千紫万紅の星
「結婚式の準備は順調か?」
アレクシスがヴァイオレットの髪を弄びながら問うてきた。酔っているアレクシスの目はいつもよりとろんとしているものの、受け答えは普通にできるようだった。
「ええ、つつがなく進んでいますわ」
来月に控えた結婚式の準備は、仕事でエンナにいないアレクシスに代わり、すべてヴァイオレットが取り仕切っていた。
当初は身内だけのこぢんまりとした式にしようと二人で話していたが、惑星中の様々な人から祝いたいという申し出を受けたため、かなり大規模な式になる予定だった。
「学校の卒業式も控えているし、仕事や式の準備も忙しいだろう。無理していないか?」
「どうってことありませんわ。アレクシス様が思うより私は頑丈ですもの」
ヴァイオレットは元気いっぱいに言ったが、アレクシスはいまいち信じ切れない様子だった。
「式が終わったら君はどうするんだ?」
「今後、惑星外の方々との取引や交流が増えるのに伴ってトラブルが発生しないように調整役になってほしいとお誘いを受けておりますので、それを受けようと思っていますわ」
その誘いを受けたのはエンナ人とだけ交流して生きていくことに限界を感じ始めた時のことだった。おおらかで優しく、他人を疑うことを知らないエンナ人の一員だった自分はもういないのだと、故郷に戻ってきてすぐに思い知らされた。外の世界で身に着けてしまった他人を簡単に信用できない性質は、もう元には戻せなかった。
ヴァイオレットの脳裏には、自分を決定的に変えてしまった女の顔が浮かんでいた。ワン・イニョン、二度と会わないであろう彼女こそがヴァイオレットの信じていた世界を破壊した。
「そうして行く行くは企業体エンナのトップになるのか?」
アレクシスの声でヴァイオレットの意識が引き戻された。
「どうでしょう、今回の更生手続きで組織構造も変わっていくようですし、元国家元首の娘だからという理由で半自動的に私がそうなることはないと思いますわ」
「……君がずっとこの惑星にいる理由もないということか?」
アレクシスの声色には、隠し切れない期待の色が滲んでいた。彼は、無理だとわかっていても、ヴァイオレットがどこに行くにも一緒についてきてくれることを望んでいる。ヴァイオレットはその期待に応えられないことに少し胸が痛んだ。
「ええ。でも、ずっとエンナにいたいと思っていますわ、この星の為に働きたいという気持ちは変わっていませんもの。それにせっかくアレクシス様が贈ってくださった星ですから、大事にしたいと思っていますわ」
「そうか。俺は式が終わったら地球へ行かないといけないから、またしばらく会えないだろう。寂しくなる」
複雑そうにアレクシスはため息を零し、ヴァイオレットの髪を一束取って口づけた。
「自業自得だが、全てを求めた代償はどうしようもなく大きいな。ただ君と暮らせたらいいのに、たったそれだけが永遠に叶うことはないんだろう」
灰色の瞳は、滑り落ちてしまいそうな深い悲しみの淵を映していた。
あの、と言った声が上ずって、ヴァイオレットは恥ずかしくなった。
「私を無理やりでも連れて行くことができるのに、どうしてそれをされないんですの?」
アレクシスがヴァイオレットのために使った金は、エンナを競り落とすだけで六十兆地球ドル。それ以外にも信じられないような額をヴァイオレットのために使ってきた。
金だけでなく、オークションの資金集めのために数えきれないほどのパーティーへ参加し、ヴァイオレットを守るために何度も危険を退け、すさまじい労力も費やしてきた。
金でも恩義でも、アレクシスがそれを理由にすればヴァイオレットはどんな頼みでも首を縦に振る以外できないのだ。だが、アレクシスは一度もそんなことをするそぶりを見せたことはなかった。
ややあって、アレクシスは言った。
「俺は君に金と自由と愛と、それから罰まで約束したはずだ。そんなみっともない真似をして約束を破ったとしたら、君は昨日までと同じように俺を愛してはくれないだろう」
アレクシスは、ヴァイオレットの赤くなった耳を撫でた。その触り方があまりにも優しかったせいで、ヴァイオレットは背筋がぞくぞくした。
「それとも無理やり連れて行かれるのが君の好みなのか? それなら何も聞かずに連れ出そうか。ああ、言っておくが紛争地帯に行くこともあるから、浴びるほどの銃声を聞く羽目になるかもしれないな」
ヴァイオレットはぐいとアレクシスの胸を押して離れた。
「け、結構ですわ! もう怖い思いはたくさんですもの……」
ヴレードルや地球での襲撃の数々を思い出し、ヴァイオレットはぞっとした。たとえアレクシスのためだとしても、再びあんな思いをするのは耐えられそうもない。
にやっと笑うアレクシスの目がはっきりしているように見えたので、ヴァイオレットは立ち上がった。
「酔いが醒めたのならそろそろ戻りましょう。主役がいつまでもここに居てはいけませんわ」
ヴァイオレットが手を差し伸べても、アレクシスは立ち上がろうとする気配がなかった。
「戻りたくないな。もう酒を飲まされるのはこりごりだ」
ソファーの上で脱力しているアレクシスの姿は、悪戯をして叱られたヴァイスの姿を思い起こさせた。ヴァイオレットはくすっと笑った。
「どうかしたか?」
「いいえ。ただ、可愛いと思っただけですわ」
アレクシスはしばらくぽかんとしていた。やがて自分が可愛いと言われたのをようやく理解したのか、困ったように微笑んだ。
「俺にそんなことを言ったのは君が初めてだ。可愛いのは俺ではなくて君の方だろう」
あくびをして、アレクシスは重たそうな瞼で瞬きをした。
「それって、どのくらい……?」
ヴァイオレットは自分が今までになく緊張しているのを感じていた。アレクシスに可愛いと言われたの
はほとんど初めてだった。惑星や民族によっては相手の外見に言及することさえタブーとすることもあるので、彼もそういうものなのだと思って半ば諦めていた。
眠そうなアレクシスの目はほとんど閉じられていたが、ヴァイオレットへ向けられたその目はまるで眩しいものを見ているかのように感じられた。
「君は可愛いよ、この銀河で一番」
そのままアレクシスは完全に目を閉じてしまった。
ヴァイオレットは、すとんとアレクシスの膝の上に座った。
「わ、私も、もう少しここにおりますわ……」
探るように伸ばされたアレクシスの手が再びヴァイオレットを抱き寄せた。アレクシスはすぐに寝息を立て始めた。
警戒心の強いアレクシスが鼓動の音で目覚めないか心配だったが、彼は穏やかな顔で眠り続けた。
アレクシスが家以外でも張り詰めた緊張感を解くことができるのは、ここが惑星エンナだからだ。これから異星人を受け入れてエンナが変わっていくことになっても、彼がこうして安らげる星であり続けられるよう、調整役として頑張って働こうとヴァイオレットは心に誓った。
「ああ、でも、他所で同じ台詞を囁いていないか時々一緒について行って確認すべきかしら……」
言いながら、ヴァイオレットは会場の方を見遣った。気づけば会場の方から聞こえてくる談笑の声は小さくなっており、そろそろ祝賀会も終わりそうな雰囲気だった。
誰も来ませんようにと願いながら、ヴァイオレットはアレクシスの頬を撫でて、そっと口づけた。それでもアレクシスが起きないことを確認して、ヴァイオレットは満ち足りた気分になった。
再び頭をアレクシスの肩に預けると、柔らかく甘やかなマートルと、アレクシスの肌の香りがより強く感じられた。
大好きな匂いに包み込まれながら夜空の星を見つめた。どれか一つを選んで、違う場所にいる時にでも同じ星を眺められるようにしようと思った。
瞬く星々の、その輝き一つ一つが、とても眩しく感じられた。今ならどんな星にも手が届きそうに思えるほど、強く輝いていた。




