Scene 13 魔女の誘惑
「でも」
エルヴィラは。
先ほどまでとは少し違う顔で、レティシアを見つめていた。
「あなたの願いを叶えられることだけは、本当よ」
「…………」
レティシアは黙っていた。
魔女。
本当に魔女なのか。
まだ分からない。
けれど。
この女が、自分の心の中を見透かしているような感覚だけは。
どうしても拭えなかった。
エルヴィラが。
ゆっくりと一歩近づく。
「ねえ、レティシア」
「……なんですの?」
「あなた」
エルヴィラは。
優しく笑った。
「自分の嫌なところが、嫌いなんでしょう?」
「…………」
レティシアは答えなかった。
答えられなかった。
その沈黙だけで。
エルヴィラには十分だったらしい。
「怒るところ」
「…………」
「負けず嫌いなところ」
「……」
「人に譲れないところ」
「…………」
「自分が正しいと思ったら、最後まで曲げられないところ」
レティシアの瞳が。
わずかに揺れた。
「…………なぜ」
思わず。
声が漏れる。
「なぜ、それを……」
エルヴィラは。
にっこりと笑った。
「魔女だから」
「…………」
レティシアは。
数秒。
黙っていた。
「……それ」
「はい?」
「説明になっておりませんわ」
「そう?」
「そうですわ」
すると。
足元から声がした。
「説明になってないぞ」
クロだった。
黒猫は尻尾をゆらゆらと揺らしながら。
呆れたようにエルヴィラを見上げている。
「魔女だから分かるって言われても、初対面の人間には何一つ分からんだろ」
「でも分かるんだもの」
「だから、そこを説明しろ」
「クロは細かいわね」
「お前が雑なんだ」
「ひどい」
「事実だ」
レティシアは。
そんな二人のやり取りを見ながら。
どう反応すればいいのか分からなくなった。
目の前にいるのは。
本当に魔女なのだろうか。
それとも。
ただの変人なのだろうか。
「……ともかく」
レティシアは。
改めてエルヴィラを見る。
「なぜ、私のことが分かるのです?」
「簡単よ」
「簡単?」
「だって」
エルヴィラは。
レティシアの顔を覗き込むように。
少しだけ身を屈めた。
「あなたが、ずっと自分の中で否定してきたものだもの」
「……」
「怒ってはいけない」
「我慢しなさい」
「相手に譲りなさい」
「もっと優しくしなさい」
「もっと笑いなさい」
エルヴィラの言葉が。
一つずつ。
胸の奥に刺さってくる。
「そうやって」
エルヴィラは続ける。
「あなたは、自分の中にあるものを」
「ずっと悪いものだと思ってきた」
「…………」
レティシアは。
反論できなかった。
確かに。
怒ることは。
良くないと思っていた。
負けたくないと思うことも。
自分の意見を押し通そうとすることも。
誰かに譲れないと思うことも。
全部。
幼い頃から。
少しずつ。
直そうとしてきた。
もっと淑女らしく。
もっと穏やかに。
もっと優しく。
そうしなければ。
誰にも愛されないと思っていたから。
「……でも」
レティシアは。
小さく呟いた。
「それでも」
「私は」
胸元に手を置く。
「それを捨てられませんでした」
「ええ」
エルヴィラは頷く。
「だから疲れたのでしょう?」
「…………」
その一言で。
レティシアの表情が。
ほんの少しだけ崩れた。
「……はい」
初めて。
素直に認めた。
「疲れました」
声が。
わずかに震える。
「ずっと」
「自分を抑えて」
「誰かを傷つけないようにして」
「嫌われないようにして」
「でも」
唇を噛む。
「どうしても」
「自分の考えを曲げられなくて」
「……」
「だから」
レティシアは。
目を伏せた。
「結局」
「私は」
「嫌われるのですわ」
エルヴィラは。
何も言わなかった。
ただ。
静かに。
レティシアを見つめていた。
やがて。
「なら」
エルヴィラが言った。
「簡単じゃない」
「……?」
「嫌われる原因を」
エルヴィラの指が。
レティシアの胸元を指す。
「なくしてしまえばいい」
レティシアの瞳が。
揺れる。
「怒らない」
「譲る」
「争わない」
「自分の意見に固執しない」
エルヴィラは。
一つずつ。
言葉を並べる。
「誰かに嫌な顔をされても」
「気にしない」
「誰かに否定されても」
「腹を立てない」
「誰かに何かを言われても」
「笑っていられる」
それは。
レティシアが。
ずっと望んでいた人間の姿だった。
少なくとも。
そうなれれば。
もう。
悪役令嬢とは呼ばれない。
誰にも。
怖いと言われない。
誰かを傷つけることも。
傷つけられることも。
減るかもしれない。
「……そんなことが」
レティシアは。
呟いた。
「できますの?」
「ええ」
エルヴィラは。
迷いなく答えた。
「魔女だもの」
「…………」
クロが。
小さくため息をつく。
「またそれか」
「だって本当なんだもの」
「だから説明しろと言っている」
「クロは本当にうるさいわね」
「お前が怪しすぎるんだ」
レティシアは。
思わず。
ほんの少しだけ口元を緩めた。
――笑った。
今日。
初めて。
心からではない。
けれど。
少なくとも。
ほんの一瞬。
自然に。
「……ふふ」
エルヴィラが。
目を丸くした。
「あら」
「何ですの?」
「笑った」
「……?」
「あなた、ちゃんと笑えるのね」
レティシアは。
少しだけ驚いた。
「……失礼ですわね」
「ごめんなさい」
「また謝っている顔ではありませんわ」
「だって面白いもの」
「…………」
クロが。
ぼそりと言った。
「お前、完全に遊んでるだろ」
「もちろん」
「認めるのか」
「だって」
エルヴィラは。
レティシアを見つめる。
その瞳だけが。
先ほどまでとは違っていた。
「こんなに綺麗な願いを」
「聞き逃すなんて、もったいないでしょう?」
「…………」
レティシアは。
再び黙った。
願い。
自分の嫌な部分を。
なくしたい。
そう思った。
ほんの一瞬。
確かに。
そう願った。
でも。
本当に。
なくしてしまっていいのだろうか。
その迷いが。
胸の奥に生まれる。
けれど。
同時に。
魔女の言葉が。
甘く。
優しく。
その迷いを包み込んでいく。
「大丈夫よ」
エルヴィラが。
微笑んだ。
「あなたが嫌いなあなたを」
「私が」
静かに。
手を差し出す。
「なくしてあげる」
レティシアは。
その手を見つめた。
そして。
まだ知らなかった。
魔女エルヴィラが。
「なくす」という言葉を。
人間とはまったく違う意味で使っていることを。




