第349話 続・ノルトラントにて ②
フリッツの妻であるイルメラ夫人は自他ともに認める服道楽であったが、ノルトラント北に金食い虫の趣味をまるっと持ち込もうとはしなかった。ただし、服飾に関する興味までが失われたわけではない。ラウルとリンが訪ねてきたと聞いて、イルメラ夫人は孫の嫁に新しい衣装を贈ろうとした。滞在中に仮縫いだけでもして、完成してからエストに送り届ければいい。そう考えて、イルメラは自ら巻き尺を手にしてリンを採寸しようとしたのだ。孫の嫁と久方ぶりに再開した瞬間から何となく察していたことではあったが、実測した数字は嘘をつかない。昨年に作成したリンの型紙は役に立たなくなっていた。イルメラの静かな怒りの原因とはそのことだ。
「ラウル、ご苦労でしたね。こっちへいらっしゃい」
着席を勧めるイルメラの言葉は丁寧だが温度の低さを感じる。危険を感じたラウルが目だけでリンに説明を求めたところ、ごめんね、と口の動きだけで彼女は伝えてきた。面倒事の発生だ。
(詰め方が母さんに似てないか)
ハンナも怒るときはいやに丁寧だ。
「どうしたんです?あなたもお茶をいただきなさい」
「は、はあ。いただきます」
到着早々怒られるような失敗をした覚えはない。辛うじて青年貴族らしい振る舞いを身に付けつつある自信もあった。
「ラウル」
「は、はい」
「あなたは他所様のお嬢さんをお預かりしている自覚に乏しいのではありません?」
「な、何のことでしょう?リンのことでしたら、彼女をないがしろにした覚えはありませんが」
ようやくラウルは叱責の対象がわかった。
(どうやらオレはリンのことで叱られているらしい。リンが祖母さんに何か言ったのか?いや、告げ口するような性格じゃない)
「わからないのですか?」
「すいません」
「困ったものですね。御覧なさい。これ以上リンちゃんの二の腕をたくましくさせてどうするのです。身頃が足りなくなったら足せばいいというものではありませんよ」
ラウルは自分でも繕い物をするのでイルメラが抗議している意味は理解できる。身頃とは服から袖や襟を除外したものを指す裁縫用語だ。つまり、リンの型紙は昨年と比較して些か面積が大きくなり、結果として少々布地が余計に必要になるということになる。
「えッ!?」
「ごめんね、ごつくなっちゃって……」
年頃の女性には不名誉と取られる場合が多い情報であった。恥ずかしいから止めてくれ、とリンはイルメラに頼んだのだが、ラウルの祖母は布地の多少を問題にしているのではない。
「ずいぶんとリンちゃんを危ない目にあわせているようですね?何となく修行半分の物見遊山ではないと思っていましたけれども」
「そいつは、ええと、弱ったなあ」
ラウルは祖父母に竜の子としての使命を詳しく話していない。巻き込むことが気後れして、本当のところを今日まで打ち明けられていないのだ。彼がまごついていると、それまで肩の上で大人しくしていた白いトカゲが目を覚まして首をもたげた。
「まあ、ずっと気になっていましたけど、その子は襟巻ではなかったのですね」
防寒用の襟巻には毛皮を使用するのが一般的であり、トカゲの全身を使用した物となると流石に例を見ない。
「カナちゃん、揉めてるわけじゃないから、気を使わないでくれよ」
「名前までつけているのですか。はて、その子の目は蛇ではありませんね……人の目ではありませんか?」
イルメラは目ざとく白トカゲを観察して言った。
「ええ、こみいった訳ありでして」
「聞きたくありません。超常の存在なのでしょう?ラウルとリンちゃんが大陸中を巡っているのも、きっと……」
イルメラはラウルの説明を遮る。ヘルナー家は創設の経緯からして怪異がらみだ。怪異に深くかかわった者は尋常でない苦労をする羽目になる。これは聖槍を手にしたハンナによって証明済みだ。
「あ、あのう」
「歴史は繰り返すのね」
「父さんと母さんのことですか?」
「いえ、初代様からずっとのことよ」
イルメラは束の間ふさぎこんでいたが、気を取り直して説教を再開した。確かに、いくら治癒魔法と回復湿布があるのだとしても、いつまでもリンに生傷が耐えないようなことをしていてはエストのクラーフ家に申し訳がない。
「あなたたちの旅に目途は立ったのでしょうね?」
「はい、道半ばではありますが」
「宜しい。お願いしましてよ、ラウル。ヘルナー家の名誉にもかかわることです」
「承知しました」
リンの待遇を改善するようにとの命令に対して神妙に返答することで、ようやくラウルは許された。退出を許されたラウルは領地経営の参考にするべく、開発工事の見学へとリンを誘う。
「ごめんな。あんなの体のいい公開処刑だよ。孫夫婦を心配するあまりの出しゃばりだと思って勘弁してくれ」
「いいよ、そんなの。気にしてないよ。ただ、ごつくなっちゃったのは本当……魔法素材の服じゃなかったらダメだったかも」(もともと布地の少ない服だったらいろいろと大変なことに)
「だから、気にするなって。オレは変わらないよ」
「え?」
「少々ごつくなったくらいでリンに対する気持は変わらないってことさ。何度も言わせるなよ」
「聞こえなかった。もう一回言って」
「あ、こいつ!」
ラウルはリンを小突きつつ工事現場へと向かい、白いトカゲは彼の肩で再び襟巻の態勢に戻る。仲の良い恋人たちの様子に違いなかったが、実のところ、愛の告白に近い文言をラウルの口から聞いたリンは内心でどきりとしていた。自分はどうだろうか。ラウルが人外の化生へと変じた今も従前と変わらぬ愛を貫いているだろうか。採点も正解もないだけに、折に触れて彼女が内心で幾度となく繰り返している問いかけだ。ただ、彼の言葉を聞いた以上は、相互主義と言うわけではないが、ラウルが何者であっても愛を注ぎたい、という気持は益々強くなった。
「ねえねえ、そのトカゲさんは本当にカナスタさんなの?」
「うん。人工生命体だね。どう考えても事故の元だから、人前では極力喋らないようにお願いしたんだ」
「女の子の身体は?」
「ルオート山で点検整備だってさ」(だからって、なぜトカゲにした)
グリノス皇帝恩賜の品として国境警備を無審査で通過した箱の中に彼女はいた。アルメキアに入国後、家に帰るまで開封を辛抱できず、ラウルは開けてびっくりの最たるものを味わったのだ。珍しい動物の標本かと思いきや、動き出してお辞儀をしたものだから、リンはもう少しで悲鳴を上げるところだった。彼女は戦闘の役には立たないが、旅のお供に是非とも連れて行くようにと懇願し、愛玩動物らしい呼称もあらかじめ決めてあると言う。かくして、ジーゲル一家には竜族が謎の生物として加わることになったのである。
「そうか、そうだよね。つい最近までお墓の中で、その前は長いこと地面の下だったものね。あちこち見て回りたい気分はわかるよ」
「世界はこんなに広いのにな」
「本当にね」
ラウルがふと思うことには、エスト南には閉じられた世界の経験者が多いことだ。ロスヴィータと仮の名を与えられた女性は遺跡に閉じ込められていたし、コリンは聖タイモール教会の王都大聖堂に心身を絡めとられていた。倉庫番のジムやエリオット製材のウイリアムなどはグリノスの元特殊部隊員として、これまた一般社会とは隔絶された生活を送ってきた過去がある。ヘーガーのように自ら闇の世界へと足を踏み入れた変態は別として、訳ありの領民ばかりなのだ。
(そこへオレだろ、そして、カナスタさんも加わってさ。似た者同士を喜べばいいのか?いや、待てよ。この件は竜王様から注意されたはず……)
「どうしたの?」
「いや、ウチの領民には癖のある奴ばっかりだなあ、とかね。あ、オレも含めてだけどな」
「そうかな?」(目立つのはヘーガー店長だけでは)
「それが反乱とかに繋がる理由ってわかるか?」
「徒党を組む、もしくはそう思われるからでしょ」
宗教を抜きにしても異端者に対する世間の目は厳しい。一般的な趣味や嗜好から著しく外れたそれは奇怪な行動と見られがちだ。ましてや、アルメキアには聖タイモール教の影響が色濃い王国法がある。宗教的異端者として虐げられた過去があったり、教会への反発心を持ったりしている人間が集団を形成すれば、それは反乱予備軍であろう。
「そうなるのか」
「ウチはまだまだ小さいから心配ないと思うけどね」
リンは喫緊の問題ではないことを強調するが、早晩エスト南領が異端の疑いを掛けられるかもしれず、それは私財まで注ぎ込んだ領地経営が無に帰すことを意味していた。
「祖父さんに相談してみるか」
「フリッツ様に?」
「ほら、教会とあれだけ仲が悪いのに、そのことが原因で討伐軍が動員されたりはしてない。上手くやってる証拠だよ」
善は急げとばかりにラウルはリンの手を取る。絵描きが静止を強いている間なら、フリッツは仕方なく雑談に応じてくれるからだ。
「あー、ごほん。どうぞ、奥様のお手を」
「うむ。苦しゅうない」
ラウルはおどけた貴族風の仕草で妻を大事にする精神を体現して見せ、リンもそれに応じたが演技が固い。
「なんだそれ」
「ラウルこそ」
明るく笑い合って手を取るラウルとリンを雇われの絵描きは横目で見ていた。美しい画題に気を取られかけたが、今は目前の依頼に集中せねば自分の首が危ない。辺境伯の縁者らしいと聞いたので、是非とも紹介の栄に浴したい旨を報酬の一部としてねだろうと決めた。
いつもご愛読ありがとうございます。
新メンバー加入のご案内です。彼女は猫ぐらいのサイズだと思って下さい。なぜ美少女のままでいてくれなんだ、と思うラウル君の気持ちは分かります。私もそう思います。
あと、新しい作中作として『絵画』が出てきました。少しだけ本筋に絡ませて、小ネタ的に挟む予定です。
徃馬翻次郎でした。




