキィちゃんが「ちょー! 抜け駆けー!」と合流してくれた。
「チビも兄やんもなんでアタシを待たないのよ!」
「世話係殿を早く二度寝に戻そうとな」
「キィこそ、ここんとこ何こそこそしてんのさ?」
「乙女にはやらないとならないことがいっぱいあるのよ!」
「変形菌じゃろ? こっそり移動せんでも、ルシアをその場所にぶん投げればいいと思っ、フガッ!」
「あー! もー! フェフェ! しーッ! リリカ! 言うんじゃないわよ!」
言いません! 言いませんとも!
まさかキィちゃんがルシア先輩が探している変形菌をみつけて、ルシア先輩が見つけられそうなところにこっそり移動しているなんて!
「……リリカ」
「言いません!」
ドスの効いたキィちゃんの声にふるふると首を振った。
ちょっと深刻な雰囲気だったのに顔がニヨニヨしてしまうのは許してほしい。
キィちゃんはこそこそ行動がバレたのが恥ずかしいのか、全員の頭をペチペチ叩きながら暴露した。
森の奥深くでルシア先輩が探していると思われる変形菌を見つけたけれど人が立ち入るには遠いし、オパールたちが森を散策中にゆっくりしている場所の一つだから近づかせたくない。どうするかなーと数日間悩み、遊びまわる妖獣たちを連れ出すギリギリのところに移動しているのだという。ルシア先輩がそこに行くか行かないかの運まかせ。具体的な場所は教えてくれなかった。
変形菌のことはさておき、フクロウ二号からあの謎の文字は暗号文字ではないかと推測まで伝えたことが共有され、各々が今一度記憶を探り出した沈黙のなか、タイミングを見計らってフェフェに確認した。
「二年くらい前にフェフェと魔素毒の歴史文献を読み漁っていたことがあったでしょ? 私の記憶違いかもしれないけど、挿絵にこんな文字が描かれていたようなのを思い出したと言うか、ごめん、本当に勘違いかもしれないんだけど」
「んんん?」
「私じゃ閲覧許可が取れなくて、フェフェが食い下がって所長から特別許可がもらえて読んだやつだったような気がするの。『だまし絵みたいな変な絵だな』って言いあったような」
「おー、薄っすら思い出したが、どうだったか? わしも何でもかんでもは覚えとらん。でも、言われてみると、変な絵があったな。変というより気持ち悪い印象のものだったか、いや違うか。魔素毒のことと関係ないことばっかり書いてあって、書籍名と中身が違うと文句ばっかりになったやつか?」
「私も思い出しきれないから、どれかはわかんないんだけど」
「奇妙な姿にされた生き物とか、人体実験の記録絵とかを見て、リリカが泣いて吐いたことは覚えとるんだが」
読んでいたときのことを思い出して気持ち悪さと苦しさに苛まれそうになる一人と一匹だけど、なにそれと聞いてくるチビたちにうまく説明ができない。
「あの文字に似てたってこと?」
「確証はないけど……。古代文字でもなくて、線というか書きぶりというかが、もしかしたら似ていたかもしれない」
唸る私とフェフェだが、思い出そうとすればするほどわからなくなってしまった。
「とりあえず、ぼんやりとした記憶だけど、『そういえば前に読めない文字を見かけたような気がするかも?』くらいで言ってみるのはどう?」
「そうだな。我らの記憶も不確かだ」
フクロウたちとはバケモノカサハナの種を確保してもらう件でまだ接点はある。けれどフクロウ二号から聞いたことは公にしないほうがいいだろうとなり、朝になったらイチゴちゃんの伝言板の件で集まったメンバーに、フェフェと私が読んだ文献のことを話すことにした。
ひとまず足がかりができた。
わざわざ出向いてくれたフクロウ二号にお礼を言えば、最近は森の奥深くではなく、前にチビとオニキスがチイの葉を採りに行っていたあたりによく来ているという。そこにも痺れ辛子が生えていて、水の流れを少しいじって痺れ辛子を増やそうとしているそうで、それでちょくちょく山小屋の近くに来て私や妖獣世話班のことを見守ってくれていた。
「実は奥では痺れ辛子がうまく育たなくて枯れてしまったのだ。あのあたりも人が来るには面倒だから落ち着いていられるのだ」
「そうだったんだ。私は知らないことにするね」
「ああ、頼む。それにしても世話係殿は忙しないな。もう少しゆっくり過ごせればと思っておるのだが、なぜこう次々と何かが起きるのか?」
それは私が聞きたい。
「そうだ! ちょうどいいからシシダの妖獣とチビのこと言っとく! チビはどうにもへそを曲げているからリリカに言わないけど、妖獣同士でもそりゃあ相性はあるわ。だけど啀み合うほど仲が悪くなることはないのよね」
「え?」
キィちゃんが晴れ晴れとした顔でいうけど、二匹が会った途端に啀み合うのを実際に見ている私は疑問符に埋め尽くされる。
「チビはリリカと出会って妖獣に戻ったばかりでさ。結構長いこと世を忍ぶ仮の姿でいたもんだから妖獣に戻ってからの異能の制御が下手くそで、そういうのを人社会に置き換えると若手って言えばいいかな。で、シシダの妖獣は古参。古参の妖獣から若手の妖獣を見ると可愛いのよ。だからことあるごとに構われていると言うか」
「オレっち大迷惑!」
「……」
地面に手をついて脱力したい。汚れるから我慢したけど本気で脱力の事実だった。
「……おじいさんやおばあさんが孫可愛がりしているけど、孫は子ども扱いすんなーって感じの認識であってる?」
「あー、そうそう。アタシはおばあさんじゃなくてオネェサンだからね!」
「わしはおにいさんくらいがいいなぁ」
「我は……、おじいさんかもしれん」
「いえいえ、兄貴って呼びますんで!」
チビがフクロウ二号にだけはキラキラした瞳で敬服するのはなぜなのか。さらに脱力感が増したよ。
わかったような、わからないようなチビとイチゴちゃんの関係だった。
チビ自身、異能の制御の甘さは自覚していて、教えてもらえるのはありがたいが、それで構われすぎるのも面倒な妖獣だと思ってしまう。「とにかく! とにかく! とにかく! うざい!」とチビが叫び、とにかくを三回も重ねて言うくらいうざいことは理解してあげた。
ムカッ腹のまま妖獣同士で異能合戦が始まると、周囲に被害が出るので、ぜひともやめてほしい。
「万が一喧嘩になっても人に影響がないようにやればいいんじゃない? リリカは観覧席作って眺めればいいと思うわ」
「キィちゃん、それって全然大丈夫じゃないよね? 帽子作らなくていい?」
「ええっ! レースフリフリの帽子はほしい! チビ、あんた喧嘩してくるんじゃないわよ!」
「別にオレっちの帽子じゃないし。オレっちよりアイツに言ってほしいんだけど」
「チービー! アタシと『喧嘩はしません』って約束したでしょー!」
「してないしー!」
キィちゃんが任せなさいって言ってくれたのを信じたのは間違いだったかもしれない。
この管理所の妖獣間の序列的な何かでキィちゃんはほぼトップ。チビに我慢しろと言っていただけのようだ。
やっぱりシシダに行くのやめようかな。
「えー、親っさんたちに会いに行こうようよー。甥っ子ちゃんにも会いたいしさー。出会った瞬間アイツを伸すような単細胞行動はしないように我慢するから。あとあとリリカが困るの嫌だし。おっちゃんたちにスゲー言われたし」
「うん」
昼間あれだけ荒ぶっていたチビだったけど、今は普段通りの穏やかさ。ここまで戻してくれたのは工事職員さんたちに間違いない。
大きな不安は残ったものの、このまま朝を迎えて睡眠不足になったらいけないことくらい、流石の私も学んだので寝よう。
朝になったらキィちゃんもまた来てくれるというので、文献の挿し絵の確認となったら協力してほしいと頼んだ。
「その代わり、帽子! ねっ!」
アクセサリー作りがキィちゃんの衣裳製作に切り替わりつつあるような。まあ、いいけどね。
チビはここで寝ると言い、フクロウ二号は森の闇の奥へ。フェフェは職員寮に戻っていった。
フクロウ二号が作ってくれていた弱々しい光源に目が慣れてしまい、玄関の内側の暗さに目がついていかない。
階段と廊下のフットライトの明かりだけでは足りず、仕方なく明かりをつけたらスライムが台所テーブルの真ん中にいて、カップと何かを並べてトゲトゲしい姿だった。
「なに?」
トゲが長くなったり短くなったり。地味な動きなのに主張が激しい。そういえば水の中にこういう生き物がいたな。なんだったかすぐに思い出せないけれど。
「明かりつけちゃってごめんね?」
トゲトゲしい姿のままブヨンブヨンと揺れられた。
そんなスライムの前にあるカップと、横に並んでいるものを見たら睡眠導入効果のある薬草茶のティーバッグだった。
妖獣世話班全員で徹夜しかけた事件以降、半ば強制的に買わされた。保管し続けてもしかたないので、就寝前に喉を潤すときにこれを飲む頻度を増やしている。
「……」
そそそとカップとティーバッグを私のほうに押しやってきた。
飲め、と。
チラリと時計を見たら日付が変わる直前で、まだ深い時間ではないことに自分でも少しだけ驚いた。
昼間にイチゴちゃんの伝言板の出現で精神的ダメージが大きくて早々と寝たから、まだこの時間だったのか。
それにしてもスライムにまで寝ろと説教されるようになってしまった。
次作の謎茶に睡眠効果があるものが混ぜられかねない。試飲する前にちゃんとモラさんに分析してもらおう。
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