第350話 春嵐 ①
春が何かと慌ただしい季節であるのはなにもアルメキアに限ったことではないが、雪解けを待ってやれ畝起こしだ種まきだと農民が田畑に出て汗を流す傍らで、繁殖期を迎えた野鳥が番を求めて美しい声でさえずっている風景は騒々しくも美しい。
ラウル=ジーゲルがグリノス帝国からアルメキア領ノルトラントに入り、さらに王都を目指して南下するにつれて、野原の景色がだんだんと色彩豊かになる様子には美的感覚に乏しい彼であってもそわそわさせてしまう不思議な魅力があった。播種と繁殖ともに生命に満ち溢れていることの象徴だからでありましょう、とオトヒメは感情を含めずに説いたが、なるほどその通りだ、とラウルは思う。そこに付け加えるなら、どうぞノルトラントの収穫が盛り返しますように、と祈る祈るような気持がラウルにはある。骸骨兵団の怪異を取り除いたからには大地に力が戻るはずだが、誰も挑んだことのない冒険ゆえに、期待している結果が即座に出るとは限らない。王都へ向かう道すがら、春の到来にわくわくしながらも、大地の恵みが等しく万民に降り注いでほしい、と神官のような心境になっていたのは事実だ。
それでも、王都周辺の見慣れた景色が目に入ると、浮ついた心のほうが勝る。雪と氷の世界から解放された反動もあってか、少々旅行気分になっていたことは否定できない。そのため、街道の往来がいつにもまして混雑しており、街道警備の騎士団員が臨時の交通整理にあたる始末を目の当たりにしても、しばらくの間ラウル主従は異常に気付かなかった。
「おい、見ろよ。えらい人出だぞ、リン」
駅馬車の後ろに流れていく景色にやたらと人影が多いことにラウルが気付いたのは王都が目前に迫った時のことである。
「本当だね。エストやウチの工事で物流や人の動きが活発になってるからかな?」
リンは書き物に夢中になっていたのでラウルに言われるまで混雑に気づかなかった。彼女はクラーフ商会職員と従騎士という二足の草鞋を履いているので出張報告書を提出しなければならないからだ。
なんと、王都の入口に近いところでは滞貨まで発生している。荷捌きにあたっている作業員はかなりの数に見えるが、それでもなお運び込まれる物資の量に労働力が追いついていないのだ。御者に指示して荷下ろし待ちの列に割り込むこともできたが、ラウルは厩舎の手前から少し歩いて王都に入るべく駅馬車を降りた。個人装備と着替え以外は全て別便でクラーフ商会エスト支店宛に送っていたので身軽なものである。
ただ、久々の王都を仰ぎ見た瞬間、ラウルとリンは驚きの声を上げずにはいられなかった。
「な、なんだ?これ……」
城壁周辺では足場が組まれ、石材や梱包された資材を運ぶ作業員でごった返している。足場がある以上高所作業が実施中であることは自明の理だが、その高所とは城壁の最上部であるらしかった。
「城壁を建て増ししてる……だけじゃない!攻城兵器をあんなに高いところに載せてどうするんだろ?」(何を撃つのかな?)
リンは後世で言うところの砲塔を初めて見る。旧来の監視塔に弩砲や投石機などの攻城兵器を組み合わせた建築物は、それまで優雅さを誇っていた尖塔とは比較にならないほど不細工であり流麗とはお世辞にも言えない重厚な見た目であったが、効用のほどは彼女にもわかった。大きな俯角で撃ちおろす守備側に対し、攻囲側の攻城兵器が同様の弾道を描くのは不可能である。地面に座ったまま石を投げるのと立ち上がって石を投げるのとでは石の飛び方が違う。これを克服するには平衡錘投石機と呼ばれる投射位置が高いところにある攻城兵器の登場を待たねばならず、現状では高所に据えられた攻城兵器が強い道理だ。
「この混雑は王都の工事が原因だったのか!」
ラウルの唸り声に反応したリンは素早く周囲を見渡し、監督役と思しき男性を見つけて情報提供を求める。ただでさえ忙しいのに勘弁してくださいよ、という表情を隠そうともしない役人だったが、外国から戻られた騎士がお尋ねである、とリンが告げた途端にラウルを見やって背筋を伸ばした。ラウルはせいぜい威張っている風をよそおい、生意気に片足踏みをやって見せる。押しと権力に弱い性質の人物らしい役人は降参して接客態勢となった。
「は、ご苦労様です。えー。こちらはですね、新たに制定されました防衛計画に基づき、鋭意推進中の城壁拡張工事です」
物資集積の監督官を拝命している役人は知っている限りの情報を述べる。工事が必要になった理由を聞けば、このところアルメキアが怪異続きであったことが大きい。それに、他国と交戦状態にないとは言え、治において乱を忘れず、という警句もある。平和な時こそ王都の防衛力を増加させる計画を推進するのは利に適っているように思えた。
「何を脅威として想定しての攻城兵器なの?外交の状況が変わったのかしら?」
これがリンには理解できない。大型投射兵器の標的は野盗ごときではあるまい。包囲攻撃側が用意した攻城兵器か城下を埋め尽くす軍勢か、あるいはもっと大きな何かであろう。また外国を怒らせるような真似をしたのか、という疑問を彼女流に上品な言葉で言い換えたのだ。
「さあ、それは存じ上げません。ただ、聞いた話では大司教猊下が神託を得られたとかで、今回の計画は何かと聖タイモール教会が噛んでいます」
監督官が腕で指示した方向には大勢の荷運び作業員が立ち働いていたが、そのほとんどがそろいの衣装を身に着けている。そこには聖タイモール教会の紋章が描かれていた。
「教会が人足を出しているの?」
「はい。奉仕団はご存じありませんか?」
「名前だけは」
軽犯罪者や素行不良者を収容し、更生と集団生活の中で社会復帰を目指す事業を聖タイモール教会が始めたことはリンも耳に挟んでいる。
「労働者どころか資金の一部まで提供してくれるって言うんですから、何の文句もありませんけど」
「でも、何か言いたそうね」
「他言無用で願いますよ。他でもない、あの奉仕団の連中です。教会がとっ捕まえた不良や小悪党を使役するなんて、我々も最初はおっかなびっくりだったんですがね」
「うん」(それは怖い)
「それがどうです?大人しいもんでしょう?ただ、こいつら良く働くんですけど、精気がないと言うか、受け答えが鈍いと言うか……」
教会の更生指導がよほど厳しかったんですかね、と監督官は結論付けたが、要するに、教会から派遣されてくる作業員が不気味である、という苦情であった。
「手を止めさせてごめんなさい。秘密は守るわ」
「秘密と言えないかも知れませんね。皆が言ってることですから。教会は立派なことをなさっているけれども、奉仕団員が魂を抜かれたみたいになっとるのはどういうことだとね」
監督官はお辞儀をして仕事に戻る。役人にしては口が緩かったが、疲労と不安の極致で愚痴の一つでも聞いてほしかったに違いなかった。
「ラウル、どう思う?」
少し離れたところで精一杯威張る格好をとる役割を果たしていたラウルは我に返る。
「職分に侵入されたお役人さんにしては随分と大人しいねえ」
「相手が教会だからでしょ」
そこだよ、とラウルは人差し指を立てた。
「都を守ることは良いことなのに、教会が絡んでいるって聞いただけで釈然としなくなるのはオレだからかな?」
「うん、まあ、そうかもね」
「あと奉仕団な」
ラウルは中指を追加して注目点が増えたことを示す。いつの間にやら教会所属の二次団体が発足していた件をラウルは初めて意識したが、リンが名称を聞き及んでいたことから、前々から発足の準備をしていたことがわかる。
「誰かに調査を頼んでおけばよかったかな?」
「いやいや、みんな領内の発展計画で大忙しなのに、仕事を増やしたら気の毒さ。ぱっと見は慈善事業みたいだけど、何かひっかかる?」
「だって、教会が持ち出しで……」
リンの言いたいことはわかるが公の場で口にするには憚る話題だ。
「ここでその話を続けるのもなんだから宿を取ろう。さっきからカナスタさんがなんだか落ち着かない様子なんだ」
ラウルの肩につかまっていた白トカゲが器用によじ登り、小気味よく彼の頭頂部を叩く。設定した呼称を使え、という抗議である。
「ち、ちょっと!」
「ああ、ごめんごめん。カナちゃんね」
リンは思わずむっとした。従騎士の面前で騎士に無礼を働いたからではない。常に飼い主と密着していられる愛玩動物に化け、けっこう上手に人生もとい竜生を楽しんでいるカナスタの様子が気に障ったのだ。完璧な偽装と評することもできたが、有体に言えば、少々引っ付きすぎではないか、と言いたい。トカゲの中身は年齢不詳の竜族なのだから、嫉妬するほうがおかしいのだが、ラウルが相手ではそのうち年齢と種族の壁を越えかねなかった。となれば、正妻を差し置いてのあざとい真似は心持ち控えてもらわねば立つ瀬がない。そう考えた彼女が軽く咳払いすると、カナスタは釘を刺されたことに気付いた。軽く頭を下げてラウルの肩に戻り、襟巻態勢へと直る。そして、今さらながらラウルもリンの所作の理由を察した。
「あー、リンさん?気を付ける様に言っておきますんで、飼い主ともども演技の一環だと思って大目に見てくださいませんか?」
「その言い方だと私が悪者だよね」
「参ったなあ」
別段、リンはラウルを困らせたいのではない。誰にでも気を許し過ぎなのではないか、と案じているだけだ。厄介ごとに慣れすぎてしまったのか、たとえ問題が発生しても何とかなるとばかりに自信がつきすぎているように思えてならない。しかしながら、外観は飼っているトカゲとリンがラウルを取り合っているようにしか見えなかった。これでは外聞に差し障る。
「はあ……首輪や紐を付けろとまでは言わないけど、飼われていることを示す印は必要なんじゃない?」
「そ、そうか。すぐに何か考えるよ」
素直な返事だ。部下の提案をよく聞き容れる扱いやすい主人ではあるが、夫としてはよそ見が多すぎてまだまだなである。このあたりが副官と妻の兼務によって生じやすい問題であった。
「宿は臥竜亭でいいかな?」
追及の手を緩めて副官の仕事を始めたリンを見てラウルはほっと一息を吐く。彼女の待遇改善を祖母のイルメラ夫人から仰せつかったばかりにもかかわらず、早々に失敗するところだったからだ。
「うん、久しぶりだな」
その気になれば高級な宿屋は何軒もあるし、王宮へ参内しがてら騎士団の客室に泊まることもできたが、ラウルは贅沢よりも使い慣れている環境を優先する。
「あー、でも、どうだろ、工事の騒音がちょっと邪魔かも」
「特別室が空いてるか聞いてみよう。あそこは防音が……おほん、たいへん優れている」
この城壁工事の騒がしさでは王都内の何処であっても完全な静寂を得るのは難しいだろうが、夫婦や恋人向けに様々な工夫がなされた臥竜亭の特別室なら話は別だ。
「う、うん……」
「な、なんだよ。夫婦なんだから全然恥ずかしいことじゃないぞ。でも、いろんな人の中には他人のスケベを見聞きしたくない人もいるわけで、そのための防音なんだ。なんなら、特別室だけの商売があったっておかしくないけれども、商売をさせてもらえる場所が娼館の側や歓楽街に限定されてしまう。誰が決めたか知らないけど、これはおかしいよな。ひょっとして教会か?大事なことだからもう一回言うけど、人間として自然なことなのに隠れるようにして……」
「わかった!わかったから!」
リンは突如としてスケベ論を熱く語り始めたラウルの口を塞ぐ。公然と教会を批判する会話は生命に危険を生じむるゆえに慎むべきだが、スケベ論の開陳は単純に恥ずかしい。道化や遊び人を演じているのならまだしも、けっこう気を入れて力説しているのが如何にもラウルらしかった。
いつもご愛読ありがとうございます。
タイトルは春嵐としましたが、話中のお天気は快晴です。やっと春が来たのにまた揉め事か、程度の意味です。実際、この季節は急にお天気が崩れたりしますからね。
徃馬翻次郎でした。




