外伝:西側諸国・謀略の交差点(後編)
護衛任務の初陣にして、人間の悪意の洗礼を受けた若き悪魔ストラトス。
反省会を経て向かう先は、新国家ファルメナス王国。
そこで待ち受けるのは、ミョルマイル商会の大番頭ジョシュの商談と、王妃ミュウランを襲う未曾有の「胃痛」劇でした――。
(……僕は、動けず見てしまった。あのお爺さんが、自らの胸に『聖素結晶』を突き立てる瞬間を)
宿へ戻る道中、夜の街並みを見つめながら、ストラトスは深く拳を握りしめていた。
あの老給仕は、地下室へ入る際、自分に優しく微笑んで挨拶をしてくれた人間だった。だからこそ、止められなかった。何が起きたのかわからず、ただ見入ってしまった。
人間の悪意には、事前の殺気も魔力もない。力比べではない人間社会の洗礼を、ストラトスは身を以て学んでいた。
「チッ……発動させちまった」
隣を歩くヴェノムもまた荒々しく頭を掻き、内心で激しい自己嫌悪に陥っていた。
ストラトス同様、自分のセンサーが「魔力ゼロの一般人」を完全にスルーしていたのだ。本来なら、たとえ一般人であっても、あの地下室に入る全ての者に自分の魔力を薄く這わせて監視しておくべきだった。
そうすれば、老人が懐に手を伸ばした瞬間に、先んじて刈り取れたはずだった。悪魔公に進化したことで、相手の術式を一旦見てしまう癖がついていた。完全に後手に回った。
ストラトスは老人のまわりに張られた結界の微小な隙間を正確に見極め、極細の魔力操作でアピトの『神精蜜』を老人の胸元へと直接送り込んだのだ。
注ぎ込まれた高純度の魔素と過剰な生命力が、暴走する聖素結晶と激突。『聖と魔』『生と死』の均衡が生まれ、触れれば即死するはずだった「自爆結界の機能そのもの」にも一瞬の膠着状態(機能不全)が起きた。
その一瞬に、ヴェノムは『分割者』を零秒で発動。老人の命、聖素結晶そして術式そのものを分割・分断したのだ。
だが、そんなものは「たまたま」に過ぎない。一つでも欠けていれば、確実にミュウランとジョシュは死んでいた。
二人の若き悪魔にとって、今回の事件は大勝利などではなく、骨の髄まで反省すべき「完全な敗北」だった。
宿の一室に戻った後、ストラトスは今夜の地下室での出来事を報告すべきか思い悩んでいた。
ミュウランたちが秘密裏に進めてきた計画、やろうとしていることは正しいと思うし、リムル様に頼り切りにならない気概も感じられた。それは、報告せず、黙っておくべきなのか……。
ストラトスは父・ディアブロの仕事っぷりを誰よりも尊敬している。
周囲からは「リムル様の『1』の指示を『100』にも『1000』にも過剰に解釈してやり過ぎる」と言われたりもするが、一方でリムル様に「あの件、どうなった?」と言わせたことがないとも言われている。
報告を完璧にこなした上で、その裏で完璧に始末をつけるのが父のやり方だ。
(もう深夜だし、執務室には誰もいないかもしれない。けれど……父様に相談しよう)
意を決し、ストラトスは魔国連邦の執務室へと空間転移する。
誰もいない真っ暗な部屋……と思っていたが、
転移の光が収まった瞬間、目に飛び込んできたのは温かな魔導ランプの明かり。
そして、中央のソファに優雅に腰掛け、静かに紅茶を嗜むディアブロとテスタロッサの姿があった。
「おや、ストラトス。そろそろ報告に来る頃だと思っていましたよ」
ディアブロが穏やかな笑みを浮かべて紅茶のカップを置く。
ストラトスに報告を促す。実は、事前のモスの報告では地下室内部の詳細までは掴めず、そこで両親がヴェノムを呼び出し確認したところ、「ストラトス様ご自身がお話しされるまでは、自分からは何も言えません」と頑なに口を割らなかったため、「いい心掛けです!」と、二度ほど消し炭にして吐かせた。
……ので、実は全てを知っているが、その体は見せない。
ストラトスは居住まいを正すと、地下室で起きた一部始終を報告した。
自身の油断、老給仕の笑顔に惑わされて反応が遅れたこと、聖属性の霊子に一瞬ひるんでしまったこと、神精蜜による膠着の形成、ヴェノムの分割者による術式停止、外にいた工作員の制圧、このような時、どうすべきであったか。そして、今回の件をリムル様に報告すべきか迷っていたこと……。
「ふふ、よく話してくれましたね」
テスタロッサが優雅に微笑み、紅い瞳を細めた。
「人間の悪意には魔力も殺気もない。それを身を以て知ったのは良い経験よ。何より、その極限の中で機転を利かせ、ミュウランとジョシュを無傷で守り抜いた……初陣の護衛任務としては上出来です」
「ええ。反省すべき点を見失わず、次に活かす術を導き出せているのなら何も問題はありません。よくやりましたね」
両親からの温かな賞賛と労いに、ストラトスは張り詰めていた肩の力をそっと抜いた。
「さて、リムル様へは、私から報告差し上げます。大丈夫ですよ。貴方は安心して、明日のファルメナスへの護衛を務めなさい」
「はい! ありがとうございます、父様、母様」
深々と一礼し、ストラトスが安堵の表情で宿へと転移して戻っていった。
息子の気配が完全に消えたのを見届け、ディアブロとテスタロッサは再び紅茶に口をつけた。
「……もし、今回ミョルマイル殿が出向いていたら、護衛はゴブエモンやビッドあたりだったでしょうね」
テスタロッサが静かに呟く。
「ええ、彼らでは聖棺封滅発動下にて、全滅だったでしょうね。しかし、場数を踏んだ彼らであれば、あの老給仕が部屋に入ってきた時点で異常を察知し、間合いを詰めていたはずです。胸に結晶を突き立てる動作に入った瞬間、取り押さえていた……。ストラトスが『こうするべきだった』をより確実に実践していたに違いありません」
ディアブロはフッ……と冷徹な笑みを浮かべた。
「とはいえ、あの歳で己の未熟を認め、即座に対策を講じたのです。伸び代としては十分すぎるというもの。……さて、我が息子の初陣に泥を塗ろうとした旧貴族のゴミどもには……」
「……相応の報いを受けてもらいましょう。徹底的にね」
ちなみにこの後、ブルムンド国内にあった首謀者たちの拠点は、ソウエイの藍闇衆が踏み込むよりも早く、「影も形もなく完全消滅」させられることとなる。
ソウエイ配下の記録には『悪魔 (テ)』による先行制圧・消滅完了』とだけ記され、ディアブロは「まぁ、どちらが手を下しても結果は変わりませんがね」と優雅に微笑んでいた。
---
翌日、魔導列車に揺られ、一行はファルメナス王国へと入国した。
王宮の玉座の間。
「がははは! よく来たなジョシュ! ミョルマイルの旦那から話は聞いてるぜ!」
出迎えた国王ヨウムが豪快に笑い、脇を固める警護隊長のグルーシスと参謀のニードラーも笑みを浮かべる。
奥の私室からはパタパタと小さな子供の愛らしい足音が微かに響き、ヨウムたちに紹介された後、すぐに侍女に連れられて奥へと戻っていった。
「ストラトス殿とおっしゃいましたか。見習いとはいえ、佇まいからただ者ではない気配を感じますな」
ヨウム陣営の中では少し年長のお兄さん格にあたる参謀ニードラーが、親しみやすい笑みを浮かべて声をかけてくる。
(かつて父様が、大変お世話になりました)
もちろん声には出さないが、新体制樹立の際にディアブロが彼に「殆どの人では実現できない難しい課題」を与え、それを実現してきたことを学んでいるストラトスは、内心で深い敬意を込めて丁寧に一礼を返した。
※シエル解説(「殆どの人では実現できない難しい課題」を与えることを、世間では「無茶振り」といいます。「殆どの悪魔では実現できない難しい課題」は日常茶飯事に与えられています)
政治顧問として控えていた前国王エドマリスも、その様子を見て静かに目を細める。
「うむ……若き身でありながら、実に聡明で深みのある目をしている。魔国連邦の次代を担う人材の層の厚さには、恐れ入るばかりだ」
一方、ミュウランの手には、ジョシュから「リムル様より、王妃様に直接お渡しするようにと」と小声で託された、もう一通の親書があった。
地下室の一件以来、ミュウランの胸には拭えない疑問があった。
(あの子、あの濃密な聖気の中で一瞬だけ微かに悪魔特有の苦悶の表情を浮かべた。それなのに、すぐに持ち直して人間離れした神速で術式を止めてみせた……。悪魔なら即死しているはずですし、人間ならあの動きは不可能。一体あの子は何者なの……?)
ストラトスの正体についてだろうか――直観的にそう思いながら封を解き、目を通した瞬間。
ミュウランの思考は、疑念ごと真っ白に消し飛んだ。
『ミュウランへ。実は今回同行している見習いのストラトス君だけど、ディアブロとテスタロッサの息子なんだ。元魔女の君なら薄々感づいてるかもしれないけど、本人は人間社会で修行中だから他言無用でよろしくね! by リムル』
(……は? 息子……? 精神生命体の悪魔が子をなすわけがないでしょ!? しかも始祖同士って何事!?)
(見どころのある現代種か近代種を養子にでもしたってこと……!? 始祖二柱の息子?(弟子?)だから、あの聖気の中で耐えきってデタラメな神速を出せたということ?……って、元魔女だろうが見抜けるわけないでしょリムル様ーーッ!!)
(それに、あの二人から育てられたにしては、あまりにも素直な好青年すぎるでしょ!?)
(しかも他言無用って……混乱を防ぐどころか、大陸消滅級の超特大爆弾を私一人に背負わせようというの……!?)
ヨウムがファルメナスの王となった時、心に深く誓ったはずだった。あの悪魔――ディアブロだけは、何があっても絶対に敵に回してはならないと。
それだけでも悪夢だというのに、東の帝国を蹂躙・壊滅させたテスタロッサまでセットでついてくるのだ。
脳内ではディアブロだけで詰んでいる。テスタロッサが加わるなど全く想像の外、脳の許容量を遥かに超えている。
彼に何かあったらどうなるのか? いや、既にブルムンド王国では彼を危険に晒しており、自分たちは助けられている。それを彼らはどう捉えているのか……。
あまりの衝撃に、ミュウランの思考が真っ白に染まる。
抱えきれない。こんな国家存亡レベルの極秘事項、自分一人で抱え込めるはずがない。
誰かに相談したいと縋る思いで周囲を見渡す――。
無邪気に笑う夫のヨウム。
好戦的な笑みを浮かべるグルーシス。
かつてディアブロの恐怖を骨の髄まで味わったエドマリスとニードラー。
そして、何も知らずに立っている大番頭のジョシュ。
(……誰も、いないわ)
相談できる適任者が文字通り「ゼロ」である現実に、ミュウランは静かに天を仰いだ。
自分一人でストラトスの安全を守り切るしかない――そう覚悟を決めた、まさにその瞬間だった。
「ストラトスって言ったか! 細身だがいい面構えじゃねえか!」
ヨウムが無邪気な笑顔で、ストラトスの背中を『バシバシ!』と豪快に叩いた。
ヒュッ、とミュウランの喉が引きつる。
(あ、あの人……始祖二柱の宝を素手で連続連打したわ……ッ!?)
血相を変えてストラトスの表情を伺う。
少年は――親しみのある柔らかい笑顔を浮かべていた。
(セ、セーフ……!? 機嫌は損ねてないわね……!?)
「よし、気に入ったぜ! これからは俺のことも気軽に――」
調子に乗ったヨウムが、再び背中を『バシバシ!』と叩く。
慌てて少年の顔を見る。
ストラトスは――引きつったような苦笑いを浮かべているように見えた。
(苦笑い!?)
「何かあったら、何でも俺に――」
精神的ストレスで胃痛が限界突破(全壊)したミュウランの目の前で、ヨウムが三度目の腕を振り上げる。
(――滅!!)
バシュン!と空間が歪み、ヨウムの身体は一瞬にして玉座の間の最果ての隅へと強制排除された。
「うおっ!?」
突如視界が切り替わり、よろめきながら振り返るヨウム。
その目の前には、同じく転移した妻・ミュウランが仁王立ちしていた。
ミュウランは『無詠唱・空間転移』を発動したのだ。
「な、なんだミュウラン、急に!?」
「あなた……首も国も飛びますよ!」
底冷えするような凄みを帯びた妖艶な笑みを浮かべ、ミュウランは至近距離から夫を睨めつける。
事情がさっぱり呑み込めないヨウムは、ただただ目を白黒させて「???」と首を傾げるしかなかった。
---
気を取り直し、先日の一件を踏まえた「ファルメナス国内の反体制派への対策会議」が始まった。
方針は、こちらから先んじて国内の小規模な拠点を潰すことで相手を炙り出し、各個撃破すること。
「主だった討伐部隊は俺とグルーシス、ニードラーで率いるぜ」とヨウムが腕を組むと、ジョシュがすかさず進言した。
「ヨウム様、よろしければうちの連中も使ってください。護衛として同行している彼らも腕が立ちますので!」
その言葉を受け、ミュウランは即座に決断した。
「分かりました。ストラトス、ヴェノム、そして冒険者三名は私の指揮下に入れます!」
さらにミュウランは、ヴェノムへと鋭い視線を向けた。
(……ヴェノム。どうせモスも来ているのでしょう?)
(げっ……な、なんでバレて……)
(やっぱりね)
(ストラトスが始祖の息子で、モスまで張り付いている……。つまり、この一件は魔国連邦本国に最初から筒抜けってことね。何が何でも、完璧にやり切らなければ……!)
王妃の覚悟と胃の痛みは、ここに極まっていた。
こうして、ミュウラン指揮下による苛烈を極める掃討作戦が幕を開けた。
まず、現地の地理に明るい冒険者三名が情報収集に走り、不審な拠点を特定する。
何かが引っかかったら、ミュウランの命によってヴェノムとモスが即座に急行。
「一瞬で消せ」との指示通り、悪魔公により拠点は瞬く間に塵へと変えられる。
そして、尋問用に残された「1〜2名の生き残り」を、後方から駆けつけたストラトスが神速の体術で瞬時に無力化し、王宮へと連れ帰る。
連れ帰った残党を徹底的に締め上げて次の拠点の情報を吐かせ、ヴェノム&モスが塵にし、ストラトスが無力化して連れ帰る――。
冒険者3人なので、×3。この恐怖の超高速ループが昼夜を問わず繰り返された。
ストラトスが「大忙し」で捕縛・連行をこなしているということは、その裏で先行して拠点を消し炭にしているヴェノムとモスは、もはや過労死寸前の超絶フル稼働状態だった。
業を煮やしたヴェノムとモスは、魔国連邦の執務室へ転移にて赴き、恐る恐る待遇改善の直訴を試みた。
「息子の安全を最優先にし、手元にある使える駒を最大限に活用する……ふふっ、為政者として実に正しい判断じゃない。ミュウラン、上手いわね」
悪魔公二柱の前で、テスタロッサが優雅に微笑む。
「クフフフ……ええ。あの程度の相手、我が息子の稽古にすらなりません。雑事を行うことこそ、あなた方の仕事ですよ」
ディアブロの冷徹極まる美声が容赦なく突き刺さった。
「「…………」」
二柱は無言で天を仰ぎ、再び残党狩りの現場へと消えていくのだった。
一方、ファルメナス国内に潜伏し、裏から資金と技術援助を行っていた東の帝国の残党工作員たちもまた、悲惨な末路を辿っていた。
藍闇衆の潜入部隊と、悪魔たちによって、潜伏拠点が次から次へと音もなく壊滅させられていったのだ。
(後に、ソウエイ配下の報告書には『悪魔 (テ)、悪魔 (デ) 配下の介入により全拠点無力化』と淡々と記載され、これを見たリムルは、「……協力したのか競争したのかは、あえて聞かないでおこう」と遠い目をしたという)。
こうして、表と裏からの完璧な(結果としての)電撃連携により、ファルメナスを揺るがすはずだった反乱の芽は、わずか数日のうちに根絶やしにされたのである。
---
一方、この間、本業である商売に精を出していたジョシュは、大忙しの日々を送っていた。
いわゆる「戦争特需(と、その後の復興・防衛需要)」により、魔国連邦から持ち込んだ物資は飛ぶように売れ、持参した商品はほぼ完売、大量の受注残が出るほどであった。
一方、今回の旧貴族派の拠点潰しにより、倉庫から大麦や干し芋が大量に出てきた。貴族が施していた防腐の魔術がまだ生きていたため、十分に食せる状態だった。
ミュウランからこれらを買い取ってもらえないか頼まれたジョシュは、抜き取りで品質を確認した上で、市場価格より格安で買い取ることにした。
魔国連邦に持ち込めば、お酒の材料として、高く売れるとの目算あってのことだ。
ミョルマイル商会の大番頭として自画自賛したくなる大成功を収め、ミョルマイルへの報告を兼ねて一旦、魔国連邦へ帰還することとなった。
ガタゴトと心地よい揺れを響かせる、帰りの魔導列車のコンパートメント。
「いやあ、良い経験になりました! 父様や母様にも良い報告ができます」
「へへっ、ストラトス様が無事で何よりでしたぜ」
「依頼達成だな! 魔国連邦に戻ったら美味い酒を飲もうぜ!」
やりきった充実感を漂わせ、ほのぼのと談笑するストラトス、ヴェノム、そして冒険者たち。
そんな中、最も充実した旅であったハズのジョシュは一人、車窓を見つめながら青ざめていた。
(……待てよ? そういえば王宮で、ミュウラン様とヴェノム殿がまるで『昔からの知り合い』みたいに親しげに話していなかったか……?)
(あの手紙を渡した後のミュウラン様の尋常じゃない取り乱し方……)
(それに、あまりにも順調に進んだ討伐……まさか、私たちが秘密裏に進めていた計画、最初からリムル様に全部筒抜けだったんじゃ……!?)
今更になって点と点が繋がり、全ての真相に思い至ったジョシュの額から、嫌な汗が流れ落ちる。
ほっとした笑顔で旅の終わりを楽しむ仲間たちとは対照的に、商会を取り仕切る大番頭は、これから待ち受けるミョルマイルと盟主リムルへの報告を思い描き、激しい胃の痛みに襲われるのだった。
前・中・後編とお付き合いいただきありがとうございました!
ブラック企業でこき使われて、ホワイト企業に憧れたけれど、
悪魔界では、昼夜を問わず駆り出される職場(環境)でした。
一旦、テンペストに戻ります。
また、新しい旅に出るときは、よろしくお願いします。




