友の春
最近、カイル・ヴァン・ブラウベルの様子が、明らかに「異常」だった。
かつては日が暮れるまで自分を追い込んでいた鉄の騎士が、定刻になるとそわそわし始め、誰に命じられたわけでもなく王立病院の方角へ、まるで磁石に吸い寄せられるように歩いていくのだ。
「……ソフィア。カイルが、あのカイルが訓練を切り上げたぞ」
物陰から、不自然なほど巨大な付け髭と金の眼鏡で変装したエドワードが、深刻な顔で呟いた。隣には、やはり派手なベールで顔を隠した(しかし隠しきれない気品が漏れている)ソフィアが、うっとりと手を合わせている。
「まあ、エドワード。これはきっと……福音(お迎え)の予兆だわ。あんなに孤独だったカイル様が、ついに『誰かに自分を預ける喜び』に目覚めたのね」
「……死の予兆でなければいいが……。エドワードとしてではなく、友として見届けねばならん」
二人が「隠密」と言いつつも、オーラ全開でカイルの後を追う。
その後ろを、さらに数メートル離れて、無表情に歩くテオとルナとエトワールの姿があった。
「……ねえ、ルナ。あの変装、誰がどう見ても陛下とソフィア様だよね?」
「……無視しなさい、テオ。王族の『極秘(公然の秘密)視察』は、この国の伝統芸能みたいなものよ。それより、カイル様の歩数から導き出される目的地……やはりあそこだわ」
カイルが辿り着いたのは、病院の裏手にある小さなハーブ園だった。そこではクラリスが、夕暮れの光の中で薬草を摘んでいた。
「クラリスさん。……今日も、手当てのお礼を言いに来た」
カイルは、王を支援する勇猛な貴族たちのリーダーとは思えないほど、言葉を選びながら、不器用な手つきで小さな花束を差し出した。
「あら、カイル様。……そんな、お礼だなんて。私はただ、痛みを和らげたかっただけですのに」
クラリスは微笑み、花束を受け取った。
その瞬間、物陰で見ていたエドワードが絶句した。
「……信じられん。あいつが花を……? あの『鉄錆』と呼ばれたカイルが!? ふ〜ん……」
「なんて清らかな光景。……エドワード、見なさいな。彼女のあのお姿……。福音派の信者たちが唱える『無償の管理』ではなく、ただの『思いやり』という、今やこの国では絶滅危惧種となった愛の形だわ。とても懐かしいわね」
だが、この「普通で穏やかな光景」を、別の視点で見つめる者たちがいた。
ハーブ園の周囲を等間隔で囲むように並んでいた、【純愛・福音派】のタカ派の信者たちである。彼らは無表情に、しかしキレのある動作で「管理体操」の構えをとった。
「「「「異常値検知……異常値検知……。カイル様、管理外の笑顔を確認。……あの女性、カイル様の心拍数を計測せずに、なぜあんなに安らぎを与えているのか(チェック)……」」」」
彼らにとって、クラリスの「ただの優しさ」は、自分たちの教義(管理)を飛び越えた、得体の知れない脅威に映っていたのだ。
「……まずいわね、テオ」
ルナが鋭く状況を分析した。
「クラリスさんの『普通の慈愛』が、信者たちには『未知のアルカナ魔法』のような何かに見えているわ。あのイカれた脳を持つ人達の論理では、管理されない幸福は『エラー』なのよ」
「えっ、じゃあクラリスさんが危ないの? ……そんなの絶対ダメだよ!」
テオが身を乗り出そうとしたその時、カイルがクラリスを守るように一歩前に出た。
彼は背後の「管理体操」を続ける信者たちを、かつての戦場で見せたような鋭い眼光で一喝した。
「……そこまでだ。……彼女に、君たちの一方的な信仰の物差しを向けるな。……彼女は、私が世界で唯一見つけた、『傷ついてもいい場所』なんだ」
その言葉は、愛殺教の国において、何よりも強固で、何よりも不変な、真実の愛の咆哮だった。
「……カイル」
物陰で、エドワードが付け髭を落とし、呆然と友の背中を見つめた。
そこにいたのは、王に従う臣下でも、数多の戦場で肩を並べた戦友でもない。一人の女性を守るために、孤独な城を飛び出した「真の騎士」の姿だった。




